第24話 《対象指定》
セフィーナが持つ一番古い記憶は故郷と言える場所の風景である。
人里離れた美しい高原。そこに建てられた小さなログハウス。ベッドは二つに、こじんまりとした暖炉、テーブルの上には花が飾られていただろうか。
セフィーナは女と二人きりで住んでいた。女が何者だったかは知らない。ただ、母のような人だったのは間違いない。もはや顔すら定かではないが、セフィーナの【視覚感知】を撫でる、その優しい眼差しだけは今でも記憶の中で色褪せずに残っている。
穏やかな幼少期を過ごしていたセフィーナの暮らしが一変したのは、その母のような人が、ある日、出かけたまま帰って来なかったことから始まった。
今までも家を空けることは珍しくなかったが、それでも精々一日二日といったところだった。それが、そのときは何日待っても帰って来なかった。
セフィーナは、母のような人が定めた食事以外は決して口にしてはいけないと厳しく躾けられていた。その言いつけを守っていたせいで、彼女は当たり前のように飢えた。
遂には飢えと寂しさに耐えかねて家を飛び出したセフィーナだったが、幼い彼女はどこに向かっているのか、どこに向かえばいいのか、分かるはずもなかった。
小さな村に辿り着けたのは単なる幸運。いったい何日歩いたのかガリガリに痩せ細ったセフィーナは、村の前で倒れていた。
それを発見したのは村人の女。年齢などは幼いセフィーナからすれば推し量れなかったが、心配そうな女の眼差しに、母のような人と同じ暖かみを感じて、ホッとしたことを覚えている。
そのままいけば、セフィーナは女に保護され、村に暖かく迎い入れられる未来もあっただろう。
だが、この後セフィーナが取ったある行動が彼女の今日に至るまでの未来を確実に決定付けることとなった。
セフィーナは「大丈夫?」と差し伸べられた女の手に噛みつき、食い千切った。
悪気があったわけではない。彼女は極限まで飢えていた。
そこに母のような人から『定められた食事』を差し出されたのだから、食らいつくのはむしろ自然ですらあった。
女は苦痛に悲鳴を上げ、セフィーナを信じられないとばかりに見つめた。その瞳からは先ほどまでの穏やかな色が消えて、すっかり恐怖一色となっていた。
どうしてそんな目で見られるのか理解できないセフィーナは、その視線に混乱し、怯え、遂には逃げ出すこととなった。
*
「うわああああああッ‼︎」
雄叫びとともに、セフィーナに襲いかかったのはバユーだった。
今まさにヴィータに喰らいつかんとしていたセフィーナ目掛け、背負っていたショートソードを刃を立てることも忘れて叩きつける。
両手が塞がっていたこともあり、セフィーナはその剣撃を噛みつくことで受け止めた。
彼女にとって、そのままバユーを殺すことなど造作もないことだったが、しかし、実際には彼女はバユーの視線を間近で感知したことで固まっていた。
勇気ではなく、ヴィータを失う恐怖でいっぱいになったバユーの瞳は、彼女の古い記憶を刺激した。
その一瞬、セフィーナは僅かに、しかし確かに怯んだ。そして、そこに生まれた僅かな隙に反応できる者がこの場には数名いた。
セフィーナの左手首に斬撃が一閃。断ち切るには遠く及ばないが、その一撃はセフィーナの指の力を緩める程度の効果はあった。
左手からするりと抜け落ちたヴィータを、【縮地】から斬撃を放ったケイが抱きとめ、そのまま逃げ出した。
そして今度は、ケイに気を取られたセフィーナの右手に捕らえられていたカイルの全身を光が包み込んだ。
光はまるで壁のような反発力をもってセフィーナの指を弾く。解き放たれたカイルを、ケイの仲間であるアトラが抱きとめ、やはりこちらも即座に逃げ出した。
