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精霊世界のINJECTION  作者: 如月誠
第三章 アンダーグラウンド
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「はぁ……」


 大学の学祭で、こんなにも憂鬱な気分でいるのは、自分だけじゃなかろうか。

 織笠零治は、学内の中庭に設けられたベンチに座りながら、そんなことをぼんやり考えていた。


 天霊祭。それが、織笠の通う新明大学の学祭の呼び名だった。

 東京近郊にあるこの大学の歴史はまだ浅く、建物や設備は比較的新しい。敷地はさほど広くはないし、建物の規模も他の有名な大学に比べれば小さいが、キャンパス内に広がる木々や、敷地内に張り巡らす水路などの、環境を第一に考えた設計は人気がある。毎年受験者は後を絶たず、倍率は年々上がっていた。


 中庭はある意味、この大学の名物となっている場所だ。童話にでも出てきそうな広大なエメラルドの芝生。そこに立つ、伸び伸びと育った木々の数々。中心にはフードを被った法衣の女性像があり、掲げた右手に空間投影された平面ホログラムが浮かんでいた。

 ここは普段、学生たちの憩いの場所となっている。芝生の上で昼食を取ったり、おしゃべりに興じたり、のどかな空気が流れているわけだが、今日は年に一度のお祭りである。今、彼の視界には、立ち並ぶ屋台に群がる人々で埋め尽くされていた。生徒だけでなく、親子連れやカップル、あるのは笑顔ばかり。大盛況だ。

 織笠は缶コーヒーを口に含む。飲み物を扱う出店は山ほどあるが、わざわざそちらで買う気になれなかった。味の問題じゃなく、気分的なものだ。

 遠くからは軽快なギターの音色が聞こえ、熱狂的な歓声が上がっている。軽音サークルのライブだろう。


 ……むなしい。

 一緒に回る人がいない織笠には、この華やかな雰囲気は耐え難いものだ。決してクラスで孤立しているわけではない。時折、話をする相手はいるが、そういう人はきっと一番仲のいい者と回っているのだ。


(あぁ……。こんなことなら家にいたかったなぁ……)


 全然気乗りしない彼がここにいる理由――それは“単位”だった。参加さえすれば特別に単位がもらえるため、来ざるを得なかったのである。


「モエナ……、いい子にしてるかな……」


 織笠は空を見上げ、呟いた。

 青空にまばゆく輝く太陽のような瞳を持った黒猫。

 唐突に飼うことになってしまい、両親に許可が貰えるか不安だったが、意外にもすんなり許しが出た。今頃、自分の部屋でゴロゴロと悠々過ごしているのだろう。


「さてと……」


 ジーパンのポケットから携帯を取り出す。時刻は十三時手前。

 そろそろか。

 織笠はコーヒーを一気に飲み干し立ち上がると、ベンチ横のゴミ箱へ捨てて、移動を開始した。


 校内もまた、活気に満ち溢れていた。

 サークルの呼子が、通りがかる生徒を大きな声で呼び入れている。

 クラスの出し物も負けていない。喫茶店では、可愛らしい女子が、注意されてもおかしくないミニスカートのメイド服で接客していた。

 大イベントとあって、モチベーションが高い。ここぞとばかりの熱の入りようだ。

 織笠は二階へと上がり、自分の教室へと向かう。

 織笠のクラスの出し物は、いわゆる展示物。

 内容はというと、専攻分野でもある、“精霊社会の成り立ちについて”。その歴史を生徒独自で調べ、まとめたレポートをボードに貼って展示する――かなりお固いものだ。

 しかも、午後からはスクリーンを用意しての生徒の講義があるという。午前よりも集客が見込めるとあって、人手がいるため、織笠もスタッフとして行かねばならないのだ。

 正直面倒くさい。そう思いながらも、


(これも単位のため、我慢するしかないか……)


 と気持ちを切り替えて教室の扉を開けた。

 中を見渡すと、織笠の想像よりも見物人は多かった。

 層としては中高年がほとんど。彼らはこの国の転換期を直に見てきた世代だ。正門で配られたパンフレットを見て、興味が惹かれたのだろう。記事や資料を眺める眼差しに懐古の色が宿っている。


