お姫様は家庭的
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
二人は靴が乱雑した玄関をくぐる。
「あ~先輩、そうやって脱ぎ捨てる。だから散らかるんですよ~。何より痛みますよ」
「むぅ。別に履けなくなったら新しいの買えばいいし」
「何ですかそのお金持ち発言、僻みますよ」
彩女は別段金持ちではなく、ただ物に頓着せず趣味と言う趣味も無いため貯金がたまる一方での発言なのだが、姫美には、というより今の発言を他者が聞けば金持ちの余裕に受け取れる発言であった為彩女は弁明しようとするが、姫美が本気で言ってるわけではなく、冗談交じりに行っているのだと意地の悪いにやけ面の姫美を見て肩を竦めリビングに上がる。
「本格的な掃除は明日以降やるとして、取り敢えず今日は洗濯物ですね」
「いや、週末で良いんじゃ」
「は?」
「ひ。いや、その、今日はもうお互い疲れたろうしご飯食べて適当に寝るとか」
「ダメです!」
「んひぃ!?」
パーカーを脱ぎ、tシャツ姿で掃除しようとした姫美を彩女が疲れてているだろうと言う気遣いと汚部屋程ではないにしろ散らかっている部屋を他人に掃除させる恥ずかしさで止めようとした瞬間、鬼の形相で食って掛かる姫美に、あまりの変貌っぷりに情けない声を上げる。
「最初に来た時から言いたかったんです!先輩の部屋は汚い!何が汚いってまず地面に服を脱ぎ散らかす!脱いだら即ハンガー!洗濯も先輩の洗濯機乾燥機付きのめっちゃいいやつなんだから夜とか関係なく洗えるでしょ!」
気づいたら正座して、肩身狭く、つむじに降りかかる姫美のお説教に、年下に生活能力の無さを指摘されゴリゴリと精神を削られ半ば涙目の彩女。
お説教をしながらも、キッチンやリビングを歩き回りゴミを纏め、床に投げ捨てられた服を選別し、洗濯機を回すなど慣れた手つきで、下手したら家主の彩女よりも手早く家事をこなす姫美。
その光景はどちらが家主か、年上か上司かなんてわからない。
「ほら!いつまでそこに座ってるつもりですか!晩御飯作るんでちゃっちゃと机の上片付けてください!」
「...はい」
正座した所為で若干しびれた脚の痛みを我慢し、言われた通り机に散らばる煙草の吸殻や読みかけの資料を纏め適当な場所に移す。
「あ!またそうやって適当な場所に置く!だから散乱するんですよ!それ仕事の資料ですよね、ならもっと一か所に纏めないと」
「......はい」
ぐうの音も出ない正論に、まとめた資料を私室の若干埃をかぶった机の上に重ねる。
「次はお風呂の掃除をお願いします」
リビングに戻るとキッチンで晩御飯の準備をする姫美に頼まれた通り浴室に向かいスポンジに洗剤を馴染ませる。
「う~ん、自分が悪いとは言え年下にあそこまで言われるとこう...きついわね」
シャツの袖をまくり、浴槽を洗いながら崩れ落ちた自尊心を慰める。
ただ、久しく味わう事の無かった騒々しさに彩女の口角は自然と上がり手早く洗い終え湯を張り出す。
リビングに戻ると姫美は予め自宅で趙理をしていたのか、複数のタッパーを温めカウンターに乗せていた。
「お風呂直ぐに入れるようになるわよ」
「お疲れ様です、ご飯うちで作って来たんですぐ食べれますよ。残りも少ないんで先に食べててくだ...さい...」
彩女は食欲そそる匂いを発するタッパーに腹の虫を刺激され、何か言われるまでも無く机に並べ姫美が横に座るのを今か今かと待ちわびる。
そんな彩女の忠犬の様な可愛らしさに苦笑し、冷蔵庫から適当な酒を盆に載せ残りの料理と一緒に彩女の隣に座る。
「お腹すきましたね、さっさと食べちゃいましょうか」
「ええ、いただきます」
「いただきます」
食卓に並べられた料理はどれもきちんと下ごしらえがされているのか、彩女が最初に手を付けた肉じゃがは調味料が染み込み、程よい濃さが箸を進めさせる。
「すっごい美味しい!」
「ありがとうございます」
姫美が用意した料理は肉じゃがと白米だけだが、ほろりと崩れるような食感のジャガイモ、噛めば甘みと共に溶け出す人参、邪魔にならない長さに切りそろえられ味の染み込んだ白滝、そして味が染み込み噛み応えがある豚肉。
