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第25話 起こらなかった奇跡

 始まりがいつだったかは覚えていない。

 ただ、ほんの些細な、子供の意地の延長から始まったことだけは覚えている。


「馬鹿だな。一番強いのは接近戦もできて魔法も使える魔法戦士に決まってる」


「馬鹿はお前だ! 一番強いのは手下が一番多いヤツなんだよ! だから手下をいっぱい雇える金持ちが最強なんだ! 一人の力なんてたかが知れてるんだよ、バーカ、バーカ」


「なんだそれ。かっこわる」


「カッコ悪くねーよ、ブッ飛ばすぞ!」


「お前が俺をブッ飛ばせるわけないだろ」


「ぐぎぎ、――手下。俺の手下がお前をブッ飛ばすからな!」


「手下なんていないだろお前」


 ミリアルドとの言い争いはいつも平行線だったが、自分が思い描く最強の理想像が形になっていったのは彼との会話の中でだった。

 やがて成長とともに、その理想像は憧れを超えて明確な目標へと姿を変えていた。

 しかし、それを見失ってしまったのは、いつのことだったのだろう。

 冒険者として何年も働き、気がつけば三十を過ぎていた。

 辿り着いたのはCランク冒険者の地位。弱くはないが、誇れるほど強くもない。

 もはや己の分は誰よりもよく知っていた。夢を見ることなどとうに忘れ、夢を見ていたことすら思い出すことなく生きていた。

 ただ時折、正体不明の空虚感で胸が苦しくなることがあった。

 自分の原風景を思い出したのは商隊の護衛依頼で幼馴染であるミリアルドと再会したときだ。

 巨大な商会を切り盛りし、それでも満足することなく貪欲に利益を求める男になっていた。

 幼きころと一切変わらず、その瞳をギラギラと輝かせて生きていた。

 あまりに眩しいミリアルドに比べ、自分には何もなかった。ただ空虚感だけが胸にあった。

 自分にもあったはずの夢が、とうに破れていたのだと、そのとき初めて知った。

 その日のうちに冒険者を辞めた。

 例えば、ミリアルドは闇奴隷を扱っている。もし自分なら己の夢のために子供を犠牲にするかと考えたとき、しないだろうと思う。単純に可哀想だと感じるからだ。

 つまり自分はそんな安い同情心と引き換えに夢を捨てる男だということだ。

 だが、ミリアルドは違う。

 他人に恨まれようと、子供の人生を犠牲にしようと、たとえ悪魔に魂を売ろうと、まっすぐ前だけを向いている。全てを犠牲にして夢だけを見ている。

 ミリアルドを手伝うようになったのは、あるいは未練や慰めからかもしれない。

 だが、全てを投げ売って勝負するミリアルドの夢が、叶ってほしいと願った気持ちに偽りはなかったと思っている。


 ――転がるミリアルドの首と目が合った。

 死してなお、その瞳はギラギラと輝いているように見えた。

 まるで夢破れたことなど、少しも気づいていないようだった。


「……ああ、まだ終わってないさ」


 言ってみたが、胸は空虚に押し潰されそうだった。

 足をふらつかせながら、ランザは静かに歩き出した。


 *


 この戦闘に参加しているのは、Fランク冒険者一名。Eランク冒険者五十六名。Dランク冒険者七十八名。Cランク冒険者三十三名。Bランク冒険者十一名。計百七十九名である。

 その中の三分の一に及ぶ人数が既に命を落としている。さらに役目を終えて戦線を離脱する者が増えてきたので、その数はもはや全体の半数にも満たない。それでも今残って戦っている者は、それに見合うだけの実力を備えた者たちばかりなので、戦いが一気に傾くということはない。


 継人は黙って戦いを見守っていた。さすがに眼前で繰り広げられる超常の戦いに割って入れると思うほど自惚れてはいない。己にできることをやるだけだった。


「やっぱり見えないか」


【真理の魔眼】に映ったセフィーナからは既に魔力が確認できなくなっていた。全身から溢れていた黒い魔力は全く見えず、《対象指定》の魔力の紐が絡まるばかりとなっている。

