第26話 痩せ細った巨人
継人がルーリエと再会してから既に四時間が経過していた。
「ふみゅ……ふにゅ、んみゅ?」
「起きたか?」
あの後、前日から一睡もしていなかったルーリエは、継人と再会したことで緊張の糸が切れたのか、気を失うように眠ってしまった。それを起こすのは憚られた継人がそのまま彼女を寝かせ、今までモンスターを警戒して見張りを続けていたのだ。
寝そべっていた岩の上で体を起こしたルーリエは、ポーションの効果ですっかり元通りに治った顔で、ぼんやりと傍らの継人を見上げた。
「…………おきた」
「起きたんならシャキッとしろ。今からダンジョン探索だぞ」
「……たんさく?」
「ああ。さすがにゴミ穴をはい上がるのは無理があるからな。別の出口を探す」
彼らが落ちてきた穴は、水がたまった広間の天井の中央付近にある。天井までの高さは二十メートル以上もある上に、さらにその中央付近ともなれば、壁をよじ登って手を伸ばしたところで、穴までは到底届かない。仮に届いたとしても、垂直の穴を一階層まで登っていくのは無理があるだろう。
故に、この階層から脱出するには別の出口を探すしかない。
「モンスターの気配は不思議と全くないけど、だからってあんまりのんびりはしてられない。なんせ食料がこのグズグズに水吸った干し肉しかないからな。ちんたらやってたら飢え死に待ったなしだ」
そう言って、継人は干し肉の入った袋をルーリエの顔の前でぷらんぷらんと揺らす。
「……た、たいへん、はやくさがすべき」
目が覚めたらしいルーリエが、今の状況というよりは目の前で揺れる肉におののいていた。早くダンジョンから出ないと、この干し肉が自分の口の中に放り込まれると彼女は恐れていた。
ちなみに、ブルーキラーフィッシュは毒をもっているので、捕まえて食べるというわけにはいかない。
――いや、あるいは継人だけなら、
【毒耐性LV1】
おそらく、タグを外していた間に取得したと思われるこのスキルがあるので、毒があっても大丈夫な可能性はあるが、ルーリエが食べるのは無理だろう。
一応、一つだけ残っている解毒ポーションと一緒に食べるという荒業もあるにはあるが、さすがにそれを実行に移すほど追い詰められる前には、出口を見つけ出したいところである。
よほど肉を食べるのが嫌だったのか、ルーリエは岩の上から飛び降りると、早速とばかりに歩き出した。
しかし、その方向がおかしい。
ルーリエは来た道を引き返そうとしている。
「おい、待った。戻ってどうする。先にこっちを調べたほうがいいだろ」
今、二人がいるのは、行き当たったY字路を左に進んだ道の途中である。戻って右の道を探索するより、先に現在いる道の奥を確認したほうがいい。
そう思って、そちらを指し示す継人に、
「そっちはあぶない。やめるべき」
ルーリエはふるふると首を横に振った。
「危ないって何がだ? つーかもう調べたのか?」
「そう。そっちには“おおきいやつ”がいる」
「大きい奴……って、モンスターか?」
こくり、とルーリエは肯定する。
「大きいモンスター…………? なあ、それってどのくらい大きいんだ?」
「む……このくらい?」
ルーリエは指先がぷるぷると震えるほど腕を目一杯に広げて、モンスターの大きさを表現する。しかし、それだけではまだ足りないと感じたのか、手を広げたままその場でくるくると回りだした。
それは独創性に溢れる表現だった。ただ、溢れすぎた結果、大きさのほどは継人にはさっぱり伝わらなかった。
「おう。そりゃでかいな」
「そう。でかい」
継人の適当な相槌にルーリエは満足げに頷いた。
そんな彼女を尻目に継人は、ふむ、と考え込む。
継人が知る限り――つまりは冒険者ギルドの資料で調べた限りで言えば、この『魔鉱窟』でもっとも大きなモンスターは、縦にはゴブリン、横にはビッグポイズンスパイダーで、それよりも大きなモンスターはいない。
そして、その二種のモンスターに関しては、既にルーリエと一緒に戦っているので、彼女も把握しているはずである。それをわざわざ「大きなモンスター」などとあやふやな言い方はしないだろう。
であるならば、ルーリエの言う「大きなモンスター」とはなんなのか。
「一応、見に行くか」
「……あ、あぶない。やめるべき」
ルーリエが継人のシャツの裾をぐいぐいと引っ張って止める。
この無鉄砲な少女がこうも危険を訴えるのだから、相当に危険なモンスターがいるのかもしれない。
