トリスタン
いつも思っていた。
生まれたままの姿でいられたら、どんなにいいだろう。
気の向くままに、好きなようにふるまえたら、どんなに……。
ここではそうではない。
どんな服をするか、お手本が決まっていて、みんなその格好をする。
お手本は、神話とか童話とか小説とか映画とかアニメとか……、むかしに流行っていた、そのようなもの。
私たちは、膨大なキャラクターの中から好きなものを選び、それを装うのだ。
そうでなければ生きていけない。
街中の人間が、世界中の人間が、ひとり残らず、そうなのだから。
世界ぜんたいが人工知能『マズラ』の管理する、
大きな物語なのだ。
その中で生きるための仮面をつける。
そして、みんなそのキャラクターになり切って行動する。
仕事も遊びも勉強も、自分ではなく、そのキャラクターがするように。
これは、記録が残っていないほどのむかしに、一部の人の趣味としてはじまり、
しだいに拡がって、いつしか人間の基本的な生き方になった。
コスチュームプレイ……
と、呼ばれていたらしい
……プレイ? プレイってなんだ?
これはコスチュームライフだ。
私たちのライフ
世界のすべての人がそんなことをやっている。
ここはそんな世界。
むかしむかし、ほんもののトリスタンは、生きて、死んで、伝説になった。伝説は神話になった。神話はオペラ、小説、映画、アニメ、マンガになり、ゲームになり、そしてぼくたちのトリスタンのイメージができた。
そしてぼくのコスプレはトリスタンだ。
仮面をつけて、鎧を装着する。きっちりレバーを閉める。そして刀を取りつける。
もちろん、本当のトリスタンの時代にはこんな装置はなかっただろうが、これはゲームでできたイメージに準拠しているのだ。
ぼくはトリスタンのコスプレをしている。白い仮面も被っている。
トリスタンと呼ばれ、トリスタンとして生きている。
この世界ではみんなそのようにしている。
みんなコスプレをして生きているのだ。
ぼくの髪は金髪で眼は青い。ここらへんもモテポイントだな。
腰につけた刀を抜き、いつもどおりに振り回してみた。からだのまわりに曲った八の字を描く。いっしゅん、刃がひかる。天井からぶら下がった照明のヒモがすっぱりと切れる。大丈夫、このヒモはしばしば切れるので、換えをたくさん用意してある。
体を刀で斬ると切れるかって? たとえばよくある決闘イベント。
切れる。というか、切れたように、見える。ぼくたちの脳、全地球人の脳にはマズラにつながる端子が埋めこんである。そして同じ夢をみる。共同VRでケガや死まで再現してくれる。マズラがおなじバーチャル感覚を発生させるから、本人もそう感じるし、回りにもそう見える。
傷。決闘なんかで、なんどか経験した。痛い。かなり痛い。ほんとうは切れていなくて、意識が操作されているだけなのだ。でも痛くて涙がでるし、だれの目にも飛びちる血やきりくちが見える。(本当の痛みとくらべてどのくらい痛いかは、よく分からない。もしかしたら、大したことがないのかも知れないし、まったく同じなのかも知れない)
致命傷になれば、死ぬ。死んだことになる。心臓が停止する。共同VR上では。
つまり生物学上は死んでいないのだ。しかし数日間、意識は帰ってこない。マズラが、そのイベントは終わったと判断すると、しれっと生き返ってくる。
だから最近ではだれかが死んでも、みんなほんとうには悲しまない。悲しんだ演技をする。お話だから。コントロールされたお芝居だから。
そういうこと。イベントや感覚は、すべてマズラがコントロールしている。
コスプレの衣装ですら、一部はVRなんだ。(いつかは完全にVRの世界になる計画らしいけれど……)
これが世界だ。ま、いいさ。
彼女がいるから……。
イゾルデ……。
鏡に向かって笑うと、美しい仮面が微笑む。これはぼくの仮面。表情センサーのチューニングがすこし甘いか。また調整を頼まなければいかないかなぁ。
準備はできた。
窓から外の街を見る。「中世西洋風」の街。
はっきりした区分けではないのだが、だいたいの居住区で似たふんいきのコスプレイヤーがあつまる。類は友をよび、そして自分たちにふさわしい街を作っている。
朝からさまざまなコスプレの人たちが歩き回っていた。長いスカートの農民やパジャマのようなものを着た子供たち、三匹の豚人や赤い長靴の猫、男装の麗人や服屋のおかみさんが朝の荷物を持って入り乱れている。ぶつかったり、騒いだり。にぎやかなこと。
