第23話 魔力
継人が引き返した先。六本の通路が重なる分岐点で、ダナルートら三人組が待ち構えるようにして立っていた。
名前:ダナルート
職業:Dランク冒険者
名前:ライアット
職業:Eランク冒険者
名前:ガルナン
職業:Eランク冒険者
継人は三人のネームウィンドウを確認すると、ふらり、ふらりと彼らに歩み寄りながら、開口一番――
「……ルーリエをどこにやった」
と問いただした。
ネームウィンドウに記されたダナルートらの名前の表示は白い。
彼らが殺人を犯したとすれば名前の表示が赤く――レッドネームになるはずである。にもかかわらず、三人の名前は白かった。だから聞いた。
もしかしたらと一縷の望みをかけて。
少ない可能性に縋るように。
一方、問われた三人は固まっていた。
ダナルートだけでなく、仲間の二人も息を呑んでいた。
話が違う。仲間の二人はそう思った。彼らは継人がタグ無しではないと分かり、むしろ警戒を解いてすらいたのだ。
それなのに、いま目の前にいるのは、本当に先日見たあの男なのだろうか。
全身、赤と青の血に塗れ、手に持ったツルハシからは、今もポタリポタリと血が滴り落ちている。
漂う危うさはレッドネームどころではない。
その様は、まるで地獄から這い上がってきた悪鬼羅刹を思わせるものだった。
絶対に関わってはいけない。
二人がそう思うだけの迫力が継人にはあった。
「……ルーリエはどこだって聞いてんだよ」
ふらり、ふらり、と継人が進み、両者の距離が縮まっていく。
怯む男二人はダナルートの背中に縋るような視線を送ったが、一番怯んでいたのは――継人がただ者ではないことをはじめから理解していた――ダナルート本人だった。
ダナルートはそれ以上の接近に耐えられなくなり咄嗟に口を開く。
「殺した……! それ以上近づくとテメェもぶち殺すぞッ……!!」
叫ぶダナルートの狙い通り、ピタリ、と継人の足が止まった。
「…………」
――――分かっていた。
本当は継人は分かっていたのだ。
レッドネームとはタグを装備した者が、同じくタグを装備した者を殺したという証明。
つまり、タグの装備を解除してから相手を殺せばレッドネームにはならない…………ただそれだけの話だ。
胸にポッカリと穴が空いている気がした。
そのポッカリと空いた穴から、
真っ黒な穴の底から、
ドロリ、と。
“それ”は溢れてきた。
継人が初めてそれを感じたのは、あのバスの中だ。
絡んできた金髪の男に唯々諾々と席を譲り、その男に自分の死を馬鹿にされ、見世物にされた。
理不尽に対する怒りと、金髪の男に対する憎しみと、感情を押し殺して下した選択のせいで、終わろうとしている自分の人生に対する後悔。それら全てがごちゃまぜになったものが、初めて触れた“それ”だった。
次に感じたのはルーリエと出会ったあの日。
自分を助けようと割り込んできたルーリエが蹴り飛ばされ、小さな体がうずくまるのを見た瞬間、継人は再び“それ”に触れた。
そして今。
心はうまく働かず、思考は止まったまま動かず、麻痺した肌の感覚は鈍い。
そんな継人を“それ”はダイレクトに撫でた。
心も体も働かない今、“それ”が触れることを妨げるものはない。
ドロリ、ドロリと、何にも邪魔されることなく、“それ”は継人の根源に直接触れた。
今までとは比べものにならないくらいにハッキリと、その感触までもが手に取るように分かった。
そして――
『経験値が一定量に達しました』
『スキル【魔力感知Lv1】を取得しました』
頭の中に声が響いた。
継人は勘違いしていた。
彼は魔力というものは、光のような、火のような、雷のような、そんなエネルギーのような何かだと思っていた。魔力鉱石という魔力を含む石をその目にしたり、魔石というエネルギー源から力を貰い動く魔道具を使用した経験などが、その勘違いに拍車をかけていた。
毎夜瞑想して、そんなエネルギー体を己の中に探し回っても見つかるはずなどなかったのだ。【魔力感知】を取得した今ならそれがよく分かる。【魔力感知】を使って己の中に知覚できるそれは、未知のエネルギー体などではない。
それは怒りだった。それは憎しみだった。それは後悔だった。そして、それは絶望だった。
継人が感知したそれは――感情の波動ともいうべきものだった。
うまく働かない心を、止まって動かない思考を、麻痺して鈍い体を、感知した波動が揺り動かす。
その波動は確かに力だった。人間が動く上で最も根源的な力。“それ”が魔力だった。
継人は魔力に衝き動かされた。
衝動に従い、継人は己の首元に手を伸ばすと、そこにあったステータスタグを首から外し、手の中に握り込んだ。
タグの中に込められた魔力をはっきりと知覚することができる。彼はその魔力をおもむろに引っ張った。もちろん物理的に引っ張れるわけはない。感じ取れる不快なそれを、意識の中で掴み、引っ張り出す。
『経験値が一定量に達しました』
『スキル【魔力操作Lv1】を取得しました』
頭に声が響くのと同時に、ダナルート達の前に浮かんでいたネームウィンドウが、すぅっと消える。ステータスタグの装備が解除されたのだ。
継人は手の中にある、魔力が感じ取れなくなったタグを無造作に投げ捨てた。
投げ捨てられたタグが洞窟の岩壁に当たり、キンッと小さな金属音を立てると、ダナルートの肩がビクッと震えた。
タグを外す――その行動の意味が分からないダナルートではない。
殺す、そう言っているのだ。今からお前を殺す、と。
