第24話 証明
ダナルートが倒れるのを確認するなり、彼の仲間の一人、ひょろりと背の高い男――ガルナンが即座に逃げ出した。
数瞬すら迷わず逃げ出したガルナンだが、実際には、継人とダナルートの間に、何が起こったのか理解しているわけではなかった。故にどうしてそうなったのかも分からない。だが、現実としてダナルートは倒れた。三人の中で最も強い力を持ったダナルートがやられたのだ。だったらもう戦う選択肢などない。
そもそも、継人にこだわっていたのはダナルート一人なのだ。ガルナンにしてみれば、継人はどうでもいい相手とすら言える。そんな相手と命懸けで戦う理由など一つもありはしない。
だが、ガルナンに戦う理由はなくても、継人は違った。
彼は一人も許す気はなかった。
ツルハシが高速で宙を疾る。
レベルアップした筋力と、スキル【投擲術】の補正をもって、継人の右手から投げ放たれたツルハシは、逃げるガルナンの背中にあっという間に追いつくと、その尖端を半ばまで突き立てた。
「ぎぃやああああッ!!」
ガルナンは背を穿つ衝撃と痛みに叫ぶと、走る勢いのまま前のめりに転倒した。
「――ガルナンッ!?」
事切れるダナルートを、茫然と見ていた背の低い男――ライアットは、背後に響いたもう一人の仲間の悲鳴に思わず振り返った。
しかし、ライアットは他人の心配をしている場合ではなかった。
継人は隙だらけのライアットに駆け寄ると、よそ見した彼の脛を鋼鉄入りのブーツで蹴り砕いた。
「なぁ……がっ!」
驚き呻くライアット。だが、この程度では止まらない。
継人は続けざまに手を伸ばすと、突然の激痛に混乱するライアットの腰に提げられた鞘から、ロングソードを抜き取り、ライアットの無事なほうの脚を斬りつけた。
「があぁッ!!」
両脚を負傷して、立っていられなくなったライアットを一時捨て置くと、継人は背中の激痛に喘ぐガルナンに歩み寄った。
剣を振り上げる継人とガルナンの目が合う。
「た、頼むっ……たすけて――」
返事の代わりに返ってきたのは容赦のない剣撃。
派手な血飛沫とともに体を数度痙攣させると、ガルナンは永遠に動かなくなった。
尻餅をついて凄惨な光景を見ていたライアットは、必死に腰のポーチを探る。
(ポーション! ポーション! 早くッ……、早くしねえとッ!)
やっとの思いでポーチから金属製の試験管――HPポーションを取り出すと、急ぎ、その赤い蓋を開けようとしたライアットだったが、焦りと出血の影響で震える手からポーションが滑り落ちた。
「ああっ……ああぁ……」
地面に落ちたポーションは、そのままライアットから逃げるように転がっていく。
ライアットはただ必死に、脚の痛みを噛み殺して、這うようにポーションを追った。
そして、ようやく転がる勢いを失ったポーションに、なんとか追いつき手を伸ばしたが――
その手よりも早く、ポーションの上に影が差したか思うと、黒いブーツが視界に降ってきて、そのままポーションを踏みつけた。
ライアットが恐る恐るブーツを辿って視線を上げていくと――
継人と目が合った。
「……ゆ、許し――がばぁあああッ!」
ライアットが言い終わる前に、鉄板入りのブーツが彼の顔面にめり込んだ。
鼻血と前歯を派手に撒き散らしながらも、ライアットは必死に頭を働かせる。このままでは殺される。今すぐにでも殺される。何か、何かないか――。
だが、妙案を思いつくのを継人が待ってくれるはずもない。
継人はライアット頭上にガルナンの血が滴る剣を振り上げた。
そして、そのまま――
「生きてるッ! あの子供は――生きてるッ!!」
振り下ろされかけた剣が、ピタリと止まった。
ライアットはこれだ、と確信する。自分が助かる可能性はこれしかない。
細い糸に縋りつくように彼は言葉を続ける。
「そもそも殺してないんだッ。俺達はあの子供を殺してなんてない! 多少痛めつけたけど、とどめは刺さずにゴミ穴に捨てた――だからっ……まだ……その…………」
ライアットの言葉に嘘はなかった。しかし、だからこそ語気が尻すぼみになっていく。