外食などとは違う、手料理らしさが詰まった料理に彩女は箸を休めることなく白米と一緒に飲み込むように食べ進め、時たま喉に詰まらせ酒で流し込んだりし、姫美の手料理に舌鼓する。
(そういえば、茜も肉じゃがが得意だったな)
姫美の肉じゃがに、嘗ての親友の事を思い出しそんな親友と目の前の後輩の姿が一瞬重なる。
自分が美味しそうに食べる姿を微笑ましそうに見つめるその表情は、まさに親友と同じそれで、彩女は被りを振ってそれを追い出す。
過去を振り返りたくないという思いと、目の前の後輩に親友の影を重ねてしまった罪悪感を胸に箸を進める。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様です」
2人前ほどはあった肉じゃがを、あっという間に食べ終えた彩女は膨らんだ腹を擦り心地よい満腹感に包まれる。
姫美も、そんな彩女の嬉しく思う食べっぷりに始めは驚いたが、美味しい美味しいと褒められ気分よく流し台に立つ。
「あ、私も手伝うよ」
「お構いなく、先にお風呂入っちゃってください」
「いや、でも」
「洗いきれてない洗濯物もあるんで、そっちの方がありがたいです」
「...お先いただきます」
料理まで作らして洗い物までさせるわけにはいかないと手伝いを申し出るも、遠回しに邪魔と言われればおずおずと身を引きちゃちゃっと脱衣所に向かう。
◇◇◇◇
「上がったからお風呂どう...ぞ...」
後に控えている姫美の為、カラスの行水の如く入浴を済ませた彩女はお気に入りの黒白ボーダーのスウェットに身を包み、髪を滴らせながらリビングに戻ると、あまりの変貌っぷりに目を丸くさせ絶句してしまう。
「あ、はーい。この洗濯物畳んだら入りますね~」
彩女が入浴に要した時間は20分からそこら、にも関わらずたったその短い時間で彩女のリビングは見違えるほどに掃除がなされていた。
リビングには彩女の脱ぎ散らかした服や適当に置かれたゴミや資料等の所為で荒れていただけで、それを取り払い軽く掃除機を掛ければ見違えた様に綺麗になり、その立役者である姫美は乾燥し終わった山の様にあった洗濯物を目にも止まらぬ速度で畳んでいた。
そして勝手知ったる家かのように彩女の自室に洗濯物を仕舞いこみ、自身のバックから着替えや化粧品等を取り出し鼻歌混じりに浴室に踊りだす。
彩女は余りの手際の良さに、放心しつつも、冷蔵庫から適当な発泡酒を取り出し綺麗に掃除してくれた姫美に感謝の念を抱きつつソファに身を沈めスマホを弄りながら酒を煽る。
~~~♪
「はい、神崎です」
スマホで最近ちびちびと読み進めている友人の漫画を読んでいると、夜分にもかかわらずなりだす職場からの電話に辟易としつつ電話に出る。
『夜分遅くすいません~、ちょ~っとお聞きしたいことがあってお電話したんですけど、大丈夫ですか?』
「大丈夫よ、何かあったの」
無駄に間延びした声のさして交流の深くない同僚に手早く要件を言うよう促す。
『お姫ちゃ...高城さんに連絡したい事があったんですけど、一向に連絡がつかないですが神崎さん何かご存知だったりしませんか~?』
「あ~」
言われてふと思い出す姫美が転がり込んできた日の事。
「確かスマホ紛失したって言ってたわね」
『え!?本当ですか!?仕事用の方もっすか?』
「それはどうだろ、ちょっと分かんないかな」
よっぽど重要な連絡なのか、電話越しに伝わる彼の声は悲壮感漂わせている。
それほどに重要な連絡、一旦自分が聞いて姫美に伝えようかと提案しようとした瞬間。
「お風呂頂きました~、ドライヤーってどこにあります~?」
『え?高城さん?神崎さん今一緒なんですか?』
「あ、いや。まぁうん」
脱衣所から声を張った姫美の声が電話相手に伝わり、困惑の声と共に聞き返される。
別段妖しいことしてる訳では無いし、単純に女同士で泊っているだけなのだが、何故か彩女は嘘がバレた様な居心地の悪さを覚えた。
「せんぱーい、聞いてま...す...」
返事が無いことを訝しんだのか、脱衣所から顔を出した姫美が彩女が電話中な事に気付いて尻すぼみになり申し訳なさそうに合掌する。
彩女もそんな姫美に首を振って問題ないと伝え、下の棚を開けるジェスチャーで姫美の要望に応える。
