小さな世界の裏側へ
ホーンテッドマンションを後にした僕達は、取り敢えず現状を再確認する。
スマートフォンは圏外。
更に恐ろしい事に、時計は夕方六時を指していた。
僕らがホーンテッドマンションに入ったのはお昼前だった筈だ。軽く七時間は経過している計算になる。
僕らが眠っていたのか。時間が進んだのかは分からない。けど、閉園時間が夜の十時ならば、タイムリミットは後四時間という事になるのだが……。
「……違和感に含まれるのかしら? 人がいないディズニーランドなんて」
「……招待状に何の反応もなし。外れだね。そもそも探すのは違和感ではなく、相応しくないものだ。ここは完全招待制らしいから、僕ら以外には誰もいないのは……ある意味で納得だけど」
園内に人影は皆無だった。イントロミュージックすら流れないテーマパーク。そんな中でアトラクションだけは鈍い音を立てて稼働しているのが、何とも言えない不気味さがあった。
待ち時間がゼロだ。なんて喜びはしない。楽しむとは空気や雰囲気が重要なんだという事を、痛いほどに思い知らされるようだ。
「さっきのチュートリアル。一応チェックポイントに含まれるのね。なら、残りは五つ」
「多いやら少ないやらだね。まぁ、話し合ってる時間も惜しい。とっとと行こう。先ずは……」
園内地図を眺める。現在位置はディズニーランドの七つあるエリアが一つ。『ファンタジーランド』と『クリッターカントリー』の丁度境目にあたる。
ここから何処へ行くべきか。怪しい場所は?
事前にメリーと見たものを思い出しながら目を動かしていると、不意にメリーが「こことかどう?」と、ある一点を指差した。そこは……。
※
「何と言うか。こうもガラガラだと、違った怖さを感じるね」
「スタッフもいないしね。事故があったらどうするのよ全く。訴えて……。裏ディズニーランドってどこ管轄? 誰を訴えればいいの?」
「ネズミの王様じゃないかな」
「……訴訟で勝てる気がしないわ。止めておきましょう」
「賢明だ」
トラッシュトークをしながら、僕らはアトラクションの乗り場へと進む。がらんとしたスロープを歩けば、僕とメリーの靴の音が反響し、それに混じって水が流れる音がした。
ホーンテッドマンションから、東へ真っ直ぐ。ハチミツ狩りをする熊のアトラクションの一つ手前に、そこはあった。
積み木の城を思わせる外観に限らず、内部の壁にも所狭しとばかりに世界の有名な建築物がデフォルメしてデザインされている。
『イッツ・ア・スモールワールド』
それがそのアトラクションの名前だ。人工の運河を、大型の二十人がけボートに乗り、世界中の子ども達が『小さな世界』を歌う中で、約十分の穏やかな船旅を楽しむ。老若男女幅広い層に人気のアトラクション。
あらゆる世界をいっしょくたに混ぜ、その中で世界は一つと謳うその様は、世界の縮図ともいえるかもしれないし、世界平和の理想を掲げている。とも取れるだろうか。人によっては色々な解釈が出来るだろうけど。
「……乗っていいのよね?」
「まぁ、乗らなきゃ始まらないだろうし」
ボート乗り場にて、僕らはぼんやりと流れていくボートを見る。
誰も乗せないまま、どんぶらこと行く船達。停船しない辺り、勝手に飛び乗れ。そういう事だろうか。
一艘がアトラクションの中へと本格的に入って行くのを見送った辺りで、再びボートが僕らの方へ近づいてくる。
「……先に行くよ」
そうメリーに告げ、僕は素早くボートに飛び乗る。丁度真ん中の席に立ち、後から来るメリーに手を差し伸べる。「ありがと」と、微笑みながら、メリーもまた、ボートに乗り込んだ。
「……もしかしなくても、園内のアトラクション、全部待ち時間なしだったりするのかな?」
「係員もなし。安全点検ももれなくなしでしょうけどね」
何それ怖い。
そんな反応をしつつも、僕らはボートの席に腰かける。
ゆったりと動くそれは、やがて小さなトンネルを潜り抜け、一つの世界に到達した。
『小さな世界』の歌に合わせて、至るところで子どもを模した人形達が歌っている。
子どもだけの世界=平和とウォルト・ディズニーは語っていたという。普通にメリーとディズニーランドに来ていたのなら、その辺についてもお喋りする所だが、生憎今は事情が違う。
