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車のナビを見ると、時刻は二〇時を回っていた。
レアは、頻繁に襲う欠伸を噛み殺しながら、愛車のスポーツカーのハンドルを握っていた。
精保に連絡を入れたのは夕方だったか。マナの採取には時間がかかる。E.A.Wでもあれば話は別だが、彼女はインジェクターではない。遺体に手をかざし、力を発動――体内からマナを解離させるというアナログな方法しかない。そのため、極限の集中力を要する。精神的な負担が大きく、毎回終わった後は、疲労が激しい。
警視庁を出る前に車内で三十分ほど仮眠を取ってみたものの、あまり効果はなかったようだ。
車は都心から郊外にひた走る。精保まで割と距離があるのがまた辛いところだ。
もう少し寝ておくべきだったかもしれない。もしくは、なにか眠気の覚めるようなものを買うべきか。
とりあえず、空気を入れ換えよう。
窓を開けようとした――そのときだった。
「……ん?」
異変が起きた。
突然、胸のあたりが光り出したのだ。白衣のポケット。レアは片手を突っ込み、楕円状の形をした物体を取り出す。表面がガラスになっているカプセル容器だ。中には黄金に輝く丸い光が浮遊し、ゆっくり上下している。遺体から回収したマナだ。
(この強い輝き……。何かに反応している……?)
体外に排出されたマナは、外気に触れてしまうと、数秒と持たず空気中に霧散してしまう。インジェクターならE.A.Wで事が済むが、一般の職員はそうはいかない。そのためにこのカプセルがある。E.A.Wの機能を解析し、ベースにした特別仕様だ。
マナは発光体。常時光を放つものだが、普段はここまで強くはない。
明滅は次第に激しくなっていく。
(まさか、このパターンは……ッ!)
注意が逸れていた。
大きな衝撃と共に車体が大きく揺れた。何か硬いものでも踏んだのか。前部がバウンドしたようだった。
慌ててレアは顔を前方へ戻す。フロントガラスからの景色が遮られていた。そこでその正体に気づいたレアは、驚愕に目を見張った。
「!?」
ボンネットに人が乗っているのだ。高速走行を続ける車体の上で、男がこちら向きに中腰になっている。
レアの思考が停止した。あり得ない光景を前に、認識は出来ても状況の理解が追い付かない。
短髪の男は目元をサングラスで隠しているために正確な容姿は分からないが、恐らく年齢はレアよりも上。格好は全身黒づくめだった。ロングコートが強風に煽られようが、バランスを崩さないのは鍛えられた肉体のせいか。
男の口元が歪む。それは笑みだった。
この車に落ちてきたのはきっと偶然じゃない――そんな意図が込められた、背筋が凍るような笑み。
男の右腕がゆっくり上がる。同時に、固く握り締められた拳が発光した。色は黄。このカプセルの中身と同じ、目も眩むような黄金の光を放っている。
極めて高密度な精霊。
「くッ!!」
男がボンネットめがけ、勢いよく腕を降り下ろす。レアはドアを開け放ち、横っ飛びに外へ逃げた。地面にぶつかった途端、二回、三回とバウンドし、道路に転がる。
直後、凄まじい轟音と共に車が爆発した。爆炎が夜の街を照らし、粉々になった部品があちこちに飛散していく。
「ぐ、うぅ……」
微かな呻きがレアの口から漏れる。薄く目を開けると、視界がぼやけていた。眼鏡のレンズにヒビが入ってしまっている。
うつ伏せのレアは顔を上げると、すぐそばにカプセルが転がっていた。どうやらこちらは無事らしい。マナは煌々と光を放ち続けたままだ。
安心したレアは、痛みに耐えながら手を伸ばす。
しかし、レアの指先がカプセルに触れる寸前、別方向から現れた何者かの手によって奪われてしまう。
「!?」
そこにいたのは、あの黒いロングコートの男。愕然とするレア。走行中の車を破壊し、しかも間近で爆発を受けておきながら、無傷で立っている。コートですら、どういうわけか焦げた跡がない。
レアは体を起こす。足元がふらつく。受け身など、まるで考えていなかったために、素肌を晒した部分は血だらけ、ジーンズも破れてしまっている。
「……何者だ、貴様……」
レアは男を睨み付ける。
「いきなり車に飛び乗ってくるなんて、正気の沙汰じゃないぞ。映画のスタントマン気取りなら、よそでやれ」
男は鼻で笑う。