先頭に立ったダナルートが思わず一歩後ずさる。
「ダ、ダナルート……」
「ダナルートさん……」
怖じけづいたような、いや、まさしく怖じけづいているダナルートを見て、仲間二人が不安げに声をかけた。前回と同じように急に彼が逃げ出して、目の前の危険な男を押しつけられでもしたらたまらない。
だが二人の心配は杞憂だった。ダナルートは逃げるわけにはいかなかった。退けない理由があった。だからこそ、今こうして継人の前に立っているのだ。
「お、俺のッ……HPをッ――! 呪いを解きやがれッ!! そ、それで許してやる……」
震える声で紡ぎ出した言葉は、なんとか体裁を保とうとはしているものの、その中身は命乞いでしかなかった。
そんな命乞いに対して継人は、
「死ね」
無慈悲に返すとダナルートに向かって再び歩き出す。
「こ、この呪いがなかったら、もうそれで終わりでいい……ッ!」
おののくダナルートはさらに言葉を紡ぐが、
「死ね」
継人はダナルートの言葉など聞く気はなかった。
「…………ぁぁぁあああ」
ダナルートは悟った。
目の前の男は自分を許すつもりがない。
それはつまり――、
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
生かすつもりがない。
「ああああああああッ!!」
ダナルートは叫ぶと同時に剣を抜き放ち、そのまま継人目掛けて袈裟掛けに振り下ろした。
全く避けるそぶりすら見せない継人の左肩口に剣は吸い込まれ――肉を破り、鎖骨を砕いたところで、その一撃は止まった。
剣が当たるということは、両者の間にもう距離などない。
継人は砕けた骨を気にすることもなく、噴き出す血にも気づいていないように、左手をダナルートに伸ばし、その髪を強く無造作に掴み取った。
これで今回は逃げられることはない。
あのときに逃がさずこうしていれば――……そんな思いに支配されながら、継人は初めて任意にそれを発動させた。
怒りを、憎しみを、後悔を、絶望を、それら魔力を――――両の眼に送り込む。
――――【呪殺の魔眼】がダナルートを射抜いた。
ダナルートの全身が怖気に支配される。
カチカチと歯が鳴り、冷や汗が噴き出す。
黒く濁った眼から送られてくる感触は、とても正気で堪えられるような代物ではない。
それは例えるなら、皮膚の裏側に数億の虫が這い回るような不快感だった。
それは例えるなら、皮膚の裏側から自分を食い荒らされるような恐怖だった。
感じるのは二度目。
それは間違いなく命を蝕まれる感触だった。
咄嗟にステータスを確認した。
そして――
「うぁ……」
呻いた。
――減っていた。HPが減って、いや、減り続けていた。そして――――それと反比例する形で(-244)、(-245)、(-246)……と、恐れていた数字は刻々と増えていく。
「ああ、ああぁぁっ……」
抗わなければならない。生き残る方法を模索しなければならない。まだ間に合う。一撃で駄目なら二撃、三撃と攻撃しなければならない。
だというのに、――恐怖で体が動かない。
いや、それ以前に、継人にガッシリと掴まれた頭がびくともしなかった。自分の筋力が継人に及ばないとダナルートは悟った。そして、同時にダナルートは気づいてしまった。この程度の力なら、全盛期の自分なら容易く振りほどけたであろうことを。
一度気づいてしまったら、後悔が生まれるのを止められなかった。悔やんでいる場合ではないのに、刻一刻と死が迫っているのに、溢れ始めた後悔が止まらない。
「ああああああ」
ダナルートの内側に怖気と後悔が荒れ狂う。
なぜ自分はこの男の前に立ってしまったのか――。呪いのことは諦めて放置してもよかったのではないか――。あの子供を無事に帰していれば、ここまで怒りを買うこともなかったのではないか――。そもそも魔力鉱石を巻き上げるなどケチな商売をしていなかったら、こんな男に会うこともなかったのではないか――。なぜ自分はこんな所にいるのか――。なぜ自分はこんなことをしているのか――。あのころの自分なら、この男を一撃で斬り捨てることもできたはずなのに――。なぜ自分は剣の訓練をやめてしまったのか――。なぜ自分は冒険者でいることをやめてしまったのか――。なぜ自分は夢を追うことをやめてしまったのか――。なぜ自分は一番大事な――……
仲間の顔が脳裏に浮かんだ。
仲間といっても、自分を助けようともせずに立ちすくむ男二人のことではない。
かつて、自分達を守るために怪物の前に立ち塞がった勇敢な男の顔が。
仲間を傷つけられ、怒りの形相で怪物に立ち向かった優しい男の顔が。
そして、夢を一途に追いかけていた少年の顔が――。
なぜ自分は立ち向かえなかったのか――。あんなに大切だったのに――。なぜ自分は――……
彼の脳裏に流れるそれは、もはや思考と呼べるものではない。それは走馬灯と呼ぶべきものだった。そして、その走馬灯ですら段々と白く染まっていき、やがて判然としないものになっていく。
(――ごめん。ごめん。逃げてごめん。見捨ててごめん)
ダナルートは泣いていた。死ぬ恐怖からではない。
仲間を見捨てた自分に。夢を裏切った自分に。戦わなかった自分に。
涙が溢れる。ただただ後悔で涙が止まらなかった。
「死ね」
継人が髪から手を放すと、ダナルートは膝から崩れ落ち仰向けに倒れた。
ダナルートは涙を流し、その手に剣を――
――後悔を握り締めたまま、その生涯に幕を閉じた。




