お姫様が転がり込んできた
ピンポーン...
時刻は23時を回り零時に差し掛からんとしている。
彩女は熱いシャワーを浴び、寝酒に安いワインでも飲もうとした矢先、来訪を告げる軽快な鐘の音が部屋に響く。
「誰?こんな時間に」
気持ちよく寝酒片手に寝ようとした矢先の深夜の来訪に苛つきつつ、玄関ホールにて待っているであろう無礼な客人の顔をモニターに映す。
「どちら様?」
モニターに映る、カメラに背を向けて立つ女性に声を掛ければ、件の女性は振り返る。
『先輩、私です。姫美です』
「は?」
そこに映っていたのは、つい先ほどに別れた筈の後輩である姫美が画面いっぱいに映りこんでいた。
「と、とりあえずあがりなさい」
夜間に女の子を、それも姫美程の美少女をマンションに前に晒すわけにはいかず、急いで玄関ホールの扉を開ける。
『ありがとうございます』
普段の快活さはどこに忘れたのか、姫美は疲れ切ったような声でお礼を言いつつマンションの中に足を踏み入れる。
「...それより不味いわね」
焦って招いてしまったが、振り返れば衣服や飲み干した缶が散乱するリビングに焦りが募り、姫美が自室に訪れるまでの数分で急いでごみを纏めゴミ袋に叩き込み、衣服は洗濯機に押し込み無理やり蓋をし、煙草の匂いが染みた部屋に消臭剤を振りまく。
『せんぱーい、つきましたー、開けてくださーい』
そこでちょうどチャイムの音と共に玄関から声が届く。
「はいはい、今開けるわ」
朝出せなかった缶ごみを物置に放り投げ、何事も無かったように扉を開ける。
「夜分遅くにすいません...」
「いいわよ、何か事情があるんでしょ?」
雨の中捨てられた子犬を思わせる姫美の姿に、何か事情があるのだろうと予想し、手を引いてソファに座らせる。
「先輩家って1LDKなんですね、おっきいマンションだからもっといい部屋だと思いました」
リビングを珍し気に見渡す彼女に、苦笑しつつ粉末のコーンポタージュを用意しお湯を沸かす。
「このマンション、下半分が家族向けで、上半分が独り身向けなの」
仕事場に近く、セキュリティがしっかりしていて、それなりの値段。で調べた時にここを見つけてね。という返しに、姫美は生返事で返す。
「はい、コーンポタージュで大丈夫?」
「あ、大丈夫です。ありがとうございます」
飲みやすい熱さに沸いたお湯を注いだコーンポタージュを差し出し、一つしかないソファの、姫美の隣に座り込む。
「それで、どうしたの」
「......」
良く見れば目は赤く腫れ、髪も化粧も乱れている。それに服装も別れた時のままな事から、あの後すぐになにかがあったのだろうと窺える。
実際、腰を下ろし暖かいコーンポタージュに心落ちつかせた姫美はぽつりぽつりと語りだす。
「先輩と別れた後、先輩に言われた通り彼氏に直接聞こうと思って、彼氏の家に行ったんです」
そんな彼女に、黙ってワインを仰ぎながら耳を傾ける。
「そ、そしたら...彼の部屋に...知らない女の人が居て...彼は誤解だって言うばかりで、私、思わず別れる!って叫んで飛び出して...」
積もった不信感が、一つのきっかけを元に爆発したと告げる彼女は、堪え切れなくなったのか大粒の涙を零し嗚咽混じりに言葉を続ける。
「飛び出して...でも携帯を無くして...家に帰っても一人が辛くて...それでつい...」
懺悔するように嗚咽を漏らす彼女に近づいて、そっと抱きしめれば、彼女は縋る様に胸に顔を押し当てる。
「辛いことは全部吐き出しちゃいなさい。今日の事は忘れてあげるから」
「うぅぅ...せ”ん”は”い”~」
傷心の彼女をあやす様に、幼子を寝かしつけるように優しく背を撫でる。
◇◇◇◇
「スー...スー...」
「ホントに寝ちゃった...」
抱き合って数分、泣き疲れたのか彼女は腕の中で涙で崩れた化粧のまま眠りについてしまう。
(どうしよ...)