「精保で運動能力が優れているのは、インジェクターだけだと思っていたんだが。アンタの反応も見事だった」
「……私を知っているのか?」
「大まかな情報だけ、な」
短く男は答えると、顔の位置までカプセルを掲げ、
「精保の技術はさすがだな。マナをこんな良質な状態で保存できるんだから」
言葉とは裏腹に、男は関心なさげに言った。
「そいつを……返してもらおうか。仕事でどうしても必要なものなんだ」
「事件の証拠品――なのだろう? だったら渡すわけにはいかないな。特定されると厄介なんだ」
「…………成る程な」
レアは瞬時に全てを理解した。男に対する警戒心そのままに、一度深い息を吐き、冷静に言った。
「犯人が直々にお出ましか。道理でお前が現れたとき、そいつが反応したわけだ。矢崎氏を殺した手口といい、派手なやり方がお好みなようだな」
「俺は何をするにも不器用なんだ。手っ取り早くこいつを奪うには、この方法しか思い付かなかった」
「私を待ち伏せていたのか。ご苦労なことだ」
「これを矢崎の体内に残したのは俺の不手際。仕方がないさ」
男が指先に軽く力を入れだけでカプセルに亀裂が入り、みるみる範囲が拡がっていく。ガラス部分は、ちょっとやそっとの衝撃では傷がつかない程、強固な造りのはずだ。が、この男は純粋な握力だけであっさり砕いてしまった。
「な……ッ!!」
絶句するレア。
ガラスの破片が、まるで蝶の羽根のように舞い落ち、マナの光を取り込みながら複雑な反射を起こす。
マナが無数に分裂――空気中に溶けてしまう。
「貴様……ッ!」
「今日の仕事が全て無駄になって残念だな、辰善怜亜」
穏やかな口調で男は言う。
「いや、そもそも精保の存在自体が無駄なのだ。精霊使いを管理する機関など必要ない。そうは思わないか?」
「この社会への批判か。――危険な思想だな。だが、その発言は貴様がストレイエレメンタラーだと認めているようなものだぞ」
「……ふん。正規の精霊使い全員が、この社会のルールに満足しているとでも? 笑わせる」
「では、私を襲ったのも、反社会的なアピールと捉えていいのか?」
「どう考えようが、お前の勝手だ。俺の目的はコイツを回収すること――それのみだ」
男の抑揚のない口調が、レアを困惑させる。
犯罪者の心理分析は専門ではないが、どうもこの男は掴めない。会話をしていても、反応が薄く、思考を読めない。表層部分で悟られないよう、意識的に閉ざしているのか。その体躯も相まって、サイボーグか何かを思わせる。
(……まずいな。どうする……)
大事な証拠が失われた今、どうにかしてこいつの素性を明らかにしなければ。
否定しなかった点から見ても、この男はストレイエレメンタラーで間違いない。タイプは大地。能力の高さは、恐らくユリカと同等か。だとしたら、とんでもない能力者だ。
(そもそも大地の精霊使いは、物質を破壊する術に長けてはいるが……。だが、なぜここまでの能力者が、精保のデータに危険人物リストとして今まで上がってこなかったんだ……?)
疑問は残るが、今優先すべきはこの男の情報をある程度得た上で、ここから離脱する方法を探すことだ。
ただ、男に隙など微塵もない。
実力差は明らか。男が傲慢な態度でも示してくれたなら、まだその優越感を逆手に取れるのかもしれないのに。
サングラス奥の視線はレアを離そうとしない。
頭の中を幾つもの策が浮かんでは、削除する。どれだけ脳をフル回転させても、全て末路は一緒だった。
苛立ちから、舌打ちが出る。
「後は貴様だな」
男は淡泊に言う。
「……口封じか」
「抗っても無駄だぞ」
男の両手が光に包まれる。母なる大地の恩恵が圧縮された、凄まじき力。まるでマグマのグローブだ。少しでも触れてしまえば命はないだろう。
「……そんな簡単にやられはせんさ。せいぜいあがいてやるよ」
レアの口角がわずかに上がる。男に表情の変化はない。単なる強がりだと捉えたのかもしれない。
――だが。
空気が振動する。始めは気のせいかと思うほど、微々たるものだったが、その振動は確実に強さを増していく。
そして、二人の間から小さな白い光が無数に出現し、レアの方へ吸い寄せられる。
ピクリと、男の眉が小さく反応した。
「これは……」
白は、陽の精霊を意味する。レアは陽の精霊使いだった。
