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第16話 百倍

 魔鉱都市ベルグは、東は劍の山脈、西は大河に挟まれた場所に位置している。

 その都合上、南北に細長く形成されたベルグの街であるが、実は川を挟んださらに西側にも街が続いている。

 川の東側が「本街」と呼ばれるのに対して、川の西側は「外街」と呼ばれていた。

 川の西に『聖道』が通っているため、外街は人の往来が活発で、特に魔力鉱石を求めてやって来る商人が数多い。

 彼らが利用する宿屋、食事処を始め、商人たちが各地から持ち寄った交易品を扱う商店なども賑やかで、外街は金と活気に溢れた場所となっていた。

 主要ギルドの中で唯一商業ギルドだけが外街に拠点を構えているのも、そのためである。


 普段は賑やかな外街が、今日はやけに静かだった。

 人々の中でも特に耳聡い商人たちはもう知っているのだ。

 現在、この街に危機が迫っているのを。

 人通りが極端に少なくなった外街で、ミリアルド商会の馬車が悠々馬蹄を響かせていた。

 しかし、大通りを抜け、本街への橋が視界に入ってきた辺りで、突然馬車の御者が手綱を目一杯引き急ブレーキをかけた。馬が激しく嘶き、客車が揺れる。

 客車の中で椅子から落ちかけたミリアルドが、


「おい! なんだよ!」


 と御者席に向かって怒鳴ったが返事は来ない。

 何事かと窓から顔を出したところで、ミリアルドの顔に槍が突きつけられた。


「降りろ。全員だ」


 完結に要求した男は冒険者風の――いや、ネームウィンドウを見る限り、正真正銘冒険者であった。

 しかめっ面で手を挙げたミリアルドが馬車から降りると、その後ろから護衛の男二人が続いた。

 さらに後ろから半眼のルーリエがもしゃもしゃとお菓子を咀嚼しながら続き、最後に訳も分からぬ様子のバユーが幼子二人を両脇に庇いながら降りてきた。


「間違いない。全員だ」


 そう言って馬車の中を検めた男をはじめ、馬車の周りを二十人以上の人間が取り囲んでいた。

 ミリアルドの部下で御者をしていた誘拐犯の男は既に縛り上げられている。


「大人しくしていれば手荒な真似はしない」


「今まさにされてると思うが? ……にしてもこんな街中で盗賊はないだろうと思ったが、まさか冒険者とはな。一体どういうことだか説明してくれるんだろうな?」


 不機嫌さを隠さないミリアルドに、冒険者の中でもリーダー風の槍を持った男が答えた。


「ミリアルド商会捕縛のギルドクエストが発令された。俺らはそれに従っているだけだ」


「ギルドクエスト?」


 一瞬困惑した表情を浮かべたミリアルドだったが、すぐに気を取り直した。

 そして、


「『三大兇紅』の話はこっちには伝わってないのか?」


 と周りの冒険者たちに尋ねた。

 もちろん、そんなはずがないのは静かな街並みを見ても明らかだったが、ミリアルドが知りたかったのは彼らの反応だ。


「…………」


 ミリアルドの問いかけに、冒険者たちは意図的に表情を消し去り口をつぐむ。彼らの中でも比較的若い冒険者だけが少し気まずげに顔を伏せていた。


「……なるほどな。そういえば【天竜の愛し子】はAランク冒険者だったか」


 ミリアルドは恐るべき察しの良さで、即座にランザと同じ結論を導き出した。

 それは、予め可能性の一つとして想定していなければ不可能な早さだった。


「旦那。殺るか?」


 護衛の太った背の低い男が小声で確認するが、


「少し待て」


 ミリアルドは制した。そして――


「お前らいくら貰うんだ?」


 よく通ったミリアルドの声に反して、質問の意味が呑み込めなかった冒険者たちは、やや困惑した表情を浮かべる。


「ギルドクエストさ。生け贄を差し出してレッドネームに命乞いするんだろう? そのみっともない真似に加担する報酬はいくらだと聞いたんだよ」


 明らかな棘を含んだ言葉に、冒険者たちが僅かに殺気立ったが、だからといって明確な怒りを見せる者や、文句を口にする者はいない。

 返す言葉がないからだ。