ヴィータを抱えて走るケイ。カイルを抱えて走るアトラ。どちらを追うか逡巡したのは一瞬。
セフィーナは咥えた剣を、ガキンッと噛み砕くと、その破片を掴み取り、振りかぶる。
振りかぶった剣の破片をケイの背中目掛けて全力で――
ぞわり、と。
そのとき、セフィーナの肌を何かが撫でた。
いや「何か」などという曖昧なものではない。正体は分かる。視線だ。しかし、それはセフィーナがこれまでの人生において感じたこともない種類の視線だった。まるで自分の体の奥、魂の底まで汚し尽くすような悍ましい視線。自分の全てを否定する視線。
セフィーナは思わず、投げかけていた剣の破片を落とした。
腰もガクッと落ち、膝が震える。
「――うっ!」
と吐き気を覚えた。
耐えられない。これは看過してはいけないものだ。あり得ないし、あってはいけない。
セフィーナの中ですぐに答えは出た。
感じる視線を辿って首を動かす。周囲に群がる冒険者たちの向こう。
広場中央に立った男――継人と眼が合った。
見覚えがある。ロゾリークであった男だとすぐに気づいた。だが、今、彼から感じる視線は、あのときよりさらに、比較にならないほど強烈だった。なぜこれほど変化したのか分からない。人間の視線に宿る光が、感情とともに波長を変えることをセフィーナはよく知っていたが、それでもこの振れ幅は考えられないものだった。
セフィーナはギリリと歯を食いしばると、継人を憎々しげに睨む。そして膝を曲げ、力を溜め、そのまま遠く離れる継人目掛けて飛んだ。そう、走ったのではない。彼女の筋力をもって全力で地面を蹴りつけることは、走行ではなく、もはや飛翔に近かった。
地面と平行に飛んだセフィーナに、もし羽でもついていたら、それこそ揚力で空に浮かび上がっただろう。それほどのスピードでもってセフィーナは継人に突っ込んでいった。
セフィーナは拳を固める。
その勢いのまま継人を殴りつけて粉々に吹き飛ばすつもりだった。
だが、彼女の意識の中に継人しか居なかったことが隙となった。
どこからともなく飛んできた岩が、セフィーナと行き合うように彼女の頭部に直撃した。
人間の頭ほどの大きな岩。そこに自身の突進速度も加わって生まれた衝撃は、さすがのセフィーナも全く平気とはいかなかった。
セフィーナは継人の目前で頭から血を流し、たたらを踏んで足を止めた。
しかし、それでもダメージより何より継人の視線のほうがよっぽど不快だったセフィーナは、固めたままだった拳を振りかぶり、目の前に迫った継人に叩きつけた。
直前で足が止まったせいで、慣性による威力の上乗せは消えていたが、それでもその一撃はセフィーナの一撃である。尋常な威力ではない。
それは、ミリアルド商会での交戦の焼き回しだった。
継人は迫ってくる拳に対して、極限まで集中し、その拳を見切り、歯を食いしばって拳撃を迎え撃つ。
一つ以前と違ったのは今度はしっかりと足を踏ん張ったことである。
硬質な衝突音が継人の額で響くのと同時に、衝撃の大きさを証明するように周囲に衝撃波が広がる。
継人の視界には星がチカチカと瞬き、頸椎は軋みを上げた。踏ん張る脚からはブチブチと何かが千切れる音が体内を伝って聞こえてくるが、どこがどうなってしまったのかは、あまりの衝撃で感覚が麻痺してよく分からない。
だが――継人は耐え切った。
今度は吹き飛ばされなかった継人は、事前に口に含んでいたポーションをゴクリと飲み干すと、額で受け止めたセフィーナの拳――その手首を両手で掴んだ。
そして、やったことは【魔力操作】である。
継人は自身の魔力を掴んだ腕に流し込む。そして、確かに魔力が削れる感触を感知すると、彼はニヤッと口角を持ち上げた。
