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四月初旬。
新年度、初登校の日。
新しい学校、新しい学年に希望をいだく生徒を迎えるはずの桜の花は、温暖化の影響でとっくに散っていた。
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あれ?
昇降口の前に掲げられた二年生のクラス分けの名簿の中に自分の名前が見つからない。
愛倉風子、愛倉、愛倉、あいくら…。
自慢ではないが──むしろ本当に嫌なのだが──、ほぼ、90%以上の確率で出席番号1番。2番3番なら100%確実だ。ただ、こういう時だけは便利で、見落とすことは無いはずなのだが。
気を落ち着かせ、もう一度、二年A組からD組までの名簿を順に見る。
「あいくら、あいくら、あい、あい、あい…」
「アイアイ、アイアイ、うるさいな。サルなのか、君は」
背の高い、黒ぶち眼鏡をかけた男子学生が、私を見下ろしていた。三鷹森治。去年一年、全定期テストで学年一位を取っていた秀才だ。つまり、昨年ほぼ一年間にわたり、廊下に張り出された席次のトップを飾っていたということだ。嫌でもフルネームで覚えてしまう。
「アイクラが私の苗字なんだから、しょうがないでしょ」
「アイクラ君か、初めまして。僕は三鷹……」
「知ってるわよ! 三鷹森治君でしょ! 去年、同じクラスだったけど!?」
三鷹は眉をひそめた。どうせ覚えていないに違いない。でも、それも一瞬のことで、さらにふんぞり返って私を見下ろした。いや、見下したと言った方が正確か。
「同じクラスだったって? ふん、君の成績は?」
はっきりと言いづらいことをズケズケと聞くわね。
「まあ……、上の下……ぐらいかしら」
少しサバを読んだ。
「うそだな、中の下がいいところだろう」
知ってるじゃないっ!
「でも、名前は覚えていないな。僕は席次の近い生徒の名前しか覚えられないのだ」
「同級生の名前くらい覚えててよ!」
「でも、君だって、自分の名前を言い続けているところを見ると、三歩歩くと忘れてしまうのだろう?」
ニワトリ!?
言い返そうとしたら、後ろで私の名前を呼ぶ声がした。
「風子ー! あたしの名前が無いよー!」
そう言いながら泣きそうな顔で近づいて来たのは、親友の吉祥寺七水だ。
「まずいよ、落第しちゃったかも!」
「ふふん、サルの仲間が来たぞ。では、イクラ君、また会おう!」
神様! 少なくとも一年は会いませんように!
大股で掲示板の前から離れていく三鷹の背中に向かって、七水が悪態をつく。
「なに、あいつ。ムキー! 今度会ったら、引っ掻いてやる!」
ほんとにサルだった!!
いや、そんなことより。
七水ならともかく、私が落第するはずがない。……無いとは思うが、そう、万が一何かの手違いぐらいはあるかも知れない。
ひとまず自分の名前も見つからないことは隠し、さも、七水を心配しているように言った。
「一年の名簿を見てみましょ」
あせっていることを七水に悟られぬよう、隣に掲示されている新一年生の名簿を、初々しい入学生をかき分けて、じっくりと見る。
A組、無し。B組、無し。C組、無し。D組、無し。
一瞬ほっとしたものの、さらに最悪な可能性が頭に浮かぶ。
「もしかして……」
小さくつぶやく七水を、私は見た。七水がキラキラした目で私を見返した。
「三年生に特進!?」
んなわけないでしょ! そういうことを言っている時点で、特進するような脳みそではない。
その時、後ろの方で声がした。
「あっちにも名簿みたいのがあったんだけど、あれ、なんだったんだろ?」
七水が、あれじゃない?、と指差す方に、小さな掲示板が掲げられていた。
そこに、七水の名前はあった。そして、私の名前も。
「なんだ、風子の名前もあるじゃん!」
と、七水はふくれたが、すぐに笑顔になった。
「ま、いっか。同じクラスだね! よろしく! あ、去年同じクラスだった、エリちゃんも一緒だあ」
七水は嬉しそうに言ったが、私はひどく不安だった。その名簿には、二年E(sp)組と書いてある。今まで、この学校では全学年ともA組からD組までの4クラスだけだった。なぜ、突然二年生だけにE組ができたのか。それに──。
「ねえねえ、<sp>って<スペシャル>のこと? あたしたち、特別なの!?」
私は七水のように脳天気に喜べない。そう、何が特別なのだ? 当然ながら、特別に<良い>わけがない。しかも、名簿に書かれていたのは、十三人の名前だけだった。
その時、不快な音が聞こえた。横を見ると、隣で三鷹森治がギリギリと歯ぎしりをしながら睨みつけるように名簿を見ていた。
もう会っちゃったよ! 神様の一年って、こんなに短いの!?
