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メディエラ率いるC班は、都内の東エリアを担当することになった。パトカーのナビには、事件の場所を示す赤い光点が常時更新され、増加は留まることを知らない。それだけの数が、暴徒と化している。そんな気が狂いそうな現実に吐き気がしつつも、やるべきことはただ一つ。しらみつぶし。それしかない。
現場に着けば、暴力の虜になっていた数多の市民を黙らせるため、まずは警告。それが受け入れられなければ実力行使。その繰り返しだ。
「ふぅ……」
道路上で大人しくなった市民たちに手錠をかけ、メディエラが疲労感を滲ませた息を吐く。
「ここも終了ですね」
涼しい顔をしたサラが、黒いロングヘアをかき上げる。異性の目を引くような派手な美貌ではないが、地味というわけでもない。知的な印象を与える彼女は正に、切れ者の才媛。淡々と職務をこなす姿は、リーダーであるメディエラからすれば十分に頼もしい。事務的といえば聞こえは悪いかもしれないが、影は薄くともチームに一人は必要な人材だ。
「まったく、キリがありませんわね」
「まだ二十ヶ所以上はあります。音を上げてる暇はありませんよ」
「分かってますわ。頭痛がしてきそうだから、あまり言わないで」
通常、こういった大掛かりな事件はA班やB班が処理してしまうことが多い。そこに多少の不満は抱いてはいたが、さすがにこれは骨が折れる。
「にしても、貴女はタフですわね。もう何件も片付けて顔色一つ変えないなんて」
「ペース配分を考えてますから。どこかの誰かさんみたく、常にフルパワーで戦っているとすぐにガス欠を起こしますので」
「ぐぬ……」
「それに体力おバカというなら、ほら」
サラが後ろを振り返り、顎をしゃくる。そこには、仲のいい友達と遊ぶように嬉々として何人もの暴行を起こした市民に手錠をかけるリーメルの姿があった。
メディエラやサラと比べて小柄がゆえに、両サイドで縛った長い金髪が踊る。子どものような容姿とその無邪気な性格から、インジェクターの重責を自覚しているのかと問いたくなるが、実力は本物だ。潜在能力ではC班の中でも一番だろう。
「おねーさまー! こっちも終わりましたー。全員繋いでおきましたよ~」
「では護送車の手配をしませんと」
「既に済ませてます。あと五分もすれば到着するかと」
「五分? やけに早いじゃありませんこと? 精保からここまでだと、かなり距離がありますけど」
「私たちがここに着いた直後に連絡は済ませておきましたから。時間の割り出しは、戦闘開始から鎮圧までの経過から予測。そこからお姉様が仰った精保の距離を加えてあります。しかし、計算では車両がここに到着するまで三分だと踏んでいたのですが……。申し訳ありません」
さも当然のようにサラは言いながら、自分がミスした部分には素直に頭を下げた。サラは、まるで機械のように正確に物事を計る。レアにも引けを取らない分析能力。表情には僅かに残念さが見て取れるのは、二分という微々たる差が、余程悔しいのだろう。
「いえ、さすがですわ。ですが、この状況ですと緊急車両も手一杯でしょうね」
「ええ。台数も足りないでしょうし、一時的な搬送先を別で用意しないとパンクするでしょうね」
やれやれ、とこめかみを手で押さえながら、メディエラは首を横に振る。
「それでは車が着き次第、次の現場に向かいますわよ。それまで待――」
まだまだ先は長い。時間との勝負になるなら、サラの判断は正解だ。迅速に動かねば被害はより酷くなる――そう思った矢先。
上空から通信用精霊が飛んできた。メディエラの元で止まり、音声が入ってくる。
『お姉様。申し訳ありません』
声の主は副班長のノアだ。彼女は隣の区でペルメールと共に作戦行動中のはずである。
「どうかしましたの?」
『とある企業への襲撃犯数名の捕縛を行っていたのですが……。男を一名、取り逃がしました』
思わず、舌打ちが出た。ノアたちの失態を非難してのことじゃない。あちらはツーマンセル。犯人側は人数優位の隙を突いて逃げ出したのだろう。容易に想像がつく。
『現在、ペルメールが逃亡者を追っています。方角から言ってそちらに向かったもようです』
「了解しましたわ。なら、その男のデータをこちらに。私が対処しますから、ペルメールは戻しなさい。単独行動はしないように」
通信終了。精霊が霧散すると同時に、メディエラはリーメルとサラに待機を支持。簡易マップが表示された携帯端末には、ペルメールが男に放った追跡用精霊からの情報が送信されてくる。