再度申し訳なさそうに合掌し脱衣所に姫美が引っ込み、電話向こうで困惑しつつもどういうことか詰めてくる彼に手短に説明する。
「あー、まぁ飲みに行って色々あって家に泊まることになったの」
『そうなんですか』
「それで、高城さんに何か伝えたいことあったんでしょ。今彼女手が離せないみたいだから伝えとくわよ」
何故、という疑問がありありと伝わる声音の彼にさっさと会話を切り上げたいとばかりに要件を聞き出す。
そんな彩女の気持ちが伝わったのか、はたまた彩女には伝えたくないのか電話越しの彼は口籠る。
『あー、大丈夫です~。明日直接当人に話すんで、それでは夜分遅くに失礼しました~』
彩女の返事を待たず切られ、彩女はなんだそれと一瞬不満に思うがそれを酒を飲むことで忘れ切り替える。
手元の酒がなくなって新しいものを取りに行くついでに、脱衣所に向かう。勿論、姫美がきちんとドライヤーを見つけられたかを見る為である。
「高城さん、ドライヤーは見つけられた?」
「あ、先輩。ちょうど見つけました」
脱衣所の扉を開けながら声を掛ける、すると直前に見つけたのかコンセントを指す体勢で姫美は振り返る。
ただ彩女はそんな姫美の姿を見て、頭の中が真っ白になっていた。
風呂上りの姫美が身に纏っていたのはワインレッドの上品なワンピースパジャマ、更にしっとりと濡れた髪の毛も今は一つに纏め前に流されているお陰でその綺麗なうなじが彩女の眼前に晒されている。
そして一番彩女に刺さったのが、風呂上がりの上気した身体。
ほんのり色づいたその白磁の肌が、姫美の普段の愛らしさはどこへやら、妖艶さすら感じられる程に彼女を女に仕立て上げていた。
「ん?どうしました?」
「あ、あぁいや何でもないわ、今日はお酒飲む?」
「んー、そうですね。低いの一個くらいなら」
「了解」
暑いのか、胸元を大きく露出させその豊満な胸や情欲をそそる首筋や、黒のナイトブラで寄せられた胸元を晒しながら振り返る姫美。そんな姫美を邪な目で見ていたら事がバレない様に慌てて愛想笑いを浮かべ話題を逸らす。
そんな彩女の様子に特に気づいた様子もなく、普段通りその愛らしい唇をすぼめ柔らかい笑みを浮かべる姫美。
脱衣所から戻る際、横目で姫美の姿を見ながらキッチンに向かい、少しぼうっとする頭で意識的にか無意識にか少しだけ度数の高いお酒をグラスに注ぐ。
注いでハッと気づく。
「いやいやいや、何してんだ私。なんでナチュラルに酔わそうとしてんの」
そう呟くと、新しいグラスを用意し度数の低い飲みやすいお酒を注ぎ、それらを手にソファに舞い戻る。
一瞬前まで頭に浮かんでいた邪な考えを些か度数の高い酒で払拭しだす。
「お風呂頂きましたー」
そこで姫美が脱衣所から出て来て、隣に座る。
髪は乾かされ、ふわりと浮かびシャンプーの良い匂いが彩女の鼻を突く。姫美は化粧水や手鏡を机に並べ、入浴後のケアに勤しみだす。
「それとさっきはお電話中すいません」
「あぁ、大丈夫よ。それに貴女宛の電話だったみたいだし」
「私宛?」
申し訳なさそうに頭を下げ、許しを得た後、化粧水を手に訝しんだ姫美に先ほどの電話の事を伝える。
「あー、確かに携帯無くしたままでしたねー」
「うん、それで連絡つかないからって私の所に来たみたい。緊急の要件だったりするの?」
「うーん。それって山本さんからですよね、なら別段急ぎじゃないですね」
あっけからんと言いながら、肌に化粧水を馴染ませる。
そんなどこか突き放す様な物言いの姫美に珍しさを感じながら、一口のみ込む。
「山本君は嫌い?」
姫美の様子から、先刻の電話の主を良く思ってないのかと上司として心配して自然体で質問する。
そんな彩女を一瞥し、馴染ませた肌にクリームを塗り始める。
姫美は唇を窄め、一瞬逡巡した後。
「嫌いってよりは苦手って感じですね、しつこいですし、なにより上司だから無下にも出来なくて」
人付き合いの上手い姫美なら、そこら辺も上手くできそうな気もしなくもないが姫美の苦笑した表情を見る限りなかなか上手くいってないのだろう。
ならばと彩女は上司として姫美の悩みを解決せんと意気込む。
「気になるようなら私から注意しようか?私なら角を立たせずに済ませられるだろうし」