探すべきものを優先すべきだろう。
「スモールワールドの都市伝説って、どんなのだっけ?」
「たしか、ピノキオ人形を持った男の子がいるって話よ。他の人形と、明らかに作りが違うらしいわ」
「ありゃ。僕が見たのと違うなぁ。因みにその子がどこに現れるとか情報は?」
「アトラクション出口にいる。人形達の中に紛れてる。これが半々よ」
「つまり正確な位置が分からないって事ですね。わかります」
取り敢えず探してみるわ。と言うメリーに人形の探索は任せ、僕は件の招待状を取り出す。具体的な指示はこれに書かれる。何て言ってたけど、果たして……。
「……ん?」
そこで僕は、思わず目を見開いた。招待状の上を、妙な紋様がウネウネと動いていたのだ。
ホーンテッドマンションで見た
思わずメリーの肩をペチペチ叩く。当たりを引いたらしかった。が、どうしたことか、彼女は僕の呼び掛けに無反応だった。
「メリー?」
思わず隣を見る。視界に入ってきたのは、こめかみに手を当てながら、苦しげに顔をしかめているメリーの姿だった。
「……待って、辰。今、揺らさ……ない、で……!」
息を荒げながら、メリーは僕の方へもたれ掛かる。この反応には、覚えがあった。無差別かつ唐突に幽霊やオカルトの現象を感じ、視界に収めうるメリーは、この場に来たことによって、何らかの念か。あるいは現象を受信してしまったのだろう。白昼夢のようなもの。と、本人は言っていた。
活動中には度々起こりうる事態。故に僕は彼女に肩を貸したまま。そっと繋いでいた手を引き寄せ、もう片方の手で包み込む。
肩に乗ったメリーは、二、三度深呼吸しながらも、小さくこちらの手を握り返したあと、こっそり僕の小指の関節に軽く爪を立てた。
メリーと一緒にオカルトを追っていると、本当に色々な事に遭遇する。
細やかなものから、洒落にならないものまで実に様々。だから僕らはそんなものと対峙するうちに、ちょっとしたハンドサインを取り決めるようになった。
例えば服の襟元を引っ張る仕草は、『定めた地点で合流しよう』
相手の人差し指の関節をなぞれば『了解』
中指なら『却下』
そして小指は……『警告』
僕の身体を、瞬時に緊張が走り抜けた。
さっきのサインから察するに、メリーは何かしらよくないものを見たらしい。
僕が極力平静を装っていると、不意にメリーは僕の首に腕を回し、正面から抱きついてきて。
「ちょ……メリ……!」
「そのまま聞いて。で、ボートの後方は見ないで」
そう囁いた。
緊張を孕んだ声。ただ事ではなさそうだ。
頭が冷えた僕は、そっとメリーに腕を回す。端から見たら、互いにしか見えていないように。その実で僕らは、全方位に向けて神経を研ぎ澄ませる。
「……何か。見えたんだね」
「ええ。見えたわ。男の子が、暗闇で泣いていたの。その後に……ボートに乗った私達の後ろ姿と……握られた……ナイフ」
どれも繋がりが分からない内容だ。そんな呟きを漏らすと、メリーは小声で「バカ。分からないの?」と、僕を罵倒した。
「前半はともかく、後半は明らかに誰かの視界を通してたわ。私達はボートに乗ってるのよ?」
「…………成る程。把握したよ」
背中を冷たい汗が伝い落ちた。僕らは水上にいる。そんな僕らを後ろから眺めるにはどうすればいいか。
答えは簡単だ。僕らが乗ったものの、次に来たボートに乗ればいい。
おさらいしてみよう。誰もいないと思われたアトラクションに、ナニかが現れて。僕らを見ている。そして、その手にはナイフが。
……ああ、もの凄く嫌な展開である。
チラリと横目で、手にした招待状を見る。そこには……。
『生きてアトラクションを脱出せよ。アイテムは船の前の席に。ただし使えるのは四つまで。今より向かうは鯨の腹。選択を間違えるな。たとえ向かう道が死に結び付こうとも、ここは、イッツ・ア・スモールワールド』
……成る程わからん。
「……メリー。君の頭が前の席側だ。何が見える?」
「……ナイフにロープ。松明に、マッチ。長めの杖に林檎? あと……ピノキオの人形と竪琴。うわ、拳銃まであるわ」
そして謎過ぎるラインナップだ。こんなのどうしろっていうんだ。てか、生きて逃げろ? 制限時間が来たら僕らのお命頂戴ではなかったのか。理不尽だ。
