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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第一章 インジェクター
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 ――この現実は一体、何なんだろう?



 織笠零治(おりかされいじ)は、メディカルセンターの待合室に座りながら、そんなことを思った。


 本当に何事もない、平凡な一日で終わるはずだったのに。


 いつものように大学に行き、いつものように授業を受け帰宅しようとしたら、これまた“いつものように体調が悪く”なったので、かかりつけのこの場所に来た――それが織笠零治にとっての日常だった。

 織笠は至って普通の大学生だ。身長も平均的だし、体重も少し痩せぎみ。ただ、昔からよく体調を崩す傾向にあるので、幼少期から病院通いの生活を送っていた。

 厄介なのが、はっきりした病名は今なお分かっていないところだ。ホルモンバランスの乱れ――というのが医者の見立てではあるが、とりあえず薬をもらい、それで事なきを得ている。発症して十年以上はもう経つだろうか。


(はぁ……)


 心の中でため息を吐いて、黒い柔らかな髪を掻く。あまり首を動かさないようにしながら、視線だけで辺りを見回してみた。

 このメディカルセンターは東京でも指折りの巨大総合医療施設であり、最新鋭の医療機器、あらゆる分野の名医を集結させている。真っ白に塗られた空間は、クリーンさを際立たせ、患者に菌をイメージさせない。加えて、何台もの空気清浄機が音も立てずに稼働している。角に観葉植物が置いてあるが、恐らくは作り物だろう。入り口に足を踏み入れた瞬間から精神のケアを、というのがありありと伝わる。

 彼の横には青ざめた顔の老人男性。反対側には白衣を着た若い女性看護師がうなだれている。背後にも人々が密集しており、皆一様に怯えと不安、恐怖の色を映し出していた。


 実のところ、彼らは全員、ソファに座っていない。患者、職員に(かか)わらず、硬く冷たい床の上にまとめさせられていたのである。


 事の発端は、二時間ほど前。四人の男性グループが突如、この場所へやってきたこと。

 全員が揃いの薄汚れた緑のロングコートを羽織り、フードを目深にしてサングラスで顔を隠していた。あまりに異質な出で立ちに、周囲も訝しげな視線を投げかけたが、すぐに事態は最悪な方向へと落ちる。

 男たちは物騒な銃や刃物を取りだし、この施設内を占拠。逃げ遅れた多々の人間を人質を取り、立てこもりを開始したのである。

 織笠も診察を終え、帰ろうとしたところでタイミング悪く巻き込まれてしまったのだった。

 

 そして現在。三人の男が受付に陣取るようにして立っていた。ただ、じっと観察して分かったのだが、この三人、あまりに落ち着きがない。

 受付の前を行ったり来たりしては何やら言い争いを繰り返しているし、人質を見張る小柄な男にいたっては、銃の扱いに慣れていないのか、アサルトライフルを危なっかしく抱えている。

 残りの一人――リーダーと思しき長身の男は看護職員を連れ、診察室へと続く廊下に消えたままだ。

 突発的な犯行なのだろうか。

 外ではすでに警察が取り囲み、全面ガラス張りの壁の向こうは回転灯の赤い光で埋まり、目が痛い。

 織笠はこんな状況でありながら、自分でも驚くほど変に冷静であった。

 恐怖がピークを越え麻痺してしまっているのか、あるいは体調の悪さでそれどころではないのか、よく分からない。

 精神を肉体から切り離し、俯瞰して色々考えてみる。

 もうかなり前から警察による人質解放を訴える声が聞こえるが、犯人グループは一切応える気がない。


 そもそもコイツらの要求は?

 メディカルセンターをわざわざ襲撃場所に選ぶ理由は何なのか。

 金銭目当てなら銀行を襲うはずだ。でなければもっと手近なコンビニでもいい。

 今の時代、携帯端末機による支払いが一般的だ。現金を扱う方が珍しいというのに。強盗という行為すら、既に誰も思いつきもしない死んだ手法だ。

 受付に精算端末機が設置されてあるが、犯人グループは誰一人として見向きさえしない。


(あぁ、もう……)


 さらに具合が悪くなってきた。全身に泥を被ったかと錯覚するぐらい異常に重い。顔をしかめていると、隣の看護師から「大丈夫ですか?」と気遣われた。一応頷くが、強がりには変わりない。


