願いを込めたゴミ箱シュートは結局魔人に阻まれる
静寂に包まれた自室。
俺はある願いを込めながら丸めた紙くずを握り、振りかぶってそれを放つ。
『ゴミ箱シュート』と呼ばれるその行為…… いや、もはや競技と言っても過言ではないかもしれない。
ゴミをゴミ箱に投げるだけとは言え、その緊張感たるや決して侮ることは出来ない。
何気なく放った紙くずが一発で綺麗にゴミ箱に吸い込まれたその時から__俺は人一倍、ゴミ箱シュートに賭けてきた。
その競技の虜になっていた。
ゴミ箱シュートの機会が訪れる度、俺は神経を研ぎ澄まし、紙くずを放つ右腕に魂を込める。
ゴミ箱までの距離、自分の体勢、自分の部屋やリビング、ガヤガヤした教室など様々な状況…… 多様なシチュエーションにおいてやってくるゴミ箱シュートのチャンス、そこに生じるプレッシャーをはねのけ成功した時の幸福は何事にも変えられない。
技巧を凝らし、壁や障害物を利用しゴミ箱に収めた時の爽快感。
ゴミ箱に一直線に吸い込まれた時の達成感。
そして、一投にかける情熱。
その全てが、今の俺を形作る。
俺という人間の根本に、根底に、源泉に、その自信はみなぎっていた。
俺は、誰よりもゴミ箱シュートが得意だ。
いや__得意だった。
以前までは。
それは何も、俺の腕が落ちたというわけでは決してない。そう簡単に腐るような腕じゃないという自負もプライドもある。
競技であれば、俺の実力は恐らくトッププロ級だ__だからそれは、別の要因。
俺の腕が鈍ったのではなく。
物理的な要因だ。
「は〜い、残念」
それはさながら、アラビアンナイトのランプの魔人のように。
俺の部屋のゴミ箱の中から出てきた魔人によって、俺のゴミ箱シュートは阻まれているのだった。
手のひらで『ぺしん』と。
物理的なブロック。
「ゴミ箱に入ったぐらいで、片想いが叶うわけないってゆーか?」
◯
「あたし、もともと単なるゴミ箱だったんだけど、アンタがあたしに紙くずをシュートする度にキメるドヤ顔がマジうぜーって思い続けてたら、気付いたら魔人になってたわ」
初対面の日の魔人は細かなリアリティの一切をすっとばし、俺にそう告げた。対する俺はベッドに横になり、鼻をかんだティッシュを放った姿勢のまま硬直していた。ゴミ箱の中から急に露出の多い変な衣装の妙齢女性が現れたらビビるって。
「今後一切、何度やっても無駄だから。あたしの鉄壁ディフェンスを前にアンタはなすすべなく朽ち果てるだけってゆーか。はー、これでアンタがドヤる顔も見なくて済むってわけねー。つーか、『なすすべ』って、スベスベなナスみたいだよねー!ウケるー!」
成人女性の平均程度の背丈の魔人は空中であぐらをかきながら、俺の周りをくるくると旋回する。
突如魔人が現れて数日__俺と魔人の戦いは、今なお続いていた。
俺の放つ一投一投は魔人によって、さながら凄腕のゴールキーパーのごとく次々とセーブされてゆく。
「……それよか、言いてえことがある」
「なになに?」
「お前、俺の部屋のゴミ箱の魔人なんだよな」
俺の部屋のゴミ箱の魔人。
自分で言っててもわけがわからんぜ。
「そだよ〜」
俺の部屋のゴミ箱の魔人と言うのなら、納得のいかないことがある。
「学校の方にまで来んなよ!なんで俺の教室のゴミ箱から現れるんだよ!」
「アンタのドヤ顔を防ぐためなら、場所なんて関係ないってゆーか」
「普通にビビるわ!」
