第2話 姐さん
丁寧に舗装された石畳の道に、二階建て三階建ての建物が建ち並ぶ。
この世界に来てから次第に慣れ始めていた街並みも、ひとたび路地裏に入り込んでみれば僅かに身についた土地勘などまるで機能しなかった。
どちらを向いても、どちらに進んでも、継人の目には同じような景色にしか見えない。
一体どれだけ走ったのか。もはや追いかけている連中の背中は完全に見失っていた。いや、はじめから見失っていたと言ったほうがより正確だろう。
思えば、事態に頭がついていかず、まんまとあの誘拐犯たちを見過ごしてしまったことが痛すぎた。すぐに追いかけていれば、今の自分の脚なら追いつけたかもしれないのに、動き出すのがあまりにも遅れてしまった。
「はあっ、はあっ、はあっ」
レベルアップの恩恵があってもさすがに無限には走っていられない。限界がきた継人は路地の途中で膝に手をついて足を止めた。
このままではいけない。
もう追いかけるとか、追いつくとか、そんな段階はとうに過ぎ去っている。
奴らには逃げられた。
その事実を認めなければならなかった。
(だったら、次はどうすべきだ……?)
決まっている。
逃げられたのなら、捜し、見つける。それしかない。
だが――。
継人は辺りを見渡す。
そこは建物と建物の間に挟まれた三メートルばかりの狭い路地だった。
建物の陰になっているせいで路地は薄暗い。見覚えのない場所であることはもちろん、必死に走っていたせいで、ここが街のどの辺りかすら分からない。そんなことも分からない自分が、どこをどうやって人など捜せばいいのだろうか。
さらに誘拐犯についての心当たりもまるでない。相手は四、五人、体格からして男、持っている情報はそれが全てだ。
ただでさえ街の広さを想像するだけで眩暈がしそうなのに、捜している相手の顔すら分からず、捜す自分は半ば迷子。
「はは……」
あまりの無理難題。そして、自分自身のあまりの頼りなさに笑ってしまう。
「――クソッ」
だからと言って、こんな所でもたもたしている暇はない。
誘拐犯の目的は十中八九称号絡みだろう。もし、称号の継承が狙いなのだとしたら、ルーリエの命にどれほどの猶予があるのかは分からない。一刻の猶予すらないかもしれない。
継人は焦る気持ちを一度落ち着かせると、ルーリエを捜し出すために必要なものを頭の中で考え、整理していく。そして、気は進まないがそれしかないかという結論を導き出した。
空を見上げる。建物の陰に居るため何も見えないが、少し歩くと陰から脱し、日輪が目を射した。それとともに棘状の山が見えてくる。
この街は東に山脈がそびえ立ち、どうやら西には大河があるらしく、二つに挟まれる形で南北に街が延びている。必然的に大通りも街の造りに沿うように南北に延びているものがほとんどだ。
故に東西へ、街を横断するように進めば――
五分ほど走ると、ガヤガヤと騒がしい大通りに行き当たった。
継人が息を整えながら通りを見渡すと、そこは既に一日の営みが始まっている気配で満たされていた。
若者が野菜を積んだ荷車を引いて進んでいる。店の軒先を掃き清めているのは、まるで仙人のように髭を伸ばした老人。小綺麗な格好で生真面目な顔をして歩いているのは、勤め先の商会に向かう商人だろうか。
どれだけ見ても、見覚えのある場所ではなかったが、それでもこれだけの大通りに出られれば、これ以上迷うことはないだろう。
あとは目的の場所――『冒険者ギルド』の場所を通行人にでも尋ねればいいだけだ。
継人が割り出したルーリエ救出のための最短の道。
その答えは、ずばり他人に頼ることだった。
自分で捜し出すことが不可能に近いのだから、必然的にこの方法しかない。
冒険者ギルドで他の冒険者にルーリエの捜索を依頼する。
依頼を出すための金銭がまったくないが、それはおそらく問題ない。金はなくても『これ』があるからだ。
継人は腰のベルトに手を回す。そこに差さっているのは『達人の鋼鉄のナイフ+1』。ゴミ穴の底で手に入れたアーティファクトである。
アーティファクトは冒険者にとっては貴重な装備品だ。人捜しの報酬としては充分だろう。
もちろん、冒険者に頼ることが一種の賭けであることは理解している。
ルーリエを攫った犯人。その第一の容疑者は言うまでもなく冒険者だ。
その冒険者に頼るのが危険なことは間違いない。
力を貸すふりをして、ルーリエの命、さらには継人の命まで狙ってくることもあり得る。
だか他に方法がない。他に頼れそうな人物といえば、アガーテと露店商のラエルぐらいしか思い当たらないが、この二人が誘拐犯を捜し出せるとは思えないし、荒事にもおそらく向いていないだろう。
だったら分が悪くても賭けるしかない。
