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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第六章 TRUTH
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 時が、止まった気がした。


「何を言って……」


 眼前に立つ彼女が、精保が血眼になって捜していた凶悪犯罪グループ『伊邪那美の継承者』のリーダー? 美しく聡明で、暴力など無縁。そんな印象をリーシャに抱いてきた。それだけに、この告白は到底理解できるものではない。冗談だとしても度が過ぎるというものだ。

 瞠目する織笠に、リーシャは笑みを浮かべたまま愉しげに口を開く。


「かつてこの国は一度滅び、精霊という転機を経て再生に至った。だが、それは間違い。マスターによって支配を奪われたに過ぎないのです。だから私は立ち上がった。いずれまた転覆であろう未来を憂い、変えるために同志を募って。メイガスも有栖も将来の希望を経つ役目を果たしてくれた。ハイトも私のサポートに尽力してくれた。彼らのおかげで、こうして世界はまた瓦解することに成功したのです」

「――ッ!?」


 織笠は素早く後退し、リーシャから距離を取った。腰元からE.A.W――漆黒の銃を抜き、構える。だが、照準が定まらない。腕が震えている。怒りからなのかショックからなのか。自分でも訳が分からない程、混乱している。


「どうして貴女が……!!」

「偽物のE.A.W。さすが精保……、いやレアさんの技量といったところでしょうか。ですが、例え特別製でもレイジさんにはそんな玩具、相応しくない」


 悲しげに目を伏せ、リーシャは一歩、織笠の方に足を動かす。


「動くな!」


 リーシャは一歩、また一歩と織笠にゆっくりと近づく。その間、悲鳴のような制止を求める声が何度も飛んだが、リーシャは無視。織笠の銃口を掴むと、ぐいっと引き寄せて自分の胸に押し当てた。


「私を撃ちますか? いいですよ。そうすれば全てが幕引きになります。でも、それでは何も解決しない。レイジさんが知りたい真実は永遠に失われることになる」

「……ッ」


 命乞いをしているわけでも、脅迫めいた口調でもない。淡白でさえなく、むしろ織笠を気遣うような言い方。

 呼吸を荒げながら織笠はしばらく逡巡し、やがて引き金から指を離す。彼女の腕を振り払い、悔しさを滲ませるように声を絞り出す。


「今はまだ逮捕しない。別にリーシャさんの言うことに従うわけじゃなく、これは俺の意思。俺としても最後まで知る義務があると判断したまでです。同行してもらうのは、それからです」

「……結構です。これから直面する事実を受け止めて尚、まだ私を裁こうと思えるなら遠慮なくその力を(ふる)えばいい」

「…………」


 織笠を横切り、資料室を後にするリーシャ。

 ……くそったれ。俺は何を……!

 収まりの付かない複雑な気持ちが嵐のように駆け巡る。彼女がいなくなったことで真っ暗になった部屋の中で、織笠は立ち尽くす。そして、銃を額に強く打ち付けた。激痛に歯を食いしばり、リーシャの後を追うため踵を返す。




