第4話 地球ではない
広場の端からは下り階段が延びていた。
道幅二メートルほどの下り坂に、不揃いな形をした石を敷き詰めて、一段がたたみ一畳程度のゆったりとした間隔になるように造られた階段だ。
階段を、石の採掘を終えて帰路につく人々が下っていく。
その中には継人の姿もあった。
左右を木々に囲まれて、頭上にもその枝葉が覆われている山道は若干薄暗い。
これが昼間ならば、枝葉の隙間から木漏れ日が心地よく射してくるのかもしれないが、残念ながら今はもう日も傾きかけている時間だ。枝葉から漏れ入る日の光は弱く、やや肌寒いくらいだった。
(……そういえば少し冷えるか?)
継人は半袖から剥き出しになった腕をさする。
日本は初夏だったはずだが、ここは違うのだろうか。
凍えるには程遠いが、日が完全に落ちれば半袖では少しつらいかもしれない。
そんなことを考えながら十分ほど階段を下っていると、だんだんと下りの傾斜が緩くなり、ついには足元の階段が途絶えた。
そこまで来ると木々は完全に開け、その先には街が広がっているのが見えた。
SSS
そこは綺麗な街だった。
不揃いな石を重ねて出来た階段とは違い、均一な煉瓦で舗装された石畳に、壁を漆喰で仕上げた二階建て、三階建ての建築物が並んでいた。
しかし、やはりと言うべきか、その町並みはどこか古臭く、現代的な匂いが全く感じられなかった。
(確か、まっすぐ進んで、大通りに差し掛かる直前の左手側……だったな)
継人は露店商に教えられた情報を思い出しながら、言われたとおりに脇道にも入らず、まっすぐに歩を進めた。
そのまま歩き続けていると、まもなく人通りの多い道に突き当たった。
それは進んできた道と交差する形で左右に延びた、大きな通りだった。
(これが言ってた大通りか?)
継人は店舗などが多く建ち並び、人々が賑やかに行き交う大通りを見渡した。
(たぶん間違ってないと思うけど、目的の宿は大通りに差し掛かる直前って言ってたし、既に通りすぎてるってことだよな……?)
だとしたら少し道を戻らなければならない。
そう考え、継人がもと来た道を振り返った瞬間だった――
ただ何となく、
とても自然に、
それは視界に入った。
自らが進んできた道を戻った先――。
下ってきた階段を上り直したさらに先――。
先ほどの洞窟さえも飛び越えたさらにさらに先に――――それはあった。
それは山だった。
いや、継人の常識では山というのは三角形に近い形をしている。それが山だ。
だったらそれは山ではない。
山ではなく、それは棘だった。
地面から空に向かって伸びた――そう、つららを逆さにしたような、それは棘だった。
ただし、そのスケールが棘などと呼ぶことを決して許さない。
それは森から突き出て、雲を貫き、天にまで伸びていた。
その雄大さは、やはり山と言う他なかった。
継人はその有り得ない形状の山を見上げながら、開いた口が塞がらなかった。
ただただ唖然とした。
そして、自らの常識の中では絶対に有り得るはずのない光景を前にして、今まで全て保留としてきた数々の不可解な現象への疑問が頭の中で一気に爆発した。
日本という国で、十七年かけて培ってきた知識も経験も全てが吹き飛び、キレイな更地となった爆心地には答えが一つしか転がっていなかった。
――――ここは地球ではなかった。
SSS
街はガヤガヤと騒がしい。
いそいそと店じまいをする商店の店主。そこにちょっと待ってくれと駆け込み、急いで買い物を済ませる中年男。ペチャクチャと話しながらも足早に帰路につく女達。
それらの喧騒を包み込むように、カラーン、カラーン、と金属を叩く澄んだ音が街中に響いた。
不快な音ではない。むしろそれは穏やかな音色と言えた。
その音色に揺り起こされるように、継人の意識は現実へと戻ってきた。
まだよく働かない頭で、ぼんやりと周りに目をやると、そこには夕日に染まる街の景色があり、それと同じく茜色に染まった棘状の山が、堂々と天に向かってそびえ立っているのが見えた。
(現実……これが現実? ……現実ってなんだっけ?)