継人がそれに気づいたのは全くの偶然だった。
ミリアルド商会にて【真理の魔眼】を使っていた際のことだ。
フリードが継人の肩に手を置いたとき、フリードから溢れていた赤い魔力が、自身の黒い魔力と触れ合うと、互いに打ち消し合いながら、世界を満たす水の中に溶け込んでいくのが見えた。
この世界の魔法使いたちにとっては常識的な知識だが、継人はそのとき初めて魔力が打ち消し合う性質を持っていることに気づいた。
つまり今、継人がやっていることはそういうことだ。
彼は自身の魔力をぶつけて、セフィーナの魔力を削っているのだ。
対するセフィーナは戸惑いのせいで動きが鈍い。
継人の行動の意味が分からなかったこともそうだが、それよりもつい今しがたまで彼の視線から感じていた耐え難い不快感が、綺麗になくなってしまったことが不可解だった。
「さっきのはなに?」
セフィーナが尋ねる。
しかし、親切に答えるはずもなく、継人は「さあな」と不敵に笑って誤魔化した。
そこにさらにセフィーナが口を開こうとしたとき――
セフィーナの全身に鎖が巻きつき、彼女を拘束した。
同時に禿頭の冒険者が飛び出して来て、巨大な槍を彼女に突き出す。
セフィーナは後ろに飛んだ。鎖の拘束など関係ないと言わんばかりのパワー。鎖を持っていた冒険者は、彼女を拘束するどころか逆に引きずられてしまっている。当然、継人が掴んでいた手など些かの拘束力もなかった。
セフィーナは巻きついた鎖を掴み取ると、恐るべき膂力でもって使い手の冒険者ごと軽々と振り回し、槍を突き出した巨漢にそれを投げつけた。
禿頭の巨漢が飛んできた冒険者を軽く躱すと、その背後の直線上にいた継人も慌てて身を躱す。
その段になると、周りにいた冒険者も次々と動き出した。ある者はセフィーナに襲いかかり、またある者は支援と回復魔法を飛ばす。大規模な戦いが再開される。
再び繰り広げられ始めた光景は、先ほどまで戦いの焼き回しようだったが、決定的に違うところが一つ。
それは戦っている冒険者の数が全体の半数にも満たないということだ。
動かない冒険者たちは、ミリアルドの死によって態度を決めかねている者たちだった。
いや、本当は逃げ出したいが、そのタイミングを計っている者たちと言ったほうが、より正解に近いだろう。
救いがあるとすれば、率先してセフィーナに向かっていく者は例外なく実力者ばかりだということだ。彼らのおかげで、なんとか戦線は保たれている。
「……思ってたより全然MPが足りないっぽいな」
繰り広げられる戦闘を見つめながら、継人はボヤく。かなりの量のMPをセフィーナにぶつけたはずだが、彼女から溢れる黒い魔力は些かも小さくなったようには見えない。
分かっていたことではあるが、この魔力を一人で削り切るなど到底無理な話だ。
「……あの野郎はどこ行きやがった。まさか逃げたんじゃ……」
継人が辺りを見渡しランザの姿を探す。そこに、
「さっきは助かったぜ」
継人に後ろから、そう声をかけたのはケイだった。
「何をどうやったのかは知らねえが、お前がアレの気を引いてくれなきゃヤバかった」
「……子供はどうした?」
「アトラ――仲間が二人とも守ってる。安心しな」
こんなときであるのに、ケイは他人に安心感を与えるような力強い笑みを浮かべた。そんな笑みを浮かべられる男だからこそ、見ず知らずの子供を危険を冒して助けられるのだろう。
継人は納得し「そうか」と頷いた。
「あと、称号持ちにこう言うのは失礼かもしれんが、逃げたほうが賢明だと思うぜ。お前らのレベルじゃ、ろくにダメージも通せないはずだ。あっちの岩飛ばしのお嬢ちゃんもな」
ケイの視線の先には建物の石垣にスコップを突き立てたルーリエがいた。