 二人はさらに地下施設の奥へと進む。

 織笠はリーシャから少し離れて歩いていた。前方にいるのは敵。認識を変えたことで緊張が増し、彼女の背中を睨み付けていた。


「そう怖い顔なさらないで下さい」


 リーシャがくすくす笑う。


「……どうして俺に近付いたんです? 出会った頃はまだインジェクターでもなかったはずなのに」

「知っていたんですよ。貴方が生まれるずっと以前から。そして捜し続けていた。だから嬉しかったんですよ、貴方を見つけたときは」


 眉をひそめる織笠。確かハイトもそんなことを言っていた気がする。


「一つ、昔話をしましょう。私の生い立ちについて」

「どうでもいい。今さら何か言われたところで信じる気になると思いますか?」

「そう仰らず。この話は全ての発端。聞けば世界の見え方が変わりますし、私がこれから案内する場所に繋がってきますから」


 さながら、拗ねた子供を宥めるような口調でリーシャは言った。織笠は好きにしろとばかりに肩を竦める。

 おもむろに、リーシャは両腕を軽く広げた。右腕からは陽の精霊を、左手からは闇の精霊を生み出す。


「この通り、私は陽と闇、両方の力を有しています。これは私の両親が別属性だったことを意味します」

「だが、他属性の婚姻は禁止されているはず。貴女は向こうで生まれた?」

「ええ」

「なら尚更……」


 精霊が多様化される現代においても根強く残る禁忌。掟がある以上、当時はもっと厳しかったはずだ。

 と、彼女の手に宿る相反する二つの光が消滅。リーシャが肩を落とした。背中から僅かに覗く、寂しさ。


「闇の精霊使いである私の母は恵まれた素質を持っていながら身体が弱かった。それ故に役職にも就いていなかった。毎日を集落で静養するしか出来なかったのです」


 沈む声音。今のリーシャに敵意しかない織笠にはこれが演技だと疑ってかかることもできたが、もしも芝居なら大したものだ。


「ある日、母は集落の外に出た。他の人々がどんな生活を送っていたのか、単純に興味――病弱な彼女は、外の世界に憧れていたのもあったのでしょうね。監視の目を抜け、集落から離れた人間の町中で陽の精霊使いと偶然出会った。当時の父とね」

「どうしてその人も外に?」

「父もまた変わった人で。気分で各地を放浪するのが趣味だったようです。父の場合は任務があったとしても、それ放って旅をするような破天荒だったみたいですが」


 懐かしさからか、クスリと、リーシャの口元から吐息が漏れる。


「向こうの世界では他の精霊使いと接点を持つことは禁止されていた。最初は警戒していたものの、次第にお互い惹かれあった。――どんなに強い制約があろうと関係ない。いや、だからこそ感情は燃え上がった。……今の私達みたいではありませんか?」

「……ふざけるな」

「つれないですね。……とにかく、二人は結ばれた。勿論、周囲には黙って。互いの里に縛られるように、たまに会うだけの生活。苦痛だったことでしょう。夫婦でありながら認められないなんて。――悲劇はそこからでした」


 俯き、リーシャは首を左右に振った。一旦伏せた瞳を薄く開くと、今度は硬い声に変化させた。


「二人がどんなに上手く隠せたとしても、他人には怪しく映ったのかもしれない。貴重な逢瀬を見られ、関係が上に知られたのです。二人は強制的に引き離され、軟禁されてしまった。母のお腹には、もう一つの命が既にあったというのに」

「…………」

「しかも問題なのは父の家系が極めて優秀な血統であったこと。特に父の姉は歴代でも類い稀な英傑だった。その時点でマスターの地位に昇り詰めるほどの」

「え、じゃあ……まさか……」

「そう。陽のマスターは私の叔母なのです。会ったこともあるかと思いますが」


 リーシャの歩みが止まる。


「罰則は特になかったようです。父には立場が、母には私がいたからでしょうか。まさか両方の属性を持った何の問題もなく産まれたのですから。……いや、むしろ私がいたことで地獄は加速した」

「どう……なったんですか?」


 鋭い視線が一瞬、織笠に突き刺さる。肩を震わす織笠。続きを促したことの無遠慮さへの怒りではないことはすぐに分かった。それは怒りだったとしても、リーシャ本人に対する憤り。目線を外し、リーシャは息を静かに吐く。


「私には父と話した記憶があまりありません。母が軟禁されている理由も知らず、のうのうと生きていた。幼子だったといえばそれまでですが。今にして思えば、里全体でも両親のことを知っているのは上層部のみ。徹底した箝口令が敷かれていたのでしょう。……それのみならばまだ許せたかもしれない」


 ギリッと奥歯を噛み締める音が鳴る。


「既に決定された罰が物足りないと異を唱える者がいた。それが私の叔母です。彼女は密使を立てて母の暗殺を企てたのです。“アイツは私の弟をたぶらかした”とね」

「それって――」

「そう。完全な私情です。叔母は父を愛していた。それも弟ではなく、一人の男として。結局マスターといえど只の女なんですよ」


 織笠はマスターと会ったときのことを思い出す。女神のような超然とした空気を纏う人物。一度彼女の前に行けば無意識の内にひれ伏してしまうような神々しさがあった。とてもじゃないが、そんな感情の赴くままに行動するような人物とは思えない。


「ただ、あの女にとっても予期せぬことが起きた。母の暗殺が決行された日、動きに勘づいた父が止めに入った。その最中で――」


 握りしめた拳が小刻みに震えていた。悲痛な面持ちで項垂れた姿は、その後の結末を示していた。

 覇気を無くした声でリーシャは言う。


「報せを聞いて、母はとてもショックを受けていました。生きる希望を失うほどに。私も母を見るのは辛かった。だから逃げるようにして修行に明け暮れた。それから数年の後、異世界転移の話が持ち上がったのです」


