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第13話 追跡

 継人が目を覚ましたとき、最初に視界に入ったのは老人の顔だった。


「目を覚ましたようですね」


 そう言った老人はフリード。

 フリードは倒れた継人の傍らに膝をつき、その顔をジッと覗き込んでいた。

 継人は体を起こそうとするが、酷い頭痛がして思わず顔をしかめる。さらに、しかめた顔も皮膚が突っ張るような妙な不快さを感じた。


「大丈夫ですか?」


 フリードの確認の声を聞いて、継人は二、三度強くまばたきすると、ようやくゆっくりと上体を起こす。


「なにが……」


「覚えていないのですか?」


 そう言われ、継人は記憶を探る。ルーリエが攫われ、ロゾリークに来て、ミリアルド商会に向かい、と記憶を辿っていき、セフィーナの顔が脳裏をよぎったところで、バッと跳び起きた。

 そのまま周囲に視線を走らせるがセフィーナの姿はない。


「ご安心を。ひとまずは安全ですので」


「どういうことだ? 何がどうなった?」


 継人がいたのは煉瓦造りの部屋だった。

 部屋の壁が一面派手に崩れ去り、室内はその瓦礫で滅茶苦茶になっている。壁の穴からは、外の景色が丸見えで、なにやら外では大勢の人間が忙しく動き回り、ガヤガヤと騒がしかった。


「『三大兇紅』は貴方を殴り飛ばすと、すぐに立ち去ってしまいました。おそらく貴方が死んだものと思ったのでしょうね。斯く言う私もそう思いましたから」


 こうしてピンピンしているのに随分な言われようだ。継人はそう思ったが、考えてみればピンピンしすぎているような気がした。殴られた顔を触るが怪我一つない。


「ポーションを使ったので既に傷は消えていますよ」


 フリードの言葉どおり、HPを確認してみてもキッチリ全快になっていた。


「そうか、悪かったな」


「本当にギリギリでしたがね。よく生き残りました。大したものです」


 一瞬皮肉にも聞こえたが、その声には偽りない賞賛の色があった。しかし、怨敵と定めたばかりの相手に、無様に殴り飛ばされ気絶したことを思えば、褒められたところで素直に喜べるはずがない。そもそも褒められるも何も、継人はただ気絶していただけである。

 継人は、納得いかないと仏頂面を浮かべた。


「普通は死んでいますよ。相性次第ではBランク冒険者ですら耐えられなかったでしょう。どうやら、相当な防御系スキルをお持ちのようですね」


 フリードが言うと、継人は「ん?」と内心首を傾げた。防御系スキルなんて持っていただろうか。継人はステータスに目をやった。


スキル

【体術Lv3】【投擲術Lv2】【食いしばりLv2】【魔力感知Lv2】【魔力操作Lv2】 【言語Lv4】【算術Lv3】【極限集中Lv1】【毒耐性Lv1】


 防御系スキルかは分からなかったが、スキル欄に一つ変化を見つけた。

【食いしばりLv2】だ。

 これはダナルートとの交戦後に、気がついたら取得していた効果不明のスキルである。

 今朝ステータスを確認したときは、確かLv1だったはずだ。レベルアップのアナウンスを聞いた覚えもない。ということは、セフィーナの拳を喰らい、意識を失っている間にレベルアップしたとしか考えられない。


