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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第三章 アンダーグラウンド
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 大学の正門前。

 敷地内をぐるりと取り囲む高い塀は優に三メートルはあり、まるで古き城塞のようである。近隣に住む人々にとっては圧迫感を与えかねない外観だが、その上にカラフルな鉄線が絡まって造られた鳥や花などの洒落た細工が据えられ、それが歩道脇を歩く者を魅了しているため、武骨な雰囲気を和らげていた。

 織笠は連絡を終えると、一目散に駆け出し、ここまで移動していた。


(何なんだ、一体……)


 織笠は奥歯を噛み締めた。

 突然の爆発。楽しいはずの学園祭が、一瞬にして人々を恐怖と不安に陥れた。

 織笠の周りには逃げてきた生徒が大勢いる。皆怯えた表情で、遠くの黒炎を見上げていた。


(……ッ!)


 織笠の体が急に沈み、地面に膝をつく。動悸が激しくなり、息切れが起きた。全身が異常に重い。


(こんなときに……ッ!)


 どうやら持病が再発したらしい。恐らく、負の感情が心を締め付けたからなのかもしれない。発症する原因も不明だが、病名すら分からない苦しみが身体を蝕む。


(くっそ……。最近はマシになっていたのに……!)


 織笠は塀に左手をついて、右手で胸を押さえた。その場にしゃがみこんで、苦悶するような吐息を繰り返す。早く治まってくれ――そう願いながら織笠が苦しみと闘っていると、遠くの方からサイレンが聞こえてきた。

 ハッとした織笠は顔を上げる――が、やって来たのはパトカーと消防車。群衆の間を割ってスピードも落とさず入ってくる。そして警官が一般市民を誘導し、迅速に消化作業が行われる。