中世関係のキャラクターでないとこのあたりに入れない、というわけではないが、……現になぜか原始時代風の恐竜や三葉虫も歩き回っている……、やはりイベントの関係上、中世関係のコスプレした人の数がおおい。
そしてそのなかでも、ダントツに騎士のかずが多い。キャラクターが多いからだ。
ぼくもそのひとりだ。
正確にいうと、本当のトリスタンには中世は関係ないのだが、それはどうでもよくて、みんなが持っているイメージが大事なのだ。
だから、中世風。
中世風の騎士というのは、なかなかに面倒くさい。
でも武闘要素と恋愛要素があるので、気に入っている。トリスタンは両方いける。
ローエングリンなんて、一年中聖杯探しぱっかりで、文句たらたらだけどね。
この国では、基本的にコスプレは一生変えられない。ぼくたちは一度決めたキャラクターを一生演じ続けなければならないのだ。
それにしても、アーサー系の騎士は、備品が多いし、論理的でない。もう、バカみたいだ。袖なんか、着衣のたびにいちいち針と糸で縫わないといけない。コスプレのルールとしては、見た目のイメージが変わらなければ実際の仕様は近代化していいことになっているのだが、ここらへんは、イゾルデがこだわるから仕方ない……。
彼女、お話しどおりにクスリを飲めばぼくと相思相愛なのだが、それはつまらないという。運命は決まっていても、そのプロセスを楽しみたいとかなんとか……。人生哲学? でも、彼女はセクシーだ。クスリなんか飲むまえからぼくは彼女にベタボレで、なんとか彼女にクスリを飲んで欲しいと思っている。
今日は公務はない。
公務というのは、自分が演じているキャラクターのやることを再現すること。さっき行ったようにマズラによって割り当てられているごっこ遊び。もしくは仕事。
それはまいにち子どもの頭の上のリンゴに弓を射るロビン・フッドのように、フリだけのこともあれば、ソーセージ屋のマーおばさんのように本物のソーセージを売っていることもある。
これで社会が成り立っているのが不思議だったが、成り立っているのだから仕方ない。
ぼくの公務は、もちろん、アーサーに仕えることだ。遅刻すると怒鳴られる……。しかし本日、わが主人は、ほかのお供を連れて恒例行事の聖杯探求に行ってしまったので、ぼくはイゾルデと逢いびきできる。一緒にこっそり歩いたり、唄を歌ったりという程度で、まだその先はない。
物語上の行動と実際のきもちはなるべく一致させておくほうが幸せだというのは、古老たちのいっちした意見だった。
最近はデートもするし、ときどきは手を握らせてくれたりもする。
キスはまだだけど、この前は胸の谷間に手を入れてくれた。
うわ。……鏡のなかの仮面の鼻のしたが伸びたのは、彼女のことを考えていたからだな……。すけべ顔。いかんいかん。いかんったらいかん。気をつけないと。ナイトだから。
イゾルデ。あの白い腕。
ばくたちの結婚や恋愛や人間関係は、自分のキャラの役割に関係ある部分は、決められている。しかし、それは人前でそのフリをしてみせさえすれば良いのだ。たとえば恋愛なら、コスプレイヤーが、影でだれと付き合うかとか、友人がだれかということは、自由にして良い。つまり、この世界では誰もが二重生活を送っていることになる。
しかし、統計によると、結局のところ設定通りになってしまうことがやはり多いらしい。
自分の演じているキャラになりきってしまうのだ。
ぼくもそうだった。イゾルデのとりこだ。
とはいえ、最近は微妙にうまくいっていない部分もある……。
「刺激が少ない」のだそうだ。
ぼくたちのキャラや生きる話は決まっている。そしてぼくたちはそれを知っている。それはある意味、つまらないことだ。
そんな平板さを彼女は感じているのだろう、多分。
わざとキャラのイメージを壊すことをやれば、刺激になるだろうか?
簡単にはできないが、マズラが認めることもあるという。
そんなことを考えながら、部屋を出ようとした。
そうだ。もう一度彼女にデートを申し込んでみよう。新鮮かも知れない。
街角で待ちぶせて、「奇遇ですね〜」とか。意図的にオヤジ臭いやり方をしてみると、良いかもしれない。
この星は、みんなコスプレして生きているのだ。世界ぜんたいが大きな物語なのである。
・
がんっ!