「……【食いしばり】か」


 継人は虚空のウィンドウを見つめながら、フリードのことを忘れて、ついポロリと呟いた。


「ほう。【食いしばり】とは良いスキルをお持ちです」


 あっ、と思ったときにはフリードはもう反応していた。

 継人は思わず苦い顔を見せるが、無論悪いのは自分である。


「…………どういうスキルなんだ?」


 もう開き直って尋ねることにした。


「【食いしばり】は防御というより防御補助。攻撃に耐えるスキルとでも言いましょうか。認識内の攻撃に対して強力な即死耐性とノックバック耐性を得ることができます」


 ふむ、と継人が顎に手を当てる。

 つまり、見えている攻撃なら死なずに耐えやすくなるということだろう。

 聞く限りはなかなか良さそうなスキルに思える。


「でも、外からこの部屋までぶっ飛ばされたんだよな俺? 即死耐性はともかく、ノックバック耐性ってのは当てになりそうもないな」


 壁の穴から外を見ると自分が立っていたはずの位置は遥か遠い。

 いったい何十メートル殴り飛ばされたのかと呆れるほどだ。


「それ込みで、この程度で済んだと考えるべきですね。無ければ反対側の壁も突き抜けて、今ごろは挽き肉だったでしょう」


 嫌なことを言われ、継人の表情が露骨に歪む。ちょうどそのとき――


「お、無事か。良かったじゃねえか」


 明るい声を飛ばしたのは、崩れた壁の穴から顔を覗かせた中年の男だった。

 継人にとっては全く見覚えのない人物だったが、フリードにとってはそうではないらしく、彼は軽く会釈をして見せた。そして、


「首尾はいかがですか?」


 と、早速とばかりにフリードは現れた男に尋ねた。


「とりあえずこっちの作業は終わりだ。アンタが言ってたような子供はいなかったが、一応確認してくかい?」


「ええ、お願いします」


 継人は話がよく分からなかったが、フリードに促され、男の後について崩れた壁から部屋の外に出た。


「……こいつらは?」


 継人は敷地内を見渡しながら、そこにいる人々についてフリードに尋ねた。


「彼らはロゾリークの冒険者たちです。それと冒険者、商業、両ギルドの職員もいますね。『三大兇紅』が暴れた後始末ですよ」


 中年の男について行き、辿り着いた敷地の片隅には、死体がズラリと並べられていた。原形を留めていない死体も数多く、正視に堪えない光景だった。


「敷地内の死体はこれで全部だ」


 中年の男が継人たちに説明する。


「奴隷はやはり?」


「ああ。死体の中に奴隷は一人もいない。これは全員ミリアルド商会の関係者だ。セフィーナは依頼文を遵守してるってことだな。今のところは……だが」


 その言葉を聞いて、継人は全身から力が抜けそうになる。中年の男の言葉どおりなら、ルーリエは無事だということだからだ。

 だが、妙な一文が引っかかり、すぐに気を戻した。


「……依頼文? 何の話だ?」


 継人が尋ねると、中年の男がバツの悪そうな顔を見せた。

 そんな男に代わりフリードが口を開く。


「どうやら彼女はクエストを受けてミリアルドを狙っているようなのです」


「クエスト?」


「『闇奴隷商の討伐および奴隷の救出』――それが彼女が冒険者ギルドで受けたクエストだそうです」


 フリードの説明に継人の思考が止まる。理解がまるで追いつかない。


「ちょっと待った……。冒険者ギルドで受けたクエスト? あの女はレッドネームだよな。レッドネームでもクエストって受けられるのか? いや、それ以前にレッドネームがギルドに近づいたりしたら冒険者たちと戦いになるだろ」


 継人の当然の疑問を並べていくが、


「……戦いならもう終わったよ。ロゾリークの高ランク冒険者が協力して仕掛けたが返り討ちになった。そうなると……分かるだろ? もう黙って言うこと聞くしかないのさ」


 答えた中年の男の顔に浮かんでいるのは、諦めと失望だった。

 継人は唖然としてしまう。それはつまりロゾリークのような大きな街が、丸ごと一人の女に屈したということだ。この世界はレベルが存在することで個人の力が大きく育つ。それは理解している。しかし、それでも条件は皆同じなのだ。であれば結局は数の力が勝る。そんな風に考えていたが、どうやら必ずしもそうではないようだった。

