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平和と暴力と

 ボートに何かが衝突すると共に、背後から何かが笑う声がして……。

 そこからの僕とメリーが行った行動は、実に迅速。かつ無駄がないものだった。

 直ぐ様立ち上がり、メリーの手を支えに、不安定な船上でバランスを保ちつつ、僕はボートの背後へ。ボートはぶつかっただけだ。誰かが僕らのボートに乗り込んで来た様子はない。ならば……。


 目を凝らす。暗がりに、さっきの黒ずくめの輪郭が辛うじて見えた。完全な暗黒ならまだしも、中途半端な暗がりでは、黒は寧ろ栄えてしまう。故に僕は、奴が何をしようとしているのか、瞬時に把握した。


 あ、ヤバイ。


 弾き出された結論は、悲しくなるくらい簡単だった。

 向こうさんは、この暗闇で僕をほぼ完璧に把握してるらしい。最初は僕らのボートに乗り込むつもりだったのだろう。

 だが、僕らが怯むどころか、予想以上に早く行動し、かつその狙いもわかってしまった。接触したボートを無理矢理引き剥がす。それを察した彼……もしくは彼女は……。それを為さんとする僕を直接排除する気なのだ。


 振り上げられたナイフが、暗がりの中で薄ぼんやりとたゆたう、弱々しい光源の元で、鈍く閃く。

 振り下ろすか。

 僕が力を込め、事を成すか。

 どちらが速いかは明白だった。


「――こ、のっ!」


 だが、この場において僕は一人ではなかった。僕や黒ずくめよりも速く、動いた人がいた。メリーだ。

 小さく気合いを入れながら、メリーは長めの(ステッキ)をまるで槍のように振るう。突き刺しの要領で押し出された丸みを帯びたステッキの柄は、見事に相手の股間を撃ち抜いた。


「…………! ……!」


 声にならない悲鳴を上げ、うずくまる黒ずくめ。男たる僕はそれを何とも言えぬ思いで眺めながらも、僕は当初の予定通り、ボートとボートを引き離しにかかった。


 よっ――。と、掛け声混じりに、向こうのボートの頭に、思いっきり蹴りを入れる。水の浮力も手伝ってか、相手のボートはあっさり横向きになり、その隙にボートはゆっくりと進む。僕らは一先ず難を逃れたらしい。


「……助かったよメリー。ありがとう」

「どういたしまして。……何だか、手応えがなかったわ。暖簾でも押した気分よ」


 ところで、何故よりにもよって股間を攻撃したのだろう。判別用か? 判別用なのか。とも思ったが、言及しないが吉だろう。こうして助けられた事には変わりないのだ。

 改めて、周りを見渡す。暗い一本道ならぬ一本の運河。光源はないのにぼんやりとした明かりがあるのは、壁で何かがうっすらと光っているかららしい。鈍いエメラルド色。しっかり見れば幻想的なんだろうけど、生憎それに見とれている暇はなかった。


「……あ」

「ん? どうしたの?」


 僕が周囲の分析を進めていると、不意に横でメリーが乾いたかすれ声を出した。何事かと僕がそちらを振り向くと、彼女はさっきのMVP。鉄製のステッキを握り締めたまま、頬をひくつかせて……。


道具(アイテム)……。四つまでなのに、一つ使っちゃった」


 困ったような顔で、メリーは招待状を僕に見せる。

 そこには、浮かびあがった文字によるミッションの指示。その下に……デフォルメされたステッキの絵が追加されていた。



 ※


「やっちゃったのは仕方ない。寧ろ、あそこでやらなきゃ僕がやられてたし」

「……そう言ってくれて嬉しいわ」


 どんぶらこ、どんぶらこと進むボートの最後尾に陣取りながら、僕らは並んで座り、互いに深呼吸する。

 背後からは、時折黒ずくめが乗るボートが迫ってくるが、それが追い付く事はない。

 ステッキのリーチが届く範囲になれば、メリーが「えいっ、えいっ」と、相手を押し戻しているのだ。

 相手はじれたようにナイフを振り上げるが、無駄な癇癪に終わる。正直ステッキを捕まれでもしたらそれで終了な気もするのだが、相手は気づいていないようだ。見た目より幼い思考回路なのかもしれない。