先ほど継人に突進していったセフィーナに岩をぶつけたのは彼女だった。
【スコッパー】の力で岩を掬い取り、飛ばしたのだ。
「……俺たちのレベルが分かるのか?」
ケイの馴染みやすい空気を受け、継人は気になったことを素直に尋ねた。
「ん? ああ、そうか。Fランクの新人だもんな。【魔力感知】で相手のMPの大きさから予測するのさ。まあMP量には個人差があるし、スキルによるMPの変動なんかもあるから完璧にとはいかないが、そこそこは頼りになる」
そんなことを話している間にも戦いは続いている。
ケイもいつまでも話し込んでいるつもりはないのか、双剣を構え直した。
「というわけで、さっさと逃げることをお勧めしとく。アレを引きつけたのも、攻撃に耐えてみせたのも見事だったが、それだけだ。最低限アレの回復速度を上回る攻撃ができなきゃ話にならん」
そう言ったケイに、
「お前らがそんな攻撃できてるようには見えないけどな」
と継人が言い放った。
事実として、戦っているセフィーナに目立ったダメージは見当たらない。
それはこの場にいる冒険者の誰も、セフィーナの回復速度を上回る攻撃などできていないことの証左だった。
継人の言い様を聞いて、ケイは小さく笑った。それは力ない自嘲だった。
「だから逃げろって言ってんのさ」
「……勝てないってことか?」
「…………」
ケイは答えない。だが、沈黙こそむしろ答えを雄弁に語っていた。
「だったらなんでそっちは逃げないんだ?」
「…………」
やはりケイは答えなかった。
「……倒す方法はないのか?」
「見てみろ」
ケイが指し示した先、戦場の中心ではセフィーナが舞っていた。
周囲三百六十度から襲い来る攻撃を、躱して躱して躱して躱す。剣、矢、魔法、関係ない。何が来ようがかすりもしない。それでも取り囲むのは一流の冒険者たち。奥義、秘奥義を駆使して渾身の一撃を滑り込ませる者もいるが、それで残るのは決して苦労に見合うことのない僅かな傷でしかない。そのちっぽけな傷さえ、すぐ後には塞がり消えてしまう。
「圧倒的な回避力。俺が全力で斬りつけても骨にすら届かない硬さ。かと言って状態異常なんかの搦め手もほとんど効果が出ない。とどめにあの馬鹿げた回復力だ。こんなに死ににくい奴は初めて見た。はっきり言ってどうすれば殺せるのか見当もつかねえよ」
悔しげにこぼしたケイ。それに対して、
「回避はくぐれてるんだから、要するに防御力が問題ってことだろ? 回復力のほうは、首を落とすなりなんなりして即死させれば問題ないよな?」
継人はまるでなんでもないことのように、さらりと言ってのけた。そんな継人の態度に、さすがのケイも思うところがあったのか、やや不機嫌に眉根を寄せる。
「ああ? そりゃあ首を落とせばさすがに死ぬだろうよっ。できればな!」
「できると言ったら乗るか?」
継人の言葉に一瞬空気が止まった。
「なに……?」
と、ケイはやや唖然として継人を見る。
「なあ、あんたら、なんとかアレの動きを止めて組みつくことはできないか?」
「待て、どういうことだ?」
「組みついたら、全力で魔力をぶつけて、あの女の魔力を0になるまで削ってほしい」
「だからちょっと待て。どういうことだ?」
「言ってるだろ。一撃で倒してやるよ。ただ、そのためには少し手順が必要だ。複雑な話じゃない。とにかくMPを削り切れば勝てる。どうなんだ? できるのか?」
継人の問いに、ケイは黙し、しばし考え、
「……具体的にはどうするんだ?」
と、当然の質問を飛ばす。
その質問に、継人は一瞬、建物のほうに目を泳がせたが、すぐに首を振った。
「自分の切り札を教えると思うか?」