 しかし、それはセフィーナのMPが切れたという意味ではない。

 冒険者ギルドでステータスタグを発行したときに聞いた話を思い出してみれば分かる。

 MPは魂にある魔力溜まりという器に蓄積される。

 自然回復によって魔力溜まりから溢れたMPがアーティファクトに流れ込むことを装備と呼ぶ。

 つまり、セフィーナが纏っていた巨大な魔力は、自然回復によって器から溢れて垂れ流しになっていた魔力にすぎず、それが消えても彼女の中にはまだまだMPが内包されているはずだった。

 そのMPは【真理の魔眼】をもってしても見えない。

 もちろん【魔力感知】で感じることもできない。

 そうなったら一つ問題があった。


 セフィーナのMPが0になった瞬間が分からないのだ。


 継人はケイに「0まで削る」と言ったが、本当に0まで削り切らなくては駄目なのだ。1や2でもMPが残っていては全く意味がない。

 継人としては、その瞬間をケイが知らせてくれる、と考えていたのだが、肝心の彼は現在雄叫びとともに双剣を振るっている。血塗れの双眸にはセフィーナ以外の何かが映っているようには到底見えず、もうあとのことなど知らんとでも言いたげだ。

《対象指定》をセフィーナに飛ばしている冒険者たちなら、その手ごたえから彼女のMPが0になった瞬間が分かるかもしれないが、自分たちが何をしているのかすら理解していないであろう彼らに期待するだけ酷だろう。


「まったく勝手な奴だな」


 ボヤいてみたが、一番勝手なのは詳しい戦術すら話さずに、広場全ての冒険者を巻き込んだ継人本人に決まっている。だったらもう自分でケツを拭くしかない。


 継人は【真理の魔眼】にさらに魔力を送った。それは、MPを使い切らんばかりの全力の【魔力操作】だった。

 魔眼を見開き、視界に映る人間を捉えていく。

 セフィーナだけでなく、前線で戦う冒険者、周囲から《対象指定》を飛ばす冒険者、既に倒れた物言わぬ冒険者、戦場のあらゆる所に視線を飛ばし彼らのウィンドウを次々と開く。


 彼が何をしているのかというと、ずばり言えば経験値稼ぎである。

 確かに【真理の魔眼】をもってしてもセフィーナの内包MPは見えない。

 だったら、見えるようになればいいのだ。

 その方法に心当たりがあった。


名前:【天竜の愛し子】セフィーナ

職業:Aランク冒険者

資産:0ラーク

種族:半亜竜人族

性別:女

年齢:17

Lv:56

状態:天竜の加護・呪い・毒


 それは【真理の魔眼】のレベルアップである。


 現在、全力で魔力を注いで見えるのはこれだけだ。【真理の魔眼Lv2】の時点でネームウィンドウに追加された項目は六つ。単純に1レベルにつき三項目見えると考えれば、次のレベルアップでMPまで確認できる公算は高い。


 セフィーナは相変わらず冒険者たちを圧倒している。張り合う高ランク冒険者は血反吐混じりに踏ん張っているが、それも長くは保たないだろう。彼女に伸びる魔力の紐は眼に見えて減り始めている。当然、それに比例した数の冒険者が戦線を離脱しているということだ。


「ぐはあっ!」


 苦鳴を上げて倒れたのは、セフィーナの一撃で腹に穴が穿たれたレベル37のCランク冒険者。続けて首が捻じ折れて吹き飛んだのはレベル41の牛人族。魔力が切れて出口に走っているのはEランク、二十一歳の男。


 とにかく開けるだけネームウィンドウを開いていく。


 それこそ視界をウィンドウで埋め尽くす勢いだ。


 名前:ネリア。状態:出血。種族:人間族。名前:アルフレッド。資産:1005788ラーク。性別:女。種族:人間族。年齢:19。職業:Dランク冒険者。名前:ザック。Lv20。状態:出血。種族:犬人族。Lv27。状態:死亡。年齢:25。名前:ゴックス。職業:Cランク冒険者。性別:男。資産:5210000ラーク。名前:ネロ。種族:虎人族。Lv43――


