手招き逝く先
気がつけば、僕はツリーハウスの入り口に立っていた。ついさっきまでツリーハウスの中にいたのにも拘わらずだ。
自分でも、何が起きたかわからない。
急に手を引かれ、視界が暗転し。気がついたらここにいた。
何でだったか……。
「お兄ちゃん。どーしたの?」
ぼやける思考と視界に目をショボショボさせていると、ふと斜め下。〝左側〟から、鈴を鳴らしたかのような、可愛らしい声がする。見れば、栗色の髪を赤いリボンで緩くおさげにした女の子が、僕を見上げていた。
小学生くらいだろうか。僕の腰元位までしかない自分の身長が不満なのか、ピョコピョコとその場で跳ねていた。
……誰だっけ?
「ほら、早く行こうよ。私と一緒に行こう! ね? ね?」
キャッキャと騒ぎながら、女の子は僕の手を引く。指差すは、さっきまで僕がいたツリーハウス。だけれども……。
「……あれ?」
思わず首を傾げる。何だろう。違和感がある。何だかさっきまで見ていたツリーハウスと違うような……。
「滑り台! 行きたいって言ってたよ? だから行こう! 一緒に滑ろうよ。滑っていこうよ!」
滑り台? まさか。さっきも話したじゃないか。それは撤去されたって。
そんな事を考えながらツリーハウスを見上げた僕は……。そこで思わず、「あっ!」と、叫んでしまった。
それは、確かにツリーハウスだった。だが、明らかに違う点が一つ。僕らが思案するために滞在した場所が。トゥーンタウンを一望できる大きめの展望台と言っていい窓枠から……。恐らくは木製であろう茶色い滑り台が、地面に向かって下ろされていた。
「……うっそだぁ~」
思わず、そんな一言が口から飛び出した。豊臣秀吉の一夜城もビックリな、刹那滑り台がそこにある。まるで悪い夢でも見てるかのようだ。……夢の国だけに。
「お兄ちゃん! ねぇ。ねぇってば! 行こう! イこうよ! 一緒に……早く!」
ぐいぐいと、今や全身を使って、女の子は僕を滑り台に誘う。
何でこんなに必死なのこの子。と、思いつつも、まぁ、一回滑る位なら付き合ってあげようか。何て気持ちも芽生え始める。
せっかく滑り台があるんだ。遊ばないなんて少しもったいない。
そう思い、女の子に促されるままに、一歩踏み出そうとした時だった。不意に反対――。右側の手が、きゅっと。誰かに握り締められる。
はて……〝誰だ?〟
そんな事を思いながら、右手を見る。そこで思わず「うわっ!」という声を上げてしまった。
手だ。白い女の手が、しっかりと五本の指を組む形で、僕の手を握っていたのだ。
「――っ! ダメっ! 離して! 早く!」
女の子が、悲鳴をあげる。あまりにも大きく、切羽詰まったようなそれに驚き、僕は右手を動かそうとして……。
「あ……れ?」
そこで、違和感に気がついた。
女の手は、離れない。同時に……。僕の手もまた、動かなかった。
「なん……で、だ?」
まるでそこだけ違う意志をもっているかのようだった。手を離すことを拒否しているかのような、そんな感覚だ。
「やだ! 取らないで! 見つけないで! 行くの! イクの! このお兄ちゃんと逝くの! やっと見つけたの!」
涙を流しながら、女の子は僕にしがみつく。
チクリとするような胸の痛みを覚えたのは、必然だろう。こんな子どもが、身を裂くような泣き声をあげていたら?
震え、怯えていたら?