「……取り敢えず、これからどうするか考えよう。無力な僕らでも、それくらいは出来る筈だ。言うだろう? 〝人間は考える葦である〟」

「パスカルね。数ある言葉の中でも、特に秀逸だと思うわ。じゃあ取り敢えず……風が吹いてるから、しなるとしましょう」


 そうして僕らは知恵を絞る。

 延々と続く運河は、代わり映えのなく同じ景色を僕らに見せ続ける。ひょっとしたら、永遠にこのままなのでは? そう錯覚しそうだった。

 招待状のミッションと、渡されたアイテムをにらめっこする。



『生きてアトラクションを脱出せよ。アイテムは船の前の席に。ただし使えるのは四つまで。今より向かうは鯨の腹。選択を間違えるな。たとえ向かう道が死に結び付こうとも、ここは、イッツ・ア・スモールワールド』


 ナイフ、ロープ、松明、マッチ、長めの(ステッキ)、林檎、ピノキオの人形、竪琴、拳銃。

 このうち、ステッキは使ってしまった。

 因みに、手に持つだけならば使ったことにはならないらしい。あくまで、それで何を成すかが重要らしいが……。


「〝鯨の腹〟……ね。焚き火でもするかい? 丁度マッチがある」


 ディズニー映画のワンシーンを思い出しながら、僕が提案する。

 映画、『ピノキオ』

 確かストーリー上では、鯨に飲み込まれた育ての親を助けるために、ピノキオも腹の中へ侵入。内部で焚き火を起こし、煙で鯨を噎せさせて脱出を謀るという、何とも破天荒な事をやらかしていた筈だ。

 

「再現する案は賛成よ。けど、今は状況が違うわ。後ろからナイフを持った輩に、ピノキオは追い回されてないもの。そもそも、何を燃やすの? 松明なんかじゃ噎せてくれそうもないわ」

「……ボート?」

「そうしたら、もれなく帰る足がなくなるわ。私達、仲良く水底ね」

「入水して心中なんて、どこぞの文豪みたいだ」

「……私は貴方の愛人になったつもりはないわよ」

「僕だって、君をそんなのにしたくはないさ。相棒(メリー)


 落ち着くように、互いの手を強く握る。水の近くにいるからか、不思議と身体と一緒に脳が冷えていくような気がして。触れ合う手と肩だけが暖かかった。

 

「相手の船をジャックして、それを燃やすとかどう?」

「ナイフと銃で武装して? 君、たまに本当に容赦ないから怖くなるよ。夢の国でそれって、結構過激すぎやしないかい?」

「こんな酷いデスゲームを課せられてる時点で、夢も希望もないじゃない」

「まぁ、そうだけどさ。平和を良しとするここで……ん?」


 そこで不意に、僕の頭の中で電流が走る。

 思わずもう一度、招待状のミッション内容を確認する。

 


