第14話 初陣
ダンジョンの入口。その幅五メートル近い百段あまりの階段を下ると、ダンジョン内はしばらく一本道が続く。そこから最初に見えてくる分かれ道。左右に分かれた単純な分岐だ。その分岐を左に進んだ先には、採掘人達が集う魔力鉱石採掘場とでもいうべき大広間があり、大多数の採掘人がツルハシを振るうその広間には、さらに奥へと続く一本の道が延びている。
その道を進んだ先に、継人とルーリエはいた。
「――おいおい。一気に迷宮っぽくなったな」
継人は呆れたように、愚痴っぽく、こぼした。
それも仕方がない。このダンジョンは途中に分岐が一つあったきりで、基本的に一本道だったのだ。それが――、
「いちばんみぎだけ、わかる」
ルーリエが五つに分岐した道の一番右側を指差した。
そう、そこからは五本の分かれ道が延びていたのだ。
「……おう。じゃあそっち行ってみるか?」
モンスターを求めて、広間の奥の道を進んできた継人だったが、道の先がまさか五つに分岐しているのは予想外だった。下手に進むとモンスターよりも迷子が怖そうである。
そういうわけでルーリエが唯一分かるという右の道を進もうか、と提案してみたのだが、
「みぎは『ゴミ穴』しかない」
「ゴミ穴?」
「おっきい穴。そこにこわれたツルハシとか、モンスターの死体とか、すてる」
継人がルーリエの説明に、へー、とあまり興味なさそうに答えていると、不意にルーリエの耳がピクピクと動いた。そして――
「――――いた。モンスター」
ルーリエのその声はやけに明瞭に継人の耳に届いた。
「――へ? マ、マジかっ。どっちだっ? 何匹だっ?」
いきなりのことに継人が慌てる。
言うまでもなく彼はモンスターを見たことがない。
ダンジョンに入るのはこれで三度目になるが、これまで一度もモンスターに遭遇することはなかったのだ。
そのせいもあり、なんとなく、心のどこかでモンスターの存在を信じきれない自分が残っており、その自分が今このときまで、心の準備を怠らせていた。
というわけで、継人はテンパっていた。
「あ、あああああっち。やっつけるっ!」
そして、ルーリエはさらにテンパっていた。
その場で、わたわたと慌て出したかと思うと、突如、スコップを振り回しながら、意気勇んで通路の奥に駆け出そうとする。
そんな彼女の首根っこを継人がガシッと捕まえた。
継人自身も混乱していたので、冷静な判断力をもってして彼女を止めたわけではない。スコップを振り回す羊の幼女の姿が、あまりにも弱そうだったので、訳も分からず反射的に止めてしまっただけである。
「お、落ち着けルーリエ。まずクールに、そう、情報の整理からだ。だからほら、まあ、一旦座れ」
「す、すわらない。むり。もう、そこ、もうくるっ」
ルーリエの言葉通りだった。
五本延びた道の左から二番目。
岩陰の奥からソイツは現れた。
まず頭があった。そこから細い首、肩、そして胴。続いて、大地を踏み締める二本の脚。手には何も持っていないが、腰に巻かれた獣の皮らしきものが、ソイツに最低限度の知性が備わっていることを証明している。身長は百三十センチ足らずで、ルーリエと変わらない背丈。そして決定的なのが――濁った緑色の肌。
聞くまでもない。聞くまでもなく、ソイツがなんなのか継人には分かった。
ゴブリンである。
「ギギィィィィイギィァアアッッッ!!」
甲高い耳障りな咆哮が響いた。
ダンジョン内に反響する咆哮に、継人の混乱した意識がゴブリンへと収束していく。
知らず汗ばむ右手に力を入れ、そこに握られたツルハシの感触を確かめた。確かな感触を返すツルハシの柄を両手で握り直し、戦いに備えようとした彼の動きは――しかし、一歩遅かった。
ゴブリンが二人に向かって駆け出したのだ。
速い。恐ろしく速かった。彼我の距離は二十メートル以上あったが、あっという間にそれが潰れていく。
ツルハシを振り上げて、それを振り下ろす、たったそれだけの動作がとても間に合わないと継人は即座に悟った。
猿のように俊敏な動きを見せるゴブリンは、もう、すぐそこにまで迫っている。醜悪極まる魔物の顔が嫌でも良く見えた。
黙って立ちすくんでいる場合ではない。せめて何か一つ。なんでもいいからアクションを起こさなければならない。
その一念のみで継人がギリギリとれた行動は――
「グギャアッァァ!?」
パスだった。
地面に向けられていたツルハシの頭を、まるでゴブリンに差し出すように、ふわりと下手投げでパスしたのだ。
