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戯言ですが、

作者: 天地 逆殊

人は、正論や道徳心というものに拘る。

そりゃあ正論が無ければ、争いや諍いが起こった際に困るし、道徳心が無ければ、優しさなんてものは生まれないかもしれない。

けれど考えてみれば、正論は只の多数決や力のある者の言うことに基づいたものであることも多いし、道徳心に至っては、わざわざ学校で授業を設けて、人としてこういう状況下ではどんな行動をとるべきかなんてのを教え込んでいる。

私はそんな世の中が不思議でならない。

誰が言うことが正しくて、何が人として正しいのかなんて、わざわざ定めなければならないものだろうか。

人は殺されない為に殺さない、なんて言葉があるけれど、皆自分に返ってこない為に酷いことはしないだけで、きっと法律やそんな因果応報なことが無ければ、ムカつけば殺す人も出てくるだろう。

本来人は本能のままに行動し、優しさや思いやりなんてものは持たない生き物だったと思うのだ。

それを、人々が自分らが補食されない為に、人間に法律や正論や道徳心、優しさ、思いやりなどを植え付けた。

人はとても利己的で、自分の利益の為に優しくしたり、他人に優しくすることで自分の価値を信じ込んだり。けれど本人は、心からの親切心で優しくしたと思い込む。

きっと私も。

そもそも優しさや親切心なんてものは存在しないと私は考える。

心から、なんて有り得ない。

有り得るとしたら、それは憎しみだけだ。

まあ優しさも、相手と自分、双方に利益があるのだから、別に悪いことではないのだろうが。

とにかく私が言いたいのは、何故そんなに自分の価値をあげたがるのか。というか、何故そんなに自分に価値があるだなんて思えるのか。

そして、他人が自分に関係のない人を殺したときや自分に関係のない誰かが死のうとしたときに、あんなにも熱心に説いたりするのか。

わからない、私には。

でも私だってたとえ他人でも、誰かが殺されれば胸が痛む。誰かが自分から死んでしまえば胸が痛む。

けれどそれでも、自分が誰かを救うだなんて傲慢ではないかと、自分が口を出せるような人間だろうかと考えてしまう。


私には、正しいことが何なのか勿論わからない。

割とよく、周りの価値観とすれ違うことがあるから、もしかしたら私が間違っているのかもしれないと思うこともあるけれど、そもそも物事に正しいとか間違っているとか、そんな白黒はっきりしたものはないのかもしれない。

私だって神様ではないから、本当のところはどうなのか知らない。でも正直に言って、真実があったとしてそれを知りたいとは思わない。

今みたいな諸々を考えるのが楽しいと感じている自分がいるから。

とりあえず、今後自分が生きる上での心の有り方が定まっているなら、今はそれで困らないかなと思ってみたり。


まあ沢山ふざけたことを抜かしたけど、要は只の戯言だ。

何にも気にせず、皆は普通に今まで通り生きればいい。私だって普通に今までと何ら変わらず過ごすから。

それに、そんな深いことを言えるほど人生経験積んでないしね。

ご無礼を、あなたの優しさで、どうかお許しください。


まとまらない、あっちこっちに飛びまくった戯言を最後までお読み頂きありがとうございます。

そんな奇特な方に、大いなる敬意を表して。


本当にありがとうございました。

あくまで私の意見です。

あまりお気になさらず。

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