陽は太陽――すなわち陽の精霊使いとは、太陽の管理者。管理者といっても、あんな巨大で膨大なエネルギーの塊を直接どうこうするわけではない。ただ、太陽エネルギーは、人などの動物に限らず、草花や木々といった植物も含めた、あらゆる生命の維持、成長には必要不可欠なものだ。生を司る陽の精霊使いが、太陽光を地上から間接的に調整し、生物の活動に支障をきたさないようバランスを保つ役割なのだ。
今は夕暮れ。太陽の恩恵はあまり得られない時間帯だ。それでも、レアの周囲には多数の精霊が集まっている。
戦闘タイプではないレアだが、そこは能力の高い人材が集う精保の一職員。彼女もまた、優秀な精霊使いに違いないのだ。
集まった精霊たちはレアを取り囲む形で停止――ふわふわ浮かんでいたかと思うと、今度は隣り合った精霊が吸着、融合していく。そして、形成されたのは、白いドーム状の物質だった。
「……結界か」
男が低く呟く。
「“レイ・アルター・ドーム”。どんな精霊の干渉も受け付けない、防御結界さ」
「見る限り、精霊の質、密度共に高レベル。なるほど、インジェクターでなくとも、対戦闘用の術は持ち合わせてあるわけか」
「私も元の世界では色々あってね」
レアは薄く笑みをこぼし、半球体の光の壁を見渡す。
「こっちに来てからはデスクワークばかりで体も錆びていたからな。上手くいくか不安だったが、ちゃんと発動してくれてよかったよ」
「ほう……。アンタが向こうでどんな暮らしをしていたのか、興味がわくな」
「私もだよ、殺人犯。貴様のその力、ぜひ詳しく調べてみたいものだ」
男が肩をすくめる。
「貴様が生きていられればな。しかし……、インジェクターが来るまで、そいつで耐えるつもりか? それこそ無意味だぞ」
「余程己の力に自信があるようだな。この結界が持ちこたえられないかどうか、やってみなけりゃ分からんだろう」
レアは強気に言ったが、正直、数分が限界だろうと感じていた。結界の耐久力もだが、維持するだけでも相当な気力を使う。この“レイ・アルター・ドーム”はとにかく燃費が悪いのが欠点だ。体内のマナが湯水のように流れ、消えていく。喋るのも辛いほどだ。全盛期ならまだしも、今になって鍛練を怠っていたのが、仇になった。
レアのこめかみから汗が一滴したたり、顎をつたってアスファルトに落ちる。
次第に肩で息をするようになり、足にも力が入りづらくなってきた。
このままでは……。レアの脳裏に絶望がちらつく。
だが、男はレアの予想に反し、意外な言葉を口にした。
「鈍いな。いや、それとも正常な判断力がなくなっているのか?」
「……何?」
眉をひそめるレア。男は、呆れたように首を振っている。
……何だ? ヤツは何のことを言っている?
レアは、怪訝な表情を浮かべながら周囲に目を配る。
夜の街に何ら変わった様子はない。黒コートの男、それに後ろに燃えている車ぐらいなものだ、異物なものは。
「――ッ!!」
そこで、レアはようやく気が付いた。
あまりに静かすぎる。この場にいるのはレアと黒コートの男のみで、ほかに誰もいないのである。
これだけの騒ぎを起こせば、野次馬の一人や二人、集まってもおかしくはないのに。
ぞっとするぐらい、人の気配がない。
「ようやく分かったか」
静かな調子で言う男に、レアはぎこちなく視線を戻す。
「お前がここを通る前に、人払いを済ませておいた」
絶句。思わず、立ちくらみが起きた。
精霊の力で人払いをするなど、レアの頭脳をもってしても、理解の範疇を超えていた。
人払いというものは、ある一定の範囲の空間を支配、さらには、その外側の人間の意識を拒絶するものだ。どちらも、並みの精霊使いが出来る芸当ではない。特に不特定多数の人間の集団意識を操作するなんて、一種の神の御業だ。マスタークラスでも難しいはずである。
それを、この男は実に簡単に口にした。
しかも。
確か人の心を操るのは、陽の精霊使いの技だ。
だがこいつは。
なら、やはり……。
「言っただろう、これは俺のミスが招いた結果。騒ぎが大きくならないための人払いだ。なにせ貴様を殺すなど、予定には入っていなかったものでな」
男を取り巻く空気が一変した。
相対する者の呼吸さえも奪うような威圧感が、さらに増長――計り知れない殺気がレアに牙を剥く。
大地が、大きく揺れる。
「悪く思うなよ。精保の頭脳、辰善怜亜」




