第30話 同種
MP:429/429(-51)(+10)
通路を塞ぐ巨大な岩を盾にして、順調に相手のHPを削っていた継人だが、
「……まあ、そうくるよな」
サイクロプスとて黙って攻撃を受け続けるほど馬鹿ではない。
岩の隙間に体が入らないなら、別の場所から通り抜ければ良いのだ。
サイクロプスは立ち塞がる大岩に手をかけると、その岩を登り始めた。
大岩は、継人がこの階層で見つけた岩の中でも、一二を争う大きさを誇る。とはいえ、その高さはせいぜい四メートル強といったところだ。この通路の天井は十メートルを超えている。必然、岩の上はガラ空きだった。
「いや、“そうくるしかない”が正しいか。うん、やっぱそうだよな」
岩の上から顔を出したサイクロプスと視線を絡ませながら、継人はニヤリと満足げに笑った。そして、すぐさま魔眼への魔力供給を止めると、またサイクロプスに背中を向けて走り出した。
遠のく継人の背中に慌てたのか、サイクロプスは急いで岩上に足をかけると、先ほどまで継人が立っていた場所に飛び降りた。
「……さてさて、こっからが本番だ」
背後に巨人が着地する派手な音が響くのを聞きながら、継人は通路を駆けていった。
逃走と追跡。
行われていること自体は先ほどまでと何も変わらないが、その中身には大きな変化があった。
必死に逃げる継人を猛追する巨人、といったこれまでの構図から、余裕をもって逃げる継人を四苦八苦しながら追いすがる巨人、という風に。
そうなるのも当然だった。なにせ、この通路は継人にだけ都合が良いように出来ているのだから。
継人が作り替えた通路には、道幅を狭めるように左右の壁際に岩が並べられていた。先ほどの四メートル級の大岩ほどではないが、サイクロプスの膝、あるいは腰に届くレベルの岩の数々は、容易に巨体の動きを制限し、その行く手を阻んだ。
対する継人は正反対の状況である。
通路の左側を塞いだ岩と、右側を塞いだ岩の“間”――つまり通路中央には、人ひとりなら楽に通り抜けられるだけのスペースが確保されていた。数多く転がっていたはずの、石ころまでもが丁寧に片付けられたその道は、進むうえで足を踏み外す心配もない。
自分のためだけにある、自分しか通れない道を、継人は悠々と走っていた。
「やっぱ、全力で走ったらすぐだな」
継人の眼前にY字路が迫ってきた。左の道を進めば宝箱があった広間方面、右に進めばゴミ穴が通じている広間方面へと続く。
継人は走りながら左の通路にジッと視線をやっていたが、いざ進んだのは右の通路だった。もちろん、右に曲がることは事前に決めていたことである。
右の通路に入って数秒――継人は急ブレーキをかけると、背後を振り返った。同時に【魔力操作】を開始すると、遅れて角から姿を現したサイクロプスに、自分はこちらだと教えるように【呪殺の魔眼】をぶつけた。
サイクロプスとてそんなことは教えられるまでもない。右の通路に踏み入ると邪魔な岩を避け、あるいは蹴散らしながら継人を追う。
「クソが、なに道塞いでくれてんだよ……!」
サイクロプスが動かした岩が崩れ、通路中央に用意されたスペースが一部塞がったのを見て、継人が文句を言う。塞がった場所はサイクロプスの背後。つまり継人が既に通りすぎた場所なのだが、だからそこなら塞がってもいいというわけではない。なぜなら継人はもう一度、いや、もう何度かその場所を通るつもりだからだ。
それが継人の作戦だった。三角形を描くように一周した通路をグルグルと逃げ続けるのだ。【呪殺の魔眼】で相手のHPを削り切るまで何周でも――。
MP:417/417(-63)(+10)
サイクロプスのシルエットが大きくなってきたのを見て、継人は魔眼を解除、また走り出す。
彼我の距離はまだ二十メートル以上あったが、継人はそれ以上の接近を嫌った。
それからも問題なく距離を保ち、少しずつHPを削り続けた。いちいち立ち止まりつつなので、本当に少しずつではあったが、全く危なげなく事は進む。
そして、その状態を保ったまま、継人は次の分岐に行き当たった。
この分岐は作戦上重要な地点ではあったが――今はまだ関係ない。継人は右の通路にはチラリと視線をやっただけで、そのまま左に曲がった。
曲がった先の通路も、やはり継人のみが進みやすいように整備されている。
継人は通路に入り、しばらく走ると、もはや慣れつつある一連の作業を開始した。つまり、足を止めて、魔力を操作し、魔眼で攻撃し、そしてまた逃げるのだ。
(順調だな。この分だと、三週もあればいけるか……?)