 織笠は携帯の時刻を確認した。

 ……遅い。

 いや、実際にはそれほど時間は経ってはいない。精保に連絡してからまだ一〇分足らずだが、体感ではもっと長く感じる。

 けたたましいサイレンが何重奏にも鳴り響く。消防車の数はどんどん増えていくが、火の手が思ったより強いのか、鎮火に苦戦しているようだった。

 織笠はそちらに目も向けず、携帯と道路を交互に見ていた。悪化していく体調、さらには焦りから知らぬ間に携帯を強く握り締めていた。

 まだなのか。

 まるで彼らが自分にとっての処方箋と言わんばかりに、織笠は辛抱して待った。

 やがて一台の乗用車が急ブレーキをかけ、織笠の前で停まった。


「あっ……」


 見覚えのある車だった。

 そしてエンジンが止まるや否や、運転席から飛び出すように男性が降りてくる。


「レイジ!」


 こちらへ急ぎ足ながらも、スーツの襟を正しながらやってくるのはカイである。


「カイさん……!」


 思わず安堵の声が漏れた。


「すまない、渋滞にはまってな。遅くなった」


 ドアが開き、次々とインジェクターB班の面々が顔を出す。


「急ごう。案内してくれ」

「はい……、!?」


 織笠は立ちくらみを覚えた。ふらつき、倒れそうになったところを、キョウヤが慌てて支えた。


「おいおい、大丈夫か?」

「は、はい……」

「顔色がよくありませんわ。どうかされたのですか?」


 心配そうに織笠の顔を覗きこむユリカ。

 その横で、アイサが何かに気付いたように織笠に訊ねた。


「まさか……、例の発作?」

「もう大分よくなったから。俺のことはいいですから、早く……、早く行きましょう」

「無理するな。車で休んでおくか?」


 苦しそうに息をする織笠の姿にカイが気遣う。その気持ちだけで嬉しい――織笠にはそれだけで十分だった。


「平気です。いつもの事……ですから」


 織笠は首を横に振って言った。この発作とはもう何年も付き合っているのだ。対処法は知っている。

 織笠は深呼吸を数回繰り返す。そうやって治まるのを待つのである。


「ふぅ……」


 織笠の思っていた通り、身体は徐々に楽になっていく。なにせ、謎の病だ。これといって決まった治療薬が無いのなら、こうして耐えるしか他にない。


「ははは、すみません。情けない姿をお見せして。こんなところで時間を食ってちゃいけないのに」


 弱々しい笑みで織笠は後頭部を掻く。強がっているだけなのはバレバレだろうが、カイ達は少しホッとしたようだった。


「しっかし大変だな、お前も。昔からなんだろ? その病気」

「もう十年ぐらい……です。どこの病院に行っても何も分からなくて。発症する条件も、病名すらも。まぁ、もう慣れてきましたけど」

「レアさんの診断は? 毎週検査を受けているのでしょう?」


 ユリカの疑問に答えたのはカイだった。


「あっちもどうやら苦戦中のようだな。あまりいい報告は受けていない」

「そうですか……。精保の最新鋭の設備なら分かりそうなものですのに」

「医療班といっても、あれは精霊使い用だからな。ラボの設備も、確かにそこらにある病院よりかは遥かに高性能だが、レイジはどうやら特殊みたいだしな」

「でも、あそこに通うようになって発症する回数は減ってきました。特に薬なんて貰ってませんけど、レストルームで休むと身体が楽になりますから」


 フォローするように織笠は言った。


「それに、レアさんも熱心に調べてくれますし……」

「熱心、ねぇ……」


 意味ありげに引きつった顔になるカイ。他の皆も一様に複雑な表情を浮かべている。


「お前を検査しているときのアイツ、楽しそうだったろ?」

「え……?」


 織笠は思い返してみた。

 そう言われてみれば、そんな気がする。いや、むしろあれは楽しんでいるというより、狂気的な感じなような。希少なモルモットを実験出来るという、マッド方面の……。


「アイツはそういう(たち)なんだよ。レアは自分に分からないものがあれば、とことん追求したくなる。……君も気を付けろよ」

「は、はは……」


 実体験からくるアドバイスだろうか。どうも過去に何かあったらしい口ぶりだ。


「ま、まぁ実力は本物ですし。レアさんに期待しましょう」

「そ、そうですね。俺もそう思います。さ、もう行きましょう、こっちです」


 織笠は再び正門をくぐる。その後をユリカとアイサが追いかけ、織笠の両隣に並んで歩く。彼女らは当然、心配だから傍に寄り添っているわけで。そこには何の他意もない。

 が、しかし。事情を知らない人間にとってこれは両手に華状態。しかもその華はとびきりの可憐さと美しさを持つ。こんな状況でなければ、まず間違いなく嫉妬の眼差しが飛んでくるだろう。


「ちっきしょお、なかなかやるじゃないか、レイジめ……。自分の弱味を見せて女の子を惹き付けるとは……」

「あのな……」


 変なところで関心しているキョウヤ。「なるほど、そんなテクニックもあるのか」と、ブツブツ言いながら、コクリと一つ頷いたかと思うと、


「あの~、ユリカちゃん、それにアイサちゃん! 僕もちょっとお腹痛いな~!」


 俺に構って、という魂胆見え見えな嘘を吐きつつ、織笠達に駆け寄っていく。

 そんな男の背中を呆れた顔で見ていたカイは、ため息を吐きながらそれに続いた。





 一行は人混みをかき分けながら、キャンパスの奥にある学長室へと向かう。学祭というのが災いし、入り口あたりは人口密度はかなりのものだった。グラウンドで様子を窺う者も多かったが、そこを通りすぎて本館を迂回していくと、さすがに人気は少なくなっていた。