魔人が言うには、ゴミ箱の中はまるでワープホールのように世界中のゴミ箱に繋がっているらしい。世界のどこに行こうとゴミ箱の中からこいつが現れて俺を阻むことが出来る仕組みだ。とんでもない悪夢である。
「せっかく会いに行ってあげたのにぃ〜。嬉しいくせにぃ〜。アンタ以外にあたしは見えないんだから、ヒミツの関係みたいでなんかキュンキュンしない?ま、あたしはしないけどね〜!ウケる〜!」
「うるせえよ。ずっと何喋ってんだよ」
一人勝手に盛り上がる魔人。お前がキュンキュンしないのは知らないが俺もキュンキュンしねえよ。
それに俺は、この魔人のように軽薄で品のない奴より、もっとふんわりした女の子の方が好きなのだ。エキゾチックな顔つきもキツい印象があって、気の弱い俺は少し萎縮してしまい、正直言ってあまり好みではない。俺はもっと優しくて、とろんとした顔つきで、包容力のあるゆるふわっ子ちゃんに身を任せたいのだ。
「だから毎日、クラスメイトの愛しのゆるふわっ子ちゃんを思ってゴミ箱シュートしてるわけ?肉体改造とかファッションとか、もっと実用的な努力すりゃいいのにさ〜」
「心を読むな!」
とか言いつつこの女、ちょいちょい核心を突いてきやがる。どきりとするからやめてくれ。
ゴミ箱シュートぐらいしか取り柄のない俺は、一投一投に願掛けをするぐらいしか自信の持ち方を知らないのだ。だから黙ってゴミ箱の中で、俺の華麗なるゴミ箱シュートを見ててほしいものだ。
「ゴミ箱シュートぐらいで振り向いてもらえるわけないじゃん」
「信じる力は大切なんだぞ!」
ふわふわと自室の中を浮遊する魔人がゴミ箱から離れたタイミングで、密かに手中に隠しておいた紙くずを放るも、魔人はお見通しと言わんばかりに素早くセービングする。ゴミ箱からこぼれた紙くずを拾いに行ってゴミ箱に捨てるのは俺の役目だ。面倒くささこの上ないぜ。
「あたしってば最強じゃん?あたしが具現化して以降、アンタ一回もゴミ箱シュート決めれてないじゃん。ウケる〜」
「……そりゃ小さなゴミ箱程度ならそうだろうよ」
魔人の嘲笑を受け、俺は反論を開始する。
「サッカーのゴールとかならデカいから、セーブも大変だろうがな。ゴミ箱なんかとは違って」
前々から考えていた打開策__今こそ発動の時だ。
「しかしどうだ?お前が守っているのは小さなゴミ箱一つ。前に居座っていれば十中八九セービングが可能な大きさだ。それに俺の部屋は、自分で言うのも虚しいがあまり広くはない。俺が紙くずを丸める挙動、振り被るアクション…… 高速で浮遊出来るお前がゴミ箱の守りを固めるには十分な時間だ。俺にとっては条件が悪過ぎる」
俺は早口でまくし立て、感情的になっている感じを装う。
俺には狙いがあった。
「なになに?煽ってる感じ?」
目論見通り、魔人は俺の挑発に乗る雰囲気を見せる。
それを見計らって、俺は言った。
「そんな勝って当たり前みたいな条件で得意げになられると、こっちも萎えるぜ」
「……んじゃまあ、そこまで言うなら。勝負してあげよっか?今回は物理的には邪魔しないであげる」
俺の狙い__それは、バトル展開に持ち込むこと。
『魔人が物理的に邪魔をしない』という均した条件下の勝負なら、俺のゴミ箱シュートの腕を持ってすれば負けるわけがない。
「一度でこの紙くずがゴミ箱に入れば、お前は今後一切俺のゴミ箱シュートの邪魔をするな」
「入らなければ?」
「そんな時は訪れない」
「ふーん、大した自信だぁ。感服したってゆーか」
魔人はゴミ箱の前から飛び立ち、ベッドに座る俺の隣へと腰掛ける。