 まさに手当たり次第。開いて開いて開きまくる。

 その間にも、魔力の紐が一本、また一本と減っていき、冒険者が続々と戦線を離脱していく。

 気がつけば、残りの魔力紐は二十本もない。

 そして、また主力であるBランク冒険者の一人が力尽きた。

 これは大丈夫なのか、と継人の内心に大いに不安がよぎるが、もうやるしかない。本当は時間を巻き戻してやり直したい気分だが、そんな駄々を捏ねても何も得られない。


 見る。見る。見る。見る。見る。見る。見る。無心で見る。

 段々と思考が白く染まる。

 ウィンドウの文字の意味すら分からなくなってくる。

 構わない。見て、開いて、見る。それだけでいい。

 もう時間の推移すら分からない。戦いの推移すら見ていない。

 ただ、あるのはウィンドウ。視界を埋め尽くす立体板。

 開いて、開いて、開いて、開いて、

 そして――……


『経験値が一定量に達しました』

『【真理の魔眼Lv2】が【真理の魔眼Lv3】に上昇しました』


 気づけば広場に立つ冒険者は、ほとんど居なくなっていた。

 セフィーナに伸びる魔力の紐は僅か五本。


「ルーリエ!」


 継人は声を張り上げ相棒の名を呼ぶと、返事も待たずにまっすぐ歩き出した。

【魔力操作Lv2】の効果か、魔眼を使いながらでも足取りに淀みはない。


名前:【天竜の愛し子】セフィーナ

職業:Aランク冒険者

資産:0ラーク

種族:半亜竜人族

性別:女

年齢:17

Lv:56

状態:天竜の加護・呪い

HP:2916/2974(-32)

MP:21/1486

筋力:201


 馬鹿げた数字を誇るパラメーターはこの際どうでもいい。

 大事なのはMPが見えていることだ。

 そして、MP切れはもう間近まで迫っている。

 セフィーナを見ても危機感を抱いている様子は皆無。ただ、MPが少なくなったことが影響しているのか、その顔はどこか覇気がない。


 一歩一歩、【魔力操作】を乱さないように気をつけながら着実に近づいていく。

 セフィーナの体に纏わり付く魔力の紐は四本になっていた。


MP:16/1486


 ケイも既に倒れ、戦っている人数は残すところ僅か三人。彼らは例外なく血塗れで、今にも力尽きそうだった。

《対象指定》を使う冒険者も残り四人。MPポーションを使いつつ、歯を食いしばって最後まで頑張っているが、もう限界が近いのが見て取れる。

 残った紐が一本切れた。フラフラと冒険者が一人退場していく。残りは三本。

 ここで問題が起きた。


MP:12/1486


MP:11/1486


MP:12/1486


 この世界は質量のない『水』に満たされている。

 魔眼に映るセフィーナには、その『水』が大量に流れ込んでいた。

 最初はその意味が分からなかった継人だが、自分自身にも『水』が流れ込んでいると気づき、流れ込んでくる『水』の量と自身の中で感知できるMPの自然回復量が一致することに気づいた。

 断言できるわけではないが、世界を満たしている『水』は魔力の素なのではないだろうか。

 継人は先ほど戦いを見守っていた際に、自身のMPの回復速度を計り把握していた。完全に正確なカウントではないが、およそ八秒に1ポイント。それが継人のMP回復力だ。

 対してセフィーナに流れ込んでいる水の量は、継人のそれとは比較にならないほどに多い。二倍や三倍では到底きかない量であることは一目瞭然。もし仮に、これが継人の十倍の量だと想定した場合、セフィーナのMP回復量は継人の十倍――つまり、セフィーナは0・8秒で1ポイントという脅威的なMP回復力を誇ることになる。

 このとき起こっていたことは、その圧倒的なMP回復速度と《対象指定》でMPが削れる速度が釣り合ってしまい、セフィーナのMPが変動しなくなってしまったのだ。


(まずいな……どうするか)


