第12話 逃走
掘り進めた壁の向こう。そこは木製の棚が立ち並ぶ倉庫のような部屋だった。
バユーは部屋に侵入するなり、迷わず一つの棚の前に行き、そこから『本館・十一』と書かれた小さな木箱を手に取った。十一とはバユーたちがいた部屋の部屋番号。箱の中にあったのはバユーら三人のステータスタグである。ちなみに本館十一から二十番部屋は、裏部屋と呼称され、主に闇奴隷が使用する部屋である。部屋の扉には常に鍵がかけられ、この部屋の住人はタグも取り上げられてしまうため、逃げ出したら躊躇なく殺すという圧力が常にかけられることになる。
バユーはタグを回収すると、カイルとヴィータの首にかけ、自身もタグを装備すると、また別の棚に向かった。
その棚には武器が乱雑に並んでいた。数は多いが、種類は剣と槍がほとんどで、他にはクロスボウと警棒が少々あるくらいだ。これは商会の人間が使う備品である。この棚だけ他の棚と比べて妙に散らかっているのは、おそらく先ほどまで行き来していた人間が、慌てて武器を持っていったからだろう。
いざという時のことを考えて武器を物色し始めたバユーだが、武器を前にして男心が疼くのか、彼の尻尾は左右に激しく揺れていた。
カイルとヴィータは揺れる尻尾が面白いのか、捕まえようと遊んでいる。
「……さいきょうのぶきはスコップ」
バユーの横から、ヒョコッと顔を出したルーリエが口を挟んだ。
「スコップって……武器か? まあ、どっちにしてもここには無いと思うけど」
「む。それなら、剣。剣もすごい」
ルーリエが薦めたからというわけではないが、バユーはロングソードを手に取った。
刃の状態を確認しようと、やや気取ったポーズで剣を鞘からスラリ――と抜こうとしたが、剣が長すぎて一息では抜けずにあたふたする。そんな彼の様子を子供たちは不思議そうに見ていた。
「……おほん」
バユーは咳払いでごまかすと、ロングソードを置き、代わりにショートソードを掴む。
刃を確認して問題がなかったのでベルトに通して背中に背負った。
「よし。今度はこっちだ」
部屋の奥から、バユーの指示通りにまたルーリエが壁を掘る。
今度、穴が繋がった場所は廊下だった。
穴から顔を出し、人がいないことを確認した四人は、コソコソと廊下を進んでいく。
窓からの光だけではなく、魔道具まで使って明るく照らされた廊下を抜け、角を曲がり、階段を下りた。そのまま突き当たりまで進んだところで一旦周囲を確認し、
「ここ、頼む」
小声のバユーの指示に従い、もう一度壁に穴を掘る。
すると、そこはもう外だった。
管理された針葉樹が等間隔に並んだその場所は、未だミリアルド商会の敷地内ではあるが、滅多に人が来る場所ではなく、何者の気配もしない。
「こっちだ」
バユーの足取りに迷いはない。
雑草刈りや害虫の駆除など、商会の人間が面倒がる仕事を何度も手伝わされたので馴染み深い場所なのだ。
バユーの先導に従い進むと、すぐに開けた場所に辿り着いた。
「ここは裏口なんだ。普段はあんまり使われてないみたいだけど、このとおり馬車もある。これに乗って逃げよう」
相変わらず続いている轟音は、その発生場所が少しずつ変化しているようだが、概ね正面口のほうから聞こえてくる。反対側の裏口からなら目立たずに逃げられるだろう。
四人は馬車に駆け寄った。
馬小屋から馬を連れてきて馬車に繋がなければならないが、それより先に幼子たちを馬車の中で待機させておこう。そう思い、バユーは馬車の扉を開き――――固まった。
「……これはこれは。こんなときに面白い客が来たもんだ」
扉の向こう。呆れたように苦笑したのは、仕立ての良い細身の服で身を包んだ金髪の美丈夫。
「それとも、こんなときだからこそと言うべきかな? 裏口から逃走とは、考えることは皆同じだな」