 ミリアルドの言っていることは何一つ間違っていなかった。


「…………お前には関係のない話だ」


 黙り込む冒険者の中で、リーダー格の槍を持った冒険者が代表して口を開いたが、その感情を押し殺した声はどこか弱々しい。


「誤魔化すなよ。お前らがプライドを売った値段だ。まあ、どうせ大した額じゃないんだろうがな。お前ら雑魚っぽいもんな?」


 繰り返された明らかな挑発に、さすがの冒険者たちもいきり立つ。


「……死にたいのか?」


 リーダー格の男は冷静な顔をしていたが、その声には明らかな怒気が含まれていた。

 それに対して、ミリアルドは僅かな怯みすら見せず、むしろニヤリと笑った。


「百倍だ」


「……は?」


「俺がその報酬の百倍出そう」


 ミリアルドの突然の言葉に冒険者たちは一瞬怒りを忘れ、思考が止まる。


「……何の冗談だ」


 リーダー格の冒険者だけがかろうじて言い返したが、


「冗談に聞こえるのか? くだらないことを言うな。お前たちのプライドを、俺が百倍の値段で買い戻してやると言ってるんだ」


 ミリアルドは商人である。彼には無論のこと戦闘力などない。

 だがこのとき、ミリアルドの言葉には、彼をはるかに上回る戦闘力を持った冒険者たちを圧倒するだけの力があった。その証拠に冒険者たちは息をすることも忘れたように動けずにいた。


「……DとEランクばっかりだし一万ラークってところか。もう一度言う。百倍だ。百万ラーク出すから俺につけ。もちろん一人頭だ」


 冒険者たちは明らかに困惑し、だが同時に胸の奥底に血の滾りを感じてもいた。

 彼らとて戦いに身を置き、それでも生き残ってきたという自負を持つ冒険者。ギルドクエストだからこそ従っているが、今回のクエストに完全に納得しているわけではないのだ。

 このギルドクエストはミリアルドの言う通り命乞いそのものと言っていい。

 ミリアルドを捕え、彼を探すセフィーナに差し出した上で機嫌良くベルグを去ってもらう。

 たった一人のレッドネーム相手に、ベルグの冒険者総出で白旗を上げるに等しい行為。

 いや、それ以下のみっともなさである。

 プライドを売った。そう言われても全く否定できない。

 だが――「プライドを買い戻す」と言ったミリアルドの言葉に首を縦に振れば……返ってくる。

 売った誇りが。それも百倍の利子をつけて。


 ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。

 百万ラーク。決して生半可で手に入る額ではない。

 冒険者たちがミリアルドに向けた武器には既に力が入っていなかった。

 しかし、一番に飛びつくのは憚られる。それに本当に百万ラークなんて大金が支払われるかという疑いもある。誰もが顔を見合わせたまま動かなかった。


「さっさと俺の前に並べ。今、この場で払ってやる。……それともやめとくか?」


 その言葉がトドメだった。

 ピンッと自身のタグを指で弾くミリアルドの前に、冒険者たちは我先にと並び始めた。


 *


 ステータスタグには特殊な機能が多数存在するが、その中の一つに情報通貨というものがある。

 情報通貨とは、タグの中に記録保管された実体のない通貨であり、実際には存在しないものでありながら、タグの所持者の間では普通の金銭と変わらずやり取りできる。

 情報通貨を手に入れるためには、実際の通貨『ラーク』を商業ギルドに持ち込むだけで良い。そうすれば、商業ギルドのみが使用を許された特殊なアーティファクトを使い、持ち込んだラークと等価の情報通貨をタグに入力してもらえる。

 もちろん反対に、情報通貨をラークに換金することも商業ギルドでは可能なので、たとえ実体のない通貨であっても人々は安心して使用している。


 ――キン、と軽い金属音を立てて、ミリアルドと冒険者のタグが触れ合った。

 ミリアルドの眼前に浮かんだ彼自身のネームウィンドウ。そこに記された名前、職業、所属、と続く項目の最下部。タグの装備者のみが開ける隠しウィンドウ――『資産』の項目から百万という数字が引かれた。


