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第11話 バユー

 犬人族の少年バユーはミリアルド商会に囚われた闇奴隷である。

 彼が故郷の村から攫われてきて、はや百日あまりの時間が経過している。

 その間に十二の齢を迎えることとなった彼は、自身が置かれた状況をほぼ正確に把握していたが、だからと言って逃げ出すでもなく現状を受け入れていた。


 元来、犬人族は忠誠心が高い種族であり、多少理不尽な状況に置かれても、一度受け入れてしまえば順応しやすいという特徴を持っている。

 そういう特徴から奴隷を扱う者からは特に好まれる犬人族だか、そんな種族だからバユーは素直に現状に甘んじている――わけではない。


 ミリアルド商会には奴隷用の部屋が数多く存在する。

 その中でバユーに割り当てられた部屋には、彼以外にも二人の子供が生活していた。

 二人はバユーよりもさらに小さく、その年齢はともに六歳。人間族の男の子と女の子である。

 彼らの世話をバユーは奴隷商から命じられていた。


 バユーは逃げようと思えばミリアルド商会から逃げられると思っている。何時でもというわけにはいかないが、逃げ出すチャンスは現実として今までいくらでもあった。逃げてもタグに刻まれた奴隷の文字が消えるわけではないので根本的な解決にはならないが、それでも逃げて故郷の村に辿り着くことはできる。

 だが、それは彼一人でならという話だ。

 もし自分が居なくなったら、残された幼い子供二人はどうなってしまうのか。それを考えると、逃げ出すチャンスが巡ってきてもバユーの脚は一歩も動かなかった。

 つまり、バユーは善良な少年だからこそ、今もこの場所に縛られているのである。


「にーちゃ、もこもこっ」


「しろいのふわふわー」


 バユーの気も知らず、部屋の中で二人の幼子が楽しげに笑っていた。

 男の子がカイル。女の子がヴィータ。

 二人とも奴隷になったことをあまり理解していない。元々住んでいた町や村の名前も分からないようで、そうなると奴隷から解放されたところで親元に帰ることができるのかもあやしい。

 二人のこれから。自分の未来。考えただけでバユーは暗い気持ちになるのを止められない。

 そして、そんな憐れな十二歳の少年の前に、現在新たな問題が転がっていた。


 白いもこもこの髪。くりんと巻かれた角。まだ十歳にも満たないとおぼしき少女がロープでぐるぐる巻きにされて床に転がっていた。よほど神経が太いのか、ここに来る途中、この部屋に投げ込まれた際、そして今、まったく目を覚ますことなく呑気な寝息を立て続けている。