部下が上司に、というより新卒の姫美が上司に物言うと言うのはなかなか出来るものではない。その点教育係である彩女なら件の上司―-彩女にとって同僚の男性―-にそれとなく注意しても姫美にさしたる影響もないだろうと考えての提案だった。
「うーん、大丈夫です。苦手って言ってもそこまでじゃないんで」
「...そう。何かあったら言うのよ」
「あざす!」
ただそんな彩女の提案は姫美のあっけからんとした返答で断られた。
彩女も特に不満に思う事も無く、当事者がそう言うなら特に問題はないかと楽観的に考えた。
「……」
「……」
共通の話題が尽きた二人は特に何か話すわけでもなく、彩女は些かの気まずさを覚えながらどこか心地良さを感じつつスマホに視線を落としていた。
姫美も、肌のケアが一通り済んだ後、保湿パックを付けるかどうかを悩みつつ沈黙による居心地の悪さと、彩女との距離感にどこか安心感を覚えながら保湿パックを付けるのをやめ、氷の殆ど解けたお酒に口を着けだす。
二人は特に会話することも無く、それぞれがそれぞれの事をしていた。
ただお互い特にそんな沈黙に心苛まれることも無く、付き合いの長い友人や恋人のような気心知れた空気が流れていた。
「先輩何見てるんですか?」
「ん?漫画、読む?ちょっとグロいけど」
「うーん、ちょっと失礼」
スマホが手元にない姫美は暇を持て余し、先ほどからずっとご執心な上司のスマホに興味をしめした。
彩女が読んでいたのは吸血鬼と人のダークファンタジーの漫画、彩女の友人が書いたこの漫画はその手のヲタクには有名な作品で異種族百合と凄惨な戦闘描写が人気を博した作品であった。
そして普段の彩女なら決してそれを姫美ならず人に見せるなんて事はしないが、アルコールが程よく回って気分が良くなったのと、姫美との間に流れていたどこか心地よい空気が彩女の警戒心を完全に削っていた。
そしてそんな事を露とも知らないであろう姫美は、一瞬目を丸くした後、彩女からスマホを受け取りその異種族百合漫画を読み始めた。
(あ、やべ。なんか普通に渡しちゃったけどこれ百合作品だった)
「た、高城さん?おすすめの漫画あるんだけどそっち読まない?」
彩女がそれに気づいたのは姫美が読み始めてからだった。彩女は自分がその毛があるとばれてしまう事を恐れ、なんとか早いうちにその読み進めている手を止めなければいけないと焦った。
「大丈夫です」
しかし姫美は序盤から飲み込まれたのか、どこか生返事でスイスイとページをめくる指を止める事は無く読み進める。
彩女はそんな姫美の様子を見て、下手に取り上げて訝しまれる位なら好きに読ませて後で適当な言い訳でもしようと言い訳を考え始める。
◇◇◇◇
「先輩」
「ん?」
時刻は既に23時に差し掛かろうとした時、寝酒を手に仕事の資料作りに勤しんでいた彩女は黙々と漫画を読んでいた姫美の声に顔を上げる。
「これ、読み終わりました。ありがとうございます」
「あ、うん」
何かを我慢しているような表情の姫美からスマホを受け取った彩女は、感想を聞くのを憚られたような気がしてなんと切り返せばいいのか分からなかった。
姫美は誰が見てもノンケの女性で、漫画などのヲタク文化に寄らないタイプだと彩女は思っている為、そんな姫美が同性愛もの、それも女性同士を描いた作品を読んでどう思ったかを聞くのかなかなかに勇気がいる行為であり、いっそ開口一番「なんか良く分からなかった」や「女の子同士ってきもいですね」と早々に行ってくれれば彩女もそれに合わせて言い訳を出せたが、何故か姫美は黙々と読み進め、仕舞いには短くない話数を読了してしまった為なんと声を掛けるのが正解か彩女には分からなった。
「先輩ってこういうのよく読むんですか」
だからこそ、唇をによによとさせている姫美の態度とその質問に何と返すべきかをいまいちわかりかねていた。
「え、あーいや。別にそこまで読まないかな、それも友達に勧められた奴だし」
だからこそ無難に言葉を濁す。半分は本当、残り半分は嘘ではあるが。
事実彩女は特別ヲタク文化に造詣が深いわけではない、確かにその手に興味が無い人よりは読んでいる自負はあるがだからと言ってヲタクかと言われればそうではない。彩女が読んでいた漫画も友人の一人が書いている漫画で彼女に勧められたから読んでいるだけでそういった趣味に語れるほどではない。