 継人が焦りとともに考えていると、彼の接近に気づいたケイが、


「……《対象指定・セフィーナ》」


 と、かすれた声で呻くように唱えた。

 もはや顔を上げる力もなさそうだったが、《対象指定》はMPさえ残っていれば自動で相手に向かう。「あとは頼むぞ」とケイの目は語っていた。


「まあ、なるようになるさ」


 微かに笑った継人は、続けて口の中でボソボソと何かを呟いた。

 その声が届いた相手は彼の相棒のみである。


「――10」


 カウントダウンが始まった。


「――9」


 それはセフィーナのウィンドウに映る残存MPのカウントである。


「――8」


 ケイのおかげで彼女のMPは着実に削れていく。


「――7」


 カウントとともに、一歩また一歩とセフィーナに近づく。


「――6」


 セフィーナが迎え撃っているのは最後の一人。


「――5」


 禿頭に髭を伸ばした巨漢は、遂にセフィーナの攻撃を捌き損ねて地面に転がった。


「――4」


 セフィーナが継人のほうを向いた。


「――3」


 思わず「よう」と一言かけたい衝動に駆られたが、今カウントを止めるわけにはいかない。


「――2」


 もう目の前だった。


「――1」


 その瞬間――継人は腰を落とし、身を屈めた。


 同時、継人の背後から現れた影が彼の背中を踏み台にして飛び上がった。


 くるりと白い巻き毛に、小さな体、振りかぶった武器は一本のスコップ。


 もちろん、ルーリエである。


 セフィーナが突然現れたルーリエに目を見張る。

 彼女は継人の背後に隠れていたルーリエの存在に、全く気づいていなかったのだ。

 理由は明白。

 空中でスコップを振りかぶったルーリエは目を閉じていた。

 視線によって相手を感知しているセフィーナは、それ故、彼女に気づけなかったのだ。

 それを指示したのは継人。指示を信じて、ルーリエは全くセフィーナを見ずに、【聴覚探知】のスキルのみでその存在を捉えていた。


「――0」


 継人の口から最終カウントが刻まれると同時。

 ルーリエが渾身の力を込めてスコップを突き出した。

 スコップの尖端がまっすぐに心臓に向かったのは、ルーリエの耳がセフィーナの心音をしっかりと捕まえていたが故。


 だが、これだけでは足りない。

 多少の不意をついたとは言え、こんな真正面からの一撃が遥か高みにいるセフィーナに当たる道理はない。

 当然、セフィーナは悠々回避しようとして――


 ぞわり、と。


【呪殺の魔眼】が悍ましい感触をもってセフィーナを撫でつけた。

 彼女の体がハッキリと竦んだのは、人一倍視線に敏感だったが故の不運。

 つまりそれは、継人たちにとっては幸運に他ならない。

 隙と呼ぶには充分なものだった。


 ルーリエのスコップが、セフィーナの胸を抉る。


 服が裂け、肉を切り、血が舞い、骨を断つ。


 それは継人の想定通りの現象だった。

【スコッパー】の防御無視。

 非生物だけに発動する力。

 だが、その非生物という判定はどうやって行われているのか。

 その答えがこれだ。

 生物ではないとはつまり、魔力を持たないということなのだ。

 それは【真理の魔眼】で魔力が直接見える継人だから、すぐに気づいた事実だった。

 普通なら木が極々僅かに漏らす魔力を気に留める者はいない。


 レベル差もステータス差も関係ない防御無視の一撃。

 攻撃は完璧に決まった。

 継人はそう確信した。


 ルーリエが無心で放った一撃は0カウントとほぼ同時。それは仮に《対象指定》による魔力打ち消しが途切れたとしても、MPが1回復するまで0・8秒の余裕を残した最高のタイミング。さらに【呪殺の魔眼】で生み出した間隙は、その一撃を滑り込ませるには充分なものだった。