こいつもE組なのかと名簿を見直したが、そこに彼の名前は無かった。正直、ほっとした。
三鷹が突然私の方を振り向いた。
「き、君は、このクラスか!?」
三鷹の勢いに思わず頷こうとしたが、次の瞬間、三鷹はくるりと踵を返して、足早に昇降口へと消えて行った。
変なヤツ、と、七水が言った。
確かにその通りだが、今はそれどころではない。
「あ、地図があるよ。なにこれ、……教室の場所?」
七水の言う通り、手描きの簡単な地図が名簿の隅にセロハンテープで貼付けてあった。しかも、よく見れば、広告の裏!
「あれ、ここって……」
そう言う七水の横で、私もまた、眉をしかめた。
そこは、他のクラスとは全然違う、今は物置や文化部の部室に使われている旧棟と呼ばれる古い校舎の一角だった。
「去年同じクラスだった秋葉原恵利ちゃん」
と、七水に紹介されたのは、ポニーテイルの似合う明るそうな女子だった。
「愛倉さんね? よろしくー」
「恵利ちゃんのお父さんは小さい頃に会社つぶして失踪して、お母さんは今、ホストにはまってるの。でも恵利ちゃんはいい子だよっ!」
いきなり重い紹介!!
とりあえず、笑って挨拶するしかなかった。
明らかにあわててしつらえたような埃っぽい教室の片隅には、何年も使われていない机や椅子が積み重ねられていた。いつのものだか分からない体育祭の看板や、文化祭の小道具なども埃をかぶって放置されている。
「もう! 埃臭いですわ。制服が汚れてしまうじゃありませんの!」
その声のした方を見ると、髪をゴージャスに縦巻きにした女生徒が、羽の付いた扇子を口に当てて嫌そうに言った。
他の生徒たちも不安そうにひそひそ話をしていた。去年同クラの男子生徒もいるし、何人かの生徒については顔ぐらいは知っていたものの、吉祥寺七水以外に話したことのある生徒はいなかった。
「はーい、みなさん、おはようございまーす」
ざわめく生徒たちを制するように妙に明るいテンションで入って来たのは、高円寺円先生だった。三十歳は越えている女の先生だが、顔立ちや仕草、口調からはもっと若く見える。そのため、生徒からはまどか先生と名前で呼ばれていた。確か理科と物理を教えていたと思う。
先生!、と、昭和の野球少年のように坊主刈りにした男子生徒が手を挙げた。
「なんですか、このE組って」
「しかもスペシャルって、何のことですか?」
次々に生徒が質問する。
「……スペシャル……ですか?」
と、まどか先生が首を傾げた。その仕草を見て、誰かがいらついたように言った。
「E(sp)って書いてあるじゃないですか」
そう、この教室のドアの上のプレートにも、しっかりと書いてあった。
ああ、と、まどか先生はわざとらしい笑顔を作った。
「それは、スペシャルじゃなくて、Eから続けてESPと読んで下さい」
ESP……?
「それじゃ、まるで超能力のことみたいじゃないですか」
と、誰かが言った。
「はーい、よくできましたー。その通りでーす。ExtraSensory Perception──超感覚的知覚。略してESP。いわゆる超能力のことですね」
まどか先生の表情は笑顔のままだったが、やけくそのように言った。
「皆さんも突然のことで驚かれたと思います。先生も驚きましたー。三日前に突然校長に呼ばれまして、このクラスを専任として受け持つか、辞めるかの二者択一を迫られました」
他人事ながら、ひどい!
「先生は先日、何回目かのお見合いの相手に断られ、独りで生きていく決心をしたばかりです。今、学校を辞めるわけには行きません。それに、このクラスを受け持てば、特別手当もいただけることになっています。一年後には、独りで生きていくための手始めとして、マンションの頭金くらいは稼げると思います」
微笑んでいる先生の目は生気を失い、どこか遠くを見ているようだった。
おずおずと言う感じで、秋葉原さんが聞いた。
「あのー、それで、これはどういうクラスなんですか……?」
「はい、えーとですね……」
と、まどか先生はちょっと首を傾げ、──おそらく校長から聞いたことを出来るだけ正確に思い出しているのだろう──一語一語はっきりと喋り始めた。
「近年、日本を始めこの地球は、宇宙人や異世界人および異界の怪物や魔物などのさまざまな侵略者の脅威にさらされています」
……前提から間違ってない?
「それらの脅威に対し立ち向かえるのは、勇気を持った異能力者や超能力者であることは、アニメを見ても明らかです」
根拠、薄っ!
「そこでこの度、私立西関東第二高校──通称西関東二高──は、ラノベ等に描かれた、来るべき未来に備え」
かたよった未来!