「お疲れー。それじゃあとよろしくねー」

「うん」


 織笠はクラスメイトと最低限の挨拶を交わし、交代。他の生徒等と、上映する準備にとりかかる。


「すみません」


 機材を設置しているときだった。背後から不意に声をかけられ、織笠は振り返る。

 立っていたのは女性だった。いつの間に入ってきたのだろう、扉が開く音も聞こえなかった。

 が、そんな疑問も一瞬の内に消え失せた。

 織笠の全神経は、彼女に奪われていた。

 世にも珍しい銀色の髪――それが、腰近くまで流れ、まるで丹精に織り込まれた絹糸のような滑らかな光沢を放っている。顔は小さく、緩やかに描く柳眉の下には青みがかった大きな瞳は、どこか冷たい印象を与える。そして、長く通った鼻と、やや色素の薄い唇。パーツ全てが完璧に収まっていた。

 一見して、外国人のような造形美。

 すらりと伸びた手足はまるでファッションモデルかと疑うほどだが、少し痩せぎみか。純白のボウタイブラウスに、同色のチュールセットスカートが、いかにもどこかの令嬢を思わせた。

 歳は織笠と同じ……、もしくは少し上かもしれない。


(こんな綺麗な人、ここの大学にいたかな……。いや……)


 違う。

 こんな美人が在籍しているとなれば、たちまち話題になっているはずだ。そうなれば、いくら人間関係希薄な織笠の耳にだって届くはずである。


「あの、何か?」


 女性が首をかしげる。


「はっ!? い、いえ、その、すいません!」


 失礼にも、まじまじと見入ってしまったらしい。それだけ吸い寄せられるような美貌だった。しかも見とれていたのは織笠だけではなく、この教室にいる人間全てだった。


「えっと……。どうか……されましたか?」


 織笠が緊張した口調で訊くと、女性は肩に提げたカバンをごそごそしだした。取り出したのは小さい冊子。天霊祭のパンフレットだ。


「私、これを見て来たんですけど、ここは精霊社会の研究発表をしているんですよね?」

「ええ……。そうですけど……」


 織笠が頷くと、銀髪の美女が目を細めた。


「拝見してもよろしいですか?」

「あ、はい、どうぞ……」


 わざわざ断りを入れなくても、自由に閲覧可能だ。別に入場料を取るわけでもないのに、丁寧な方だ。


「ありがとうございます。それで……、お願いがあるのですが……」


 女性は軽く頭を下げ、上目づかいで織笠を見ながら言った。


「よければ、ここの展示物のガイド役をやっていただけませんか?」

「……え?」


 突然の申し出に、きょとんとする織笠。


「……俺に、ですか?」

「はい、貴方に」


 にこりと女性は微笑む。

 織笠は困惑した。

 大きな美術館ならともかく、ここは教室。展示物なんて、学生がレポートをボードに貼り付けてあるだけで、数だってそう多くない。

 わざわざ解説役が必要だとは思えないのだが。


「え、あ、その……」


 ど、どうしよう。

 自分には上映の準備がある。そっちのけで彼女の相手をしていていいのだろうか。いや、スタッフならば、お客様のお願いにはちゃんと応えるべきなのかも。

 織笠と女性は教室中の人間の注目を浴びていた。

 ま、まずい。

 自分に注がれる他者の視線。見知らぬ美女に見つめられる緊張。どちらの判断が正しいのかという躊躇い。

 織笠の頭は軽くパニックに陥っていた。


「よかったら俺が案内しましょうかぁ?」


 そこへ、横から会話に割って入ったのは、クラスでも有名なチャラ男だった。茶髪で、ファッション雑誌の載っている服をそのまま持ってきました、という出で立ち。特にイケメンというわけではないが、口が上手く、男女共に友人は多い。いわゆる勝ち組グループで、織笠とは別世界の人間だった。


「この企画、オレが発案したんスよ。なんで、詳しくご説明できると思いますよ~」


 彼の友人らが笑みを漏らす。完全な出まかせだからだ。天霊祭前のクラス会議の時、彼らがサボっていたのを織笠は知っている。

 他人から見れば、彼の行為も織笠のフォローに映るだろう。だが、困っていた織笠を見かねて助け船を出した訳じゃない。美女を前にして鼻の下が伸びまくっている。

 だが、織笠にはそれでもよかった。普段浴びない注目から解放されたのだ。我ながら情けないと苦笑いしながら、後は彼に任せよう――織笠はそう安堵した。


「そうなんですか。素晴らしいですね」


 そんなことは露知らずな女性は、すっかり信じた様子で感激している。


「私、以前からこの国の歴史に興味がありまして。――だって珍しいじゃないですか。精霊使いですよ? ファンタジーの住人が本当に存在するだけでも驚きなのに、それがこの国にやってきて救うんですから」