眠る彼女を無理に起こすのも気が引け、段々腰が痛くなってくるのを感じながらこれからを考える。
「仕方ないか...」
明日筋肉痛にならないと良いな、と思いつつ、眠る彼女の腋と膝裏に手を回し抱き上げる。
「むっ!...って結構軽いのね」
不摂生な食生活で弛まない様、休日どちらかは筋トレとジョギングを習慣とする彩女も女、力あるわけではない為女性を抱き上げれば一筋縄ではいくまいと思ったが、想像より軽く出鼻を挫かれる。
「なんでこんなおっぱいあるのに軽いの、不公平だわ」
抱き上げた彼女を自室のベットに寝かしつけ、窮屈そうに張るシャツのボタンを外せばEでは収まらなそうな程の巨峰が弾け出す。
そしてそんな理想を前に、己の現実を見下ろし、敗北感と寂しさが湧きだす。
「ん、んぅ...」
「...ゴクリッ」
酒の所為か淡く染まる頬に、少しだけ荒い吐息、そしてちろりと覗く犬歯と艶やかな舌。さらに籠った熱が肌をはだけさせ眠る彼女を妖艶に染め上げる。
起こさない様にと、調整した灯の所為か。室内は暖色ながら仄暗く、しかしその薄暗い雰囲気が彼女の色香に添えられる。
その姿に彩女は生唾を呑み、顔が自然と、薄く開いた彼女の唇に近づく。心臓は破裂しそうな程早鐘を打ち、口内は唾で溢れ、下腹部が締め上げられる様な感覚に膝が寄る。
「っ!......はぁ、溜まってるのかしら...」
彼女の熱い吐息が唇に感じた時、跳ねるように身体を離し、情欲一転罪悪感と嫌悪感に包まれる。
「傷心して、酔って眠る子にこんなことしかけるとか...はぁぁ...今度お店行こうかな」
酔いも完全に冷め、自分が抱いた情欲で間違いを犯さない様考えつつ、手早く姫美の化粧をふき取り一人ソファに飛び込む。
「寝よ...」
そして逃げるように目を閉じれば色々あって疲れた体が一瞬で夢の中に落ちる。
◇◇◇◇
『彩女!私達いつまでも親友だよね!?』
満開の桜を背に、その桜に負けないとびっきりの笑顔を向けてくる彼女。
『...うん、親友だよ』
その言葉に嬉しそうに笑う彼女には見えない、自分の胸の痛みを隠し笑顔を浮かべる。
『ねぇ彩女、私ね...』
嫌だ、その先は聞きたくない。
◇◇◇◇
「―い―ぱい!―先輩!!」
「っ!はい!」
「やっと起きた、寝坊しますよ?先輩」
「え?」
怒鳴りつける声に強制的に目が覚め、顔を上げれば自分を覗き込む後輩の姿が。
後輩の姫美は呆れたように言い放ち、テキパキと朝食を机に並べている。
「先輩冷蔵庫の中お酒と卵しかないって、ちゃんとご飯食べてるんですか?」
「え?...んー、え?」
寝起きの働ききってない頭では現状が正しく理解できない。何故自分一人しか住んでいない部屋に後輩である彼女が居て、朝食を作っているのか。
「ほら、ちゃっちゃと顔洗って家を出る準備してください!」
無理やり手を引かれ、洗面所に押し込まれ顔を冷水で洗って漸く思い出す。
「そう言えば、家に泊まったんだっけ」
昨晩の出来事全てが明確に思い出し、ため息が零れる。
「はぁ...まあ昨日一日だけだし、今日からは家に帰るだろ」
手早く意識を切り替え、寝癖を整えリビングに向かえば。
「先輩って、もしかして家事出来ない子ですか?」
隠した筈のゴミの塊の袋を手に、引き攣った笑みを浮かべる彼女が立っていた。
「う!ま、まぁ多々忘れる事はあるかな?」
しどろもどろに答えれば、彼女は深いため息を吐く。
「仕事は出来るのに家事出来ないって典型的な仕事人間じゃないですか。そんなんじゃ彼氏できても振られちゃいますよ?」
「...出来ないよ」
「?なんて言いました?」
口の中で転がした言葉は彼女には届かず、首を傾げる。
「なんでもない、それより時間は大丈夫なの?」
「やば、まだメイクしてないや!」
そして話題を逸らせば彼女は慌ててだす。
「先輩!道具貸してください!」
いつもはつまらない朝が、今日だけは騒がしくも普段とは違った顔を見せた。