「百万ラーク。確かに払ったぞ」


「うおおおおおおお――ッ!」


 ミリアルドの言葉と同時に冒険者が雄叫びを上げた。普通であればとても手にすることのない大金に興奮を隠せない様子だ。周囲にいる冒険者たちも同様だった。既にミリアルドから金を受け取った彼らは、自身のネームウィンドウに記された数字を見ながらニヤついていた。

 惜しげもなく大金を払い、列を捌いたミリアルド。そして、二十三人いた冒険者の最後の一人に金を払い終えると――


「…………」


 最後尾にはルーリエがしれっと並んでいた。

 そして、やはりしれっと自身のタグを差し出す。


「……【スコッパー】殿。君も俺に雇われてくれるということかな?」


 ルーリエは相手が人攫いだということも忘れてコクリと頷く。

 金に目が眩んだのである。


「ふふ、だが君は奴隷だろう。奴隷と情報通貨のやり取りはできないよ」


 奴隷は主人以外との金銭取引が禁じられている。そのルールの一環として、奴隷はタグの情報通貨の機能がほとんど凍結されているのだ。


「む……」


 そういえばそうだった、とルーリエは落胆する。しかし、

 ミリアルドが左手首に着けた腕輪に下から手を添えるように触れる。

 すると、そこからジャラジャラとコインが溢れ出た。


「【アイテムボックス】?」


「いかにも」


 得意げな微笑を見せたミリアルドは、手の中の硬貨をルーリエに差し出した。

 大金貨が十枚。百万ラークである。

 受け取ったルーリエは鼻息が荒い。

 無表情でありながら頰は紅潮し、口は「ふおおー」と開いている。

 彼女の中では、もうミリアルドは悪人ではなく、善人にカテゴライズされつつあった。

 だが、言うまでもなくそんなはずはない。金に目が眩んでいるのだ。


「……いち。にー。さん。しー」


 大金貨を数えるルーリエの背後から、さらにもう一人。

 剣を背負ったの男が一歩、ミリアルドの前に歩み出た。

 バユーである。


「……なんだい?」


 ミリアルドが問うと、バユーは睨むように彼を見上げながらタグを差し出した。


「たしかに百万ラークあれば三人とも解放されるね。……で? だからなんだい?」


「ぼくも戦う」


 バユーは言い放った。

 チャンスだと思ったのだ。もし仮に、ここで逃げ出したとしても借金が消えてなくなるわけじゃない。いずれは清算しなければならないときが来る。だったらこの一回。たった一度の戦いで三人の借金を帳消しにできるのなら、それは大きなチャンスであるように、バユーには思えた。


「……【スコッパー】殿が子供だから勘違いしたのか? 彼女は特別なんだ。百万ラークの価値があるのさ。君とは違ってね」


 馬鹿にしたように言うミリアルドに、


「ぼくも戦える」


 バユーは犬人族特有の鋭い牙を剥いて言い返した。だが、ミリアルドからすれば、そんなものは浅慮な蛮勇を見せた子犬が唸っているだけにすぎない。

 話にならない。そんな風に言って適当にあしらう。そう思われた。

 実際バユーもそれにどう食い下がろうかと考えてさえいた。

 しかし――


「百万ラークの価値が分からないほど幼くはないだろう? 君みたいなただの子供が本当に百万ラーク分戦えると言うんだね?」


 ミリアルドの言葉はむしろ真摯さを孕み、バユーを気遣うようですらあった。

 戦うと息巻く者に対して、慮って最終確認する。そんな風情だった。

 そんな風に問われると、前のめりになった男が返せる答えは一つしかない。

 バユーは一度、カイルとヴィータの頭を優しく撫でると、


「戦う。必ず」


 力強く頷いた。

 そんなバユーをミリアルドはしばらく黙って見つめていたが、やがて小さく笑うと、


「いいだろう」


 自身のタグをバユーのタグにキン、と合わせた。


 バユーのネームウィンドウから借金奴隷という表示がスーッと消えた。

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