「ですよねー」

「それで色々と個人的に調べていたら、この大学を知って。何でもこの大学では特に精霊文化に力を入れているとか。だから、一般の人間が入れるこの日に見学に来たんです」

「へー、お姉さん勉強熱心なんスねー。分かりました。じゃあ今日はここだけじゃく、この大学中全てを案内しますよ。ささ、行きましょう」


 下心見え見えなチャラ男は、織笠を押し退けるように女性の隣へ移動。半ば強引に連れ出そうと誘導していく。

 だが。


「いえ、遠慮致します」


 さりげなく女性の腰へ回したチャラ男の手が、ピタリと止まった。


「――へ?」


 拒否されたのが理解できなかったのか、チャラ男は間抜けな声を上げて、女性を見た。


「私はこの方にお願いしたんです。ですから、せっかくのお誘い申し訳ありませんが、お断りします」


 彼女は笑顔のままで、バッサリ言った。


「いやいや、でもですね、こんなヤツよりもオレの方がきっと――」

「結構です」


 ピシャリ。とても澄んだ声だが、相手に有無を言わさないプレッシャーがあった。


「うっ……。そ、そうですか……」


 彼女の得体の知れない圧力に負け、チャラ男は顔をひきつらせながら大人しく引き下がる。肩を落とすチャラ男の背中を見送ると、女性は織笠へ向き直り、


「さぁ、お願いします」

「は、はい!」


 そう言ってさっそく近くにあるボードを見始めた彼女の後を慌てて織笠は追う。

 銀髪の女性は実に興味深そうに展示物を眺めて回っていった。生徒が書いた文章を真剣に読んで、時折「ふむふむ」と頷いている。

 一方、織笠はただ彼女の横に立って、付いて行くだけであった。そもそも、この発表物は生徒が独自で調べたもの。解説なんて、レポートを書いた当人を呼ばなければ無理な話なのだ。

 けれども不思議なのは、彼女の方も無言の織笠に対して何も要求してこないことである。レポートを読むのに夢中で、解説なんてどうでもよくなっているのかも知れない。

 じゃあ、自分を指名した意味は何なのだろう……と、織笠は少し寂しい気持ちになっていた。


「皆さん、よく調べられていますね。さすがは新明大学の生徒さんです」


 と、彼女の口から、次に出てきた言葉がそれであった。


「そうですか?」

「ほら、これなんか」


 彼女は一枚の紙を指差し、


「この方は雨の精霊使いに焦点を当てています。雨の精霊を操る彼等が、この世界にもたらす影響を克明に記してあります。水は我々の生活になくてはならない、重要資源ですからね」


 雨の精霊使い、と聞いて真っ先に織笠の脳裏に浮かんだのはカイの顔だった。


「……でも、雨の精霊使いは水そのものを生み出せるわけじゃないですよね?」

「ええ。いくら精霊使いといえど、無から一は造り出せません。ですが、大気には必ず水分が含まれている。彼等は性質を変化させて、水を造り出します。その気になれば、雨を降らせることだって可能ですよ」

「本当ですか?」


 織笠は目を丸くした。初耳だ。

 彼女の横顔がわずかにこちらへ動く。目があった。


「もちろん、一人でというわけではありません。何百人もの優れた能力者が集まればの話です。俗に言う、『雨乞い』ですね」


 彼女は右手の人差し指を天井に向けて立てて、くるくる回す。


「精霊使いが現れる以前、この国が破滅への道をひたすら進んでいるときは水質もかなりひどい状態だったと聞きます。汚水を浄化するのも、彼等雨の精霊使いの役目のようですよ」