 そこで、ふと継人は気づいた。


「……だったら、なんで、あの女はクエストなんか受けたんだ?」


 そうだ。そんなもの受ける必要などない。報酬が欲しければ、奪えばいいのだ。街は丸ごと降参している。止められる者などいない。

 しかし、その質問は中年の男の傷口を抉ってしまう。


「知るかよッ」


 まるで痛みを堪えるような顔で、中年の男は不機嫌に吐き捨てた。

 継人の疑問のとおりなのだ。金が欲しければ奪えば済む話なのに、叩きのめした相手からわざわざ仕事を引き受けていくなど、彼らからすれば遊ばれているとしか思えなかった。

 そこにフリードが冷静な声で割って入る。


「そのあたりのことは考えるだけ無駄でしょう。そもそも相手が普通ではない。それより、ミリアルド商会の奴隷の名簿はありますか?」


「……名簿? ……ああ、あっちで商業ギルドの連中が担当してるから確認してみるといい」


 中年の男が指し示すと、フリードは礼を言い歩き出した。継人もその後について行く。

 そこには沢山の人が集まっていた。老若男女様々だが、ウィンドウを確認してみると、ミリアルド所有の奴隷たちだった。その中にルーリエの姿はない。


「こんなに無事な人間がいたんだな」


 商会建物の惨状を思えば、驚くべき人数である。


「ええ、一箇所に集められていたそうです。彼女も何も考えずに暴れていたわけではないということですね」


 そのまま、フリードは一人の男に歩み寄った。


「全員揃っていますか?」


 そう尋ねた相手は、奴隷たちを監督しながら紙に何かを記入していた商業ギルドの職員である。


「いえ、騒ぎに乗じて逃げ出した者もいるようで、全体の八割五分ほどです」


「名簿を見ても?」


「どうぞ」


 商業ギルドの職員は、フリードに紙の束を差し出した。


「――ルーリエの記載がないのは当然として、……居なくなった中に子供が三人いますね。名前はバユー。カイル。ヴィータ」


 それを聞いた継人がぽつりともらす。


「子供が四人……」


「ええ、そのとおりです」


 スラムの浮浪者が言っていたことを思い出した継人に、フリードが頷いてみせた。


「ルーリエはその子供と一緒に逃げたってことか」


「おそらくは」


 継人は小さく息をつく。少しは大人しくしていろよ、とも思うが、それでも無事生き延びているのなら結構なことだ。考えてみればルーリエがこれ以上危険に見舞われる可能性は低い。まったく危険がないとは言わないが、ロゾリークはいま混乱真っ只中であり、冒険者たちもルーリエの称号を狙うどころではないはずだ。なにより、セフィーナが奴隷を狙わないというのが一番大きな安心材料だった。それなら、ゆっくり確実に捜し出せば――――……と、そこまで考えたとき、継人は気づいた。気づいて、はっきり青ざめた。


「……おい、奴隷の救出って依頼文の中に、ルーリエって含まれるのか?」


 そうなのだ。セフィーナが受けた依頼は『闇奴隷商の討伐および奴隷の救出』。

 闇奴隷商をミリアルドとしたとき、ここで言う救出対象の奴隷とは何を指しているのだろうか。

 もしここで言う救出対象の奴隷が『ミリアルドが所有者となっている奴隷』という意味であれば、あるいはセフィーナがそう理解しているとすれば、その中にはルーリエは含まれない。ルーリエはミリアルド商会に攫われたとはいえ、名義上はレーゼハイマの奴隷のままのはずだ。

 継人はそこに集まった奴隷たちを見渡す。一人の例外もなく、ウィンドウにはミリアルド所有と記されている。


「……確かに。これは盲点でした。攫われてきた可能性も考慮して、タグ無しや他の所有奴隷も保護するのが普通ですが、如何せん普通を求めるには『三大兇紅』は少々厳しい相手ですね」


 そうなると、もたもたしていられない。早く捜し出さないと、何かの拍子にルーリエとセフィーナが接触してしまうかもしれない。


「逃げた場所に心当たりとかあるか?」


「いえ。ですが、聞けば案外すぐに分かるかもしれません」


「聞くって誰に?」


「彼ですよ」


 そう言ってフリードが顔を向けたのは、先ほどまで話していた中年の男だった。


「――居たかい?」


 死体に布を被せていた中年の男に再度近寄ると、男から声をかけてきた。


「いえ、どうやら外に逃げてしまったようです」


「そりゃ難儀だな」


「そこでご相談ですが、見張りの方の話を伺いたいのですが」


「……逃げる子供を見なかったか聞きたいってことか?」


 フリードが頷く。その横から、


「見張りって?」


 と継人が尋ねた。


「彼女には冒険者たちの監視がついているはずです。彼女が暴れている間も、この建物を見張っていたはずですから、ルーリエたちが逃げるところを見たかもしれません」


 フリードの説明に、継人はなるほどと頷いたが、逆に中年の男は首を横に振った。


「いや、大体そのとおりなんだが、実は少し事情が違うんだわ。厳密に言えば俺たちもセフィーナの動きを監視できてない」


 その言葉にフリードが怪訝な表情を見せる。


「……変なことを言いますね。それでは、貴方たちはどうやって彼女が敷地から立ち去ったと把握してここにやって来たのです?」


「監視以外の方法を使ったのさ。そもそもセフィーナは感知スキルのレベルが高すぎて見張りなんて付けられない。元々セフィーナを監視してた斥候部隊は全滅したよ。その中にはBランクの斥候で、街の反対側にある家の屋根に落ちた鳥の糞まで数えられるっていう馬鹿げた【望遠】スキルを持った奴もいたが、そいつですら生きて帰って来なかったぐらいだ」