「それで信用しろってか? 随分と都合のいい話だぜ」
ケイの言い分はもっともだ。何をするかも分からないのに、力を貸せと言われて「あい、分かった」とはならない。
ただし、それは“本来”であればの話だ。
継人は強気に口角を上げた。
「どうせ勝ち目はないんだろ?」
ケイはハッキリと言葉に詰まった。痛いところを突かれた。
「だったら俺に賭けろ。信用できるかどうかは、俺が逃げずにここにいることが答えだと言っておく。勝つ気がなけりゃ、ここにはいない」
魔眼を使っているわけではない。
それでも、継人の目は魔眼のような圧力をもってケイを射抜いた。
Bランク冒険者であるはずのケイが、Fランク冒険者の継人相手に息苦しさを感じた。そして、今この超常の戦場において、その息苦しさは頼もしさとも言えた。
「…………MPを削ればいいんだな?」
最後の確認だった。
「ああ、0までだ」
継人は頷いた。
「分かった。任せろ」
ケイは覚悟を決めた。
ただ捨てるくらいなら、この男には賭ける価値がある。そう思ったのだ。
「動きを止めるなら俺も付き合う」
「いや、その必要はない」
覚悟が決まれば、そこは一流の冒険者。行動は迅速だった。
もう、ケイの中で考えは纏まっていた。
ケイは大きく息を吸うと声を張り上げた。
「総員聞けッ‼︎」
よく通る声は広場全ての冒険者に届いた。
「手の空いた連中は『三大兇紅』に対して、《対象指定》を使えッ‼︎」
え――? と、一瞬広場が騒めき、そして沈黙した。
指示の意図が理解できず、冒険者たちの思考が止まる。聞き間違いかと疑い始める者もいた。
そこに、さらにケイの声が続く。
「《対象指定》でMPを使い切った者から各自戦線を離脱しろッ‼︎」
これが冒険者たちの心理を読んだ素晴らしい指示だった。
逃げ出したくても、逃げ出せずにいた彼らにとってはまさに天啓。正当な撤退の理由を探していた者にとって、ケイの言葉は地獄に垂れた蜘蛛の糸にも等しいものだった。
冒険者たちは、その指示の意味も分からず、考えず、それでも血の池でもがく亡者の如く糸を握った。
構わない。全ては逃げ出したい一心だった。
「《対象指定・セフィーナ》!」
「《対象指定・セフィーナ》ッ」
「《対象指定・セフィーナ》‼︎」
「《対象指定・セフィーナ》っ!」
冒険者たちは口々に唱えていく。
継人は、最初それが何なのか全く分からなかったが【真理の魔眼】を使うと一目だった。
冒険者たちから魔力の紐のようなものがセフィーナに向かって伸びていた。魔力の紐は、セフィーナに絡み付くと、彼女の魔力と打ち消しあって溶けるように消えてしまったが、冒険者が魔力を注ぐとすぐに元通りになり、セフィーナに付き直した。そしてまた彼女の魔力に打ち消されるのだが、冒険者たちが紐に注ぐ魔力を止めない限り、紐は延々と復活する。
「《対象指定》だ。知ってるか?」
尋ねたケイに、
「いや」
と継人は素直に首を振った。
「初歩の初歩の初歩魔法だ。魔法を使う対象を定める魔法って言やあいいかな。相手のネームウィンドウを開いて、名前を指定すれば、対象と自分の間に魔力の道が繋がるのさ」
「それってタグを装備した奴しか使えないってことか?」
「ああ。自分も相手もタグを装備してないと発動しない。だから実戦で敵に向かって使うことなんてまずないな。普通は攻撃魔法を使うときは、呪文に効果範囲を含めたり、【魔力操作】で効果範囲を決めたりするんだ。けど、今回は相手の魔力を削りたいだけなんだろう? だったらこれ以上の魔法はない」
広場の冒険者から、どんどんセフィーナに魔力が伸びていく。色とりどりの魔力が一点に伸びていく様は、【真理の魔眼】を持つ継人から見れば、一大スペクタクルといった光景だ。戦闘中、場違いな感想だと分かっていながらも、見れない人は惜しいなと思う。