普通ならば、力になりたいと感じるだろう。僕だってそうだ。だから……。
「僕は、何も取らないよ。大丈夫。大丈夫だから」
安心させるように、女の子に話しかける。すると女の子は、鼻水をすすり上げながら、潤んだ目で僕を見上げてくる。
濡れた鳶色の瞳には明らかな恐怖の色が見てとれた。なので一先ず、「何が怖いの?」と、問いかけてみる。
「その手。怖いの。離して。それで、一緒に来て! 寂しいのが怖いの。誰も私と遊んでくれないの。滑り台があれば、一緒に遊べるの。一緒に行って欲しいの……滑り台」
矢継ぎ早にまくしたてられ、困惑しつつも、僕は静かに。噛み砕くように女の子の話を聞く。
寂しい。怖い。そんな負の感情が、繋がれた手を通して伝わってくる。ああ、だからか。だから滑り台が現れたのか。
ここが夢の国だから。なら……。
「わかった。じゃあ遊ぼう。一緒に滑りに行こう」
「本当に? 一緒に逝ってくれるの?」
夢の国なら、彼女の望みを叶えることが……。
そこまで考えたその時だ。
本当にそれでいいのか? そんな声が聞こえた気がした。
待て、待つんだ。どうして……。僕は何しに、ここに来たんだっけ。
自分の格好を省みる。
緑色の、ロビンフッドな衣装。それは……都市伝説を探すために纏った装束だ。
探しに来て。どうしたんだ。
女の手が、少しだけ動く。薬指が優しくひっかかれて、再び、慈しむかのように柔らかな指が絡んでくる。
ああ、知っている。
この感触も、指の細さも。込められた合図の意味でさえ。
彼女は……有言実行してくれたらしい。本当に頼もしい〝相棒〟だ
そう、変なツアーに巻き込まれて。なし崩し的に僕らの目的も果たされて……。で、僕は何を思った。
気持ち悪い。
そう、気持ち悪いのだ。あまりにも出来すぎていて、気持ちが悪い。
違和感を……感じたのだ。いいように利用されているかのような……。
まるで……そう……。
「……お兄ちゃん?」
女の子が立ち止まり。僕を泣きそうな顔で見上げる。その小さな頭を撫でながら。〝目的も何もかも思い出した〟僕は静かに、語りかけた。
〝彼女〟は彼女で、きっと何かやってくれてる。手が繋がっているから、何となく分かる。彼女が探索してくれてるなら是非もない。
彼女が受信し、僕が干渉する。
だから本質と対峙している今は、僕が頑張るのだ。
「滑り台滑って……何処に逝くんだい?」
「……あっ!」
核心を突く僕の言葉に、女の子は悪いことがバレたような顔で、言葉を詰まらせる。純粋な引き込み。言い換えれば取り憑き。そういった幽霊達は、無意識に言葉を……言霊を利用し、相手を縛る。
彼女にとっては、キーワードは滑り台だったのだ。あるいは、遊ぶことか。
子どもの遊びの誘いは唐突ではあるが、ルールはある。それに僕とメリーの会話が、不幸にも当てはまってしまった。
遊びの誘いに、乗ったと見なされてしまった。
後は遊ぶだけだ。ただし、遊び〝行く〟訳ではない。イク。逝く。練られた言霊で、僕を取り殺す。
幽霊がよくやる手。そして幸運にも僕が、何度も遭遇してきた事だ。そして、取り憑き、殺すのにも、やはり人間の殺人と同様に、動機が存在する。ただ、ここで違ってくるのは、彼ら幽霊は未練や、抱く感情に依存する。当たり前ながら、人とは根本的に違うのだ。
殺してみたかった。憎かった。何らかの欲望。そんな〝生易しい〟ものではない。
寂しいから憑き殺す。
寒いから憑き殺す。
男だから。あるいは、女だから憑き殺す。
髪を切ったばかりの人だから憑き殺す。
空が蒼いから憑き殺す。
視える人だから憑き殺す。
触りたいから。近くに来たから。パーカーがダサいから。車が嫌いだから。
小さな子を。通りすがりの人を。御坊さんを。運転手を憑き殺す。
そこには、害意があるときも無いときもある。故に幽霊は時に恐怖で人に勝り。悪意で人に劣る。
だけどその恐怖の源泉たる感情を理解して、話が出来れば。説得は可能なのだ。……勿論ケースバイケースだけど。