そんな風に現実逃避しながらも、このまま日が暮れることを恐れ、露店商に教わった宿を目線だけで探し始めている継人は、程々には冷静であると言えた。
彼が冷静でいられたのは、ここが地球ではないという可能性が、これまで一度も頭をよぎらなかったわけではなかったからだ。しかし、今までは荒唐無稽すぎるその考えを無意識に排除していたのだ。
宿を探して視線と足をさまよわせること、一、二分ほど。
――竜の巣穴亭。
大通りから十メートルほど戻った場所に、目的の建物を見つけた。
その外壁に固定された金属製の看板に刻まれた――どこかカタカナに似ているが決して見覚えのない――文字を、継人は当たり前のように読み上げることができた。どうやら言葉だけでなく、文字まで理解できるらしい。
(宇宙人に脳みそ改造されて、別の星に放り出されたとか……? いや、魔力鉱石なんて物があるんだし、魔法的な力でファンタジー世界に来たってことも……)
看板の前で固まってつらつらと考えていたら、いつの間にか周りは夕闇に呑まれ始めていた。
継人は一旦思考を中断し、建物の扉に手をかけて竜の巣穴亭へと足を踏み入れた。
扉をくぐると正面の奥にカウンターらしきものがあった。そして右手に見えるのは食堂だろう。料理が並べられたテーブルがいくつもあり、屈強と呼んでいい男達が騒がしく食事を楽しんでいた。
継人は旨そうな匂いが鼻をくすぐるのを振り切り、まっすぐに正面のカウンターと思われる場所へ向かう。
「…………」
そこに待っていた人物は、継人の予想とはかけ離れた姿をしていた。
別に美人の受付を期待していたわけではない。それでも慇懃な老人や恰幅の良い中年ぐらいが出てくるものだと思って、継人はカウンターに近づいたのだ。
だというのに待っていたのはそのどちらでもない。
そこにいたのは巨人と見紛う大男だった。
明らかに二メートルを超える身長。ただでさえ大きい体躯は分厚い筋肉に覆われ、身に着けた白いシャツがはち切れんばかりになっている。そして、極めつけは綺麗に剃り上げられたスキンヘッドと、その下に光る鋭過ぎる目だ。
殺し屋だってそこまで鋭くないだろうという視線が継人に向けられていた。
(なんだ、この嘘みたいに厳ついオッサンは……)
入る店を間違えたのだろうか、と反射的に思った。
しかし、そんなはずはない。何度も看板を確認したのだ。
まさか露店商に騙されたのでは、と頭をよぎる。
継人は驚きながらも、いつまでも黙って突っ立っているわけにはいかないので、宿の店主だと思われるその大男に用件を伝える。
「一泊頼みたい。部屋は空いてるか?」
「……個室のみ。食堂を使うのは許可しない。……それでもいいなら銀貨五枚だ」
どうやら宿屋で間違いなさそうである。
疑って悪かったな、と継人は心の中で露店商に謝罪した。
個室は元々そのつもりだったので問題ない。というより個室以外があるのか、といった感想だった。
食堂に関しては一見さんお断りということなのだろうか? よく分からないが、干し肉を買ってあるのでそちらも問題はない。継人は大銀貨を店主に手渡した。
釣りの銀貨を受け取り、厳つい店主に案内されて部屋へと向かう。
石造りの階段を三階まで上り、階段から見てすぐ手前にあった部屋に案内された。
「これが鍵。こっちは明かりと湯だ」
店主にそう言われて手渡されたのは、棒の先に突起がついたシンプルな鍵と、単二電池を倍の長さにしたくらいの銀色に輝く金属の筒二本だった。
(鍵はともかく、こっちはなんだ?)
継人は金属の筒を見ながら眉をひそめる。
聞き間違いでなければ『明かり』と『湯』だと言われた気がするが意味が分からない。どう見たってただの金属の筒である。
「――これはなんだ?」
考えても分かりそうもなかったので素直に尋ねた継人だったが、彼の質問を聞き今度は店主が眉をひそめた。
何を言っているんだこのガキは、とでも言いたげな顔をしている。
その反応を見て、どうやらこの金属の筒は知っていて当然な、常識的代物らしいと継人は気づいたが、彼は自分が客だということもあり、開き直って目線だけで店主に説明を促した。
すると店主は継人の手から筒を奪うと部屋に入っていき、テーブルの上にあった三十センチほどの提灯型のオブジェの頭に筒を挿し込んだ。
その瞬間、パッとオブジェに光が灯る。
なるほど確かに明かりだな、と継人は思った。
どうやらその筒は電池か何かのようだ。
「――湯のほうも同じだ。風呂釜に水を溜めてから“魔石”を挿せば湯になる。止めるときはそのまま抜けばいい」
店主が魔石と呼んだ金属の筒をオブジェから引き抜くと明かりが消えた。
どう見ても石には見えないが、と継人が筒を振ると、中からシャカシャカと音が聞こえた。どうやら金属の筒の中に何かが入っているらしい。それが石なのかもしれない。
「なるほど、分かった」
「チェックアウトは正午の鐘が鳴り終わるまでだ。それを過ぎれば追加料金を貰う」
そう言い残すと店主は部屋から去っていった。
「――……ふぅ」
店主が去ると、継人は部屋に鍵をかけ、ベッドに飛び込み一息ついた。
今日は継人の人生の中で、もっとも激動の一日だった。
下校中に事故で死に、死んだはずが洞窟にいて、洞窟を出てみれば地球じゃなかった。
何が起こっているのか、これからどうなっていくのか、地球に帰ることができるのか、まだ何も分からない。
それでも――
「生きてる」
拳をグッと握りしめ、パッと力を抜く。
白くなった手のひらに血が流れて赤く色付いた。
そのことに何よりホッとした。
ここがどこだろうが、何が起こっていようが、生きているのだ、間違いなく。
継人はもう一度深く息をつくと、ベッドに体を沈み込ませた。
そのまましばし心地よい感触を楽しんでいたが、彼自身も気づかない疲労がたまっていたのか、いつしかその意識まで柔らかいベッドに沈んでいった。