一方、事態の中心にいたセフィーナは、Bランク冒険者複数を相手どりながら、些か混乱していた。《対象指定》が無数に飛んで来ていることにはもちろん気づいているが、なぜこんなものが自分に使われるのかが分からないのだ。セフィーナの知識で言えば、《対象指定》とは仲間に回復や補助を飛ばす際に使う魔法だ。仮に、現在は攻撃目的のロックオンとして使っているのだとしても、肝心の攻撃魔法が一向に飛んで来ないのだから混乱は深まるばかりだった。
しかしこのとき、セフィーナは事態を深く考えている余裕がなかった。
血反吐を吐き、もはや死にかけといった様子で限界が迫りつつあった冒険者たちが、なぜか俄然勢いづき始めたからだ。
セフィーナと交戦する高ランク冒険者たちにも、もちろんケイの声は届いていた。
その意図を理解できた者はいなかったが、それでも声の主はBランク冒険者のケイなのだ。意味のない指示であるはずがない。
たとえどれだけ追いつめられていようが、少しの希望が見えるだけで復活する現金さを持っているのが戦士という人種だ。もう駄目だと思いながら戦うのと、勝てるかもしれないと思いながら戦うのでは、必然入る力も変わってくる。
前線で戦う冒険者たちは、各々が全力で武器を振るってセフィーナを攻め立てた。万が一にも、タグの装備を解除しようなどと考えが及ばないように、攻めて攻めて攻め続ける。
Dランク冒険者の一人が膝をついた。《対象指定》によりMPを使い切ったのだ。
虚脱したような表情の冒険者は、それでもどこかホッとした気配を漂わせながら、広場の出口に走っていった。彼はもう大手を振って逃げられるのだ。
継人が【真理の魔眼】で見ると、既にセフィーナが全身に迸らせていた魔力は相当小さくなっていた。しかし、まだまだだ。
セフィーナはいい加減魔力の紐が感知にかかるのが鬱陶しくなったのか、周りのBランク冒険者の隙をついて、《対象指定》を使う冒険者に飛びかかる。
飛びかかられたDランク冒険者は、突然目の前に現れたセフィーナに死を覚悟したが、【縮地】で割って入ったケイが彼を守った。
「さて、俺も黙って見てるつもりはないぜッ。こっちは弟殺されてんだからなッ!」
ケイは双剣でセフィーナを受け止めながら、怒りを滲ませて歯を剥く。
その横合いから影が飛び出して来てセフィーナの頭部を殴りつけた。
「弟の仇というなら、俺も黙ってるわけにはいかねえな」
セフィーナの横っ面を殴りつけたのは玉のようなシルエットの男――ベラミス兄だった。彼の一撃は隙をついた全力のものだったが、セフィーナは口の端から僅かに血を流しただけに留まる。
「そっちも弟の葬い合戦か? 嫌な偶然だぜ」
「まったくだ」
戦い始めた彼らを尻目に、継人は近くの建物に歩み寄る。
建物の基礎にあたる石垣にスコップを突き立てていたルーリエの頭をガシッと捕まえた。
「何してる?」
「む? ひっさつわざ、その二」
先ほど岩を飛ばした攻撃のことを言っているのだろう。
それで冒険者たちを援護するつもりなのだ。
「ああ、うん。ありゃ大したもんだったな。でも問題は俺に黙ってやったことだ。俺は合図するまで隠れてろって言わなかったか?」
「む、でもツグトがあぶないとおもった」
そう言われると、彼女がセフィーナの一撃の威力を減衰してくれたのは事実なので、文句も言いにくい。
「そうか。まあ助かった。でも今度はちゃんと合図するまで隠れとけ。絶対にセフィーナに視線は向けるなよ。分かったか?」
「むぅ、わかった」
ルーリエはやや残念そうな気配を滲ませながらも素直に頷いた。