派手な音。
部屋を出ようとしたら、ドアが固いものにぶつかって開かなかった。
かあさんがそこにいた。
ぼくのかあさんは、「ぬりかべ」のコスプレをしている。
自分が「ぬりかべ」から生まれたかと思うと情けなくなるが、余計なことは言わないという点では、他の母親たちより良いのかもしれない。
もともと、妖怪のキャラクターなので、普通じゃない(彼女が扮しているのは、漫画版ではなくて本来の伝承版のものだ)。
移動はしない。こちらが歩いていると、突然目の前に壁として現れ、押しても引いても動かない。座ってひと休みしているといつの間にか消えているという妖怪で、それをコスプレして何が楽しいんだ、という感じだが、これは彼女の趣味なのだから仕方ない。
父さんと離婚するときに選んだのだという。
きっと石になりたかったのだろうか……。
どこまでいっても終わらない壁、というのを、 VRの力を借りて、コスプレしている。
「おはよう」
「……」
「いい天気だね」
「……」
壁に手をあてて、話しかけてみるが、いつもと同じく返事はない。
ただ、なんとなく壁全体の温かみが少し上昇し、振動しているような感じがする。
こちらから話を進めないといけなくて、そこらへんはかんなり面倒くさい……。
「今日は休みなんだ。イゾルデとデートしてくる」
「……」
心なしか壁が冷たくなった気がする。
かあさん的には、あまりイゾルデを気に入っていないのかもしれない。
まぁ、なにも言わないから分からない。
ぼくは、もう自分のつきあう人は自分で決めていい歳だ。
ぐぅぅぅーん、という音、というか振動が感じられて、十秒くらいかけて壁が消えていった。
消えると、目の前の地面に、ハンカチに包まれた弁当が残されている。
塗り壁かあさんは、こんな風に毎朝弁当を届けてくれるんだ。
・
彼女は11時ころ、おつきのゴブリンと一緒に、かならず本屋にいく。
そこで奇遇に会えばいいかなと思っていたが、時間がギリギリだった。
だから、ぼくは早く着くために、普段は使わない裏道を使った。
あとから考えると、これがぼくの運命の分かれ道だったのだ。
そこはコスプレ度がひくく、捨てられた大型家電や得体の知れないゴミが散らばっていた。
「おい、ボウズ」
そのゴミの山のうしろからいきなり裏返った声に呼びかけられた。金属的な、力強い声……。
誰かいるなんて思わなかったので、思わず足を止めてしまった。
見まわすが誰もいない。
「ここだよ、ここ」
カチャカチャと家電のゴミに登る音がした。そちらを見ると、のっそりとヌイグルミみたいな大きな顔が下から現れた。
「しけた顔してんな」
大きな口をきいて、ニヤリと笑う、パンダ状の顔。ぬめぬめと光る牙、ピンクの唇。ヌイグルミのコスプレかと思ったが、耳は異様に大きく、だらりと垂れていた。全体としてはネズミの形状だ、しかし、体毛はパンダ状の色分けになっている。これは、なんのキャラクターだ?
(こういう時代に生きているので、学校でもきっちり教え込まれ、ぼくたちのキャラクターの知識は膨大だ。しかしこのキャラクターは見覚えがなかった)
「そうか、俺がなんのコスプレをしているか考えているのか」
まるでこちらの考えを見透かしたように、彼は、……多分男だと思った、……話し続ける。
ふたつの点で不気味だった。見しらぬキャラクターであること、見えないはずのぼくの内面を見抜いているようなこと。
「知らないだろう。俺は、『ネズパンダ』。ネズミとパンダの合いの子さ。俺が作ったキャラクターだよ」
!