 奴隷商からは何も言われなかったが、同じ部屋にされたということは、この少女の面倒も見ろということなのだろうか。バユーはますます表情を暗くする。


「やっぱりあいつら馬鹿だ。こんな小さい子供なんて大した働き手にならないのに……」


 事実、今日も自分たちは売れずに返品されたのだ。

 きっと、この少女も同じようになるに違いない。

 そうなると食事代だ部屋代だと借金が膨らんでいき、さらに奴隷の期間が上積みされていくのだ。

 はあ、とため息をつくと、バユーは暗い表情のまま、とりあえず少女の縄を解いてあげようと手を伸ばした。

 しかし、ミノムシも斯くやとばかりに過剰に巻かれた縄は思いのほか固い。

 悪戦苦闘するバユーをよそに、幼児二人は楽しそうに少女の巻き毛をいじって遊んでいた。


「…………む」


 しばらく縄と格闘していると、さすがの少女も目を覚ましたのか、ぼんやりと目が開いた。


「起きたのか」


 とバユーが声をかける。

 声に反応してバユーに視線を向けた少女は、そのままバユーを見つめ――


「すぴー」


「おい」


 思わずつっこんだバユーに、少女の目がまた薄っすら開く。


「……む、だれ?」


「ぼくはバユー。とりあえずその縄解くから待ってて」


 バユーの言葉で、少女は初めて自分が縛られていることに気づいた。


「むむ」


 起き上がろうとしたが失敗してぽてりと転ぶ。

 そのままなんとか縄から抜け出そうと踠き、芋虫のように床を這い回る。

 カイルとヴィータは何が楽しいのか、その横にキャッキャとついて歩いていた。


「……だからぼくが解くから」


 バユーが疲れたように言うと、少女がぴたりと動きを止めた。

 横を歩いていた幼子二人は、動きを止めた少女を見て、まだまだ物足りなそうな顔を見せる。

 バユーは今一度少女に歩み寄り、縄に手を伸ばした。

 だが、バユーが縄を掴むよりも早く、少女を簀巻きにしていた縄が突然パッと消え去った。


「え――⁉︎」


 驚くバユーと、目を丸くしたカイル。ヴィータだけは楽しげに手を叩いて喜んでいた。

 縄が消え、自由になった少女はスクッと起き上がると、万歳と両手を挙げる。


「かった」


 何に対して勝ったのかは分からないが、とにかく少女は勝ち誇った。


「…………お前、いったいなんなんだよ?」


 愕然と呟いたバユーに対して、


「わたしはルーリエ。ちょうすごい【スコッパー】」


 ルーリエはドヤ顔で言い放った。


 *


「へえー。これが【アイテムボックス】なのかぁ」


 バユーが感心したように声を弾ませた。

 彼の目の前では、ルーリエが部屋のベッドやテーブルを【アイテムボックス】に出し入れしながら、その性能を実践して見せていた。

 カイルとヴィータは文字通り跳び上がって興奮している。


「でも、そんな凄いもの、よくあいつらに奪られなかったな」


「む、あいつら?」


 ルーリエが二段ベッドをテーブルの上に出現させる荒技を披露しながら、首を傾げる。

 バユーは、喜んでベッドに登り始めたヴィータを、後ろからひょいと抱えると、


「ミリアルドたちに決まってるだろ。お前をここに連れてきた奴らだよ」


 その言葉に、ルーリエは記憶を辿り、改めて狭い部屋の中を見渡した。


「…………どこ?」


 今さらな質問を飛ばしたルーリエに、バユーは呆れた顔を見せながらも現状を説明していく。

 ミリアルド商会に攫われたこと。ミリアルド商会は他人を無理矢理奴隷にする闇奴隷商であること。ここはミリアルド商会本拠地にある奴隷用の部屋で、扉には鍵がかけられているため脱出は困難なこと。

 一つ一つ、黙って説明を聞いていたルーリエはやがて、


「……たいへん」


 ぽつりとこぼした。

 ぼんやりとした半眼で、表情を変えないままのルーリエの言葉は、本当に話を理解できているのかバユーを大いに不安にさせたが、彼がさらに言葉を続けるよりも先に、それは起こった。

 突然、何の前触れもなく、ルーリエら四人がいる部屋に信じられないほどの轟音が響いたのだ。

 子供ら三人からすれば、人生において一度も聞いたことがないレベルの大音量。

 唯一ルーリエだけが岩を蹴散らすサイクロプスの巨影を思い出せたくらいだ。

 部屋が揺れ、天井から細かな欠片がパラパラと降る。


「なんだ……っ⁉︎」


 バユーは警戒したが、揺れはすぐに収まった。

 同時に部屋の外が慌ただしくなる。


「おい! 今の音は何だよっ!」


 バユーは扉の外でバタバタと響く足音に向かって声を張り上げたが返事は来ない。

 そのまま扉に近づき、なおも「おーい!」と叫びながら鍵がかかった扉をバンバンと叩く。やがて「大人しくしていろッ‼︎」という言葉とともに、外から扉を蹴ったような音と衝撃が返ってきたが、その声の主もすぐに部屋の前から走り去っていったのが足音から分かった。