継人は適当に目の前を歩く人物にギルドの場所を尋ねようと近づいていく。すると、その人物はまるで逃げるように通りの反対側へと離れていってしまった。
別に継人から逃げたわけではない。
馬車だ。黒と濃い茶色が基調のシックで高級感漂う馬車が通りを進んできたのだ。
継人も轢かれるのはごめんなので足を止めて馬車に道を譲る。しかし、馬車は継人の前を通りすぎることなく、むしろそこが目的地であったように、彼の前でその歩みを止めた。
「こんな場所から失礼致します。【魔眼王】継人様でございますね」
馬車の御者席から声をかけてきたのは慇懃な老人。
老人とは言っても、背筋はしっかりと伸び、執事のような装いに包まれた体は、細身でありながらも妙にガッシリとしている。眼光はまるで歴戦の戦士のように鋭く、全体的に老いよりも若々しい印象が先立つ人物だった。
「……誰だ?」
と問いながらも、同時に眼を凝らす。
名前:フリード
職業:Bランク商人
所属:レーゼハイマ商会
「これは失礼致しました。私の名はフリードと申します。我が主レーゼハイマの使いとしてやって参りました」
レーゼハイマの名前が出たことで継人が一瞬固まる。
レーゼハイマとは、この魔鉱都市ベルグの主要産業である魔力鉱石の採掘から流通までを一手に引き受ける巨大商会――レーゼハイマ商会のトップに立つ人物である。
実はつい今朝方まで――、もっと言えばルーリエが攫われる瞬間まで、継人が最も警戒していた相手は、そのレーゼハイマだったのだ。
なぜならレーゼハイマは借金奴隷であるルーリエの正規の持ち主。今まで放し飼いのようにしていたルーリエが称号持ちという貴重な存在に変わったのだから、今後ルーリエをどう扱うにせよ、一度保護しに現れるはずだと思い、警戒していた。
だがそれも、ルーリエが攫われしまった時点で、事情は大きく変わっている。肝心のルーリエがいないのだから、もはや警戒する必要はない。いや、それどころかむしろ逆だった。
(馬鹿か俺は……! なんでこんな簡単なことに気づかなかった……!)
ルーリエを助けにいく人間は自分しかいない、勝手にそう思い込んでいた。だが違う。
言い方は悪いが、ルーリエはレーゼハイマ商会の持ち物、つまりは財産なのだ。ならばルーリエを取り戻すためにレーゼハイマ商会が動くはずだ。ルーリエの価値が跳ね上がった今ならなおさらだろう。
この街でたびたび耳にしたレーゼハイマ商会の名前。多少聞きかじっただけでもその商会が大きな力を持っていることは推察できる。
その力を借りられるなら、わざわざ危険を冒して冒険者に依頼する必要などない。
「……こんなところにタイミングよく現れたってことは、状況は分かってると思っていいんだよな?」
「ええ、私も見ていましたから」
継人の挑むような問いかけに、老人はなんでもないことのように頷いた。
いつから見ていたのか。どこから見ていたのか。聞きたいのは山々だが、今はいい。
「だったら話が早い。人手がいる。情報もほしい」
「それはなんとも答えかねます。私は貴方をお連れするよう申しつかっただけですので」
継人の目つきが険しくなる。
「ルーリエを見捨てるってことか……?」
「そうではありませんが、私が主から受けた指示はあくまで貴方を招くことです。それ以外のことは私では判断のしようがありません」
チッ、と継人が舌打ちをもらす。
「要するに、レーゼハイマに会って直接聞けってことか」
返事のかわりに老人は一礼すると、馬車の扉を丁寧に開いた。
*
ベルグの路地裏。
追跡者を振り切った誘拐犯の足取りに、僅かな余裕が見え始めたころ、ようやくルーリエは事態を把握した。
「……はなしてほしい」
抱えられながらそう訴えてみたが返事は来ない。
「……はなしてほしい」
もう一度訴えてみたが変わらずだった。
そもそも、頭が進路とは逆に向くように抱えられたルーリエは、自分を抱える人物の顔さえ見えず、声が届いているのかも定かではなかった。
「むむむむむ」
とりあえずジタバタしてみる。
すると――
「うおっ! なんだよめんどくせぇなッ。暴れてんじゃねーぞッ!」
ルーリエを小脇に抱えて走っていた男は、暴れるルーリエを大人しくさせようと、ちょうどいい位置にあった彼女の尻を思いっきりひっぱたく。
バシンッと音が響き、一瞬は動きを止めたルーリエだったが、次の瞬間には余計に暴れ出した。
見かねた誘拐犯の仲間が横からルーリエの頭を殴りつける。
「これ以上痛い目に遭いたくなけりゃ大人しくしてろッ!」
その言葉通り、殴られた頭を押さえて大人しくなったルーリエを見て、怯えて静かになったと安心した誘拐犯たちだったが違った。