 だから、計算違いがあったとすれば、それは残酷なまでのレベル差だろう。

 セフィーナの敏捷値をもってすれば、攻撃を喰らいながらでも、致命傷を避けるためのギリギリの回避が可能だった。ただ、それだけのことだ。


 何の抵抗もなく、肉も骨も裂かれたセフィーナは、その一撃が致命傷になる直前、スコップの軌道上から体を捻り、そして逃れた。


 空振りというにはあまりに深く、仕留めたというには軽すぎる手応え。


 ルーリエはスコップを振り切ったまま、宙で体を泳がせた。


 ドクンドクンと心音が聞こえる。


 裂けた肉と骨の間から覗く心臓は、力強く脈打ち、その健在ぶりをアピールしていた。


 セフィーナが手を伸ばしたのは無意識のこと。

 数多くの戦いの中でもほとんど危機に陥ったことのない彼女の本能が警鐘とともにそうさせた。

 危機。危機。危機。危機。危機。

 頭が真っ白なまま、セフィーナはルーリエへと手を伸ばし、そして――


 紫電が走った。


 見覚えがあった。継人も、ルーリエも、そしてセフィーナも。


 雷光を纏い、稲妻にその身を変えて現れたのは、《雷化転身》を使ったランザだった。


 圧倒的な速度でもって現れたランザは、迅雷と化した右腕をセフィーナの傷口に突っ込んだ。


 そのまま心臓を掴み――


「うおおおおおおおおおおおおおッ‼︎」


 叫んだ。それは魂からの叫びだった。

 ランザの咆哮とともに雷撃がセフィーナの心臓から全身へと駆け巡る。

 傷口から煙が出て、肉の焼ける匂いが周囲に広がった。


 雷化系の魔法は、自身を電子に変換する。魔力を電気に変換するのではなく、体を電荷させ電気を発生させるのでもなく、肉体そのものを電子に置き換えるのだ。それはつまり電気に変わっていようと、紛れもなく自身の肉体の一部という意味であり、相手を感電させるということは、肉体を消費して攻撃しているに等しい。


 このときのランザもそう。だが、彼は構わなかった。

 それどころか、むしろ全てを投げ捨てるように魔力を込めた。


 右腕が徐々に消えていく。


 それだけの電撃を浴びせても、セフィーナの心臓はまだ脈打っている。


「おおおおおおおおおおおおおッ‼︎」


 叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。叫びととも涙が溢れた。


 もう吐き出すだけでよかった。次の息を吸うことなど考えてもいなかった。


 ただ、ありったけを解き放った。


「――――――……ッ」


 やがて、魔力とともにランザの声が枯れ、右腕が肩まで消えてなくなる。

 それとともに紫電が収まり消えていく。

 パリッ、と最後の電光が小さく瞬いたとき――――まだ心臓は脈打っていた。

 トクン、トクン、と。

 弱々しくではあるが、しかし確かに脈打っていた。


 そこに、


 トン――と。


 軽い感触がセフィーナの胸を叩いた。

 今の今まで浴びていた電撃に比べれば冗談のような軽さだった。

 セフィーナは胸を見下ろす。

 心臓に小さなナイフが突き立っていた。

 それは、継人が腰から抜いて投擲したナイフだった。


 *


「……凄いなお前。本当に強い」


 感心したようにそう言ったのは、血に塗れ、死相を浮かべた一人の冒険者だった。

 いつしか自分を追ってくるようになった冒険者たち。セフィーナは彼らが嫌いだった。彼らは決まって嫌な視線を向けてきたからだ。

 だから、いつものように返り討ちにした冒険者が、全く違う視線でもって、そんなことを言ってきたことは、セフィーナにとって大きな衝撃だった。

 視線に込められていたのは敬意、憧れ、賞賛。彼女の強さに対する純粋な好意だった。

 母のような人がいなくなって以来、敵意と恐怖ばかり向けられてきたセフィーナにとって、それは久しく感じることのなかった喜びだった。

 血塗れで木にもたれかかる冒険者の話に、セフィーナは長く耳を傾けた。


「――俺はさ、昔はどうしようもないクソガキだったんだ。気に入らないことがあったら殴る蹴るは当たり前。親をナイフで斬りつけたこともあった。当然、友達なんて一人もいなかった。みんなが俺のことを嫌なものを見る目で見てた。でもさ、ゴブリンを倒したんだ。たまたまだったんだけどな。そしたらさ……ありがとうって、そう言われた。そんなこと言われるの初めてだからさ、どうしていいか分かんなくて、笑っちまうんだが逃げちまってな。……でも、しばらく経つとまた言われたいって、そう思ったんだ」