『たとえ向かう道が死に結び付こうとも、〝ここ〟は、イッツ・ア・スモールワールド』


 メリーの言葉をもう一度思い出す。ダメだ。まだ、確固たる証拠がない。


「メリー。君のヴィジョンの詳細、もう一度」

「え? もう一度って……泣いてる男の子と、ナイフと私達。……これくらいしか語ることはないわ」

「……ナイフと僕らは同時に見えた? 確か後半は、明らかに誰かの視界を通してたんだよね?」

「……ええ。そうね。ナイフと、私達。同じ視界にあったわ」


 メリーの顔が、真剣なものになっていく。僕が言わんとしている事を察したらしい。


「ナイフの持ち手は? 刃の向きは?」

「……ナイフの刃は下向きで、順手よ」

「手の甲が見えていた?」

「ええ、見えていたのは手の甲よ」

「指は?」

「開いたと仮定するなら、下向きに」

「……成る程ね」


 なら、多分僕の推測は正しい筈だ。


「さっきも言ったけど、手応えはなかったわ」

「じゃあ、反撃を受けて、ビックリしたってだけか」

「相手が幽霊なら、飛んできてもいいものだと思うけどね」

「ボートに縛られているのか、それとも、〝君がジャックした視界の主〟から離れられないか。どっちかだと思うな。ともかく……ちょっと僕に考えがあるんだ」


 僕がそう宣えば、メリーは青紫色の瞳を輝かせ。


「いいわ。聞かせて。貴方の素敵な手と指で、一体何を成そうというのかしら?」


 そう言って、微笑んだ。



 ※


 再び、黒ずくめが乗ったボートが近づいてくる。メリーがステッキを振るうことはない。、妨害はしない。そう二人で決めたのだ。

 ゴツン。と、鈍い音を立ててボートが接触する。ズカズカとボートに乗り込んで来た黒ずくめは、僕らの方を見ながら、震える腕でナイフを振り上げ……。

 僕はその手首を、素早く掴んだ。

 ヒヤリと冷たい。わりと頻繁にあるありふれた感触に、僕は心の中で「ビンゴ」と、呟いた。


「!?」


 驚いたのは黒ずくめの方だ。〝幽霊である〟自分が見えても、触れられる人間がいるとは思わなかった。そんな分かりやすい反応に、少しだけ笑いそうになりながら、僕はナイフをはたきおとした。


「ご覧の通り、僕は君に触れられるし、見えるんだ。だから、そんなことしなくても大丈夫」


 なまじ幽霊が見えて、そういうものとの接触を繰り返しているうちに、見えてくるものもある。

 例えば、見える人を殺めて、自分達の領域に引き込まんとするタイプ。〝彼〟はこれの典型例だろう。総じて、力は弱い傾向がある。本当に強い霊ならば、殺意などを感じた時には既に手遅れだったりするのだ。その分〝彼ら〟は、分かりやすい。


「ここはスモールワールドなんだ。争いなんか止めて、一緒に遊ぼうよ」


 笑顔と共に向けられた僕の言葉に、黒ずくめは後ずさり。まるで指示を扇ぐかのように自分の乗ってきたボートにチラチラと顔を向ける。オロオロとする様は、まるでピエロのようにも、迷子になった子どものようにも見えた。

 すると……。ボートの奥からゴソゴソと物音がして、何かがゆっくりと立ち上がる。

そこには〝予想通り〟小さな男の子がいた。


「……普通ナイフを持っていて。それを視界に収めたまま、私達を見るには、自ずと持ち手と刃先の角度は決まってくる」


 メリーが静かに、取り落とされたナイフを拾い上げ、指で弄ぶ。


「順手なら、ナイフは上向きになる筈。けど、刃先は下向き。なら逆手持ちか。ノン。私はナイフは順手持ちでと言った。物凄い腕を曲げて無理矢理順手で持つも、出来なくもないけど、そうなると視界に刃を入れつつ。が、不可能になる。私が見たのは、手の甲だったから」