「超能力者養成コースを新設することになりました」
そう言うと、まどか先生は全て語り尽くしたと言わんばかりに、沈黙した。口を開く生徒も無く、教室中に重苦しい沈黙が広がった時、突然、ガラリと教室の戸が開け放たれた。
そこに立っていたのは、三鷹森治だった。三鷹はずかずか教室に入ってくると、まどか先生の目の前に立って見下ろした。
まどか先生はすこし怯えながらも三鷹を見上げて言った。
「え、えーと、あなたは、三鷹君? 確か、D組じゃなかったかしら……?」
「先生、僕は両親から、常に賢い人間になれ、特別な人間に成れと育てられて来ました! そして、その言葉通り、自分は賢く、特別な人間です」
「自分で言った!」
「当たり前だ。自分で自分を信じられなくてどうする」
すごい自信! でも、ちょっと尊敬した。ノミ程度だけど。
「その特別な人間が、特別クラスに選抜されていないのは心外です」
「特別……クラス?」
「<sp>クラスです!」
まどか先生は、舌打ちをして顔を背けた。
「そのくだりは、もうやっちゃったんだけどー」
面倒くさがった!
しようがないので、私が三鷹に声をかけた。
「ここは、三鷹君が思っているようなクラスじゃないよ」
三鷹は私を見て言った。
「君は、イメクラ君」
いや、違うでしょ。みんなが変な目で見ているじゃない!
「ここは、ESPクラス、つまり超能力者養成クラスなんですって」
ふん、と、三鷹は鼻で笑った。
「なるほど、喋るサルか。確かに、超能力だ」
おいっ!!
三鷹はやれやれといった風に、まどか先生に向かって言った。
「先生。先生は超能力なんて信じませんよね?」
「はい!」
と、まどか先生はにこやかに答えた。会話は成立しているが、噛み合ってはいない。
「三鷹君。クラス編成は、私の一存ではどうにもならないのです」
まどか先生の言葉に、三鷹は拳を握りしめ、くやしそうな顔をした。
よし、ここは私が力になろう!
「分かったわ、三鷹君。残念だけど、私の席を君に譲るわ!」
「え、ずるいよ、風子!? じゃあ、あたしがクラス交換してあげるよ!」
三鷹はすっと、私たちの方に広げた手を出した。
「ありがたいが、サルからの援助はお断りする。僕は僕の力で勝ち取ってみせる! 分かりました、先生。校長に直談判してみます!」
そういうと三鷹は踵を返して、教室を出て行った。
ち! 失敗した!
「……でも、そういえば、あたしたち、なんで選ばれたの?」
と、七水が聞いた。
確かにそうだ。他の生徒たちも気になっているのだろう、少しざわつきだした。
まどか先生は、遠い過去の出来事を思い出すようなうつろな表情で、たどたどしく語り始めた。
「……えーと、ですね。実は、あなたたち──つまり、新二年生──が去年一年間で受けた身体測定や学力試験、運動能力測定には、潜在能力を調べるためのテストがひそかに割り込ませてありました」
そんなことがあったの……。
「その結果と厳正なる抽選に基づき、あなたがた十三人が選ばれたのです」
抽選っ!?
「──とかなんとか」
しかも、あやふやっ!?
「先生、嫌なら普通のクラスに編入できるんですか?」
まどか先生はにっこり笑っていった。
「このクラスか退学かの二者択一です」
他人事じゃなかった!!
「それと、このことは口外しないで下さいね。クラスのお友達が減るのはとても悲しいことです」
一体、どうなるのっ!?
「ねー、せんせー」
と、ヤンキーっぽい女生徒が手を挙げた。
「はい、えーと、八王子樹月さんね。えーと」
と、まどか先生は手元のファイルをめくって確認した。
「留年してるんですね」
重い暴露!
「あたいはどんなクラスでも別にいいんだけどー、せんせーは、給料上がるんでしょー? あたいたちにはなんかあるんすかー?」
「そうですね……。卒業する時に、好きな進学先、留学先、就職先に特別万能推薦状をお渡しするとともに、入学、留学時の諸経費を学校が負担します」
え、なにそれ、特別万能推薦状って? 私でも東大も行けるってこと!?
「──なんて噂がある感じです」
「えー、だったら、いいじゃん。ねえ、風子!」
と言う七水を始め、クラス全員が、じゃあ、まあいいか的な雰囲気になっちゃってるけど!? いいの? 噂だよ!? しかも、<感じ>だよ!?
「はーい、じゃあ授業のスケジュールその他の注意事項は、配布する資料およびプリントを各自勝手に読んでおいて下さい。プリントを受け取ったら、今日はおしまいです。さっさと帰っちゃって下さい。明日から授業ですよー。遅刻しないようにちゃんと来て下さいねー。では、みなさーん──」
と、先生はちょっとため、
「E組にしましょうね!!」
と、全国の学校で何千万回と言われたであろうことを臆面もなく言ってのけた。笑顔は能面のようだったけど。
つづく!