 現場に近づくにつれ、静けさが辺りに漂う。ということは、消火活動が無事に済んだようだ。


「――ったく、祭りだからって、はしゃぐ気持ちは分かるがな」


 キョウヤが嘆くように吐き捨てる。


「本物の花火を打ち上げるなんて、一体どこのバカの仕業だっつーの」


 苛立ちを含んだぼやきは、正義感の表れ――というより、煙草が吸えないストレスのようだ。

 この大学は、ほぼ全域が禁煙であり、喫煙スペースというのは学内に数えるほどしかない。そこも環境維持のために意図された設計である。

 普段ならそんなのお構い無しに吸いそうなものだが、さすがに火事の現場に行くとあって、キョウヤは我慢しているようだ。


「……なんか、すいません」

「ん? 何でそこでレイジが謝るんだ? 病気のことならもう気にすんなよ」

「いえ、違います」


 織笠はかぶりを振った。


「俺、あの時パニックになっちゃってて、とにかく通報しないとって思って」

「あぁ、電話を貰ったときはたまげたな。アイサちゃんが急に大声出すから何事かと思ったぜ」

「普通なら警察や消防じゃないといけないのに、それよりも皆さんの顔がまず浮かんじゃって……」

「んまぁ、俺達は精霊の犯罪を取り締まる立場だしな。でないと、刑事さんがおまんま食えねぇからな」

「はい……。だから迷惑かと……」


 沈んだ織笠の背中を見て、キョウヤは口角を吊り上げる。


「いんや、んなことねーよ。――なぁ、アイサちゃん?」


 意地の悪い笑みが真後ろにいる少女へ。明らかに嫌な予感を感じ取ったアイサは反射的に身をよじらせた。


「なっ、なんですか」

「結果的に二つも願いが叶ったわけだからねぇ、むしろラッキーって感じ?」

「……二つ?」


 先頭を歩いていた織笠は、言葉の意味が気になり、振り返った。


「この学祭に来たがってたのよねー。アイサちゃんは」

「へぇ、そうだったんだ」

「うっ、うん、そそ、そうなんだぁ! わっ、私って昔からイベントがあるとテンションが上がるの。何ていうか、血が騒ぐっていうの? しかもほら! ここの学祭って都内じゃ有名じゃん? だから是非ともね、行ってみたいなーなんて思っちゃったりなんだりして」


 あたふたと早口で説明するアイサの顔はなぜか真っ赤っ赤だった。


「アイサちゃんってアクティブなんだね」


 この頃、大分“ちゃん”付けにも抵抗がなくなってきて、自然に呼べるようになっていた。といっても、それが可能なのは彼女のみなのだが。


「ま、まーねー」


 アイサはあさっての方向へ視線を逸らしている。動揺を悟られまいとしてるようだが、いまいち織笠にはアイサの行動の理由がピンとこない。


「もう一つは――レ……」

「わあああああ!」


 アイサが突然大声を張り上げたので、織笠は肩をビクン! と震わせた。アイサは織笠とキョウヤの前に滑り込むと、両手でキョウヤの口を塞いだ。


「レ、レ、レ……そう! 車内でね、レイジの大学の女子ってレベル高いのかなーって、キョウヤさんが言っての! まったく不謹慎だよねー! こんなことになったっていうのにナンパする気なんだよ、この人ぉ!」


 その言葉に瞳を輝かせたキョウヤが「おぉ、そうそう!」とか言いながら周りを物色しだす。

 と、いつもならここでリーダーのお叱りが飛んでくるはず――なのだが、どういうわけかカイは黙ったままだった。それに、常に冷す静沈着な彼が、どうも落ち着きがないように織笠の目には映った。チラチラと、辺りを窺っているように見える。


「カイ……さん?」

「ん? な、何だ?」

「どうか……されたんですか?」

「べ、別に俺はどうもしないが」


 何か変だ。必死に隠しているようだが、声がやや上ずっている。


「あ~、こいつな。今気が散ってるんだわ」

「――え?」


 キョウヤがカイの肩に腕を回し、したり顔で説明し始めた。


「この男が見てんのはクレープ屋やらアイスなんかのスイーツ系の出店だ。実はなコイツ、“激”がつくほどの甘党なんだよ。ケーキなんて1ホール数分でペロリだぜ? 見ているこっちが胸焼けするわ」

