1LDKの姫君
「先輩、泊めてください」
1LDKの私の家にお姫様が転がり込んできた。
◇◇◇◇
『ごめん......ちょっと...』
(......最悪)
月曜の朝、煙草の吸殻と缶ビールの空き缶、そして脱ぎ捨てられたYシャツとスーツが散乱する12畳程度のリビングのソファの上。汗を滲ませカーテンから差し込む8月の爽やかな朝日に忌々しく顔を顰め、ゆっくりとソファから身を起こす黒い下着姿の女性。
彼女は汗に滲む不快感と、鈍く痛む頭を抑え、乾ききった喉を潤す為に眼前のキッチンに足を運び蛇口を捻る。
(月曜...ごみの日...まだ一時間ある...)
流し込まれた水が、身体に活力を与え、覚醒しきってない脳にエンジンをかける。
月曜の朝7時30分。閉まり切ってないカーテンを開ければ、燦々と朝陽が彼女を照らし、否が応にも一日の始まりを告げ、月曜という憂鬱な気分を助長させる。
彼女は手早く給湯器に水を入れ電源を入れると、浴室に向かい収まりきらず口の端から洗濯物を垂らす籠と化した洗濯機に下着を放り捨て、シャワーを浴びだす。
「つめた!」
温まる前に浴びたシャワーは冷水として彼女に注ぎ、彼女は悲鳴と共に無理やり眠気を覚ます。
数分して、蒸気と共に浴室から出た彼女は残り一つとなったバスタオルで身体を拭き、水を滴らせながらキッチンに向かう。
『次のニュースです...』
朝の習慣でテレビをつけ、華やかなキャスターが告げるニュースをBGMに、対して美味しくもないインスタントコーヒーにお湯を注ぎ、冷蔵庫を開ける。
「...コンビニで買うか」
酒しかないという事実から目を背けながら、朝食の為少しだけ早く家を出ようと考えコーヒー片手にソファに座る。
『では最近権利を確立しつつある同性愛について、今日は〇〇さんに来ていただきました。〇〇さん、本日はよろしくお願いします。』
チャンネルをいくつか回せば、化粧の薄いキャスターと、陰湿そうな中年が話す議題にリモコンを動かす手が止まる。
『確かに、最近では同性愛者が増え、事実婚する人々が増え、同性婚が認められるのでは?という風潮になっていますが』
「...やば」
そこで画面に映る時刻が出ようと思っていたに迫っていることに気づき、急いでぬるくなった不味いコーヒーを飲み干し、ベージュの下着を身に付け、皺の寄っていない白いシャツに身を包み、床に脱ぎ捨てられたスーツに袖を通す。
「ととと、今日も化粧は軽くだな」
思い出したように私室に入り、化粧台の前でいわゆるナチュラルメイクと取れなくもない化粧を手早く施し、漏れないように固く縛られたごみ袋を玄関に放り投げる。
『やはり私個人としては、そういった男女が増えることで日本の出生率が...』
段々と耳障りな事をほざき出した中年に苛つきながら乱雑にテレビを切り。
「ええと、今日の会議で使う資料と、教育係用の資料...って!やばいもうこんな時間!」
鞄の中に必要な者は入っているか確認していると、腕時計の時間が既に普段家を出る時間を過ぎているのに気づき慌てて飛び出す。
「...しまった、またゴミ出すの忘れてた」
電車に乗って一息ついた所で、2週間続けて出せなかった缶の詰まったゴミの存在を思い出し、憂鬱なため息を深く深く吐き出す。
◇◇◇◇
「先輩、書類纏めてきました!」
電話の音と、キーボードを叩く音が軽快な音楽を奏でる月曜日のオフィスに、おおよそその忙しない雰囲気に似合わない可憐な少女が、眉間に皺を寄せナイフのような鋭さの視線を向ける女性にまとめられた書類を手に話しかける。
傍目から見れば、女性が少女を睨みつけている様にも見えるだろう。例えるなら鷹が兎を狙い付けるかのように。
「お疲れ様、午後の会議で使う部屋の用意もお願いできるかしら?」
「がってんです!」
「返事はきちんとしなさいと何度も...はぁ」
しかしここは現代社会の1オフィス、そして彼女たちは上司と部下、教育係と新入社員。けして険悪な雰囲気は無く、片やその若すぎる明るさにため息を、片や容姿に似合った無邪気な笑みを浮かべていた。
「貴方はもう学生ではないんだから、それに仕事中は先輩ではなくきちんと神崎さんとでも呼びなさい」
そう眼前の少女を睨みつけ、見下ろす様に見る女性は神崎 彩女。
25歳にして将来有望株のキャリアウーマンにして168㎝の高い身長に、モデルの様にすらりと細い身体と長い脚、健康的に焼けた肌がそのスタイルを維持させている事が伺える。
