最後のピース
伸びてきた手を僕はぼんやり見ているしかなく。「辰!」というメリーの鋭い叱責がなければ、容易に首を絞められていただろう。現実に立ち返った僕は今まさに迫る白い骨から身をかわし、反射的に握り拳を作った。手は、僕の方が掴めないと悟るや、今度はメリーの方へ向かっていく。流石にそれを許すほど、僕も呆けてはいなかった。
「させるかぁ!」
慣れない拳を振るう。人間相手に喧嘩などしたことない僕の素人に毛が生えた程度のパンチ。
格闘技を嗜んでたり、場数を踏んでいる人なら受け止められそうなそれは、僕らの間近に迫っていた骸骨の頭部にヒットして……。まるで漫画のように、頭が飛んでいった。
「……っ! ええぃ!」
あまりにも簡単に骨が外れた事に、一瞬思考が停止しかけた。が、これ以上ない好機に、僕はメリーの手を引き、その場を一目散に離れた。頭を失った骸骨の胴体は、目に見えて動揺したようにノロノロと動いている。頭蓋骨が地面と衝突し、バウンドしていく音だけがその場に響いた。
「……やった?」
「いいえ、動いてるもの。今の……〝成仏パンチ〟でしょう?」
「……毎回言ってる気もするけどその気が抜けるような技名止めてくれないかなぁ」
「シンプルでいいじゃない。コテコテの聞いたら鳥肌が立ちそうな酷い名前がお好みかしら? なら……そうね。エターナル……」
「成仏パンチで結構です!」
説明しよう。
成仏パンチとは。僕の幽霊やら怪異、心霊現象に侵入・接触・干渉できる力を利用した、わりと強引な手段である。
やり方は簡単。幽霊消えろーでも。破ーっ! 何てどこぞの寺生まれみたいにでもいいから、取り敢えず念を乗せて対象を殴るだけ。
弱い霊ならこれで除霊できる。そう。弱い霊なら。
実際には上手くいかないことの方が圧倒的に多い。成功したのは数ある怪奇やら心霊現象に遭遇しまくってる僕の人生においても、三回程。
以前高速道路を時速百キロで走るという都市伝説の怪異。ターボお婆ちゃんとやりあった時など、「マッサージかぇ? いい子、いい子」と、頭を撫でられた挙げ句、高速移動で粉々になったビスケットを貰った程のゴミ火力なのだ。
しかもこれ。やってる僕は物凄く痛いときた。そんな欠陥だらけなこの技(?)だが、唯一誉められるのは……初見の霊なら、ビックリくらいはしてくれる事だ。
霊は人間に干渉するのはわりと容易なのに対して、逆はそんなにない。つまり、隙を作って逃げるのにはうってつけだったりする。
「何処に……行けば……!」
「人気……は元々ないわ。骨っ気のないとこに行きましょう!」
「けど……周り骨だらけなんだろう? どこに……」
「今……探してるわ! とにかく、トゥーンタウンを出ましょう!」
相談しながら、とにかく走る。周りのアトラクションの明かりや、道端の街灯がポツポツと消えていく。
おいおい。閉園までまだ時間あるだろうに。という突っ込みをした所で、誰に届くというのか。下唇を噛み締めながらも、僕の思考を絶望の二文字がゆっくり。少しずつ侵食していく。
ただでさえ何が起きているか分かりかねているのに、ここにきて視界まで奪われるときた。多少夜目が効くにしても、涙目にならざるを得ない状況だった。
はぐれぬようメリーの手を引き、それはもう全速力でなりふり構わずに。
走るのは僕の方が早い。だから、多少は速度を僕の方がセーブしなければいけないが、それでも、二人で走るにしては、それなりの速度は出せていると思う。
こう見えて僕らは、脚力には自信があるのだ。昔から色んなものに遭遇してるからではないか。というのがお互いの弁。
「……っ、そっちの道ダメ! 迂回しましょう。先に七体くらいいるわ!」
「合点!」
慌てて叫ぶメリーに従い、急停止からの方向転換。
心霊現象を視界に収めうるメリーは、霊的な存在の気配を僕以上に鋭敏にキャッチ出来る。周りが見えなくても、それは例外ではない。
辛うじて見えるメリーの指先が指す方へと、足早にその道を遠ざかった僕の耳に、骨が擦れるような音がした。何てこった。あのまま進んでたら、骸骨達に揉みくちゃにされていたらしい。メリーの探知力に感謝だ。
ぶるりと身震いすると、メリーが短い悲鳴混じりに、「止まって……いえ、殴って!」という叫びを上げた。すると、不意に視界へ再びぼんやりとながら、白い輪郭が飛び込んでくる。
「う……わぁああ!」
構わず拳をお見舞いする。相手の手はやはり、明確な害意を持って僕らに伸ばされていた。再び吹き飛ばされる骸骨の頭。おどおどする胴体の足に、メリーがキックをお見舞いしたのが見えた。
パキン。パキャ。という嫌な音が耳に貼り付くが、動揺している暇はなかった。
「やっぱり、人形の子と一緒ね。何らかの霊が、骨に取り憑いているみたい。私でも蹴ったりできるわ」