 最初ほどの大音量ではないが、断続的に岩を砕くような音が続いている。その中には時折悲鳴のようなものまで混じっていた。部屋のすぐ近くから聞こえてくるわけではないが、それほど遠くもない。同じ建物内に音の発生源があるのは明らかだった。


「にーちゃん……」


「にーちゃ……」


 カイルとヴィータは不安げにバユーの脚に縋りついた。


「大丈夫だからな」


 とバユーは幼子二人の頭を撫でる。

 しかし、大丈夫とは言ってみたもののバユーとて不安である。

 何が起こっているのか、皆目見当もつかない。

 そんな彼らをよそに、ルーリエはぼんやりと虚空を見つめていた。

 時折、その耳だけがぴくぴくと動く。


「むむ」


「……どうしたんだよ?」


 バユーが尋ねると、ルーリエは虚空を見つめたまま、くりん、と首を傾げた。そして僅かな沈黙ののち、おもむろに右手を挙げると――ポンっと、その手にスコップを取り出した。


「……どうするんだよ、スコップなんか出して」


 バユーの疑問に対して、ルーリエは言葉ではなく、壁にスコップを振るうことで答えた。


「壁がスコップで――」


 掘れるわけないだろ。とバユーが言い終わるよりも先に、ルーリエは煉瓦造りの壁をサクサクと掘っていく。

 煉瓦の壁に全く抵抗を感じさせず突き立つスコップを見て、バユーは目を丸くし、幼子二人は目をキラキラと輝かせた。

 やがて五十センチ台の穴が部屋の扉の横に開いた。

 ルーリエは穴に手をかけ、頭を潜らせる。


「待て! お前どうする気だよ?」


 バユーの制止に一度振り向いたルーリエは、


「みてくる」


 とだけ答えて穴に頭から入っていく。


「待った、待った! ちょっと待ったあ!」


 慌てたバユーが穴に潜ったルーリエの腰を掴み、部屋に引きずり戻す。


「お前、自分の立場分かってるのか⁉︎ 見つかったらどうするつもりだよ!」


「……やっつけるからへいき」


「やっつけられて、ここに連れてこられた奴が何言ってるんだよ!」


 ベルグでのルーリエとランザの戦い。扉の覗き窓から見ていたのはヴィータである。そのヴィータを肩車して支えていたバユー自身は、直接戦いを見ていたわけではないが、それでも音で拾っていた限り、ルーリエが簡単に負けた印象しかなかった。

 故に、バユーなりに心配して彼女を止めているのだが、


「む。……でも、へいき。つぎはかつ。かてそうなきがする」


 当のルーリエは根拠なく言い放つと、まるで力をアピールするように、自信ありげにスコップをぶんぶん素振りして見せた。

 むしろ弱そうな羊の姿に、バユーは頭痛を堪えるように頭を抱える。


「にーちゃん、どうしたの?」


「にーちゃ……だいじょうぶ?」


 カイルとヴィータが心配げに声をかける。

 そこに、また轟音が響いた。

 依然変わらぬ破壊音。しかし、バユーはそこで、はたと気づく。

 破壊音とともに、部屋の外で慌ただしく鳴っていた足音と人の声が、いつの間にか全く聞こえなくなっていた。


「あれ……。これって、もしかして……、今ならみんなで逃げられる……?」


 突然降って湧いたチャンスに、しばし呆然としたバユーだったが、すぐに気を取り直す。

 そしてしばし黙考したのち、ガバッとルーリエの肩を掴んだ。


「お前、壁掘れるんだよな? ここ! ここ掘れるか⁉︎」


 バユーが指差したのは扉側から九十度ズレた真横の壁。

 その向こうに何があるのか、バユーが何をしたいのか、そんなことには何一つ考えが及ばなかったルーリエだったが、とにかく頼られていることだけは分かった。故に――


「ずばり、よゆう」


 ルーリエは力強く、こくり、と頷いたのだった。

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