 ゆっくり、虚空を見つめながら、思い出すように、振り返るように話す冒険者の言葉に、セフィーナは真剣に聞き入っていた。


「だから冒険者さ。冒険者は良いぜ。ホント良い。俺みたいな腕っぷししか能がなくてもよ、感謝されるんだぜ。まっすぐこっちを見て、ありがとうって笑顔でそう言われるんだ。……最高なんだ。そう最高だ」


 動かすのも億劫になってきた口で、冒険者はそれでも小さく笑った。そんな冒険者の話をいつしかセフィーナは身を乗り出して聞いていた。その顔がまるで絵本の続きをせがむ子供のように見えて、冒険者は眠るのは後回しにしようと決めた。

 動かなくなってきた口で続けたのは他愛ない話だ。世間話にもならないような日々の小さな出来事。そんな話でも、セフィーナは黙って真剣に聞いていた。

 長く長く耳を傾けていた。

 そして、セフィーナの横顔と冒険者の死相を夕焼けが鮮やかに染め上げる頃合い。


「……お前さ――……」


 最期に何かを言いかけたまま、冒険者は息絶えた。

 その言葉の続きはこうだ。

 ――お前さ、人を食べずに生きることはできないのか?

 あと、ほんの数秒あれば、何かが変わったのかもしれない。

 しかし、それは過去において、起こらなかった奇跡にすぎない。


 *


 セフィーナがふらふらと手を空中で彷徨わせると、目の前にいたランザの胸を押した。

 もはや抵抗する力もなく倒れたランザに、


「……どうして?」


 と呟く。

 そのまま今度は継人を見た。

 ふらり、ふらり。

 力なく継人に歩み寄ったセフィーナは、そのどす黒く濁った彼の眼を見つめながら手を伸ばす。


「どうして、みんなそんな目で見るの……?」


 伸ばした手に何も掴めないまま、セフィーナは、とさり、と軽い音を立てて倒れた。

 その音があまりに軽すぎて、反対に継人の中でとても重たく響いた。


『経験値が一定量に達しました』

『Lv24からLv25に上昇しました』

『【投擲術Lv2】が【投擲術Lv3】に上昇しました』

『【魔力操作Lv2】が【魔力操作Lv3】に上昇しました』

『【極限集中Lv1】が【極限集中Lv2】に上昇しました』


【システムログ】のアナウンスとともに【呪殺の魔眼】の手応えが消えた。

 確認するまでもないかもしれないが【真理の魔眼】を発動した。


HP:0/3006


 まだタグにMPが残っているからだろう。セフィーナのネームウィンドウはきちんと開いた。

 HPは0。呪殺の魔眼の補正も消えている。

 もう死んでいることは間違いなかった。


 戦いが終わったことに気づいたのか、生き残った者が各々で回復手段をとり動き出す。喜び叫び出す者もいた。

 俄かに騒がしくなってきた周囲をよそに、継人はセフィーナの死体を見下ろしながら、じっと佇んでいた。

 気づいたら隣にルーリエがいた。

 ルーリエは継人のシャツの裾をキュッと掴みながら、彼と同じように黙ってセフィーナを見つめていた。

 継人はルーリエの頭を優しく撫でた。

 それは自分を慰めるためだったのかもしれない。


「なんだったんだろうな、こいつ」


「……む」


 セフィーナの最期の声が、あまりに悲しそうな声が、継人の耳に残って離れなかった。


 騒がしく人が増え始めた広場で、二人はしばらくセフィーナを見つめ佇んでいた。

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