 リーシャと彼女の母はこの現代にやってきた。リーシャは精霊使いの素質を見込まれ、インジェクターとなり数々の功績を挙げていく。


「当初、あの女のいぬとして働くのは抵抗があった。ただそれを除けば、仲間と新しい社会の秩序を保つために力を使うのはとても誇らしかった。こんな日々も悪くないと思い始めていました」


 精霊使いとして稀有な存在であると共に、強大な力を持つカリスマ。当時のA班からC班まで全インジェクターの中でも屈指の実力を備えていることから“白銀の女帝”と呼ばれ、犯罪者から畏れられていた。

 しかし。

 それこそが最大の過ちだったと彼女は頭を抱えた。


「私の力……そこにあの女は着目した。こちらで手に入れた技術を利用し、他のマスターを味方につけ、精霊使いの合成実験を始めたのです」

「その場所がここだと……」


 リーシャは右手で顔を覆いながら頷く。


「だけど、マスターは何の為に……」

「強力な手駒を作るため……それもあるでしょう。しかし何より、あの女は母への憎しみが全て。父が死んだのも母のせいだと思っているはずです」

「それじゃただの逆恨みじゃないですか」

「その通りですよ。言ったでしょう? 所詮は嫉妬深い只の女だと」

「何故そう言い切れるんですか? 本人から直接聞いたと?」

「いえ」

「じゃあ――」

「実験用に提供された生殖細胞……。それが主に私の母のものだったからです」

「な……!?」


 さすがに織笠も背筋が凍る。


「レイジさん。犯罪を犯した精霊使いはインジェクターに捕まるとどうなりますか?」

「それは……施設送りになる」

「そう。軽犯罪者なら更正プログラムを受け、いずれ時期が来れば社会復帰する。一般的にはそういう仕組みですよね?」


 嫌な予感がした。青ざめた織笠の顔を見て、イナンナは僅かに口角を上げる。


「更正など必要ない、要は一生を獄中で暮らす者、又は死刑囚。最早生きる価値のない者を最初に利用したのです」

「そんな……」

「しかし所詮は無能な能力者たち。合成に成功するほどの優秀な遺伝子を宿しているはずがない。……だから唯一の成功例である母が実験台にされた。何度も何度も細胞を摘出されて。……その苦痛が貴方に理解できますか?」


 先ほど訪れた資料室にあった大量の報告書。何割かは分からないが、あれに載っているのがリーシャの母のものだとしたら。想像など出来るはずもない。


「それによって母は肉体的にも精神的にも耐えられず死にました。病弱なのも災いしたのかもしれませんが、関係ありませんよね。……これで分かりましたか? 私が陽のマスターを恨む理由を」


 狂っている。

 一体、どれだけの人の命を弄んだのか。人の成せる所業ではない。


「あの女は、私の両親を殺した。あまつさえ命だけでなく、人としての尊厳も何もかも踏みにじって嬲り殺したのです」


 だからリーシャは精保から姿を消した。心を許した仲間に一切の行方を知らせずに。

 リーシャの両肩が激しく上下に揺れ始める。泣いているのか……。そう思ったが、小さな顔を覆っていた右腕がだらりと下がった瞬間、織笠の呼吸が止まった。

 (わら)っているのだ。

 唇の端が裂けんばかり開き、形のいい歯が剥き出しになっていた。

 これこそが白袖・リーシャ・ケイオスの本性。出会った頃からの親しみも、食事を子どものような無邪気に頬張る姿も、きっとカイ達に向けていたであろう優しい笑みはもうどこにもない。

 リーシャが自ら口にした深淵に深く飲み込まれ、闇へと堕ちた鬼。壮絶な過去が彼女を変貌させてしまったのだ。


「マスターへの復讐……。それが『伊邪那美の継承者』の真の目的ですか」

「それだけではない。あの女が造り出したまやかしの世界全てを壊す――その為に同志が必要だった。メイガスや有栖やハイト……さらにはアングラに住むストレイエレメンタラー、彼等無くして『伊邪那美の継承者』は成立しないのです」

「だけど多くの関係ない人々を殺していい理由にはならない」


 毅然とした織笠に、リーシャは歪んだ笑みを崩さない。むしろ嬉しそうだ。執着の対象が精神的に強く成長した姿を喜んでいるようだ。


「マスターに対する疑念を植え付けさせたい……それは分かった。貴女に同情する余地もある。騙されるつもりなんてないが、やってきたことはあまりに重い」

「ふふ……。さぁ、行きましょう。目的地はすぐそこですから」



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