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スコップ・スコッパー・スコッペスト with魔眼王  作者: 丁々発止
1章 スコッパーと魔眼王
30/65

第29話 戦いの始まり

 そいつは自我に目覚めたころから、既に特別な存在だった。

 同族達にはない特殊な力を持って生まれ、その力を思うがままに振るうことで、何者にも邪魔されることなく、自由気ままに生きていた。

 腹が減れば殺し喰らい、敵がいれば殺し喰らい、気にいらなければ同族であっても殺し喰らい、特に理由がなくても目に入った生物は、弄び、殺し、喰らった。

 そいつにとって世界はシンプルで、この世界の中で自分こそが王なのだと、思い通りにならぬことなど何一つないのだと、そう信じていた。

 それが覆されたのは突然のことだった。

 いつものように目についた生き物を遊び殺し、その死肉を咀嚼していたときに、それは起こった。

 何の前触れもなく、足元から光が溢れ出したかと思うと、そいつの全身が光に呑まれたのだ。肉体的なダメージはなかったが、あまりの眩さに自慢の視力を一瞬奪われた。

 そして、次にまぶたを開いたときには、全く見覚えのない洞窟の中で独り佇んでいたのだ。

 そこは、ただただ狭い世界だった。

 部屋が三つに、それを繋ぐ通路。そして、その世界の先住者である凶暴な魚ども。ただそれだけ。他には何もない。出口すらない。

 狭い世界に閉じ込められて、どれだけの時間が経ったのか。出られないことを半ば悟りながらも、諦めきれずに意味もなく徘徊を繰り返す日々。

 当たり前に飢え、飢えを我慢できずに毒を持つ凶暴な魚を喰らい、喰らった毒に内臓を破壊され苦しみ、しかし、そいつが持って生まれた強力な力の一つである、スキル【再生】が破壊された肉体を癒し続ける。

 理不尽に対する怒りと、極度の空腹と、体を蝕む毒の苦痛。ずっと変わらず繰り返される時間は、長年に渡りその精神を削り続け、徐々にそいつは何も感じることも、何も考えることもなくなっていった。

 あとに残ったのは、往年の見る影もなく痩せ衰えた体で意味もなく徘徊し、襲いかかってきた魚をただ喰らう、そんな存在。

 何の意思もない、目的もない。ただ歩き、喰らう。それだけの存在。


 それが、ゴミ穴の底に広がる謎の階層、この狭き世界に君臨する――黒いサイクロプスというモンスターだった。



 また今日とて、狭い世界の中で、いつもと変わらない時間を繰り返していたサイクロプス。

 そんな彼に変化は突然訪れた。

 サイクロプスの擦り切れた精神が、何年ぶりか――いや、あるいは初めて感じるかもしれないほどの強い刺激に襲われたのだ。


 ぞわり、と。


 首筋を駆け上り、体内を這い回り、魂の中までも侵されるような――怖気。


 現在のサイクロプスの精神状態では、沸き上がるその感情が恐怖であることすら自覚できなかったが、それでも心臓が締めつけられるほどに強い刺激を、意思なき怪物といえど無視することはできなかった。


 刺激に釣られて、サイクロプスは振り返った。

 広間から一本だけ延びる通路。

 その通路に転がる大小様々な岩の一つに、身を潜めながらこちら睨んでいた男――継人つぐとのどす黒く濁った眼と、巨人の単眼が交差した。


 継人は口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


 戦いが始まった。


 *


 継人は魔眼に魔力を送りながら苦笑いを浮かべていた。

 彼がサイクロプス討伐の準備に費やした時間は、およそ一日。

 その準備時間の中で、戦いがどう始まりどう進むのか、数多くのパターンを想定していたが、今現在の状態は想定の中でも悪い部類に入るものだった。

 具体的に何が悪いのかと言えば、継人の存在が相手に発覚していることが既に悪い。

 継人はサイクロプスが背中を向けた瞬間を狙って、【呪殺の魔眼】を発動したにもかかわらず、発動とほぼ同時にサイクロプスは異常に気づき、さらには継人が潜む位置まで一瞬で看破してみせたのだ。

 サイクロプスの察知能力が優れているのか、あるいはそれが【呪殺の魔眼】の特性なのか。おそらくは後者であろうと継人は当たりをつける。

 思い返してみれば、ダナルートやライアットに魔眼を使用した際も、彼らの反応は劇的だった。継人が魔眼使用中に睨み殺す感触が分かるように、使用された側も睨み殺される感触が分かるのではないだろうか。