 ポチャン。という音を立てて、ナイフが川に捨てられる。黒ずくめと男の子は、それをぼんやりと目で追ってから、再び僕らに目を合わせた。


「以上から考えられるのは、メリーが見た視界は、黒ずくめでもない他の誰かが見たもの。いや、最初だけは黒ずくめだったのかな? 泣いている君を見ていたから」


 メリーのだした結論に僕が結論を下しつつ、そっと手を伸ばす。男の子は唇をワナワナと震わせて。まるで信じられないものでも見たかのように僕らを見つめ……。


『遊んでくれるの? ボクが怖くないの?』


 やがて、か細い声でそう呟いた。

 僕とメリー、二人が返す返答は、今更告げなくてもいいだろう。

 ボートの乗組員が二人から四人になった瞬間だった。

 争いが無縁な場所故の結末。招待状にも書いてあった事だ。〝選択を間違えるな〟〝相応しくないものを排除しろ〟

 拳銃やナイフによる排除は、ここで認められうる筈もなかったのである。


 ※


「何して遊ぶ?」が、お歌になってから小一時間後。僕とメリーの間に陣取った男の子は、最初の暗い表情が嘘だったかのように御満悦だった。

 因みに黒ずくめは僕の隣。肩を組んで来る辺り、意外とファンキーでフレンドリーな奴なのかもしれない。ついでに、無駄にイケメンボイスだった。

 そんな僕らの様子を見るメリーが楽しげに含み笑いをしていたのは忘れるとして。ついでにメリーの美声に思わず固まって聞きいってしまったのは……置いておいて。

『星に願いを』『ウィ・アー・ザ・ワールド』に『ミッキーマウスマーチ』その辺りを何周かした頃。僕とメリーはそろそろ出なきゃ。と、自身の中で区切りをつけた。


「で、どうするの? もう片方のボートでも燃やす?」

「ボートを燃やす発想から離れようよ。それも考えたけど、それだと時間がかかる上に、下手したら水で掻き消されちゃうよ」


 そもそも、火種が松明だけで済むか怪しいものだ。だから僕は、もっと手っ取り早い方法を思い付いていた。


「焚き火は起こせなくても、ここは〝鯨の腹〟なんだろう? なら……」


 せっせとアイテムをかき集める。使うのはメリーが咄嗟に持ち出した鉄製のステッキ。そこに松明をロープでくくりつけ、マッチで火を点ければ完成だ。


「これでここの壁を炙り焼きにすればいい。さしもの鯨も、お腹を焼かれたら僕らを外に出さざるを得ないだろうさ」

「……貴方は私を容赦がないと評するけど、そう言う貴方も大概だと思うのよ」


 争いがない。って、何だったかしら? なんてメリーは呟くが、それには苦笑いで返すより他はなかった。


 ともかく、これで使ったアイテムは四つ。

 実際には脱出に使いそうなのは松明とマッチ位なので、残り二つは救済枠な気がする。

 基本他のアイテムはダミーだろう。

 拳銃やナイフは使用自体が御法度だったろうし、思わせ振りなピノキオ人形は、恐らく解答者をドツボに嵌まらせる為の囮に違いない。鯨の腹だなんて、いかにもだ。後は……。


「船、動かせるんだよね? 君らのボートに乗せてもらって、壁側まで寄せて貰えるのは可能?」


 僕がそう問えば、黒ずくめは黒い手袋がはめられた手を上げ、グッ。と親指を立てる。OKらしい。


 元いたボートから、さっそく向こうのボートへ乗り移る。

 最初に男の子。次に黒ずくめ。そこから僕。最後に乗るメリーに手を貸すべく、僕が振り向けば、彼女はぼんやりとボートに佇んだまま、何かを考えるように口元に手を当てていた。


「……メリー?」

「……え? あ、うん。今行くわ。行くんだけど……」


 僕の呼び掛けに歯切れ悪く返事をしながらも、メリーはまだ釈然としない顔で、ボートに残された使わないアイテム達を眺めている。そして……。


「……ん」


 何を思ったか、ヒョイッとピノキオ人形をつまみ上げると、それを片腕に抱いたまま僕の手を取り、ボートに乗り込んだ。


「……え? 何故に?」

「持つだけならセーフでしょう? 記念よ」


 しれっとそう言い放つメリー。いまいち意図は読めないが、メリーの事だ。なにか考えることがあるのだろう。

 そう結論付けた僕は、そのまま新しいボートに乗り込んだ。壁にぐいぐい近づいたのを期に、僕は火を灯した松明を壁に近づける。すると……。


 変化は、劇的に起きた。

 ブルリと、運河全体が振動し、水が逆流し始めたのだ。


「大当たりみたいよ」

「だね。招待状は……何の変化もなしか」


 考えてみたら、まだアトラクションから出ていないのだ。ミッションはまだ終えていない。けど……。


 メロディーが、流れてくる。つい一時間程の冒険だったのに、妙に肩が張るようだった。それがほぐれていくのを感じる。歌は世界を救うだなんて事を誰かが言っていた気もしたが、実に正解に近い考えだと思う。だって聞こえるだけで、こんなにも心が安らかになるのだ。


『辰兄ちゃん! メリー姉ちゃん! これ! ボク、この歌歌いたい!』


 無邪気に笑う男の子。「小さな世界ね。いいわよ」と、微笑みながら、メリーは小さな男の子を抱っこして、自分の膝に乗せる。男の子は顔を輝かせ、きゃっきゃと笑っていた。思いの外好評だったらしい反応に戸惑ったのか、メリーのちょっぴりオドオドした視線が僕と合う。

 二人して顔を綻ばせ、吹き出してしまったのを、黒ずくめはうんうん。と、頷きながら微笑ましげに見守っている。お前本当に何なのさは……言わないでおく事にした。


「普段は歌えないわよね。他のお客さんいるし」

「確かに。ある意味で二度とない機会だね」


 そんな僕とメリーの会話を皮切りに、メロディーは世界を回る。

 元気よく歌う男の子。イケメンボイスな黒ずくめ。

 綺麗なメリーの声。それに負けぬよう、僕もまた、心を込めて歌う。

 ボートは進み、ヨーロッパへ。アジアからアフリカ。中南米を越えてオセアニア。そうしてフィナーレへと向かっていく。


 ふと、メリーの指がモゾモゾ動く。親指を円を描くようになぞる。意味は、「離さないで」そこから彼女の小指が動き、僕の小指を軽く引っ掻いた。


 ……え?