男を示す光点は建物の隙間、裏路地を縫うようにしてこちらに近づいてくる。速度は遅い。車を用意していなかったのであれば、接触は簡単だ。
「ここは任せましたわよ!」
部下に叫ぶと、メディエラは走り出す。マップに従い、逃走男を正面から迎え撃つのであれば、自分も入り組んだ路地裏に入るのがセオリー。――が、それはメディエラの流儀に反する。理由は単純。特注の制服を汚すからだ。だから彼女は、最大限に跳躍。建築物を飛び越えながら男の元に向かう。結果、最短ルートという考え方だ。
風を切りながら手元の携帯端末で場所を確認していると、間もなくして交錯地点に入る。地上に目を移すと、脚をもつれさせながら必死に走る男の姿。メディエラは、建物の屋上から垂直落下し、男の目の間に勢いよく着地した。E.A.Wの巨大なランスを男の顔面に突き付ける。
「そこまで! 抵抗は止めて大人しく――!?」
言葉が、途切れる。呼吸も忘れるほどに、メディエラの中で動揺が走った。それは、不意に頭上から人が降ってきたことに対する男の驚きより何倍も。
「あ……なた……は……」
「よぉ、久しぶりじゃないか。……メディエラ」
薄くなった黒い頭髪。人間の見た目で言えば三十代後半ぐらいか。いかにもアングラで何年も過ごしたような、みすぼらしい衣服を着た男。メディエラは、震える唇でその男の名を呼ぶ。
「カヌカさん……」
小さすぎる呟きに、カヌカと呼ばれた男は白い歯を見せる。
「どうして、貴方が……」
「向こうの世界以来、か。長い時間の流れが、お互いをこうも変えちまうとはな」
力を失くした腕が落ち、ランスが地面を叩く。メディエラは、悲痛な面持ちで男に言葉を投げる。
「貴方はかつて、雨の里で英傑十人とも数えられたお人。こちらに来てからも気象庁の重役になられたと聞いておりました。それが何故こんなことを……」
マスターを頂点とした里の組織図。その下に、英傑と呼ばれる実力者が存在する。インジェクターとして活躍するメディエラでも、その域には達していなかった。彼らは、こちらの世界でもある程度優遇された役職に就いていたはずだ。だから信じられない。
そんな愕然とするメディエラに、カヌカは自嘲しながら答えた。
「単純な話さ。クソ生意気な部下に手を上げてな。それから社内の評判はガタ落ち。役職も降ろされ、挙句にストレイ堕ち。会社もクビ。そうなると、社会復帰は難しい。長年一緒にいた家族も離れた。」
「そんな……」
典型的なパターンだ。どんな偉人であろうと、こちらでは簡単に社会的地位を失ってしまう。そんな人間を、メディエラは何度も目にしてきた。底辺に落ちた末、泣きついてでも縋ろうとする姿はあまりにも見苦しい――メディエラはそんな感想をいつも抱いていた。
しかし、実際顔見知りとなると精神的なショックは大きい。
「ストレイ生活は地獄さ。……なぁ、教えてくれよ、メディエラ。俺は、どうしてこうなった?」
昔の威厳とはかけ離れた引き吊った笑みで、カヌカはじわりじわりとメディエラに近づいてくる。反射的にメディエラは仰け反り、後ずさりしてしまった。
「ちょっと、ほんのちょっと小突いただけなんだよ。それなのにあいつは大騒ぎしやがって。そうだ、アイツがいけないんだ。全てあの能無しが俺の人生を台無しにした。だからさ、この騒ぎがチャンスだと思ってよ――そいつを殺してきたんだ」
「なっ……!?」
満足感に満たされたカヌカの顔。その目は既に理性を失っていた。自分の手元を見つめ、奇妙な笑い声を上げている。ストレイ生活の結果が、彼をここまで歪めてしまったのかと、メディエラは唇を噛む。
「その点いいよなぁ、お前は」
カヌカの濁った瞳が、メディエラを捉える。
「ずっとエリート街道でよ。そんなに才能もなかったお前がインジェクターだなんて。陽の当たる最高の場所じゃないか。……何でだろうなぁ、どこでそうなったんだよぉ……」
「カヌカさん……」
「なぁ、代わってくれよ。そのお役目を俺にやらせてくれよ。分かるだろ? 俺は偉くなくちゃいけないんだ。頼むよ、昔のよしみでさ」
罪に対する悔恨の欠如。
メディエラは痛感した。
……違う。
彼は変わってしまったんじゃない――と。
(私たちは、どこかで精霊使いであることを諦めなければいけない。でないと、この多様化された世界に喰われてしまうもの。だけどこの人は……)
昔を抜け出せていないのだ。過去に囚われたまま、進めていないのだ。
眼前の男を救いたい。救わねばならない。
ならば、心を鬼にしなければ。そう決心すると、脱力しかかった身体に、再び力が戻ってくる。
メディエラは重心を落とし、ランスを構える。