 サイクロプスに気づかれないまま魔眼の力でHPを削りとり、そのまま削り切れるのが最良の展開だったが、もうその未来がやって来ないことは確定した。


「まあ、そんなに簡単にいくとは思ってなかったけどな」


 継人は口の中で呟く。

 そして、息を一つ、大きく吸い込むと、


「やるぞッ!!」


 叫んだ。


 継人の声が響くのと同時に、彼の背後――通路の奥に、ここにはいないもう一人の足音が静かに遠のいていった。継人の耳には微かにその音が届いたが、サイクロプスの元にまでは届かなかった。仮に届いたとしても、そんなことは気にも止めなかっただろう。今、この怪物の意識の中には、彼の擦り切れたはずの精神をもってしても無視できない怖気と、その原因である人間のことしかなかった。


 サイクロプスは巨大な単眼で継人の濁った眼を見つめ返す。己を揺さぶる刺激が、その濁った場所からやってくることだけは明確に理解できた。

 故に、サイクロプスは眼を凝らした。かつての自分がそうしていたように――、眼を凝らして、継人の濁った瞳をまじまじと観察する。


 もはや、サイクロプスはかつての自分など覚えていないし、思い出すこともないが、それでも長年に渡って行使してきた彼の力は、壊れた主を見捨てることなく正しく発動した――


【呪殺の魔眼Lv1】視線を介して、自身のMPを低下させる呪い(限界値1)と引き換えに、対象のHPを(失ったMPの分だけ)低下させる呪い(限界値0)を付与する。互いに付与された呪いは、自身か対象のいずれかが死亡しない限りは解呪不可。


 ――サイクロプスの単眼は、継人のスキルを本人以上に正確に見抜いた。

 そして、己を襲う刺激の正体を見抜くと同時に巨人は動き出す。

 精神ではなく、自身が脅かされていることに気づいたモンスターの本能が、その足を動かした。


 継人は、こちらへと歩き出した巨人の迫力に息を呑みながらも、まずはステータスウィンドウを確認した。


 MP:460/460(-20)(+10)


「くそッ。まだ二十秒かよ……!」


 思わず悪態をつく。一秒で削り取れるHPは1。限界まで削り切るには、あとおよそ七分二十秒かかる。四メートル級の化け物と相対する時間と考えると絶望的に長い。

 だが、泣き言を言っている暇はない。この間にも化け物は向かってきているのだ。ひとたび接近を許せば、その瞬間に敗北は確定するだろう。


 継人は向かって来るサイクロプスとの距離を保つために、魔眼を相手に向けたまま、後ろに一歩――


「――――は?」


 下がろうとしたが、足がうまく動かなかった。


「はっ? えっ?」


 あまりにも想定外のことに慌てふためく。

 継人は迂闊にも、もう後戻りのできないこの瞬間になって、初めて一つの事実に気がついた。


 それは【呪殺の魔眼】を発動しながら歩行することが、とてつもなく困難だという事実だ。


 いや、正確には少し違う。魔眼を発動するためには【魔力操作】スキルを使って、眼に魔力を送らなければならないのだが、【魔力操作】で魔力を動かしながら、同時に体を動かすことの難易度が高すぎるのだ。

 手足を多少動かす程度ならなんとかなりそうだが、歩く、ましてや走ることなど、とてもできそうにない。

 それは例えるなら、右手と左手で同時に別々の文章を書き取るような難易度――と言えば近いだろうか。


「アホか俺はッ! あんだけ準備したのにこのざまとかッ……!」


 なぜ、今の今までこんなことに気づかなかったのかと自分に呆れる。

 この制限は、これからの戦闘プランに多大な影響を及ぼしかねない。だが、今さら悔やんでも遅い。「やっぱり都合が悪いので待ってくれ」と言って、待ってくれる相手じゃないのは見れば分かる。

 継人がもたついている間にも、サイクロプスは迫っている。もう、考えている時間すらない。

 継人は即座に魔眼を解除すると、バックステップから反転。踵を返した脱兎の如く、サイクロプスがいる広間から離れるように駆け出した。


(…………とにかく、予定通りで問題ないはずだ。駄目でも周回数を増やしてでもやるしかない)


 考える暇さえなかったのが逆に継人を救った。選択肢がないのに迷うという愚行を犯さずにすんだからだ。

 継人は全力で、されど転ばないように注意しながら走る。通路には大小様々な石や岩が転がっているので、石を踏まないように、岩にぶつからないように、気をつけて走らなければならない。

 ある程度広間から離れたところで、継人は一度後ろを振り返った。

 視線の先、サイクロプスはなぜか立ち止まったまま、継人を追って来てはいなかった。ならば、こちらも一旦立ち止まって【呪殺の魔眼】を使うべきか? 継人の中で一瞬葛藤が生まれたが、結局は自重した。ここはまだ場所が悪い。


(もう少し進めば、そこから先は俺のフィールド。勝負はそこからでいい)


 この判断は正解だった。継人が正面に向き直り、再び走り出したのと同時――立ち止まっていたサイクロプスもまた動き出したのだ。

 サイクロプスは、好戦的なブルーキラーフィッシュとの戦いが常だったせいもあり、逃げ出す獲物の姿がめずらしく、反応が遅れてしまっていた。だが、継人が逃げ出したのを理解すると、彼の後を即座に追い始めた。