  サインの意味を悟り、声を出さなかったのは、我ながら賢明だった。歌が終わり、胸騒ぎが収まらぬうちに、ボートも出口へと向かっていく。すると突然、男の子がメリーの膝から立ち上がり、ボートの前の席に飛びのった。


『楽しかった。凄く楽しかったよ。本当にありがとう。だから、絶対また来てネ。〝表〟で待ってるよ』


 プシュー。と、空気が抜けるような音がして、男の子は消え失せた。続けて僕の隣から、音もなく黒ずくめが、立ち上がった。


 フードを被っているが故に、表情は見えない。だが、少なくとも敵意はないように見えた。

 そして……。


『ありがとう。Mr.辰。君がボクやあの子に触れてくれた時、凄く嬉かった。正解だよMissメリー。〝ボクに気づいてくれて〟ありがとう。安心して。君達は、ボクが守る……!』


 そう言って、黒ずくめもまた、アイスクリームが溶けるように消えていき……。残されたのは僕とメリーの二人と、音楽が途絶えた不気味なアトラクションだけだった。

 感じるのは、鳴動するようなボートの進むような音。そして……。


 じっとりと汗ばみ、小刻みに震えるメリーの身体だった。


「メリー!? どうし……、てかさっきの〝警戒〟って何を……?」

「……来る、の」

「え?」


 か細く告げるメリーの顔は、青ざめている。その時僕は、再び彼女が、何らかの受信を得たのを悟った。それも、ただ事ではない内容。そんな直感があった。


「何が見えたんだね!? 何を……」

「船……底」


飛び出したキーワードに、僕は首をかしげる。メリーは息も絶え絶えになりながら、「水の中……凄い速さで進んで来る。〝ピノキオ〟の結末、は……」連続でヴィジョンを見た弊害か、メリーはふらふらだ。

 その肩を支えながら、僕は高速で頭を回す。


 再び何かの視界を見たのだ。

 水の中。船底? 相手は水中にいるのか?

 ピノキオの結末? 確か育ての親と鯨の腹から脱出した後に……。彼は……。


 待て……、鯨?


 一瞬にして、全身の毛穴から汗が吹き出した。

 ついさっき、背後から空気の抜けるような。何かを噴射するような音が聞こえなかったか?


「…………ぐっ!」


 四の五の考えている暇はなかった。出口の船着き場まで、まだ微妙に距離はある。けど、今は一刻も早く、地に足をつけたかった。


「ごめん、メリー!」

「ぇ? ひゃん!?」


 一言詫びをいれ、僕は彼女を横抱きにし、ひとつ前の席に移る。視界の端で黒いさす叉を思わせる、大きな何かが水の中から覗いていた。

 もう奴は、僕らのすぐ後ろまで迫ってきていたのだ。


「っ……おおおおっ!」


 渾身の力を込めて、メリーを抱きかかえたまま、ボートを蹴る。船着き場まで何とか飛び移れた僕らは、そのまま転がるように水から離れた。

 直後。


 雷鳴のような音を立てて、僕らのさっきまで乗っていたボートは真っ二つに引き裂かれ。ものの数秒で藻屑と成り下がった。

 骨が折れるかのような何かを噛み砕く音を、僕らは互いの身を抱き締めながら、黙って見守るより他はない。


 そこにいたのは、鯨だった。

 勿論、従来の鯨の種と比べれば随分と小さい方だろう。大きめの鮫や、シャチに近いかもしれない。

 だが、そんな大きさ理論は、今の僕らには大して意味をなさなかった。

 ようは僕らを殺せるだけのパワーを秘めているか。否か。

 話はそれだけな、いたってシンプルなものだ。

 そうしてそいつは僕らの目の前で、その力を示して見せた。頭部を水から出し、ボートをひたすらに蹂躙するその様は。捕食されるという原初的な恐怖を、僕らに呼び覚まさせるには充分過ぎた。

 あのまま乗っていたら、どうなっていたか。……考えたくもなかった。


「……あ」


 そんな中で、メリーが短く、か細い悲鳴を上げる。

 彼女の視線を辿ったその先にあったのは……。

 鯨の(あぎと)に噛み砕かれ、バラバラなまま水底に沈んでいく、ピノキオ人形の姿だった。

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