垂れた前髪を耳に掛ければショートボブの黒髪が揺れ、長い睫毛と鋭く伸びた目は冷たさを、鼻梁は作り物を思わせる細さと長さ、唇は薄くも瑞々しく、そしてその端麗な顔をより一層際立たせるのが右目に添えられた泣き黒子。
その磨きが勝った容姿は愛らしいというよりは美しいと表現でき、まるで一本の赤い椿を連想させる。
「す、すいません...」
そしてそんなもっともな指摘に、目を潤わせながら俯きがちに謝る少女。
高城 姫美 は155㎝という身長故にか、それとも彼女の容姿と雰囲気の所為なのか全く似合わないスーツに一度も日に晒した事が無いのではと思える瑞々しい白磁の肌を包み、肩甲骨まである緩く波打つ明るい茶髪を揺らす。
大きく愛らしい黒い瞳に縁どられた長い睫毛、ちょこんと乗った鼻梁も、さくらんぼを思わせる唇も、そこから覗かせる八重歯も、彼女の童顔さも彼女の庇護欲そそられる容姿に寸分の狂いも無く組み込まれ。
お気に入りらしいオレンジガーベラの髪飾りが無垢さを匂わせる。
そしてその容姿に不釣り合いながら、胸部に添えられた豊かな双丘は本人の言葉を信用するならEに達し、それが多くの男を惑わせる。
故に。
「神崎さーん、お姫ちゃんも反省してるみたいだし、あんまり怒ったらかわいそーだよ?」
故に、彼女はその容姿と明るさで男の庇護を受け、未だ抜けない大学生気分が許されている。
「彼女がもし、取引先などに失礼な態度を取ればお叱りを受けるのは彼女だけではないんです。甘やかさないでください」
「おーこわ」
さして親しくも無い男性社員は彼女の気を引こうとするも、教育係と言う立場上、彩女はそれを睨みつけ咎める。
「とにかく、一旦休憩に行っていいから、その後午後の会議で使う部屋の用意と議事録の用意に取り掛かりなさい」
「はい」
叱れば聞き分けよく望んでくれる。と言っても、時と場は弁えているようで姫美がお茶らけるのはオフィスでのみ、真面目な場では殊勝な態度で臨むため彩女もその態度自体にはそこまで気にしていなかった。
しかし姫美はその明るさと容姿で職場の空気を和ませていたりしている為叱るべきか否かは悩みどころである。彩女もそんな姫美の明るさに好感を抱く一人である。
(いつまでも学生気分でいたり、ああして男に囲われていればいつか困るのは自分なのに...)
別に彩女とて嫌いだからああ言ってるのではない、寧ろ少なくとも姫美の立ち回りについては尊敬の念を抱いている。
姫美の自分の容姿を過分無く使い、男を味方に付ける能力。仕事についても凡ミスこそあれど、物覚えも良く、言われた仕事を手早く文句のない出来で仕上げる彼女はいずれそれなりに高い役職に就くか、それとも良物件を見つけ寿退社するかのどちらかは実現できるだろうと期待の念を向ける。
(ま、あの様子なら同性との付き合いも手馴れているのかな)
しかしそれだけ男の好意を一身に受けて、同性である女性から嫉妬や嫌悪からいじめやいやがらせにあわない訳が無い。しかし彼女に対して些かの嫉妬や嫌悪こそあれ、そういった深い負の感情は見受けられない為、よほど上手く制御しているのだろうと勝手に予想する。
「まいっか。仕事しよ」
目に見えて確執が出来ている訳では無いため、特に問題視せず、意識を切り替え、土日を経て溜まった仕事を指を鳴らして片付ける。
◇◇◇◇
「先輩!お疲れ様です!」
「お疲れ様、明日もよろしくね」
時刻は19時を回り、既にオフィスに残る人はまばらだ。そしてそんなオフィスに響く元気な声。
「先輩!今日はうちの彼氏残業みたいなんですけど、折角ですしどっか呑みに行きません?」
「月曜よ?」
宅呑みならいざ知らず、月曜から外で飲むのは面倒くさい、そんな感情がありありと彩女の表情に浮かぶ。
「別に遅くまで飲もうって訳じゃないですよ?1~2時間適当な居酒屋で呑むだけです」
「いやわた」
「それに!」
断ろうとした声が姫美にとって遮られ、雪美は背を伸ばして彩女の顔を覗き込む。その愛くるしい顔に覗き込まれて彩女の鼓動が少し跳ねる。
「最近うちの彼氏とあんまり会えなくて...ダメですか?」
一転影を作りながら、多くの男を惑わせたその瞳を潤わせ懇願されれば、彩女は内心その表情に抗い難い思いが湧き、それから目を逸らす様に遠くを見据え。
「...仕方ないわね」
「やったぁ!」
つい折れてしまい、喜ぶ姫美に呆れつつ急かす背中を追う。
(可愛いって卑怯よね)
◇◇◇◇
「だーかーらー!最近彼氏がよそよそしいって言うか!仕事仕事ーで全然会えないんですよ!!」
時刻は20時半、空のビールジョッキを叩きつける姫美は既に完全に出来上がり、積もりに積もった鬱憤を酒臭いため息と共に吐き出す。