彼が勝手につくった、……つまり彼は、「闇レイヤー」だった。
……「闇レイヤー」とは、ぼくたちを管理しているコンピューター「マザー」が認定しているないキャラクターのコスプレをしているやつらのことだ。それはどうじに、このコスプレ社会から外れて生きている独自の存在であることをいみする。
「ネズパンダ」はニヤリと笑った。
「怖いかい? ボウズ」
ぼくはポケットからイフォーンを取り出した。「なにかしたら、コスプレ管理機構を呼ぶからな」
「ケケっ、そいつは無意味だからしまいな。俺がおまえを殺そうとおもったら、コンマ7秒くらい。しかしおまえがそれを立ち上げて非常スイッチを入れるのに三秒はかかる。剣は、ロックしたままだから、もっとかかるな。いずれにせよ、まにあいっこない」
「殺す……?」
「分かるよな。俺の行動は、お芝居じゃないから、俺に殺されたやつにおとずれるのは、管理された仮の死じゃない、ホンモノの死だ」
「……」
「つまり、あとで生き返ることはなく、自分がそれっきりになってしまうってことさ」
「……」
「おまえらは、決闘やバトルで死んでも、それはごっこ遊び、数日すれば生き返る。おまえらが『死』というそれは、ほんとうの死ではない、ほんとうの死は、老衰で消滅するときか、俺みたいなやつに殺されるときにおとずれる。もう帰ることのできない、一方通行のものさ。見たこともないだろ?」
ぼくは返事をいいよどんだ。
「死体は管理機構が焼いてしまうのさ、けけけ、見たことないだろ?」
たしかに、現代を生きるもので、実際の「死」をみたことのあるものはほとんどいない。『仮の死』だったら、町中に溢れているけれど……。人生のイベントはすべてマズラにコントロールされていて、コスプレのイベントとして、決闘したり病気になったりすると、ぼくたちは「死ぬ」のだが、それは体内にしこまれた「演出装置」で、数日間から数時間の仮死状態になっているに過ぎない。規定の時間が過ぎれば、またしれっと生き返るのだ。
そしてものがたりは続いていく。
本当に死ねば、こっそりマズラが運んでどこかで灰にしてしまう……。
つまり、ぼくたちはほんとうの死はしらない。
彼の目は小さく鋭い光をはなち、こちらを見据えていた。怖いけど、意志の力を感じた。こんな力がぼくにあればイゾルデもなびくだろうか? 彼女の欲しがっていた『スリル』が出せるのだろうか? ……
「まぁ、おとなしく話を聞いてくれれば、何もしやしないさ」
「お前は、その仮面にしばりつけられている。回りのやつらも。お前をトリスタンと思い、そのように行動する。友人も決まっているし、リーダーも決まっている。お前のリーダーのアーサーは、かなりのワーカーホリックだな……」
「まぁ、たしかに……」 アーサーは、決闘や探求のためだったら夜でも呼び出しをかけてくるし、一番の友人のローエングリンは、素顔を見たこともない。
「おまえも、なかまも、何千年もまえに書かれたものがたり通りに生きていくことが決まっている、つまり、お前は『自由』ではないのさ」
「え……」
「ははん、なにか思い当たったな、なにに気づいた?」
「それは、……思いついたのは、……『自由』でないから、毎日がつまらない……? 自分にとって自分がつまらないから……」
「そうさ、ほんっとにその通りだね。お前は『自由』でないから、彼女はお前にほんとうの魅力を感じないんじゃないか?」
「イゾルデを知っているのか?」
「おれは何でも知っている。おまえは彼女にぞっこんのようだが、そもそも付き合うと決まっている人間関係なんて、お芝居みたいなもんだろ」
「ルーチンワークみたいな……? 最近、彼女がお人形みたいな気がしてた……」
「彼女をほんとうに欲しいなら、お前がトリスタンでなくても、彼女をものにできないとな……」
「ぼくは、彼女の瞳がきらめくのを見たいんだ……」
「おれのこのコスプレと仮面を貸してやる」
「え?」
「かわりに、その古臭いコスプレとマスクを寄越すんだ」
「それは、マズラが許さない……」
「お前が下手をうたなきゃ、彼女は気づきもしないさ。このマスクには、頭の中の制御チップを抑制するシールドが貼ってある……」
「……、それは、ぼくは良いけど、あんたはどうなる?」
「おれは、最初から制御チップなんて入っていない」
「なる……、えっ?」
……現代では、すべての新生児に制御チップの埋めこみが義務づけられている。いったい彼は?
「それはどうでもいい。ともかく、これをつければ、お前はほんとうの彼女と出会うことができる。毎日が刺激の連続だ。さぁさ、どうする?」
「……しかし、かあさんは……」
「マザコンか、お前は……、だまって、やる、といえば良いんだ。それでお前は、俺のこの力を身に付けることができる……」
「お前の力……」
「ネズパンダの力だ」
「すべて?」
「すべての闇の力を……」
「やる」
「なんだって?」
「やるっ!」
「言ったな、……マズラの決めたお芝居ではないほんとうの自由を味わうがよい!」
ぼくは決まりきった日常を壊すちからが欲しかったのだ。彼女がぼくを求めるちから……。
ぼくとネズパンダは取引した……。