準備万端、構えながら、角から巨人が見えるのを待つ。
まもなく、派手な足音とともに、ぬぅ、と通路の角から巨人が姿を現した。
待ち構えていた継人の魔眼と、ギョロリと血走った巨人の単眼が交差する。
そして――――
「……ッ!?」
継人は【魔力操作】を即座に止めて、自分の右手にあった岩の陰に飛び込んだ。
それは一言でいえば「勘」だった。
勘といえばいい加減な言葉に聞こえるが、勘というものを見くびってはいけない。勘は説明できないものだからこそ勘なのだが、言葉にできないというだけで、決してあてずっぽうというわけではないのだ。
人間の記憶の中をたゆたう小さな理由のかけらを、自身の経験が結び付け、儚くも脆く形作られた予測――それが「勘」なのだ。
そしてこの時、継人の勘は正しかった。地面を覆う十センチばかりの水の上に倒れ込み、服と下着をびしょ濡れにしたかいがあった。
継人の視線の先、岩陰に入り損ねた彼の脚には、見えない何かに上から押し潰されるような圧力が加わっていた。その圧力が確かに存在する証拠として、彼の脚の周りの水面もまた、見えない何かに押し潰されたように、へこんで穴が空き、地面の白い岩肌が剥き出しになっていた。
「ぐっ……あぁ……!」
重くて上がらなくなった脚を手で引っぱり、無理矢理岩陰まで引きずり込む。
すると、脚が岩陰に隠れた瞬間、これまで脚にのしかかっていた圧力が嘘のように消え去った。
やはり――と継人は確信した。
これはサイクロプスの攻撃である。
それもただの攻撃ではない。
それは――
「――魔眼かッ!」
継人が攻撃を察知できた理由は数あれど、一番大きな要因は彼が『同種』であったことだ。サイクロプスと目が合った瞬間、その単眼から自分と同じ、つまり【呪殺の魔眼】で攻撃しようとしている自分と同じ空気、同じ気配を感じ取ったのだ。
「冗談じゃねえぞ……!」
思わずこぼすが、そんな場合ではない。こんなところに、いつまでも寝転がっているわけにはいかない。
継人は立ち上がると、岩肌にしっかりと指をかけて体重を支える。そして、岩陰からスッと顔だけを出した。瞬間――ガクンと頭が落ちる。岩陰から出て、サイクロプスの視界に入った継人の頭に、見えない力がのしかかった。
「ぐっ……!」
まるで、頭がまるごと鉄球にでもなってしまったかのようだ。筋力値が上昇した継人だから耐えられるが、そうでなければ首が折れてもおかしくない。
継人はそのままサイクロプスを睨む。
サイクロプスも血走る単眼で継人を睨んでいた。
(やっぱり魔眼か、その類いのなにか。とにかく視覚を利用した攻撃なのは間違いない……!)
ルーリエが「魔眼は見ただけで攻撃できる凄いスキル」と興奮ぎみに語っていたが、その意味がよく分かった。確かに凄いスキルだ。こんな馬鹿げた力は反則以外の何物でもない。そして、さらに悪いことに――
ズドンッ! と障害物を薙ぎ倒す音。
ドシャンッ! と水溜まりを踏みつける荒々しい足音。
そう。サイクロプスは動いていた。今も継人を魔眼で押さえつけながら、その歩みを止めていない。
「……なんで【魔力操作】しながら、んな動けんだよ……。ふざけるなッ……!」
それはモンスターの特性故か。あるいは【魔力操作】のスキルレベルが継人を上回るからなのか。どちらなのかは分からないが、どちらであっても同じだ。サイクロプスが、魔眼を使いながら動けるという事実は変わらない。
最悪だ。最悪だった。もしサイクロプスも魔眼を使う際に足が止まるのなら、魔眼を撃ち合うという選択肢もあった。サイクロプスの魔眼の重圧に耐えながら、【呪殺の魔眼】で攻撃する。それなら最低限勝負にはなった。あるいは継人のほうに分があったかもしれない。
だが、相手だけが一方的に動けるのでは話しにならない。サイクロプスの魔眼を全身に喰らえば、継人はほとんど身動きがとれなくなるだろう。そうなったらどうなるのかは、あえて言うまでもない。
継人は決断しなければならなかった。彼の策は既に破綻が始まっていた。
(相手の魔眼を躱しながら、こっちの魔眼だけを当てて、なおかつ距離を詰められないように逃げ続ける、か。…………ハッ、無理すぎて笑うわ)
MP:366/366(-114)(+10)
たった114。ルーリエ半人前だ。物足りない。圧倒的に物足りないが――
ここまでだ。
「お前の勝ちだよサイクロプス。…………ここはな」
継人はもう一度岩陰に退避し、サイクロプスの魔眼から逃れると、腰に手を回し小さな袋を取り出した。その袋から中の硬貨を全て取り出すと、おもむろに通路中央に向かって全財産を投げ捨てた。
「……頼むぞ」
ちゃぷん、と小さな水音を立て沈んでいく硬貨を見て一つ呟くと、継人は僅かの助走を取り、今いる岩陰から通路の逆側にある岩陰へと飛び込んだ。
一瞬だけサイクロプスの視線に晒された体に負荷がかかるが、コンマ数秒のことだ。反対側の岩陰に身が隠れると同時に、負荷から解放される。
継人は、ふぅ、と一つ息をつくと、今度はまた反対側――斜め前方にある岩陰に向けて走り、飛び込んだ。そしてそこからまた反対側に、やはり目標は斜め前方の岩陰。
その度に継人の体をサイクロプスの魔眼が襲うが、歯を食いしばって耐える。
「なんとか……、耐えられ……るなッ……!」
継人は走った。岩陰から岩陰へと。もう振り返ることもせず、そのつもりもない。
魔眼でちまちまと削る時間は終わった。
ここからは距離をとるためではなく、終わらせるために、継人はその場所に向かって走り出した。