助かりたい一心で、つい本当のことをぺらぺらと喋ってしまったが――――生きているはずがないのだ。あのゴミ穴に落ちて。
ただでさえ生存率0%の凶悪なトラップであるゴミ穴に、ボロボロに痛めつけられた状態の子供が放り込まれて、生きていられる道理などない。
だが、正直にそれを口にするわけにはいかない。そんなことを口にした瞬間に、ライアットの人生は終わりを迎えるだろう。
ライアットの視線の先で、本来は自分の物であるはずの剣が、仲間の血に濡れて妖しく光っていた。今にも振り下ろされそうなその刃に、ただただ背筋が凍る。
なんでもいい。本当にそうである必要などない。もしかしたらと思わせられたら、この場から脱することさえできたら、それだけでいいのだ。その一念のみを持って、なんとか言葉を搾り出す。
「――ま、まだ生きてる可能性は十分ある。だから……そうだっ、捜そう! 俺ならっ、俺なら人手を集められるっ。俺ならここの採掘人どもを何人だって、全員だって動かせるっ! それで穴ん中を捜せばすぐに見つかるはずだっ!」
とにかく必死に自分を生かすメリットをアピールするライアットの言葉を、継人は剣を振り上げたまま黙って聞いていたが、しばし黙考したのち、振り上げていた剣をゆっくりと下ろした。
まだ状況が飲み込めていないライアットの前で、継人は足元に落ちていたHPポーションを拾い上げると、半分を肩の傷口にかけ、もう半分を飲み干して傷を癒した。さらに所持していた解毒と麻痺解除のポーションを飲み干し、放置していた状態異常を治療した。
そのまま今度はダンジョンの壁際まで歩くと、そこに落ちていた自身のステータスタグを拾い上げ、そのタグに魔力を流し込む――。
『ステータスタグを装備しました』
継人の頭の中に【システムログ】の声が響くのと同時に、ライアットの目にも継人のネームウィンドウが確認できるようになった。そして、その事実を確認した瞬間、ライアットの頭の中は歓喜一色に埋め尽くされた。
継人がタグを装備し直したということは、少なくとも今すぐ自分を殺す気はなくなったということだからだ。
「おい、立て」
タグを首にかけながらライアットに歩み寄った継人は命令した。
「立てって……、無理だ。この脚じゃ……」
無茶な言葉に対して首を振るライアット。継人はその首根っこを乱暴に掴むと、そのまま彼を引きずりながら歩き出した。
その行き先は五つの分岐の一番右端。ゴミ穴へと続く道だった。
通路に足を踏み入れてすぐに木製の立て看板が目に入る。それはレーゼハイマ商会が設置したもので、採掘人にゴミ穴の危険性を注意喚起するための看板だ。
継人は看板の横を迷わず通り過ぎると、そこで引きずっていたライアットを力任せに前方へと投げ飛ばした。
「…………ッッッ!?」
投げられた勢いのまま地面を転がったライアットは、手で、怪我を負った脚で、なりふり構わず地面を掴み、転がる勢いを殺そうとする。必死の形相だった。なぜそんなに必死なのか。それは投げられた位置が悪いからだ。彼が投げ飛ばされたその先こそが――
地面にひび割れが走った。
次の瞬間には厚さ僅か十センチ程度しかなかった見せかけの地面が、五メートル四方の範囲に渡って崩れ落ち、そこには真っ暗で底が見えない、まさに奈落の入口というべき大きな穴が現れた。
「ひっ、はっ……!」
奈落のふちでライアットは引き攣った息を吐いた。
なんとか、本当になんとかブレーキが間に合った。
「お前、HPいくつだ?」
「はあ、はあ、……は?」
「最大値と現在値、両方な」
いきなり何を言っているのか、と混乱するライアットの首元に剣を突きつけて、継人は無理矢理質問に答えさせる。
「え、と、最大値が322で、今は216、です」
「216/322か」
継人はライアットが答えた数字を口の中で呟くと、おもむろに魔力を自身の眼に送り【呪殺の魔眼】を発動した。対象はもちろん眼前にいるライアットである。
魔眼に射抜かれたライアットの全身が怖気に支配される。
突然の事態にライアットは混乱し、息すらできないまま、継人に恐怖の視線を返したが――彼を襲った怖気は僅か数秒で嘘のように消え去った。