「おいおい、なんだよ。俺を捕まえようってのか? やめてくれよ、俺は無実だ。馬鹿を排除しただけ。犯罪じゃない」
「いいえ、貴方はもう立派な犯罪者ですわ。自覚が無いのなら、私は貴方を粛正しなければなりません」
きっぱりと否定する。でないと、この男に対して慈悲が生まれてしまう。
すると、カヌカから笑みが消えた。肩を落としながら、大きくうなだれた。
「……そうか。残念だよ。お前もアチラ側の人間なのか。俺を認めてくれない、信じない邪魔な奴等。だったら、やるしかねぇよな」
言葉に明確な殺意がこもる。
カヌカの右腕。肩口から指先にかけて、薄い蒸気のようなものが発せられた。空間全体に、ひんやりとした冷気が流れ込んでくる。そこから、ガラスにヒビが入るような不快な音が続いた。雨の精霊を急速冷凍しているのだ。水蒸気をまとったカヌカの右腕が、みるみる凍り付いていく。
腕を丸ごと覆った氷塊はまるで鈍器。硬度も見るからに高く、凶器として申し分ない。
しかし。その危険性を目の当たりにしても、メディエラの思考は冷静だった。落胆しかなかった。
(なんてがさつなの……。昔のカヌカさんなら、もっと繊細な美しい氷を作れたのに……)
右腕を振りかぶり、カヌカが突進を始める。一直線に迫り、大きいモーションでメディエラの顔面を狙う。まともに当たれば、頭蓋骨は違いなく砕け散る。
――はずだった。
「かっ……!」
カヌカが呻いた。
先に動いたのはカヌカ。メディエラは微動だにしていなかった。けれども、戦闘経験の差がそこにはあった。
カヌカの拳が届く寸前に、メディエラのランスが脇腹にめり込んでいたのだ。
「ふんっ!」
大男二、三人がかりでも扱うのに難がある巨大な代物を、メディエラは腰を回して横に振るう。カヌカを乗せたまま、薙ぎ払った。見事なカウンターを受けたカヌカは、くの字に折れ曲がりながらビルの外壁に激突。力なく、カヌカは崩れ落ちた。
重い一撃を受けた沈んだカヌカに、メディエラはそっと呟く。
「マナを奪わなかったのは、情けではありません。その痛みを、そしてその罪をしっかり受け止め更生して下さいまし。貴方にはそれが出来ると信じていますから」
気絶したカヌカを拘束したメディエラは、仲間の元に戻る。
カイとユリカは織笠の行方を探るため、もう一度ハイトが倒れていた地点へと戻ってきた。戦闘があった場所は何の変哲もない街並み。普段は人通りも多い繁華街だ。しかし、そこには激闘の足跡が確かに残されている。両者が流した大量の血痕、それに陥没したアスファルトの数々。精霊が莫大に放出された証拠だ。これだけ破壊されれば、当人だって只では済まない――そのはずなのに。
「……一体、レイジはどこに行ったっていうんだ」
「ここでレイジさんが消失したのは間違いありません。地中に染み込んだ二人のマナがまだ残っています」
しばらくの間、地面に手を当てながら地脈を探っていたユリカが言った。
「しかし、ここから範囲を拡げると途端に無くなっている。断線でもしたかのように」
「それは、ここに結界が張られていた……とか?」
「分かりません。私は、モエナのように探知は得意じゃないので」
悔しそうに、ユリカはかぶりを振った。
「ですが、メイガスの件も含めますと可能性としてはあるかもしれません」
「じゃあ、その第三者がレイジを拉致したってことなのか……」
「何のために? 理由が分かりません」
「レイジの特性は『伊邪那美の継承者』も知っていた。あの力を自分たちのものにするため、とかな。……くそっ!」
カイは大きく吐き捨てた。
「連れ去ったとしても、街中の監視カメラにはどこにも映っていませんでした。レイジさんは重傷のはずです。無理があるのでは……」
街の至る所に、精保が設置したマナ測定器内蔵の監視カメラがそれこそ網の目のように張り巡らしてある。死角を探す方が難しいのだ。
まさかジンの言うように、本当に織笠は跡形もなく消滅してしまったのだろうか。カイが強く歯噛みする。
「カイ様、いけませんよ」
表情から察したのだろう、ユリカがカイを優しく諌めた。
「そうだと決まったわけではありません。きっとレイジさんは見つかります」
穏やかな笑みを浮かべてユリカは言った。彼女だって、内心、不安でたまらないはずなのに。根拠もない言葉を出しながら気丈に振舞っている。カイも思い直し、深呼吸しながら自分に言い聞かせるように口を開く。
「ああ。根気よく行こう」
「その意気です」
頷き合う二人。
鎮圧作戦もまだ終わっちゃいない。悲観的になっている場合ではないのだ。
カイの携帯端末に、新たに発生した暴動事件の緊急情報が送られてくる。織笠の捜索を一時中断し、その現場へ車を走らせる。