 そこで男は一度言葉を切り、ふう、と重い息を落とすと、さらに続けた。


「そうだっていうのに、どこにでも馬鹿野郎はいてな。セフィーナがクエストを受けて街を彷徨き始めたとき、よせばいいのにこっそり行動を監視しようとした若い連中がいたんだ。もちろんすぐにバレて殺されたんだが、なぜか一人だけ生き残った奴がいた。聞けば、そいつは【嗅覚探知】を使って遠巻きに匂いを追っていただけだったんだ」


 男がそこまで話すと、フリードはなにやら難しい顔をして考え込んだ。


「それで分かったんだが、セフィーナの感知スキルは感度は凄いが不完全なものだ。めずらしいが【視線感知】か、その類いのスキルを持っているんだと思う。だから高レベルの【隠密】や【潜伏】の使い手が見張ろうが、【望遠】スキルで遠くから監視しようがすぐに気づかれるが、直接視認しない【嗅覚探知】や【聴覚探知】を使って遠巻きに動きを探る分には問題ない」


「つまり、建物周辺にそういうスキルを持った奴を配置してたってことなのか?」


 継人が確認すると、男は頷いた。


「ああ。だから視覚的に監視してたわけじゃないから、特定の個人を識別するのは難しい。セフィーナの足音や匂いを必死に覚えて集中してるわけだしな。だから聞いても無駄かもしれんが、それでもいいかい?」


 今度は男のほうが確認すると、継人は是非もないと頷いた。


「ああ。聞かないよりはずっといい。すぐに話せるか?」


「ほとんどの奴はまだセフィーナにくっついてるから、すぐに話すのは無理だが、一人だけリタイアした奴がいる。そいつなら今すぐ呼べるぜ」


「頼む」


 継人が答えると、中年の男は少し離れたところにいた別の男に大声で何事か伝える。しばらく待つと、一人の男がこちらに歩いて来た。頭に耳が乗っているので、獣人族なのだろうが、継人の目からは詳しい種族までは分からなかった。獣人の男は体調が良くないのか随分と顔色が悪い。


「……なんすか。俺もうやりませんよ」


「違げーよ。こっちの人たちが聞きたいことがあるんだと」


 獣人の男が継人たちに胡乱な目を向ける。


「悪いな、わざわざ。早速だけど聞きたいことがある。セフィーナがいたとき、ここを見張ってたんだよな? 敷地から逃げた子供はいなかったか?」


「子供? ……うーん、いなかったと思うぜ。『三大兇紅』も足音軽めだから、小さい足音は特に注意してたから聞き逃さないと思うけど」


「確かか? 子供の四人組だぞ?」


「――は? 四人組? それを先に言ってくれよ。それなら間違いなく通ってない。さすがに四人組を聞き逃すはずないからな。でも俺がいたのは裏口だから、正面口のほうは知らないぜ」


「それなら正面口も通ってねえな」


 そう口を挟んだのは中年の男だった。


「四人組なんだろ? 複数で敷地を出る奴はミリアルドの可能性が高いから全て報告するようになってた。が、四人組が敷地から出たなんて報告は一つもない」


 そこで継人とフリードは顔を見合わせた。


「どう思う?」


「分かりかねます。逃げたのは間違いないと思うのですが」


 二人が考え込んでいると、獣人の男が「あ!」と声を上げた。


「もしかして馬車かも」


「馬車?」


「セフィーナの襲撃が始まって割と早い段階で、裏口から馬車が出ていったんだ。もしかしたら、そこに子供が乗っていたってこともあるかもしれない」


「どこに向かったか分かるか?」


「ミリアルドが乗っていた可能性が高かったから、一人だけど追跡がついてる。行き先がはっきりしたら一度報告に戻ってくると思うけど――」


 と獣人の男が、中年の男に顔を向ける。


「まだ戻ってないな」


 中年の男は首を振った。


「なんだ、まだ戻ってないとか、あいつ使えねえな」


 獣人の男が呆れたように肩を竦めると、中年の男が眉を吊り上げた。


「使えねーのはテメエだボケッ。ビビってねーで、さっさとセフィーナを追えよ!」


 突然、怒鳴られて怯んだ獣人の男だったが、すぐに負けじと言い返す。


「いやっすよ! 大体【聴覚探知】なら大丈夫ってのもアンタの予想でしょ⁉︎ 見つかったら終わりなんすよ! 命賭けんのはこっちなのに勝手なこと言わないでくださいよ!」


