明日、幼馴染が結婚します。
「ヒロ、飲もうよ」
俺の幼馴染がそんなことを言い出したのは、空にはとっくに星が煌めく、一人暮らしの俺の部屋。
まあ、いくら男女二人きりとはいえ、そこまでならば良しとしよう。
「結婚式の前日に、結婚相手でもない男の部屋で言うセリフかよ」
「今日までは独身だから、セーフ! それに、ヒロだし」
特に後半あたりが引っかかるのだが、お構いなしに冷蔵庫をあさり出す人妻(予定)。
こうなったら言っても仕方ないことはよ~く知ってるので、チータラだのスルメだのといったつまみが並べられていくのを、黙って見ている。
「ほら、カンパーイ!」
「乾杯。ってか、一杯目から俺と同じ芋焼酎のロックかよ。女子力の欠片も感じられんな」
「ほっとけ。てか、ヒロ以外の前ではもっとオシャレなのを飲むから問題なし!」
頭が痛くなってくる……。
一体俺は、この女の中でどんなカテゴリーなんだ?
「結婚されたら、流石にフォローできないぞ。まったく、大丈夫かよ」
「なにさ。フォローしてたのは、あたしの方だし。むしろ、ヒロこそ大丈夫なの?」
「なに言ってんだ。幼稚園の時、活きのいい男子を片っ端から締めて泣かせてた時、いつも一緒に謝ってやってたのは俺だぞ?」
「小一の時、忘れものばかりするから、毎日ランドセルの中身をチェックしてあげてたのはあたしだし」
「小四の時、いい年しておねしょしたって泣きわめいてたのを、上手く処理してやったのは俺だぞ」
「中二の時、魔界がどうの闇の血がどうのって妄言を吐きだしたとき、症状が治まるまで付き合ってやったのはあたしだし」
「中三の時、俺が勉強を見てやったおかげで志望校に合格したんだぞ」
「大学の入学式の日の新入生歓迎飲み会で、初めてのお酒に潰れて手当たり次第にセクハラ始めた時、あたしがフォローしなかったら、今頃は豚箱の中だよ?」
お互いに、退く気はない。
こうなったら、いつも勝ち負けはつかないのだ。
暗黙の了解通り、ずっと合わせ続けていた目線を外し、不毛な戦いがとりあえずは終わる。
「ホントにさ、気を付けろよ。あんな優良物件、なんでお前みたいなのと結婚してくれるのか、未だに理解に苦しむレベルなんだぞ。逃がせば、次はない」
「お互い様だね。そっちの彼女も、なんでヒロと付き合ってるのか謎すぎるよ。あんな基礎スペックの高い上に超絶かわいい子、どこで捕まえたの?」
互いにジト目で睨み合うが、どちらともなく笑い出して、あっという間に空気が緩んでしまう。
「ダメだダメだ。やっぱ、あたしたちにこういう雰囲気は合わないや」
「今更過ぎる指摘だな、おい」
「そうそう、今更だね。高校の時、修学旅行の夜を覚えてる?」
「……なんかあったか?」
嘘だ。
よく覚えてる。
「雑誌で見た、宿の近くにある夜景の綺麗なスポットに行きたくてさ。夜道は物騒だからって、ヒロを護衛に二人で見に行った時だよ」
「……そんなことがあった気もする」
「いざ着いたら、周り全部カップルだらけ。なんか、雰囲気に流されて、変な感じになってさ」
そうだよ。
昨日のことのように思い出せる。
でも、なんで今更こんな話をするんだよ。
「ヒロも口パクパクさせてさ。目が泳ぎまくって不審者丸出しだったね。あの時、あたしが笑って空気を変えてなきゃ、通報されてたに違いないよ」
そう言って、彼女はくすくす笑う。
そして、その乾いた笑みは、すぐに終わる。
沈黙は、長く続かなかった。
「後から考えたんだよ。あの時さ、ヒロは、何か言いかけてたんじゃないかって。もしかして――」
「ていっ」
「あいてっ!」
脳天チョップ。
長年の経験から完璧な力加減を実現させたそれは、目の前の女性をうっすら涙目にさせることに成功する。
「なにさなにさ! ひどいよ、ヒロ!」
「飲み過ぎだ。帰れよ。二日酔いで結婚式とか、ネタにもならんぞ」
「……うげ、それはマズい。さっさと退散するとしますか」
そう言うと、乾杯してからまったく口を付けていないグラスを置いて、彼女は帰り支度を始める。
「送って行こうか?」
「結婚式前日に、旦那様以外の男と二人きりで夜道なんて、ありえないって。目の前の大通りなら、いくらでもタクシー拾えるから大丈夫」
そういうことですんなりまとまり、飲み会はお開き。
とりあえず、玄関までは見送ることにした。
「それでは、夜分遅くにお邪魔しました」
「……ちょっと待って鳥肌立った」
「ぶー。良い大人だってのに、失礼なやつ。どんだけ無礼な奴と思われてるのさ」
最後まで、そんな軽いノリのままだった。
靴を履いて出ていく彼女を見送って、明日の結婚式で幸せそうな彼女と旦那を軽くからかってやる。
それで、良いはずだった。
「なあ」
思わずそう言ってしまったのは、彼女がドアノブに手を掛けた時。
向こうも予期しているわけはなく、振り向いた顔は驚きに包まれていた。
「なに?」
「いや、えっと、その……」
俺は、何が言いたかったんだろう?
いざ口を開くと、何を言えばいいのか分からない。
そうして何も言えないままに、時間だけが過ぎていく。
体感としてはそう長い時間でもないはずだったが、部屋に戻った後で時計を見る限り、たっぷり十五分以上は黙り込んでいた計算になった。
でも、目の前の彼女は、黙って俺を見つめるだけ。
何も言わず、急かさず、ただ待っていてくれた。
「……今、幸せか?」
我ながら、随分と酷い問いかけが出たものである。
俺だって、玄関先で呼び止められてたっぷり待たされた結果がこれじゃ、目の前でしているみたいな大きな溜め息を吐いていただろう。
と、呆れかえっていた彼女だが、その返事には迷いが感じられなかった。
「幸せだよ」
満面の笑顔。
本当に、幸せなのだと感じられる。
「ヒロ、あたしからも聞くよ。――今、幸せ?」
その問いに、もはや迷いはない。
「おう、幸せだよ」
その答えに、満足そうな頷きが帰ってくる。
「そっか、良かった。彼女さんを大切にね? 逃がすんじゃないわよ?」
「お互いさま。旦那を尻に敷きすぎて、逃げられるなよ?」
しばらくは真剣な空気が持つのだが……。
「ぷふっ、やっぱダメだわ」
「今更だな。ハッハッハ」
その後は、どうもこうもない。
手でも振ってやりながら見送って、手なんて振りながら見送られるだけ。
そして、彼女は玄関から出ていき、足音も遠ざかっていく。
「さよなら」
誰も居ない玄関で、その四文字だけが寂しく虚空に溶けていった。