「――はあッ、はあッ、はあッ……い、いまのは……ッ!?」
「ステータスを見てみろ」
「え……? ステータスって…………は? HP-5? 呪い? なんだこれ……なんだよこれッ……!?」
ライアットのステータスは【呪殺の魔眼】を受けたことによって二カ所に変化があった。
それは『HP:211/317(-5)』と『状態:呪い』である。
そして、魔眼を使用した継人のステータスにも同様に二カ所の変化が見られた。
まず先ほど、継人がステータスタグを拾い、再び装備した際に確認したステータスがこれだ。
名前:継人
種族:人間族
年齢:17
Lv:16
状態:‐
HP:326/496
MP:18/480(+10)
筋力:26
敏捷:20
知力:19
精神:25
スキル
【体術Lv3】【投擲術Lv2】【食いしばりLv1】【魔力感知Lv1】【魔力操作Lv1】 【言語Lv4】【算術Lv3】【極限集中Lv1】【毒耐性Lv1】
ユニークスキル
【呪殺の魔眼Lv1】
装備:ステータスタグ【アカウントLv1】【システムログLv1】
状態異常の呪いが解除され、MPに付いていた(-239)の表示が消えている。
そして今、魔眼を使用した直後のステータスがこれである。
名前:継人
種族:人間族
年齢:17
Lv:16
状態:呪い
HP:326/496
MP:13/475(-5)(+10)
筋力:26
敏捷:20
知力:19
精神:25
スキル
【体術Lv3】【投擲術Lv2】【食いしばりLv1】【魔力感知Lv1】【魔力操作Lv1】 【言語Lv4】【算術Lv3】【極限集中Lv1】【毒耐性Lv1】
ユニークスキル
【呪殺の魔眼Lv1】
装備:ステータスタグ【アカウントLv1】【システムログLv1】
変化したのはMPに付いた(-5)の補正と状態異常の呪い。
先ほど継人が【呪殺の魔眼】を発動させたのはちょうど五秒間だ。
これらのことから考えると【呪殺の魔眼】とは、発動した秒数だけMPを最大値ごと消費し、消費した値と同じ分だけ、対象からHPを最大値ごと削り取るスキルだということだろう。さらに、お互いに状態異常の呪いが付与され、呪いが解除されないかぎりは減少したHPもMPも、おそらく元には戻らない。
継人はライアットを使った実験で、ようやく自分自身のスキルを把握できた。
この実験は非常に有意義なものであったと言えるだろう。
だが、
継人は何もこんな実験をするためにライアットを生かしているわけでも、タグを装備し直したわけでもない。こんなつまらない実験はついでだ。思いついたから、ついでにやっておいただけ。本当の目的は別にある。
継人はゴミ穴を覗き込む。
深い。いや、深いどころではない。底すら見えない文字通りの底無しである。
「ここから落ちても、きっと生きてる。そう言ったな?」
継人からの質問に、ライアットも彼のようにゴミ穴の底へと目を向けてしまう。
「――――ッ」
底の見えない、あまりの深さにライアットは眩暈がした。
我ながら良くぞ言い放ったものだった。その穴を見れば見るほどありえない。生きているなどありえない。
だが、それを口にするわけにはいかないのだ。
言い切って、押し通すしか道はない。
「……あ、ああ。きっと、イキテル」
冷や汗まじりの答えに、「そうか」と継人は一つ頷くと、ライアットの傍らに静かに歩み寄った。
そして、
「じゃあさ――」
ライアットをゴミ穴へと蹴り飛ばした。
衝撃とともに、空中に放り出されたライアットは驚愕に目を見開いた。
そんな馬鹿なことがあるだろうか。タグを装備したからには、自分を殺すつもりはないと思っていたのに、まさか、わざわざタグを装備し直してから殺すなんて、まったく意味が分からない。
しかし、ライアットには理解できなくとも、これこそが継人の狙いだった。
タグを装備し、ライアットを穴に落とし、それでも継人がレッドネームにならなければ、本当にこの落とし穴は「転落しても死なない程度の深さ」だと証明されるのだ。
「――確かめてこい」
絶叫のこだまを残して、ライアットはゴミ穴の底へと落ちていった。