「動きが遅いのも、せめてもの救いか。蹴散らしながら進めば……」
「つかむ。噛みつく位しか攻撃手段がないのも追い風だわ。倒しても復活しそうだけど、バラバラにしちゃえば、時間が稼げるわ。取り敢えず、そんな感じで周りが見渡せるシンデレラ城に……っつ!?」
わりと物騒な事を相談していた矢先。メリーが雷でも受けたかのように身を強ばらせ、その場で静止する。走っていた僕はたたらを踏む羽目になったが、文句は言うまい。この場では、メリーの判断に身を委ねるのが最善策。彼女が止まったのだって、きっと意味が……。
「……って、ちょっと待て」
だが、それは希望的観測だったと、僕はすぐに思い知る事になる。
トゥーンタウンを抜け出して、シンデレラ城へ。そんな即興のシナリオだが悪くはないだろう。そう思っていた。
その、あまりにも衝撃的な惨状をを見るまでは。
シンデレラ城。その名の通り、ディズニー映画、『シンデレラ』の作中に出てくる、王子様のお城をモチーフにした場所にして、ディズニーランドのちょうど中心に位置する建造物だ。
「……酷いわ。女の子からすれば、夢みたいな場所なのよ?」
メリーが嘆きたくなる気持ちはよく分かる。俗にいうシンデレラストーリーなんて輝かしい言葉があるが、そこはそんな輝かしいもののシンボルであり。夢の国たるディズニーランドを、最もリアルに感じさせる場所と言っても過言ではないだろう。
だからこそ、それは悪夢のような光景だった。
待ち合わせ場所に。記念撮影に。告白に。そんなありとあらゆる人間模様やドラマを見つめてきたであろう城の周辺は……。
月下にて不気味に蠢く骸骨の群れで、所狭しと多い尽くされていたのだ。
※
「……もうどうしたらいいか、分からないんだけど」
「奇遇ね。私もよ」
静かに、暗闇の中で息を殺しながら、僕らは寄り添っていた。
触れ合う手と半身。そこだけに唯一の安らぎを感じつつ、僕らはようやく巡り巡ってきた、熟慮するチャンスを活かすべく、必死に頭を回していた。
「こっちは……骸骨達がいなくてよかったね」
「七つあるエリアの中で、ああいうゴシックなホラーが似合わないとこっていったら、ここ位だもの。妥当な逃げ道だったと思うわ。ここまで骨だらけなら、いよいよ覚悟を決めなきゃいけなかったかも」
「ゾッとするね。骸骨に押し潰されて死ぬなんて。絞め殺しか、殴り殺しか、噛み殺しか。……どれも嫌だよ」
想像したのか、メリーはイヤイヤとするように首を横に振る。
何となくその頭をポンポンと叩くように撫でれば、柔らかな髪の感触が手に伝わり……。
「……えっと、これは、何?」
「……何だろう?」
戸惑うメリーに、苦笑いを返す。僕も一連の行動は自分のことなのに意味を見出だせなかったけれども。ただ、この綺麗な亜麻色の髪が無残に引き千切られ。宝石みたいな青紫の瞳が、苦痛や恐怖で歪むのだけは……避けたかった。
「なんでもないよ」とだけ告げる。メリーはまだ釈然としないような顔だけど、それは無視して。今は現状の打開策だけを考えることにした。
「整理しよう。あいつらは、ディズニーランド中に散らばっている。それは間違いないよね?」
「ええ。私のヴィジョンで見た限り。多分ここ以外のエリア全てに散らばっていたわ。数にはバラつきがあるみたいだけど……で、唯一骸骨達の横行が全く無かったのが、ここ『トゥモローランド』のエリア」
コンコン。と、硬い床を叩きながら、メリーは神妙な顔で頷いた。
トゥーンタウンから脱出し、そこでシンデレラ城の陥落を目の当たりにした僕らは、必然的に最後の逃げ場である、南側へと進むことになった。
それがここ、『トゥモローランド』だ。人々の夢見る未来の世界や、最先端の科学技術をテーマにした世界をテーマとしたエリアであり、必然的にアトラクション等も宇宙や未知の技術などを題材にしたものが多い。同時に、未来を扱うが故の宿命か、時代の流れとともに改装を施さざるを得ないエリアでもある。止まることが許されない世界。それが異世界で惑う僕らを匿うことになろうとは、なんとも不思議な話である。
因みに僕らが身を隠したのは、トゥモローランドのフードコートの一つ。『パン・ギャラクティック・ピザ・ポート』
ユーモラスなイタリア系宇宙人が、全自動ピザマシーンを駆使して、銀河一おいしいピザをお届けする。……というコンセプトの場所である。
一階と二階を合わせれば、五百席以上はあるだろうかという大きめの間取り。その奥には、一階から二階までを貫通した、バカみたいに大きな機械が安置されている。これが設定上のピザマシーンらしい。
よくよく見れば穴空きチーズやトマトにパンといった食材の模造品が、ベルトコンベアで流されていく様子が見て取れた。
「未来って割には、機械の構造というか、フォルムが昔っぽいんだけど」