「怖いの?」
「うん……寂しい」
「どうして?」
「ずっと私だけだから。」
「そっか……誰も気づかなかったんだもんね」
「見つけて欲しかった。私は……私だけでは……」
「逝きたくない?」
「……うん。だから、お兄ちゃん逝こ。触れる人はじめて。これで忘れられない」
「そうだね。けど、僕と逝っても、君は忘れられるよ?」
僕の言葉を欠片も予想していなかったのか。女の子は目を見開く。
「どうし、て……?」
「だって、君の思いを知っているのは、今は僕だけだから。僕も逝ったら、それも消えちゃう」
「…………あ」
女の子が、目に見えて狼狽し始める。僕はその手を一度離し、そっと、小さな頭に乗せる。
柔らかな髪。ふと、唐突に、実家の妹を思い出した。お転婆で皮肉屋で、けど、甘えん坊なアイツ。元気にしてるだろうか。
「……向かえに来てくれないの。忘れられちゃったの。ここに来る子は……みんな誰かと一緒なのに」
「一人でそれでも頑張ってたんだね。偉かったね。いい子だったんだね」
「うん……お兄ちゃんは……」
「ん~?」
すがるように。怯えるように。それでいて祈るように、女の子は僕の手に触れる。握り締めるでなく、触れるだけ。
「私が、いい子に見える?」
「見えるよ。だってこうして、僕の話も聞いてくれるからね」
「……怖くない?」
「もっと怖い人に会ったことあるんだ。へっちゃらだよ」
「私を……私を……。忘れない? 私がどんなにちっぽけでも、忘れないでいてくれる?」
「勿論だよ。相棒にも紹介する。僕と彼女で、君の事を覚えていてあげられる」
そこではじめて、女の子は花咲くような笑顔を見せた。涙を滲ませながらも、その表情は美しかった。
「約束だよ?」
「ああ、約束。だから、行くのはそっちじゃない。僕と来て欲しい」
「……私の事も、離さないでいてくれる? 私が……私が……」
まだ怖いのだろう。小刻みに震える女の子の頭から手を離し。今度は僕の方から、女の子の手を握る。
「大丈夫。見守ってるよ。君が何であれね。君が逝くまで。僕がついてるから。だから……僕も還して欲しい」
右側の、僕と手を繋ぐ彼女の手を、女の子はじっと見つめ。やがて、わかった。と頷いた。
唐突に、ガラガラと何かが崩れるような音がした。
見ると、ツリーハウスの滑り台が砕けて、地面に倒れていくところだった。途端、それらはまるで砂の城であったかのように風化し、塵へと帰結していき……やがて、何もなくなった。
同時に空が割れていく。今更ながら、そこは茜色の夕焼け空だった。それがパリパリと、茹で玉子の殻が剥けるようにひっぺがされて、その奥から、満点の星が輝く、夜空が顔を出す。
僕はそれを女の子と、彼女の手と一緒に眺めていた。
ディズニーランドでは、星が見えない。見えても、ここまで荘厳には輝くまい。奇しくも忘れ去られた光景で、夢の国の裏側だからこそ見れた奇跡だったのかもしれない。
「魔法みたいだな」
そんな言葉だけが僕の口から漏れたのを最後に。再び。僕の世界は暗転した。
※
最初に認識したのは、土の匂いだった。そこから続けて、懐かしいハチミツの香りと。暖かい手の感触。そして、左手に乗った、乾燥した熱くもなく、冷たくもない何か。
「おはよ。凄いお寝坊さんだったわね」
聞き慣れた声が、すぐ上からする。メリーだった。またしても彼女の膝枕のご厄介になっていたらしい。
「……ここ、は?」
チカチカする視界の中で、何とか周りを確認しようとすれば、そこはやんわりと、メリーに止められた。「入り口よ。あの手……いいえ、正体がわかった以上、その子か。ファーストコンタクトの場所」と、メリーは説明した。
フム、一応ツリーハウス内にいた筈だけど、こんなとこまで来たのか。
頭を振るのは諦めて、視界だけで情報を得る。
今いるのは、入口看板の前らしい。が……ここは住人たる二匹のリスと、オブジェが置かれてはいなかったか?