 ぎゃあぎゃあと言い争いを始めた二人を尻目に、継人とフリードは深刻な顔をしていた。


「……もし、ルーリエがミリアルドと一緒にいたらどうなると思う?」


「……巻き添えになる可能性が非常に高いと言わざるを得ません」


 自分と代わり映えしない答えを聞いて、継人が黙って考え込む。


「どうします?」


 尋ねたフリードに、継人は即座に答えを出した。


「二手に分かれよう。あんたはここで馬車を追跡した奴が戻るのを待ってくれ」


「貴方は?」


 フリードが当然尋ねるが、


「俺は“別の奴”から辿ってみる」


 継人はそれだけ答えると、一人その場から離れていった。


 *


 ロゾリークを南下した聖道を一台の馬車が進んでいた。

 大きく黒塗りの客車を引いた二頭立ての馬車である。

 整備された道のおかげか、馬車の内部は揺れも少ない。


 そんな車中、バユーは緊張した面持ちで備え付けの長椅子に座っていた。

 彼の両サイドには怯えた様子のカイルとヴィータが縋りついている。

 その横に、ちょんと腰掛けたルーリエだけが、いつもと変わらず無表情だ。だが、その口はもしゃもしゃと忙しく動いていた。ミリアルドから貰ったお菓子を食べているのである。毒を盛られる可能性については考えてすらいない。この場に継人がいたら説教の一つでも始めるだろう。


「――というわけでね。気に障った者は皆殺し。立ち塞がった者も皆殺し。もはや目に入っただけでも殺されるかもしれない。『三大兇紅』の中でもセフィーナという女は、そんな恐ろしい相手なのさ!」


 奴隷運搬にも使われる馬車であるため、それなりにゆとりのある車中で、ミリアルドは大袈裟な身振り手振りで、商会で起こったこと、敵であるセフィーナのことを語って聞かせていた。その隣には玉のように太った背の低い男が控え、馬車の後部では極端に痩せた背の高い男が窓から背後を警戒している。あとは、御者席に男が一人座っているのみだった。


「さらに、それだけじゃない。なんと、セフィーナは人間を食べちゃうのさッ!」


 まるで脅かすように両手を振り上げたミリアルドに、幼子二人は本気で泣き出す。バユーは二人をあやしながら「やめろよ!」と怒り、ミリアルドは「ははは、恐いだろう?」と笑っていた。

 一方、


「ふむ、ふむ」


 と相槌を打ってはいるが、ひょい、ぱく。ひょい、ぱく。とお菓子を次々に口に運んでいるルーリエは、本当に話を聞いているかは怪しい。

 野菜を揚げて作られたこのお菓子はルーリエの中にクリティカルヒットしていた。


「はは、気に入ってもらえたようでなによりだよ。もっと食べるかい?」


「む、ぜひ」


「食うなよっ。毒でも入れられてたらどうするんだよ!」


 我慢できなくなったのか、バユーが継人の代わりに説教を始めた。


「心外だなー。そんな酷いことするわけないだろう?」


「人攫いの言うことなんか信用できるか!」


「誤解だってバユー君。誘拐は俺とは関係ない奴の仕業だって何度も言ったじゃないか。俺は困ってた君に金を貸してあげただけさ。それをまったく、傷つくなー」


 いけしゃあしゃあと言ってのけたミリアルドに、バユーは歯ぎしりした。


「ふざけるなよ! 大体、ぼくたちをどうするつもりだ!」


「別にどうもしないさ。凶悪な通り魔が現れたから、一緒に連れて逃げてあげただけじゃないか。こういう時こそ、お互い過去の不幸は水に流して、手を取り合うべきだと思わないかい?」


 お互いとは言ったが、流すべき不幸を負ったのはルーリエたちの側だけである。

 それを分かっているバユーは憤懣やるかたなしと言い返すのだが、弱冠十二歳の少年は熟練の商人の前に容易く言い包められ、ぎゃあぎゃあと喚くだけになっていた。幼子二人は、そんなバユーに縋りつき、ルーリエは変わらずお菓子を貪っていた。


「まったく悲しいことだ。こんなに言っても分かり合えないなんて。【スコッパー】殿はどうだろう? 部下が手違いで失礼を働いてしまったようだが、このとおり謝罪する。許してはもらえないだろうか?」