「この場から動かないことを約束するよ。さあ、存分にアンタの力を見せてよ」
ガラ空きのゴール。無人のその空間へのシュートを阻む邪魔者はもういない。
「いつでもどーぞ」
「いや、まだだ」
「?」
ガラ空きのゴールに俺の投げた紙くずが入ることは、もはや決定事項でさえある。よほどの天変地異でも起こらない限り覆ることはない事実。
しかしそれは__フェアな勝負とは言えない。
俺にもプライドはあるからな。
こちら側の条件も均すべく、俺は目を瞑る。
これでようやく対等な勝負と言えるだろう。
「お、目を閉じたままいく感じ?」
「この部屋で何千、何万とゴミ箱シュートをしてきたんだ。力加減は熟知している。お前の邪魔がないのであれば、出来ない理由が見当たらねえよ」
邪魔者がいないゴミ箱へのシュートは、もはや呼吸をするレベルで身に染み付いている。それほどまでに、俺はゴミ箱シュートに向き合って生きてきた。
「ふーん、本気の本気ってわけね。じゃあイッパツでゴミ箱に入ったら、あたしが二度と邪魔しないってのとは別に、もう一個願いを叶えてあげてもいーよ」
「マジか?」
「あたしも魔人の端くれだしねえ、願い事くらいオッケー」
その言葉に、俺は目を見開く。
勝利に加え副賞まで付くとなれば、俄然闘志が湧く。こんなもの、プレッシャーのうちにも入らない。ワクワクが止まらないぜ。
「マジマジ、大マジ。マジまんじ魔人〜」
「うるせえよ。それはどういう意味だよ」
「さあ、わかんなーい。わけわっかんないわっかな〜い」
どこまでも軽薄で(もはや意味不明だ)、ちゃらんぽらんな魔人を無視し、俺はもう一度目を瞑る。閉じた視界に、ぼんやりと自室の輪郭が浮かんだ。ゴミ箱までの距離、放つ腕の角度、頭の中で緻密な計算が完了する。
成功率は100%に限りなく近い。
「ちなみに、入ったら何を叶えてほしい?」
「……別に、なんでもいいだろ」
「あー、ゆるふわっ子ちゃんと両想いかあ」
心を読むな、と言っても聞かないだろうな。こいつは。
「うーん、痺れるねえ。でもだからこそ、負けられない戦いがここにあるってゆーか」
「……そんなに俺のドヤ顔が気に食わないのかよ」
「それもあるけど。だって、ねえ……」
俺の右手から紙くずがリリースされる直前__魔人は俺の耳元で囁いた。
「あたしアンタのこと、結構可愛いって思ってるんだけどな」
そう言われて見開いた目が、ゴミ箱の側面に当たって床に落ちる紙くずを確認する。
魔人の声によって熱くなった耳をかばい、俺は魔人の方を向いた。
「ま、形の悪いナスよりは可愛いと思ってるよ?スベスベなナスには劣るけどねー!」
マジまんじ魔人〜、と意味もなく軽薄に嘲笑を浮かべる魔人。俺はそこで、魔人の策略にハマったことを知る。
「お、お前…… 邪魔はしないって!」
「『物理的には』邪魔はしない、ってちゃんと言ったからね?触ってないから。あたしの声を、アンタが聞いただけだから」
「屁理屈だ!」
魔人はけたけたと品のない笑いを浮かべ、俺の周りを旋回する。くそう、ハメられた。
「勝負はあたしの勝ち!これで今後とも、アンタのゴミ箱シュートはあたしに阻まれ続けることが確定したってわけ。ウケる〜!」
勝負に負けた事実を今更ながら痛感し、俺は深くため息をつきながらゴミ箱へ向かう。
「マジウケる〜!マジまんじ魔人〜!」
「ハマってんじゃねえよ」
これからも続く魔人のいる日常を思い浮かべ辟易しながら、俺は床に落ちた紙くずをゴミ箱に捨てた。