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第10話 《雷化転身》

「ミリアルドはどこにいるの?」


 圧倒的なレベルを前にして、立ち尽くした継人の前で、女の声が響いた。

 自身よりも遥かに大柄なランザを、片手で軽々と持ち上げながら問うセフィーナの姿は、レベルという概念を理解していても異様に見える。


「あいつに……なんの用だ……?」


 ランザは苦痛に呻きながらも逆に聞き返す。

 突発的に襲われるならまだしも、名指しで狙われる理由が分からなかったからだ。

 しかし、


「ミリアルドはどこにいるの?」


 ランザの質問が聞こえていないのか、あるいは聞く気がないのか、セフィーナは同じ言葉を繰り返した。


「どいつもこいつも……他人の話を、聞かない、奴らだ」


 ランザは苦しげに口元を歪めて愚痴った。


「早く言ったほうが苦しくないよ?」


 言葉とともに、ランザの延髄を掴む手に、より一層の力が加わる。

 ググッと女の細い指が肉を食い破り血が滴り落ちた。


「まったく……だ。損な役回りで、嫌に……なる。だが……、そろそろ、お役御免だな……」


 苦鳴の中でランザがフッと笑みを浮かべた。

 自嘲ではない。つり上がった口元には、ある種の自信が見て取れた。


「できることなら……、もう二度と会いたくないものだな……『三大兇紅』よ」


 それはまるで捨て台詞のような言葉だった。

 この時点で、ランザの全身から大量の白い魔力が放出されていることを、継人の魔眼だけが捉えていた。


「《雷化転身》」


 ランザが唱えた瞬間――継人は軽い耳鳴りと頭痛に襲われた。

 継人が何かされたわけではない。ただ、ランザが唱えた「《雷化転身》」という言葉の中には、その短い文字列には到底そぐわない膨大な量の情報が込められており、それらの情報が全て翻訳されて継人の耳から脳へと伝わったことで、一瞬その処理機能がショートしたのだ。それはまるで数十人、数百人に同時に話しかけられたかのような負荷を継人に与えた。