馬車の中には先客――ミリアルドが乗っていた。
*
予期せぬミリアルドの登場に驚き、その場から飛び退いたバユーの前に、馬車の中から一人の男が歩み出た。
ミリアルドではない。馬車の中にはミリアルド以外にもう一人、男が乗っていたのだ。
背は小さいが玉のように太った男だった。それでも鈍重そうには全く見えず、戦闘を生業にする者だけが持つ危なげな空気を漂わせている。
思わず、背中の剣に手を伸ばしたバユーだったが、目の前の男がミリアルド商会が雇っている凄腕の用心棒だと知っている彼の手は、小刻みに震えていた。
そこに折り悪く、まるで挟み撃ちにするように、さらに背後から二人の男が現れた。
「――げ」
と、嫌そうに声を漏らしたのはバユーではなく、現れた男の片割れ。馬を引いた男が、子供たちのほうを見て顔を引き攣らせていた。
ルーリエにとっては見覚えのある相手だった。なにせ彼女を誘拐した四人の内の一人だったのである。
誘拐犯と連れ立って現れたもう一人は、極端に痩せた背の高い男だ。この男は太った男同様、見るからに危険なオーラを纏っていた。
痩せすぎな男は、ルーリエたちの姿を確認するなり、顔色一つ変えずに武器を抜く。
抜かれてキラリと陽光を反射したのは、彼自身の手脚のようにスラリと細長い鉄の鉤爪だった。
「む」
ルーリエがスコップを握り、応戦の構えを見せた。
そこに、
「まあ待て」
馬車から降りてきたミリアルドが男たちを制する。
「【スコッパー】殿。お互いに少々不幸な行き違いがあったようだ。良ければ中で話をしないか?」
「旦那」
太った男が若干咎めるように言ったが、ミリアルドは取り合わない。
ルーリエへと向いたままさらに続けた。
「事情を理解しているか分からないが、今は争っている場合ではないんだ」
そこにまた轟音が響いた。
気のせいか、先ほどまでよりも音の発生源が近づいている。
「君たちにも私たちにも共通の危機が迫っている。話を聞いてもらえれば、その意味が分かるだろう。もちろん、手荒な真似はしないと約束しよう。どうだい? 少なくとも、そんな小さな子供を庇いながら戦うよりかは、よっぽど賢い選択だと思うが?」
「むぅ」
唸ったルーリエは、バユーに縋りつくカイルとヴィータを見る。
そのまましばらく「むむむ」と考え、やがて構えていたスコップを下ろした。
「賢明だね。さあ、乗りたまえ」
そう言って笑ったミリアルドに続いて、ルーリエたちも馬車に乗り込んでいった。
*
晴天広がる昼の街道。
自然の中に築かれた石畳の道は聖道と呼ばれていた。
ロゾリークとベルグという大きな都市を繋ぐ道の途中でありながら、今は人の姿もなく、鳥たちが餌を求めて呑気に歩き回っていた。
そんな穏やかな景色の中に、パリッと一つ乾いた音が鳴ったかと思うと、突如として紫電が溢れ、迸った。
バリィィィィ、と空気を裂く音が弾け、鳥たちが一斉に飛び立つ。
雲一つない空を見れば、およそあり得ない光景。だが、それもそのはず。紫電は空からではなく、大地から溢れていた。聖道を形作る石の隙間から紫電の筋が溢れ出る。一本。二本。三本。どんどん増える紫電の筋は、うねりながら不規則に形を変え、やがてそれは眩い雷光を放ちながら人の姿を型取るように収束していく。
「――ふう」
光が収まり、すっかり鳥たちもいなくなった聖道には、一人の男が立っていた。
ランザである。
聖道の上に現れたランザは、一度周囲を確認するように首を巡らせる。しかしそこで、ふらりと姿勢を崩したかと思うと、踏ん張りきれずに石畳に片膝をついた。その拍子にポタポタと地面に血が落ちる。
つー、と流れる鼻血を拭ったランザは、
「だからこれを使うのは嫌なんだ」
と力なくボヤいた。