「……敵を確認した方がいいと思う。何だかこのまま相手を把握しないでいると不味い気がするんだ」
「正気? 私のヴィジョンで見えたって事は、十中八九オカルトの類いよ? ナイフまで持ってるみたいだし……」
メリーは何処と無く否定的な声色だ。
「なら、僕だけ見るよ」
「やめて。って言っても聞かなそうね……。知らないわよ?」
「万が一僕が変になったって思ったら、容赦なく正気に戻してくれ。何やってもいいから」
「……何やってもいいのね。了解。言質とったわ。……無茶はしないで。変って思ったら、強めに握って」
メリーの人差し指の関節をなぞる。改めて思うが、彼女の手はびっくりするほど柔らかい。
静かに深呼吸する。そして……。僕はゆっくり首を動かした。
「…………酷くありがちなのがいる」
「具体的に説明して」
「黒い頭巾をスッポリ被って、黒いマントで身体を隠した……何か」
曖昧すぎると言われそうなものだが、本当に文字通り黒ずくめの何かが、僕らから数十メートル離れた後方にいた。メリーが見た通り、ボートの上にまるで幽鬼のように立ち。手にはナイフを握っている。
風もないのにマントの裾がパタパタ揺らめいていた。その場所だけ、空気の質感が違う。重苦しくも絡み付くような気配が、こんなにも離れているのに感じ取れるようだった。
「辰。辰? 正気? 私達が初めて会った場所と状況は?」
「渋谷のホテル。君も僕も、大学受験の為にそこに宿泊していた。で、食堂で夕食を摂ってるときに、たまたま同時に心霊現象を目撃した」
「OK、正常ね」
忘れもしないファーストコンタクトだ。それを判断材料にしてくれる辺りは嬉しいけど、感傷に浸っている暇はなかった。
僕が黒ずくめを認識した次の瞬間――。不意にボートがギギギ……。と、不気味な軋みをあげながら、急旋回し始めたのだ。
「何? 何で、急にコースを……?」
乾いたような震えるような声を出すメリー。心なしか、腕にも力が入っている。
一方で僕は、位置取りの関係上、ボートが向かう先が見えていた。
そこは、本来は壁の筈だった。だが、ボートが傾いた瞬間に、そこはまるで立体パズルのように音を立てて動き出し。ぽっかりと。何かの口を思わせる暗い穴を造り上げた。そこはご丁寧に、ボートの進むであろう進路の果てにあった。
それを見た時、僕はこうも嫌な予感とは当たるものなのかと、自嘲するように笑うより他になかった。
「メリー。君が事前に調べた都市伝説は、ピノキオ人形を持った、男の子だっけ?」
「ええ。そうよ。アトラクションから出る時に、また来てねって話しかけて来るそうだけど……」
彼女はヴィジョンで男の子を見たと言う。成る程、都市伝説に沿っていると言えるだろう。だが、都市伝説について調べたのは彼女だけではない。
都市伝説を追う以上、彼女程ではないにしろ、僕だって幾つかは調べたのだ。
「僕は、別のを発掘したよ。偶然にもスモールワールドでのね。曰く、スモールワールドには……」
今は使われていない。失われた第二のコースが存在するのだとか。
そこは常闇と、囁き声に満たされた世界とも、使われなくなった人形の墓場とも。混雑時にゲストを回すための、予備の秘密ルートともいわれているのだとか。
勿論、眉唾物だ。……眉唾物である筈だった。
「……穴が空いてて。そこに向かってるね」
「私も今肉眼で確認したわ。……落ちないわよね? これ、スプラッシュマウンテンみたいに落ちないわよね?」
「僕はスペースマウンテンで披露したから、今度は君の悲鳴を聞きたいなぁ~なんて……場をなごませてみる」
「悪趣味だわ。……ベッドでなら聞かせてあげるわよ?」
「……冗談だよね?」
「冗談よ。言わせないで。恥ずかしいわ」
現実逃避もそこそこに。僕らのボートは穴に入り……。その後、〝もう一隻〟分入り込んだ気配と共に。再び機械的な音を立てて、穴は塞がれた。
訪れたのは静寂。
暗闇。
常闇。
暗黒の世界。そして……。
ケヘヘという笑い声がしたのと同時に、僕らのボートの後ろで、ガツン! と何かが衝突する音がした。
追いツイタ。
そんな囁きがすぐ後ろからして……。