「ノスタルジックでいいじゃない。ピザは好きだけど……厨房まで入るのはねぇ……」
「案外ポップコーンの時みたいに、カウンターに並んだら出てきたりして」
「……出てきたとして……今の状況で食事が喉を通るかしら?」
「……無理だね」
昼間。いや、明かりがついた場所だったのならば、さぞかしコンセプトに笑い。一昔前のSFの世界に来たかのような気分に浸れた事だろう。
だが……。生憎だが街灯が落ち、殆ど暗闇となった場所で、機械だけが鈍い音を立てて稼働しているのは、この上なく不気味なだけだった。
最も、今の僕らには、そんなものにまで恐怖を抱いている暇は無いのだけれど。
「しかし……何で骸骨がここだけいないのかな」
「……そうね、ここは設定の上では未来の世界だもの。未来がない死体や霊達は、入ってこれない。とか?」
「……成る程。凄くディズニーランドらしい理屈だ」
一応納得出来なくもない理由は飲み込んで。僕らはため息混じりに顔を見合わせた。
「で、理屈はわかったよ。何で骸骨なのさ。相応しくないもの探せとか言っておいて、そのいかにも相応しくないもので、思いっきりここを埋め尽くす。……目的は? そもそも、そんな都市伝説あったかな?」
「……該当しそうなのが見当たらないわ。私達が目を留めなかった可能性もあるけど……それならば、私達が全否定した都市伝説達と共に、あの骸骨達も消える筈よ。この分だと、貴方が言ってた、都市伝説を私達に排除してもらう。って動機も怪しくなってくる……。いえ、あくまでも二次的な目的。そんな可能性もあるわね」
「他はあくまでもオマケで、残されたこのチェックポイントが、本当の目的だということ?」
おもむろに招待状を取り出す。記されたチェックポイントは五つ。そういえば、あのあとすぐにバタバタしたせいで、五つ目はしっかり確認しなかった。震えたからクリア。僕もメリーも勝手にそう判断してたっけ。
何かヒントがあるのかも。そう思い、僕らは改めてそれに目を通し……。
「……は?」
「……ふぅん」
僕が目を見開き、メリーは細める。今度は何かと聞かれたら、またしても驚愕の事実が判明した。としか言いようがない。招待状にはこう書かれていた。
ホーンテッドマンションの平行世界霊。
スモールワールドの人形霊と第二のコース『鯨の腹』
ツリーハウスの人骨改め、リスのミイラ。
カリブの海賊の亡霊。
そして……。
「最後の一つは……。裏ディズニーランド!?」
頭の中で、白旗を上げている自分がいた。
何だこれはと連呼した所で、ますます混乱は極まり。僕は思わず額に寄った皺を寄せ、再び深い深いため息をついた。
まるで最後の問題で大逆転できる仕様の、酷いクイズ番組みたいだ。
「何だよそれ。もう前提が引っくり返るじゃないか。意味が分からな……」
「待って、辰。まだ続きがあるわ」
暴発しそうな頭のクールダウンに努めていると、横からメリーが鋭い声で指摘する。
指差されたのは、招待状の一番下。
そこには、相変わらずのクネクネした文字で、こう書かれていた。
〝ここは光輝く夢の国。夢が夢であるために。光が光であるために。現も影も必要なもの。
否定だけが全てではない。
裏ディズニーランドは、過去。今。未来。全ての可能性が沈む場所。表とここは、様々な形で繋がっている。だが、語ることなかれ。秘密は揺り籠に乗せたままが相応しい。
ここは光輝く夢の国。何処かで君達が歩んだ場所。世界で最も魔法に近い場所なんだ。
相応しいものはただ一つ。純真無垢な、楽しむ心だけ〟
沈黙するより他は無かった。モヤモヤする。あと一歩で届きそうでいて、辿り着けないような、そんなもどかしさがある。
それを感じた僕はもう一度深呼吸し。取り敢えず、一回叫ぶ事にした。理不尽続きなのだ。これくらいは許されるだろう。
「さっぱり分からな……」
「成る程。そういう事。酷いことするわ」
「い……うぇぇえい!?」
そんな中での予想だにしなかった彼女の言葉に、僕は 思わずその場でメリーを二度見する。
メリーは、何処と無く気落ちした様子で肩を竦め、「わかったわ。最後の一つが。ただ、これをどうすべきなのかは判断しかねるけどね」そう言いながら、弱々しいウインクをした。
「……ヴぃジョン?」
「じゃ、ないわ。これは推論よ。だけど……多分これが正解だと思う。これならば、何故このタイミングであんな骸骨達が襲ってきたのかも、何となくだけど説明出来るし」
そう言って、メリーはメモ帳を取り出す。ついさっき羅列した都市伝説。そのうちの一つを指差しながら、「キーになるのは、この都市伝説ね」と説明を加えた上で、メリーの口は言葉を……真実を語り始めた。
「ディズニーランドに相応しくないもの。その最後の一つは……私達、『渡リ烏倶楽部』なのよ」