 ミリアルドはルーリエに頭を下げた。ルーリエはそれを見ながらもむもむ口を動かす。「騙されるなよっ」と横からバユーが言った。その顔を見ながらまたお菓子を口に運んだ。ミリアルドが頭を下げながら、スッとお菓子の袋をもう一袋差し出した。


「……もうわるいことしないならゆるす」


「もちろんだとも」


 ミリアルドが爽やかな笑みを浮かべると、「嘘つけ!」とバユーが噛みついた。


「ああ、そうだ。これを返し忘れていたね」


 そう言ってミリアルドはルーリエのタグを差し出す。今の今までタグが無いことにすら気づいてなかったルーリエは、タグに魔力を通すと、バユーたちに向かって胸を張ってみせた。

 ピッとタグを示して、ネームウィンドウを見てほしいとアピールする。

 なんだよ、と思いつつもバユーはネームウィンドウを開く。そして、目を見開いた。

 スコッパーってなんだろうと密かに思っていたバユーは、やっとその答えを知る。


「称号……?」


 唖然と言ったバユーに、ルーリエはずばりと頷く。

 晴天の聖道、劍の山脈を左手に仰ぎながら、馬車は一路南へ進む。

 もう魔鉱都市ベルグは迫りつつあった。


 *


 継人はフリードと別れると、商会敷地から出るのではなく、本館正面口のほうにやって来た。

 ここはランザが現れ、セフィーナが現れ、そして、ランザが魔法を使って逃走した、その場所である。

 継人は足元――地面をジッと見つめる。あのとき、ランザが《雷化転身》を使った際、継人以外は誰も気づいていなかったが、ランザの魔力が地面に向かって伸びていた。

 その魔力が伸びていた先を改めて確認すると、そこは溝だった。一目ただの石造りの排水溝にしか見えないが、


「…………」


 溝の底になにやら金属の棒が通っていた。

 全く用途不明の代物だが、無意味な物をわざわざ設置するはずはない。金属をこのように加工して溝に通すだけで、それなり以上の金がかかるはずである。

 継人は溝に沿って歩いた。

 溝は商会の正門から外まで続き、そこから街の排水溝と連結していた。

 そこまで行っても溝の底の用途不明な金属の棒は未だ延びて、さらに先まで続いている。

《雷化転身》という魔法は、雷の速度で移動する魔法であるらしい。

 例えば、この棒にその雷を流したらどうだろうか。

 電線のような働きをするのではないだろうか。

 溝に沿って歩いていた継人は、いつの間にかロゾリークの中央通りを抜け、街の入口付近まで来ていた。そこまで来ると、フリードらが「聖道」と呼んでいた大きな街道に突き当たった。


「ん?」


 溝の中を通っていた金属の棒は、そこで途切れていた。

 いや、正確に言うと、棒は聖道の下にめり込むように埋まり完全に見えなくなっていた。

 これでは棒の向かう先が分からない。だからと言って聖道の石畳を剥がして確認するわけにもいかないだろう。

 どうしたものかとしばし考え、継人はあることを思いつき【真理の魔眼】を発動した。

 ランザが棒に伸ばしていた魔力が残っていないかと考えたのだ。

 金属の棒からは僅かに、しかし確かに、白い靄がゆらゆらと立ち昇っていた。

 ランザの魔力は白かった。まず彼の魔力と見て間違いないだろう。

 そのまま金属の棒が潜り込んだ聖道に視線を移す。

 すると石畳の道の小さな隙間から白い靄が僅かに漏れ出て、世界を満たす水の中に溶けていく様子が確認できた。

 聖道は南北に延びている。漏れ出た白い靄は聖道上を南に向かって続いていた。念のため北にも眼を向けてみるが、そちらには何も見えなかった。


「決まりだな」


 継人は魔眼を解除すると道の脇に目を向けた。そこには閑散とした様子の馬車の預かり所があった。唯一停まっているのが、継人たちが乗ってきた馬車だ。

 継人は、待っていた御者に声をかけると、馬車に乗り込み出発させた。

 向かうは南。魔鉱都市ベルグ。


 このとき、継人は町外れから上がっている赤い狼煙に気づいていなかった。

 セフィーナを追跡していた冒険者が上げた赤い狼煙の意味は「南」。

 死の化身は、継人よりも早く南へと進んでいた。

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