継人はそう思って警戒を強めたが、だからといって確認しないで良いということにはならない。むしろ危険があるなら事前に確認しておきたい。
「少し隠れて見るだけだ。やばかったら即行で逃げる」
「…………むぅ、わかった」
その道は、今まで進んできた道と特に代わり映えしない。
相変わらず足元は水浸しで歩きにくく、大小の岩がそこかしこに転がっていて見通しは悪い。
そんな道を慎重に、できるだけ水音を立てないように進むこと二十分ほど。継人達は新たな分かれ道に差しかかった。
左前方に延びた道と右後方に延びた道。二本の道が続いている。
「……どっちだ?」
「こっち」
左前方の道を指差すルーリエの指示に従って、その道をさらに十分ほど進んだ。
辿り着いたそこは、初めに落ちてきた広間と似たような構造の、水没した広間だった。
ただし、初めの広間とは明確な違いが三つある。
一つは天井。当たり前だが、そこにはゴミ穴の出口ような穴は見当たらなかった。
もう一つが水深。初めの広間は五メートル以上の深さがあったが、ここは精々二メートル程度だ。
そして最後に決定的な違いが一つ。
岩陰に身を隠しながら、広間の様子をそっと窺っていた継人は息を呑む。
ルーリエが警戒するのも当然だった。
そこにいたのはまさしく怪物だった。
身の丈四メートルを超える巨体。その大きさに似合わず不気味なほど痩せ細った体躯。痩身からは人間のような手足が伸びており、肌は墨を被ったように真っ黒い。
そしてなによりもその顔――……単眼である。
人に近い骨格の頭部に耳があり、顎があり、口があり、しかし、眼は一つしかない。口の上、本来なら鼻があるその位置から額にかけて、顔の面積のほとんどを陣取るかたちで巨大な眼球が一つ、ギョロリと輝いていた。
一つ目巨人。
継人の脳裏にそんな名前が浮かんだ。
広間の中央でサイクロプスは狂ったように暴れていた。
骨が浮き出るほどに痩せた腕を振り回して、水面を何度も何度も叩きつけている。
はじめは何をしているのか全く分からず、本当に狂っているのかと思ったが、サイクロプスが水面を叩いた際に、水とともに空中に打ち上げられたブルーキラーフィッシュを見て、継人は答えに辿り着いた。
それは食事だった。
打ち上げられたブルーキラーフィッシュをサイクロプスが掴み捕り、生きたまま口に放り込むとグチャグチャと咀嚼する。しかし同時にサイクロプスの脚に、脇腹に、腕に、ブルーキラーフィッシュの群れが水面から飛び跳ね喰らいついていた。
間違いなくそれは食事だった。
ただ、どちらの、ではなく、互いが互いを食い合っているのだ。
見るに堪えないおぞましい光景だったが、継人達にしてみれば状況は悪くない。
なぜなら黙って見ているだけで、危険なモンスター達が共倒れになりそうだったからだ。
継人は期待を込めて様子を窺い続ける。するとサイクロプスが突然苦しみ出した。腹を押さえ呻き、ついには吐血し始める。
(……ブルーキラーフィッシュの毒か)
継人はすぐに思い至った。
毒で苦しむサイクロプスに、ブルーキラーフィッシュの群れは容赦なく襲いかかる。脚、腕、胴と、その体躯を次々に削り、貪っていく。
肋骨の浮き出た脇腹からは青い血が溢れ、棒のように細長い四肢の肉はえぐれ、巨人の姿がどんどん痛ましいものに変わっていく。
これはどうやらサイクロプスが敗れそうだ。
継人がそう考え始めたとき――
突然、水面に巨大な穴が空いた。
サイクロプスの足元――その水面が押し潰されたようにへこみ、水の底まで剥き出しになったのだ。
まるで、そこだけ見えない敷居に遮られたように、ポッカリと空いた水の穴の底では、ブルーキラーフィッシュが見えない何かに押し潰されるように、次々とぺしゃんこになっていく。
そして、その現象の余波が継人達を襲う。
本来、水面の穴を満たしていたはずの水は、何も消えてしまったわけではなかった。押し潰される圧力に負けて、その場から押し出されただけのことだ。限界まで湯を張った風呂釜に飛び込めば、自分の体積の分だけ湯は溢れ出す――それと同じだ。
溢れた水は押し出される力を失わないまま波になり、閉ざされた空間内で波の力を逃がせる場所は、継人達が身を隠した通路しかなかった。
「やばい――ッ!」
思わずこぼすがもう遅い。
継人は咄嗟にルーリエを抱えるのが精一杯だった。
二人は波に呑まれ、通路を引き返すように押し流されていった。