「そりゃあ、付き合ってまだ1年そこらですけど?3歳年上で立派な社会人ですけど?それでも仲良くやって来たし、倦怠期だって乗り越えたのに、結婚だってしても良いなーとか思ったにー!!」
「...すいません、生1つ」
「何ですかその態度!ちゃんと聞いて下さいよ!私寂しいんですよ!!」
「...はぁ...」
『生一丁!』
周りからの視線を感じつつ、運ばれたビールを飲みながら、うだうだいう酔っ払いに注意する気力も失せる。
「まぁ向こうは私と同じくらいなんでしょ?なら忙しい時期じゃない」
「それはそうなんですけど、なんだか素っ気なくて」
ビールジョッキの縁を唇を尖らせながら撫で、通り過ぎた店員を呼びつけ追加の生を頼む姫美。
「でもびっくり、高城さんってもっと遊び慣れてると思ってた」
「あー!それ偏見ですー!私は遊んでるわけじゃないんですー!本気で恋してるんですー!そういうのダメなんですー!兎ちゃんなんですー!」
「へぇ」
「まぁ、いつも長続きしないんですけどね...」
元気の良さは一転してシクシクと音が付きそうに机に突っ伏す。姫美は大分酔いが回っているのかもしれない。
「寂しいなら寂しいって彼氏に言えば良いのに」
「重い女って言われて振られるのがオチですよ」
「経験あるの?」
「まあ何回か」
「ふーん、そんなに付き合い多いの?」
「まぁ。浅い関係が多かったですけどね」
ぶっきらぼうに言い捨てる姫美の姿に、彩女はどこか近しい物を感じていた。
「じゃあなんでそんな付き合ったの」
だから彩女は姫美の事を知りたくて問いを投げた、姫美は小さく俯きがちに。
「......ただ寂しいから一緒に居て欲しくて...」
彩女はそれに対してビールを飲むだけで特に答えない。答えられない。
「まぁ、だからって誰かれ構わず付き合うのはダメだと思うわよ」
「それは分かってるんですけど...どうしても」
「なら」
『生いっちょーったせしやしたー!』
「先輩何か言いかけました?」
別に?と被りを振り、思わず口から出そうになった戯言をぬるくなってきたビールと一緒に飲み干す。
「そ、そういえば今の彼氏とは長いんでしょ?相性いいんじゃない」
と、そこで今日はそもそもその彼氏の愚痴を言いに来たんだと気づいて彩女の頬が引き攣る。
「まぁ...」
案の定姫美は一層落ち込む。
(めんどくせぇー)
彩女は内心帰りたい気持ちで一杯になり、問題を投げ出す
「ま、まぁ今日は彼氏の事なんか忘れて飲も?すいませーん!」
「なんですかそれ、まぁいいですけど!」
しかしそんな逃げの判断に姫美は唇を尖らせる。姫美の手にあるビールを飲み干し酒に溺れる。
(適当に発散させて、遅くなる前に帰らせよ...)
乗りかかった船だと諦めて、運ばれたビールを癒しにお姫さまの鬱憤の捌け口に徹する。
◇◇◇◇
腕時計を見れば22時に差し掛かろうとしており、そろそろ帰ろうと決め込む。
「ちょうどいいしもう帰ろっか」
「うぅ、気持ち悪いぃ...」
「ほらお水飲んで」
会計し枝垂れかかってくる姫美を介抱していると。
「......ふぅ。ちょっと楽になりました...ありがとうございます」
「別にいいわよ、家は近い?送ってこうか?」
「大丈夫です、彼の家がすぐそこなんで...」
未だ気持ち悪そうにしてはいるが、しっかりと立つ姿に頷くが。
「でもやっぱり心配だし...」
「大丈夫ですって、心配性だな~」
なお心配する彩女に姫美は苦笑いを浮かべる。
「そう、なら気を付けるのよ」
漸く納得した彩女に、姫美はおどけた様にくるりと回る。
「先輩が彼氏なら良かったのになー」
その言葉にヒュっと喉が鳴るり、身体が強張るのを感じながら、それを取り繕って。
「......上司として当たり前のことをしただけよ」
「えー!?なんですかそれー!?」
「なんでもいいでしょ」
訝しげる彼女に顔を背け、平静を取り戻す。
ズキリと痛む心を無視し笑顔で彼女を見送る。
「それじゃ、帰りは気を付けてね」
「はーい!また明日―!」
「また明日」
小学生の様に手を振る彼女を微笑ましく感じ、あっさりと別れ、帰路に着く。
「彼女か...」
姫美との会話で思い出した淡い思い出。
思い出すは、高校時代仲の良かった親友。そして苦くも美しい初恋。
「もう終わった事、思い出すのは辞めよ」
かぶりを振って頭から払い、速足で駅に向かう。
まるで尾を引くように街灯に照らされた彼女の影が伸びていた。
◇◇◇◇
「先輩、泊めてください」
その日の夜。何故か後輩が家に転がり込んできた。