仮にここで姫美が見ていた作品が百合作品以外であればヲタクですと言っていたかもしれないが、残念ながらその作品は百合作品の中でもかなり濃密な物、下手に肯定し職場にそれが広まれば周囲の彩女を見る目は変わってしまうだろう。
故に嘘をつく。
「そう...なんですか」
彩女の回答にがっかりしたように落胆した声音の姫美の反応を見て、回答を間違えたとあせる。
「あー、でもその作品は結構読んだよ。うん、二週くらいはしたかな」
「おっ!」
広義的な意味ではなく、その作品について絞って話題を振るのが正解かと当たりを付ければ明らかに反応を良くした姫美の声が返ってくる。よく見れば口の端が上がっている。
「そうなんですか!...あ、いや。別に私オタクって訳じゃないんですけどこれすっごい面白くて、でもその熱のまんまに話したらキモがられるかなっておもって。でも先輩がこれ二週するくらい読んでるならいいですよね!」
「え。あ、うん」
鼻息荒く目をキラキラさせながら詰め寄る姫美に気圧される彩女は、そのまま熱の籠った姫美の感想にただオウムの如く相槌を打つしかなかった。
◇◇◇◇
「やっぱ主人公が戦う理由が世界の為とかそういうんじゃなくて、吸血鬼の子と一緒に静かに暮らしたいだけっていうのがポイント高いと思うんですよ!それでいて最後まで決して挫けない不屈の精神と年相応に弱い心が共存しているのも最高だと思うんです!」
よほど彼女の琴線に触れたのか、かれこれ10分近く感想を語り上げてた。
その間彩女は嵐が過ぎ去るのを待つかのように、どこか遠い所に意識を飛ばしていた。
「それだけじゃなくて、他の登場人物たちもそれぞれ確たる信念をもって戦っている所とかめっちゃ興奮しましたし、特にこの吸血鬼に故郷を奪われた女性と彼女に一途にほれ込んだ青年の戦いとか純愛って感じで最高です!」
いつの間にか彩女のスマホでそのシーンを広げながら、鼻息荒く楽しそうに語る彼女に「そう言えばこの漫画薦めたあの子も似たような感じだったな~」と、ヲタクの友人と重ねつつ空になったグラスを煽る。
「それでそれで」
「あ~、高城さん?そろそろ寝ようかと思うんだけど良いかな?」
精神的に疲れ、完全に酔いの冷めた彩女は、普段よりは早いが下手に水を差して機嫌を損ねるような事はしたくなく、無難な理由を付けて逃げようと画策する。
「あ、すっすいません!つい興奮して!」
言われて腕時計を見た姫美が、冷静さを取り戻して本気で申し訳なさそうに謝る。
「大丈夫よ、ただちょっと意外だったわね。高城さんそういうのに興味ないと思ってた」
人付き合いを念頭に置く人はそういった漫画やアニメなどを基本見ないと思っている彩女であり、その筆頭でありそうなコミュニケーション能力お化けの姫美も特にそれだろうと思っていたのに、目の前の彼女はその筋の同士とも語れそうな熱量であった。
姫美は苦笑しつつ、自分でも意外だと言わんばかりの表情を浮かべる。
「あー、恋愛小説くらいならたまに読みますけど、まぁ基本見ないですね。だから新鮮で」
「あぁ成程」
そう言われれば納得物だ。事実彩女も友人に勧められて今まで一切に見なかった深夜アニメや割とニッチな作品に興味を示したのだから。始めに見た作品が嵌るかによりけりだが、新鮮さと言うのは大事なファクターと言えるだろう。
彩女は思わぬところで得た読者の生の感想を、後日作者である友人に伝えてあげようと思いつつ腰をあげた。
「それじゃ、布団敷くわね」
「手伝いますよ」
「いや...あーそれじゃ寝室に運ぶのお願い」
「がってんです!」
おどけた返事でついてくる姫美を可愛らしく思いながら、布団を仕舞っているはずの押し入れに向かう。
「えーっと、たしかここら辺に......」
「……先輩?どうしたんですか」
遠い昔、布団を仕舞っていた記憶のある押し入れを漁っていた彩女の動きが突然止まり、その後ろに居た姫美が訝しむ。
彩女は何かを諦めた様な、疲れ切った深い深いため息を一つ吐くと押し入れの扉を閉める。
「ごめん、布団無いみたい」
どうやら二人が眠るのはまだ先の様だ。