腰の後ろに手を回し、ポーションを取り出すと赤い蓋を開けた。するとポーションの容器から僅かに煙が上がる。眉をしかめたランザが金属製の試験管のような容器を傾けると、中からはドロリとしたゼリー状の物体がこぼれ落ちた。ポーションは本来液体であり、こんなゼリー状の物体ではない。
ランザは一つ舌打ちすると、そのままポーションを投げ捨てた。
続いて手持ちのポーションを取り出し全て確認していくが、
「――やはり全滅か」
うんざりした表情で瞑目した。
ランザがセフィーナから逃げるために使用した魔法――《雷化転身》は非常に高度な魔法である。ランザの【魔法術理】のレベルでは、本来使いこなせるものではなかった。
《雷化転身》のプロセスは、まず自分の体と持ち物を雷に変化させ、雷の状態で移動し、移動後に再び雷から自身を変換し直して再構築する、といったものだ。
ランザは自身を雷化させることは完璧に行えたが、移動と再構築には問題を抱えていた。移動に関しては事前に“道”を用意することで実用レベルにまで達したのだが、再構築には大いに問題が残っており、その結果が再構築に失敗した肉体のダメージであり、不良品と化したポーションである。
しかし、そんな不完全な魔法でも、あの窮地を脱するためには使うしかなかったのだ。
「思えば、無茶をしたものだ」
冒険者時代を振り返っても、これほどの危険を冒したことはなかった。
世界最強とも謳われるレッドネーム『三大兇紅』を相手に、目一杯時間稼ぎをした上で逃げ切ったのだ。まさに人生最大の戦果と言って良い。
だが、
「……まさか俺が命賭けで戦うなど……、我ながら信じられんな」
ランザは自嘲まじりに呟いた。
そんな彼の表情には呆れ、後悔、怒り、諦め、色んなものが過ぎり、消えていく。しかし最後には、フッと小さく笑うと、
「悪い気はしないな」
そう言って顔を上げた。
そのまま目を覚ますように頭を振ると、立ち上がり前を向く。
「偶にはMP切れから見えることもあるか」
MPが切れると一般的には精神が弱った状態になると言われている。そうなると思い出さなくてもいいことまで思い出してしまうくらいには、ランザも齢を重ねている。
ステータスを確認するとMPはもちろん、HPもギリギリ三桁といった具合だ。危険水域一歩手前と言っていい。
しかし、回復したくともポーションは全て廃棄物と化した。
「ここらでミリアルドが拾ってくれると有り難いんだが……」
北に目を向けるが聖道には誰の姿も確認できない。
ランザがセフィーナ相手に稼いだ時間を考えれば、ミリアルドは余裕を持って逃げ切れたはずだが、今どの辺りまで来ているかは見当がつかない。《雷化転身》の速度を考えれば、途中でミリアルドを追い抜いたことは間違いないだろうが。
「待つか、進むか」
二度と会いたくないとは言ってみたが、それでセフィーナが見逃してくれるとは思えない。
結局聞き出すことはできなかったが、なんらかの目的があってミリアルドを捜していることは間違いない。
問題は早めに逃げたはずのミリアルドが、セフィーナの目的が自分だと気づいているかどうかだ。
もし気づいていないなら、早めに合流して狙われている事実を知らせなければならないが……。
「……いや」
ランザは首を振ると南を向いた。
視線の先は、劍の山脈が途切れる大陸の最南端。そびえ立つ棘状の山が幾重にも重なり連なった山脈の麓に魔鉱都市ベルグの輪郭が確認できる。
ミリアルドとは事前にベルグで落ち合う旨を確認している。たとえセフィーナが追って来たとしても、自分やミリアルドがベルグに着くほうが早いだろう。だったらここで待つより、先に進んだほうが、自分が事前に色々と動ける分、効率的だ。
「やることは多いな」
ランザはふらつく体に鞭打ちながら、南へと歩き出した。