なんの勢いもなく宙を舞ったツルハシだが、その先端部位は重量五キログラムに迫る鉄の塊である。そんな鉄の塊が、人間を超えるスピードをもって突っ込んできていたゴブリンへと向かい――その醜い顔面へと吸い込まれるように衝突した。
青い滴が舞った。
「ギジャアアアアアッッッ!!」
ゴブリンが顔を押さえて地面をのたうちまわる。
このとき、継人はすぐにでも追い撃ちをかけるべきであったが、生物が本気でのたうちまわる迫力と、その際に飛び散る青い血液に怯み、僅かの間、体の動きが止まってしまった。
そして、その僅かが決定的な隙となった。
のたうちまわっていたはずのゴブリンが、一瞬先には継人に飛びかかり組みついてきたのだ。
「――うぁッ!?」
突如間近に迫った醜悪なゴブリンの顔。その顔を染める怒りと青い血と、ゴブリン自体の重量に圧され、継人はそのまま押し倒されてしまった。
地面に強打した尾てい骨の痛みも気にせず、継人は腹の上に乗るゴブリンに必死の思いで腕を伸ばす。
後退はできないのだから、押し返して少しでも距離を取りたかった。しかし、ゴブリンは絶対に離さないとばかりに継人にガッシリとしがみつき、そして――その醜い口を目一杯に開いた。
そこには不揃いで鋭い黄色っぽい歯と青紫色の粘膜が見えた。
(――まずい。まずい。まずい)
継人の思考が焦りで染まる。
どう考えても噛みつく気だった。いや、喰いつく気かもしれない。
ぬらぬらと唾液で光る黄色い歯が継人に迫る。
万事休すだった。
もし継人が一人なら――――だが。
鈍い音とともにゴブリンの頭が横に弾けた。
「…………むん!」
ルーリエだ。
彼女がスコップをフルスイング一閃、ゴブリンを殴りつけたのだ。しかも一撃だけでは止まらない。ガンッ、ベシッ、とゴブリンに向かって、連続してスコップを振り続ける。
「ギィッ、グギャゥ、ギジャアアアァッッ!」
ゴブリンが痛みに呻き、威嚇するように吠えるが、そんなことで彼女は怯まない、手を止めない。スコップが振られる度に青い滴が散った――。
大きなスイング。鈍い打撃音。飛び散る血飛沫。ルーリエの繰り出す攻撃は一見派手だった。しかし、その実、モンスターへのダメージ量は大したものではなかった。所詮は子供の腕力だ。ルーリエの一撃は致命傷には程遠かった。
ゴブリンもそのことに気づいているのか、顔を歪めてルーリエを睨みながらも、継人にしがみついた手を離そうとはしない。――だが、一撃の軽さに気づいたのはルーリエ本人も同じだった。
ルーリエはスコップを握り直す。左手で柄を下から支えるように持ち、右手でスコップの尻のグリップを逆手で強く握った。そしてそのまま、まるで壁に穴を掘るかのように、ゴブリンの顔を――突いた。
ゴブリンの悲鳴が響いた。
ルーリエの突きはゴブリンの左目に直撃し、その眼球を破壊した。それにはさすがのモンスターも堪らず、継人を抑えていた手を離し、顔を押さえる。
そして、そんなゴブリンの隙を、継人は今度こそ見逃さなかった。
「ォ……ラァッッ!!」
継人の指がゴブリンの残る右目をえぐった。
意外に硬く生々しい感触とともに、彼の指に突き指したような痛みが走ったが、それを無視してゴブリンを蹴り飛ばし、その下から脱出する。
視覚を失ったゴブリンには、もはや為す術はない。
逃げ出そうとして這うように走り出すが、それは壁に向かうような検討違いの方角であり、しかも一歩目にしてバランスを崩して転倒してしまった。
継人は一息すらつかずにツルハシを拾い、ゴブリンに足早に歩み寄る。そして、うずくまるゴブリンの傍らでツルハシを振り上げた。
大きな生き物を殺すのは初めてだったが、彼の顔には戸惑いも躊躇もない。あるのは恐怖だった。まだ心臓がバクバクと鳴っていた。こんな恐ろしい生き物は、一秒でも早く殺してしまいたかった。
感情に従って、継人はツルハシを振り下ろした。
――一撃。――二撃。――三撃。……そこでゴブリンは動かなくなった。
が、さらに頭部に――もう一撃。
「……はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
『経験値が一定量に達しました』
『Lv8からLv9に上昇しました』
肩で息をする継人の頭に、電子音のような声が響いた。
こうして、二人の初陣は勝利に終わったのだった。