「ああ、私が撤去したわ」
「何故に!?」
「必要だったからよ」
シンプルながら謎な理論を頂いた。見れば、唯一コンクリートによる硬化を免れていた場所だったらしく、青々とした芝生が覗いている。もっとも、その芝生もズタズタになり、無惨な有り様だ。これ……土の匂いするあたり、掘り返したのか? 誰が? ……メリーしかいないか。何だろう。混乱してきた。
「色々説明が欲しいな。まず場所だけど、もしかして、君が運んだの?」
「ご名答。あの後、辰の手を取り、引っ張り合いの取り合いになったの。けど、人間に力じゃ叶わないって悟ったのかしらね。あの手、早々に貴方に延髄チョップかまして、意識刈り取り。肉体は私が確保してても、精神は取られちゃって……参ったわ」
「お、おう」
コミカルなようで凄まじい攻防が行われていたらしい。てか我が相棒よ。君、素の腕力で幽霊に勝ったのか。歪みねぇな。
そんな感動半分畏怖半分でメリーを見ていると、彼女は不意にクスクスと笑い出しながら、そっと、僕の左手を指差した。
何だ? と、思いながらその視線を辿る。そこに……。
「……ああ、成る程。ちっぽけでもって、そういう事か」
納得しながら、そこを見る。
僕の手に乗せられていたのは、骨。いや、ミイラと言った方がいいだろうか。
落ち窪んだ眼窩。小さな骨組み。そこにいたのは、ボロボロの色が抜けたリボンを首元に巻いた、鼠を思わせる小動物だった。
「箸より重いけど、それに負けるほどか弱くもないつもりよ」
「箸持てないのにリスに勝てるとか、もう絶対その女の子演技してると思うんだ」
「言ったでしょう? 女は謀り、化かし。たまに物理も行使するかもしれないわ」
「怖いわー女の子怖いわー」
おどけたような顔で笑うメリーを受け流しつつ、僕は一旦、メリーに握られていた手を離す。
そうしてそのまま、リスのミイラにそっと手を重ねた。
「約束だからね。覚えてる。これからもね。だから、安心して」
それが合図となった。ミイラはポロポロと、初めて時間が動き出したかのように自壊していき。やがて僕の手には何も残らなかった。
無事成仏出来たのだろう。
「ツリーハウスには、人骨なんてなかった。何もないけど、僕は覚えてる」
最後以外はわざとらしくそう言えば、メリーのエプロンドレスのポケットが震え出す。取り出された招待状には、三つ目のチェックボックスにマークがされていた。これにてミッションクリアらしい。
それを見た僕は、安堵と共に、益々確信を固めつつあった。
「幽霊や怪異に触れ、干渉できる。裏を返せば、成仏させることすら可能な手……。いつ見ても、凄いわね。指フェチな私からすれば、惚れ惚れしちゃうわ」
「君の素敵な脳細胞と視神経には負けるさ。……君が指フェチとか初耳だぞ」
「言ったことなかったもの」
そんな事を言い合いながら、僕はため息と共に全身を弛緩させ、暫し身体をメリーに預ける。
葬送は、意外と疲れるのだ。
チラリと、メリーのもう片方の手を見る。土やら芝生で、綺麗な手指はあんまりな程に汚れていた。何があったかは察することしか出来ないが、頑張ってくれていたのだろう。
「手……離したらもっと楽だったんじゃないかい? ここまで運ぶのだってさ」
「あら、逆の立場なら、貴方は離すの?」
可愛らしく首を傾げるメリー。僕はといえば、少しだけ口ごもりつつも、「まぁ、離さないか」とだけ返した。ちょっとだけ照れ臭くなったというのもある。
なまじ付き合いが濃いと、この後彼女が何を言うかすら、何となく分かってしまう。繰り返すが、彼女はただ、有言実行しただけに
過ぎないのだ。
「だって、言ったでしょう? 引っ張られても離さないわって。貴方は私の相棒よ? 貴方だけは……盗られたくないの」
少しだけ頬を染め、そっぽを向きながら、メリーはそれだけ告げる。
彼女が手を離さないでいてくれたから、僕は助かったのだ。だからこの照れも、甘んじて受けることにしよう。
残るは後三つ。
時刻は既に、八時を回っていた。