元々、荒くれ者どころかサイクロプスにすら怯まず立ち向かう少女である。この程度で怯えるはずなどない。
このとき、ルーリエは静かに怒っていたのだ。
ルーリエは右腕に力をこめると、自分を抱えて走る男の背中に全力の肘打ちを見舞った。
その一撃は、男にとっては折の悪いことに、最も肋骨の守りが薄い背中の急所に偶然入り、そこにあった腎臓を正確に打ち抜いた。
「おげらぁっ⁉︎」
妙な叫び声を上げた男は、走っていた勢いのまま転倒する。
男の脇に抱えられていたルーリエも、腕から解放され地面をコロコロと転がっていった。
「ど、どうしたっ?」
「おい、大丈夫かよ……」
地面に突っ伏し、背中を押さえて悶絶する男。
男の仲間からはルーリエの攻撃が見えておらず、男が一人で転んだようにしか見えなかった。故に仲間たちはやや呆れ顔で男に気遣う声をかけた。
「……まったくなにやってんだよ。逃げられたらどうすんだ」
呆れ顔のまま、転がったルーリエに視線を向ける。
ルーリエは転倒によるダメージも特になかったようで、すくっとその場に起き上がった。
そして誘拐した側としては幸運なことに、ルーリエは逃げ出すそぶりを全く見せなかった。
それどころか、ルーリエは誘拐犯たちに向き直ると、小さな拳を握りファイティングポーズをつくる。
「しゅ、しゅ」
口で風切り音を再現しながらシャドーボクシングを披露した。
悶絶して声も出ない男。戦う構えをとったルーリエ。事前に仕入れている称号持ちの少女という情報も鑑みれば、普通なら何が起きているのか分かりそうなものだが、ルーリエのあまりに弱そうな見た目と、あまりに下手くそなファイティングポーズ。そこから繰り出される丸っこい小さな拳は到底危険なものには見えず、誘拐犯たちの正常な思考は妨げられていた。
要するに、誘拐犯たちは相手が称号持ちだと分かっていながら、見た目に惑わされて油断していたのだ。
故に――
パンチ。パンチ。パンチ。
僅か三発のボディストレートで、追加で三人――合計四人の悶絶する誘拐犯が生み出された。
死屍累々の中央で「むふー」と満足げに息を吐いたルーリエは、レベル20の自分の力の凄さにその半眼をキラキラと輝かせた。
しばし酔いしれていたルーリエも、やがて自分が誘拐されていたことを思い出し、今ごろ継人が心配しているかもしれないことに思い至る。
ルーリエは帰ろうとテクテク歩き出した。
「ま、待てっ!」
最初に肘撃ちでやられた男が、なんとか声を出せるまでに回復し、ルーリエに静止の声をかける。
しかし、律儀に足を止め振り返ったルーリエの顔を見た瞬間、男は呼び止めたことを後悔した。
別にルーリエに際立った何かがあったわけではない。そこにいるのは、いつも通りのぼんやりとした半眼の小さな少女にすぎない。
しかし、だからこそ男の背中に冷や汗が流れる。
何の変哲もない少女。その少女に与えられたダメージ。全くつり合いの取れていない両者がイコールであることの不条理。
男は黙ってこちらを見ている少女を見つめ返す。無邪気な顔に見えた。だが子供は無邪気さ故の残酷さがある。子供が遊びで虫の脚を毟るように、自分がバラバラにされる様を幻視し、男の冷や汗の量が増えた。
男の決断は早かった。地面にうずくまったまま姿勢を正すと、石畳に手をつき、頭を下げた。
「嬢ちゃん! いや、姐さん! 攫おうとしたことは謝る。だからどうかっ、力を貸すと思って俺たちに着いて来ちゃくれないだろうかっ。このとおりだ!」
周りで悶絶していた他の男たちも、ノロノロと体を起こすと、互いに顔を見合わせて確認するように一つ頷く。そして――
「頼んます!」
「このとおりですっ、姐さん!」
「姐さん! 勇者みたいに強えーその力をどうか貸してください!」
大の男が四人、少女の前で見せたそれは紛うことなき土下座だった。
日本人の継人が見ても非の打ち所がないと評するだろう。ちなみに継人はこの世界に土下座の文化があることをまだ知らない。
ルーリエの眠たげな半眼がキラリと輝いた。
ぷにぷにの頬が僅かに朱を帯び、鼻息はすぴすぴと荒い。
「……こまってるならしかたない。わたしにまかせてほしい」
ルーリエの言葉に男たちが顔を上げる。
「姐さんっ」
「姐さん!」
「姐さん! ありがとうございます!」
姐さんと呼ばれるたびに、ルーリエの鼻息がさらに荒くなっていく。
「ずばり。わたしはあねさん」
大の男に姐さんと呼ばれ、勇者のように強いとおだてられ、ルーリエは完全に調子に乗っていた。
男たちに案内され、ルーリエはドヤ顔で歩き出す。
誘拐犯を引き連れて、まるでボスのように、テクテクと歩き出したのだった。
名前変更
ザルツ→フリード