「おい、そそそ、そこ! 何喋ってんだよ、大人しくしろよ!」


 織笠の心臓が跳ね上がる。看護師の女性も肩を震わせた。

 小柄な男の突きつける銃口が震えているのは筋力不足に他ならないが、織笠は男の興奮気味な態度にある考えが浮かんだ。

 もしかしたら彼らも病を患っているのかも。もしくは精神安定の薬のために――。

 突如、パァン! という破裂音が室内に響いた。織笠の周りで悲鳴が上がる。一瞬、自分が撃たれたのかと感じ身を縮こませたが、どうやら違う。

 音がしたのは、奥の通路からだ。今ので恐怖のボルテージが頂点に達してしまった。名前も知らない他人同士が身を寄せあう。

 数分後、音のした方からリーダーの男が戻ってきた。手には革製のバッグが握られ、もう片方には拳銃。

 一緒だった職員がいない。あまり考えたくはないが、悪い予感が胸をざわつかせる。


「どうだったんすか?」


 襲撃犯の一人が男にささやき声で訊ねる。


「あったぜ。奥にたんまりと隠してあった」


 リーダーの男が誇らしげにバッグを持ち上げると、仲間が沸き立つ。沢山という割りにはあまり重そうでないから、やはり中身は金ではないのだろう。


「これだけありゃ俺らみたいな迷える子羊にも日が当たる。ようやく世界の表に立てるんだ。最高の気分だぜ」

「あいつはどうしたんすか? 殺っちゃったんすか?」

「ったりめぇだろ。調剤室でオネンネしてるぜ。傑作だったな、あの怯え顔は」


 男が喉の奥で笑いながら拳銃を左右に振る。


「これからどうするんすか?」

「こいつが手に入りゃあ、もうここに用はない。地下駐車場に急ぐぞ」

「な……なぁ。こ、こいつらはどうするよ?」


 小柄な男が顎でしゃくり、銃を構えたままに訊く。


「皆殺しに決まってんだろ。足がついちまうからな」


 リーダーの男がこちらへにじり寄る。


「おい、殺れ」


 リーダーの男が小柄な男に命じる。


「え、おお、俺が?」

「なんでお前がビビってんだよ。その銃は脅しの道具じゃねぇぞ」

「で、でもさぁ……」


 情けない仲間に、リーダーの男は呆れたため息を吐く。


「ったく、仕方ねぇなぁ……」


 男のサングラス越しの瞳がこちらに向けられた。そして、品定めのように拳銃が人質一人一人に動かされる。


「よし、まずはお前からだ」

「!?」


 時間も大して取らず、銃は動きを止めた。

 織笠を指し示して。

 

(嘘……だろ……)


 選定に意味なんてないだろう。列の一番前、しかも真ん中近くにいたため。そんな適当な理由。

 頭がくらんだ。体内から血の気が一瞬にして床へ奪われた気分だ。周囲の雑音が消え、男の銃口にしか目がいかなくなってしまった。


「立て」


 男は簡単に言った。だが、そう言われて立てるわけがないし、立つ気力が沸くわけがない。さらに男が、今度は語気を荒げ、「立て!」と命令してくる。織笠は仕方なく立ち上がる。上手く力が入らない。自分の足ではなくなったみたいだ。


 もうすぐ殺される。


 奥歯がカチカチ鳴る。

 目の前の現実を受け入れられるはずもなく、命を乞うこともできない。格好悪いとかではなく、そんなのは無駄だと感じたし、なにより声が出ない。思考はストップし、心臓の激しい鼓動だけが全身を通して伝わってくる。


 ――人生の終わり。


 ついこの前成人になったばかりだというのに。

 どうして。どうして。どうしてだ!

 両親の顔が頭に浮かぶ。何不自由なく育ててくれた優しい両親。申し訳ない。こんな形でお別れになるなんて。

 不運だ。無念だ。何もかもが憎い。身勝手な理由で罪もない人々を殺す短絡的なコイツらも。外で傍観して、いつまでも突入の気配さえない警察も。このタイミングで病状が悪化した自分にもだ。そもそもこの訳の分からない病気にさえ怒りを覚える。

 頬を雫が伝った。

 もっと生きていたかった。

 もっと人生を謳歌したかった。楽しいこと、辛いこと、色々経験したかった。

 仕事を頑張り、どこかで女性と知り合い、結婚し、子どもに恵まれる。そんなありふれた人生を送りたかった。


「……安心しな。お前が寂しくないよう、すぐにこいつらもあの世に送ってやっからよ」


 慈悲の言葉を添えながら。

 男の指が引き金にかかる。


「さようなら。お前に精霊の御導きがあらんことを」






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