 体内を這い回っていた怖気は、継人が逃げ出すと同時に消えていたが、もはや関係ない。既に彼の本能は継人を殺すと決めている。

 サイクロプスは通路に踏み入るなり、継人目掛けて走り出す。

 巨人が体躯を振るうにはあまりにも狭すぎる道幅と、通路のそこかしこに転がる岩の数々がその追跡を阻んだが、それでも小さく視線の先に消えてしまいそうだった継人の背中が、見る見るうちに大きくなっていく。


 決して継人の足が遅いわけではない。彼の筋力値と敏捷値は、この世界に来たばかりのころと比べて、二倍を超える値になっている。地球の基準で言えば超人の域にある。だが、サイクロプスは文字通りの人外。元来の身体能力が違いすぎて、痩せ衰えた体などハンデにもならなかった。


 さらに悪いことに、転がっている岩に進路を妨害されているのはサイクロプスばかりではない。

 むしろ、継人のほうが対応に四苦八苦していた。

 岩を躱すのにも巨人が一歩のところを、継人は三歩。巨人なら無視して踏み潰すような石でも、継人が踏めば転倒や捻挫まで考えられる。


 慎重に進まなければならなかった。

 されど、それ以上に急がなければならない。

 継人は危ういバランス保ちながら必死に走った。


(まだか――!)


 思わず、内心で叫ぶ。

 もう、すぐ後ろにまでサイクロプスが迫ってきているのが分かる。

 振り返って確認するまでもない。

 馬鹿でかい足音に、馬鹿でかい息遣い。

 こちらを圧迫するような馬鹿でかい気配が、今にも背中に届きそうなのだ。


(まだかッ――!)


 継人はなにも闇雲に逃げているわけではない。

 きちんと目指している場所がある。

 しかし、気が急いているせいなのか、その場所が酷く遠く感じる。


(まだかよッ――!)


 走る。走る。走る。走るしかない。

 そして――


(――見えたッ!)


 と、その瞬間――――、


 ぞりっ。


 サイクロプスが伸ばした手。その指が継人の背中にかする。


「…………ッ」


 呼吸が止まる。

 心臓も止まりそうだった。

 もう足元なんて見ちゃいない。

 ただただ必死に脚を動かす。


 そんな継人の背に、今度こそ巨人は手を伸ばし――



 *



「……いわをうごかす?」


「そう。通路の岩を全部動かす」


 くりん、と小首を傾げるルーリエに、継人は傍らの白い岩をペシペシと叩きながら答えた。


「……む、どうして?」


「俺の魔眼が、限界いっぱいまで効果を発揮するのに四百八十秒かかる。それだけの時間、相手に捕まらないように、逃げながら魔眼を使わなきゃならない。そのためにこの通路を利用するんだ」


「ふむふむ」


「通路の岩を動かして、俺が逃げやすく、巨人は追いづらい、そんな通路に仕立て上げる」


 例えば、通路に転がる岩を全て道の片側に寄せるだけでも劇的な効果が見込める。人間サイズならば空いた片側のスペースを悠々と走り抜けられるが、サイクロプスのサイズだと普通に走ることすら困難になるだろう。


「むむむ、てんさいかも」


「奴のでかい体は脅威だが、それを弱点に変えてやる」



 *



「だあああああ――っ!! 遠すぎんだよ、クソがぁ!!」


 間一髪、巨人の手から逃れた継人は叫んだ。叫ばずにはいられなかった。


 今、継人とサイクロプスの間には、両者を分かつように、とてつもなく巨大な岩が立ち塞がっていた。高さはサイクロプスの体長に迫り、幅は通路をほぼ塞いでしまうほどの大岩だ。

 大岩と通路の僅かな隙間――人間一人ならなんとか通り抜けられるが、巨人では決して通り抜けられない、そんな隙間に手を差し入れたまま、サイクロプスは固まっていた。

 彼の壊れた精神ですらおかしいと気づく。彼はこの狭い世界を何年にも渡ってさまよっているのだ。この通路を通った回数とて百や二百ではない。故に、考えるまでもなく分かった。こんな所にこんな岩があるのはおかしい。


「――悪いな」


 息を整えながら、継人はサイクロプスに向き直った。


「ここは既にお前の知ってるダンジョンじゃない」


 継人が立っているそこは、今まで走ってきた通路とは違い、継人の手が入った継人の領域。立ち塞がる大岩はその境界線。

 通路に細工していることがサイクロプスに発覚するのを恐れて、境界線を広間から離れた場所に引きすぎたせいもあり、危うく捕まってしまうところだったが、なんとかここまで逃げ込めた。


「ここはもう俺の支配域にわだ」


 ゆったりと立ち止まった継人は、余裕をもって【魔力操作】を開始する。


 大岩の隙間から覗く巨人の黒い手に向けて【呪殺の魔眼】を発動した。

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