「うるさい!」

「そう……なんですか?」


 カイのあまりに意外な趣味に織笠は素直に驚いた。彼の取り乱す姿も珍しい。まさか、いつも眉間に皺を寄せているのは糖分切れ? と勝手な憶測をしてしまう。

 カイは雑にキョウヤの腕を払いのけ、照れ隠しの咳払いをして話題を戻した。


「このバカの言う通り、俺達は精霊使い絡みの事件を扱う。人間は人間、精霊使いは精霊使いの領分がある。いくら市民からの通報があっても、おいそれと出動出来ない。マナの流れが全てなんだ」


 織笠の脳裏にレストルームでの記憶が蘇る。レアがモニターに表示した東京一帯のマナ散布図。普段は一定に保たれているはずのマナ――それが異常変動を起こすことで、インジェクターは現場へと駆り出される。


「今回のこの爆発――。もし事故や人間の仕業であったなら、俺達の出番はなかった。事実、爆破の炎には精霊が宿っていない」

「え?」


 真剣な顔つきに戻ったカイは言った。

 ――矛盾。じゃあどうして彼らはここにいるのか。


「じゃあ、どうして――」

「室内で発見された焼死体――。その方が我々にも大きく関係するからです」


 一番後方にいたユリカが、沈痛な面持ちで言った。


「焼死体って……。学長なんですか?」

「まだ確定じゃない。調べてみないと判らんが、可能性は高い。教員の情報によると爆発直前の時間帯、学内の見回りを終えて、丁度戻ってきたところだったらしい」

「そんな……」


 青ざめる織笠。

 生ぬるい風が不快な臭いを運んでくる。現場が見えてきた。

 こじんまりとした建築物に近づくにつれ、焦げ臭さは一層強くなる。


 ――ひどい有り様だった。

 織笠は『KEEP OUT』を示す黄色のテープの前に立ち止まり、顔をしかめた。

 元は白いレンガ造りのシンプルな建物だった。それが今や墨汁をぶちまけたように真っ黒。爆発のせいで屋根も吹き飛んでしまっている。学長室の玄関から続く渡り廊下も手すりのパイプが溶けてぐにゃりと垂れているし、金属を染める黒の色が火の手の早さを物語っていた。まだ幸いだったのは、迅速な消火活動の甲斐もあり本館まで燃え移っていないことか。

 周囲も見るに堪えない。

 木々が炎の餌食となり、すっかり焼け野原と変わり果てていた。これではせっかくの自然との調和をコンセプトにした設計が台無しだ。

 カイがテープの前に立つ警官に身分証を提示し、中へ入る。他の面々もカイに続く。

 当然、織笠は入れない。彼は警官でもなければ、ましてインジェクターでもない、ただの大学生。たまたまインジェクターと面識があるだけ――ただ、それだけなのだ。


「レイジ、君は少しここで待っていてくれ。後で君からも話が聞きたい」

「あっ……、はい……」


 振り向き様にカイが言ったが、織笠の返事も聞かぬ間に室内へ消えていく。


 なぜだろう――。


 ふと、寂しさに襲われた。


 疎外感、というものだろうか。こんな気持ちを抱くこと自体、おかしいというのに。

 きっと、どこかで期待していたのかもしれない。自分も“あちら側”に入れると。

 必要とされるのを。

 過去、二つの事件に協力してきたから、尚更そういう想いがあったのだろう。自惚れにも似た、淡い気持ち。

 ズキリと胸が痛む。それは決して病気によるものじゃない。

 馬鹿だ――、俺って。

 自嘲し、大きな自己嫌悪に陥った。

 そして織笠はしばらくの間、そこから動けなくなってしまった。








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