 だがこの瞬間、継人はそんな負荷に目を回している暇など全く存在しなかった。


 それはまさに迅雷の激しさと速度をもって起こった。


 ランザが唱え終わると同時――彼の全身から紫電が迸った。

 バリィィィィッ、と空気をズタズタに引き裂く雷鳴が周囲に轟く。

 幾重もの稲妻の筋が蛇のようにのたうちながらランザの体に絡みつき、彼の全身を目も眩む雷光が呑み込んだ。

 そして――

 バンッ、と最後に一層大きな音を響かせると、雷光と雷鳴が収まり、そのときには事態の中心にいたはずのランザが、その場から忽然と姿を消していた。

 後には呆気に取られた継人とフリード、そしてランザを掲げた姿勢のままのセフィーナが残された。


「…………」


 雷に灼かれたのか、ぶすぶすと煙を上げる右手を不思議そうに見つめるセフィーナ。

 フリードは事態の把握に努めながらも、彼女に警戒の眼差しを送る。

 そのとき、継人だけが地面の一点を睨むように見つめていた。


「……雷化転身とは、驚きましたね」


 フリードがセフィーナから視線を外さないまま言った。


「……これは、何かのスキルなのか?」


 継人も地面から目を離し、セフィーナへと視線を移した。

 いつでも動けるように、体の力を少し抜き、やや半身に身構える。


「魔法です。上級魔法の一種。転移……に近いですが、雷の速度を用いた高速移動魔法と言ったほうが正確ですね」


 魔法。存在は認知していた継人だが、実際に見たのはこれが初めてだ。

 それにしても雷の速度とは凄まじい話である。

 継人が素直に感心していると、突然セフィーナの顔が二人に向いた。

 ギョロリと爬虫類を思わせる三白眼が継人たちを見据える。

 継人が腰のスローイングナイフに手を伸ばすが、フリードが片手を上げてそれを制した。

 そのままフリードはセフィーナに話しかける。


「『三大兇紅』セフィーナ殿とお見受けします。あなたの目的がミリアルド商会ならば、私たちは無関係だと言っておきます」


「無関係……? だったらどうしてここにいるの?」


「我々はミリアルド商会に拐かされた奴隷の救出にやってきただけです。ミリアルド商会に与する者ではありません」


 先ほどのセフィーナとランザのやりとりを見るかぎり、セフィーナは闇雲に暴れているのではなく、ミリアルド商会と敵対関係にあると見ることができる。

 それならば、うまくいけば戦闘を避けられる可能性があった。

 ランザが消えてしまったことで彼女の前から逃げ出すチャンスを逸してしまったが、戦ってどうにかなる相手ではないことをフリードは理解していた。


「…………」


 納得したのか否か。セフィーナは、しばし首を傾げていたが、やがて継人たちに向かって歩き出した。そして、そのまま何の警戒もせずに、二人の間合いに容易く踏み込む。

 もうそこは戦闘の間合いのはるか内側。継人は反射的に攻撃を繰り出そうとしたが、横合いからフリードにグッと肩を押さえられ、止められた。

 即座に手を振り解こうとした継人は、しかし目を見開いた。思わず肩に置かれた手を見つめる。

 ビクともしないのだ。いったいこの老人はどれほどの筋力値を誇っているか、継人は思わずレベルを確認したくなったが、そんな場合ではない。


 そのとき、継人の首筋をふわりと何かがくすぐった。

 何だ――と視線を向けたところで、継人はハッキリと怯んだ。

 目が合ったからだ。

 息がかかる距離とはよく言うが、まさにそれ。

 いつの間に接近したのか、セフィーナは超至近距離で継人の顔を凝視していた。

 息がかかり、彼女の顔で視界が埋まる。そのままキスの一つでも交わされそうな近さだが、もちろんそんな話ではない。


 それは例えるなら虎。

 自分を容易く嚙み殺せる野獣が目の前で舌舐めずりしているのと同じ。

 それは例えるなら羆。

 自分を容易く食い散らかせる猛獣が息のかかる距離にいるのと同じ。

 怯まず、正気を保っていられる人間などいるのだろうか。

 このときの継人は違った。

 鼻先僅かの距離から送られてくる視線の圧力に脂汗が滲む。

 かかる息の熱さに背筋が粟立つ。

 それは生物の本能。

 継人は我知らず一歩後ずさった。


 だが――そこで一つの波動を感知した。

 ドロリドロリと不快な波動は、継人の根源で湧き立ち、蠢いた。


 それは怒りだった。

 波動は、怯える継人の内側を、許さないと暴れ回り揺さぶった。

 それは憎しみだった。

 波動は、怒れる継人の耳元で、殺せ殺せと呪詛を唱えた。


 継人は不快な衝動を糧にして、グッと脚に力を込めた。

 引けた腰を叱咤し、体重を前に戻す。

 今度はまっすぐ、額をくっつけんばかりの距離で、セフィーナの目を睨み返した。

 もうそこに怯えの色はなかった。

 代わりに、どす黒いモノが色づいていた。


「……ふーん」


 セフィーナが何を納得したのかは分からない。

 だが、継人はそんなことに興味はなかった。

 もはや、戦いを避けられるとは思っていない。いや、避けようとも思わなかった。

 継人の両眼は魔力で満ちていた。


「おい、ルーリエをどうした」


 そう聞いたが、セフィーナがルーリエを認識できているとは思っていない。

 だが、だからこそ許せず、だからこそ聞いたのだ。

 セフィーナが生み出したであろう商会の惨状を見れば、ルーリエが生き残っているかどうかは、もはや神に祈る他ない。だというのに、その原因であるこの女はそんなこと気にも留めていない。

 たった一つ確かなことがある。ルーリエはこんな訳の分からない女に、意味もなく踏み潰されるために、今日まで生きてきたわけじゃない。

 たった数日の相棒。だが知っている。彼女の懸命さを、ひたむきさを、優しさを。

 奴隷という立場にへこたれずに生きていた。理不尽に屈せず戦っていた。何度も何度も助けられた。

 自分なんかよりよっぽど大したやつなのだ。凄いやつなのだ。

 強くなりたいと言っていた。一緒に強くなろうと約束した。

 そんなことをこの女は何一つ知らない。何一つ知らずに踏み潰して、素知らぬ顔をしている。

 許せるか。許せるはずがない。だから聞いたのだ。

 その名を骨身に刻むために。

 自分が死ぬ理由を教えてやるために。

 だが――


「…………」


 セフィーナは何も答えない。当然だ。踏み潰される蟻の言葉など、踏み潰した相手に届くはずがないのだ。

 返事の代わりに、ふわり、と継人の胸に手が添えられた。一見たおやかな動作で添えられた細く小さな女の手は、しかし、レベル56のレッドネームの手だ。


 次の瞬間、継人は抗うこともできずに後ろに押しのけられた。

 セフィーナとの間に空間が生まれる。

 そして、継人の脳裏にどんな思考がよぎるよりも早く、気づいたときには、それはもう目の前にあった。


 焼け焦げた包帯に包まれた握り拳。


 それはセフィーナが放った拳撃だった。


 普通の人間が放ったパンチであっても、始動から到達までの速度は0・2秒を切る。ましてや、その一撃を放った者が人外の超越者であったなら、その速度は想像を絶する。

 もちろん躱すことなど不可能。

 継人がこうして一瞬でも目で拳を捉えられたことが既に奇跡と言えた。

 達人の鋼鉄のナイフ+1に宿ったスキル【見切り】により、本来なら捉えられなかった一瞬を捉え、【極限集中】で、その一瞬を何倍、何十倍にも引き延ばし認識する。

 継人が持つスキルが、たまたま上手く噛み合った結果生まれた刹那。しかし、その刹那に意味はない。見えていたところで、結局は、その一撃よりも速く動けなければ、避けることも防ぐこともできないのだ。


 故に継人は受けることが確定している拳が迫ってくるのをただ眺めながら、歯を【食いしばる】ことしかできなかった。


 ガチンッ――‼︎ と硬質な音が響いた。

 まるでハンマーで岩を砕いたような音だった。

 本来、人間がノックアウトされた際は、その場で倒れるのが普通だ。それは相手の体重を弾き飛ばせるだけのパンチ力を人間が持っていないことに起因する。

 だがセフィーナの拳は、もちろんそんな常識的な一撃ではなかった。

 拳がめり込み、無惨に顔面が陥没した継人は、弾丸も斯くやといった速度で殴り飛ばされた。

 地面に着くことすら許されず、大地と平行に飛んだ継人は、そのままミリアルド商会本館横の平屋に突っ込んだ。

 煉瓦造りの平屋の壁が砕け、派手な音を立てて崩れ落ちる。


「その眼、嫌い」


 セフィーナが吐き捨てるように言った。

 しかし、その言葉が当の本人に届くことはなかった。

 瓦礫の下敷きとなった継人はピクリとも動かなかった。

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