「へぇ……」

「……ですが……、知っていますか?」


 彼女の声色が、途端に低くなった。瞳の光彩がみるみる失われ、冷たく暗い、深海のような色へと変化していた。


「精霊使いがこの国に来た当時、政府は彼等を拘束、隔離して、その存在を隠蔽していたのを」

「まぁ……、有名な話ですよね」


 織笠は背筋に寒気を覚えながら答えた。


「でも……、仕方がないことだと思います。いきなり『我々は精霊使いだ』なんて言われたって信じられるわけないし、公に発表すれば、混乱や不安を招くだけだろうし」

「複数の人間によって導かれる妥協案。合理的判断は日本人の特徴……ですか。ただ、それは良くもあり、悪くもある」

「…………」

「都合がいいんですよ。しかも調子のいいことに、人間は自分達がどうしようもなくなると、手のひらを返して彼等に助けを乞うんですから。――新興の宗教論者と自分達がバカにした者に、ね」

「でも……精霊使いは……この国を救った。人間は、何でもいいから、すがりたかったのかも」


 そう、と彼女は小さく言い、隣のボードへ移動していく。


「私はその理由が知りたい。無償の奉仕はなぜ行われたのか。精霊使いの好奇心か、それとも別の何かか……」


 レポートを見つめたまま、唸るように彼女は言った。


「単純に困っていたから助けを買って出たんじゃないですか? でも、本当は自分達で解決しなきゃならなかった問題に手を貸してしまった。だから、精霊使いは今も一歩引いた位置にいる……」


 織笠が言うと、女性は驚きを示した。目を見開き、しばらく織笠を見つめたかと思うと、また優しい穏やかな笑みに戻った。


「それは精霊使い側の意見ですね。あなたも精霊使いのお知り合いが?」

「つい最近出会ったんですけど。今、ちょっとお世話になってて。今のもただの受け売りです」

「そうですか。直に彼等の想いを聞けるのは貴重ですよ」


 ふっと、辺りが急に暗くなった。窓にカーテンが敷かれたのだ。前方には黒板を覆い隠す巨大モニターが天井から下りていた。

 準備が完了したようだ。


「ですが……、残念ですね」

「――え?」


 彼女の呟きは、織笠には届かなかった。黒板の方に気を取られていたのもあるが、彼女の言葉はあまりに小さかった。


「ここにある物の情報も、あなたの言うことも、全ては表の歴史。所詮は詭弁で固められた偽りでしかない。裏に隠された真実は、やはり――」


 何を言っているんだろう?

 織笠は眉をひそめた。よく聞き取れない。

 体調でも崩したのだろうか。そう思い、織笠が声をかけようとした――。

 瞬間。

 暗いはずの室内が、一瞬、まばゆい光に照らされた。視界が真っ白に埋められる。

 直後、凄まじいまでの轟音が響いた。

 さらに、立っていられないほど激しい震動が襲いかかる。ボードが次々に倒れ、巨大モニターさえも揺れに耐えられず、床に落下。スクリーンが割れて、破片が飛び散る。

 女子の悲鳴が飛び交う。困惑に視線を彷徨(さまよ)わせる人々。ビリビリと小刻みな震えが全身に嫌な不安感を与える。

 爆発だ! 誰かがそう叫んだ。

 人々は一斉に教室を飛び出し、窓から外を見る。

 どうやらこの建物ではないらしい。少し外れた先の、渡り廊下を繋いだ小さな家屋から火の手が上がっている。どす黒い、何匹もの絡み合った蛇のような煙が、火の粉と共に青空を犯している。

 あの場所は――。


(大学長室!?)


 あそこで一体、何が起こったんだ。

 炎の勢いは、あっという間に周囲の木々まで飲み込んでいく。この建物だって、いつ燃え移ってもおかしくない。

 誰もがそう感じ、我先にと階段に人が押し寄せる。混乱の渦だった。

 自分も早く逃げないと。


「あなたと話せて嬉しかったわ。また会いましょう――私の欠片……」


 耳元で誰かが囁きかけた。

 こんな状況下にも拘わらず、落ち着きを払った声。

 あの銀髪の女性だ。

 織笠は振り返る。しかし、そこにはもう誰もいなかった。


「あれ……?」


 呆然と立ち尽くす織笠。彼女の囁きが耳にこびりついた。

 意味はさっぱりだったが、今は考えている暇はない。

 織笠は携帯を取り出し、少ないメモリーの中から、ある少女の番号を選択した。


「――あ、アイサちゃん! ごめん、急に! えっと、何から説明していいか……。と、とにかく今から大学に来てくれない!? 爆発が、爆発が起きた!!」


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