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精霊保全局――通称、精保。
“ネオ・アニミズム・ジャパン”という新世界へと変貌を遂げたこの国において、精霊使いが起こす犯罪を取り締まる役目を一手に担う機関である。
ここには多くの精霊使いが所属している。
中でも、実動部隊として日夜事件解決に奔走しているのが、インジェクターと呼ばれる者たちだ。
東京にある関東支部には、現在所属しているのは十四人程度。一班につき、五人編成となっている。
一般の警察とは比較にならない少なさだが、これは犯罪件数の割合に応じての措置では決してない。むしろ、時代が進むにつれその数は増加傾向にある。
慢性的な人手不足なのだ。
理由として、インジェクターには多くの要素が求められる。精霊使いとしての資質は当然のこと、肉体と精神の両面の強さ、人間性、明晰な頭脳と、全てに高水準でないとなれない。
増やそうにも増やせない現実なのだ。
インジェクターB班、リーダーのカイは、一週間前の造園会社暴動事件について取調べを行っていた。
精霊使いは、マナを外部から強制的に抜かれると意識を失う。
E.A.Wが正にそれだ。マナを抜かれれば、精霊使いとしての存在価値は無に等しい。すなわち、人間と変わらないのだ。ただ、生きている限り再び体内で生成はされるのだが、一度根こそぎ奪われれてしまえば、元に戻るにはかなりの時間がかかる。
つまり、E.A.Wを使うことで再犯の防止に繋がるのだ。
ただ、カイは疑問に感じていた。
取調室の机を挟んで座る男――佐久間圭。
暴動を起こした主犯であり、さらには自分が勤める会社を機能を停止させようとした人物。
……のはずなのだが。
事件の報告を受けたときと、あまりにも印象が違う。
いかにも穏和そうな童顔。三十歳は超えているはずだが、この顔立ちなら、二十代前半と見間違えられてもおかしくない。が、仕事で苦労しているせいもあるのだろう、少し伸びた黒髪にはちらほらと白髪が混じっている。
肩をすぼめた姿など、気弱そうな雰囲気が漂っていた。
カイの第一印象としては、犯罪を犯すような悪人には到底見えない、というところだ。
「あ、あの……」
落ち着きなく、佐久間は瞳をさまよわせる。
「何だ?」
「なぜ……、私はこんな場所にいるのでしょうか……?」
小声で訊ねる佐久間。
とぼけているのだろうかと一瞬頭をよぎったが、カイもこの職についてもう何年も経つ。観察眼はそれなりにあるつもりだ。
どうやら佐久間は、本気で理解できていないらしい。
「……分からないのか?」
「はい……」
不安げな佐久間を、カイは厳しい目付きで見つめながら努めて冷静に言った。
「お前には人間と精霊使いの暴動を意図的に引き起こした嫌疑がかけられている」
「そんな!」
佐久間は青ざめた顔で激しく首を振る。
「何で私がそんなことを! 私は人間を憎んでなんかいません!」
「貴様はストレイエレメンタラーだろう? この社会に不満はない……、というのか?」
「当然です!」
佐久間は机に身を乗り出した。
「私はあの会社も働いている仲間も好きなんですよ。この世界の自然を保つための仕事に誇りを持っているんです」
「その台詞は本心か?」
「はい」
「では、あの会社にもストレスや恨みなどは一切ない……、とそう言うんだな?」
「当たり前です」
二人の視線がしばし交錯する。
先程の態度とは全く違う。自負もあるのだろう。嘘はついていないようだ。
カイは小さく息を吸いながら、佐久間と同じように前のめりになると、顔の前で手を組んで静かに言った。
「では、なぜその大切にしている仲間に暴行を働いた?」
「え……」
佐久間の両目が大きく開かれる。
「私が? 殴ったんですか? 同僚を?」
「そうだ。……なぜ驚く?」
「そんなの……嘘でしょう?」
佐久間の顔がみるみる蒼白していく。
「残念ながらお前がここにいる時点で現実だ。――いいから、事件当日のことを話せ」
呆然自失の佐久間。よほどショックだったのか、カイが事件の概要を説明しても、信じられないといった感じでしばらくの間黙りこくったままだった。
「……分かりません」
こんな小さな部屋でもほとんど聞き取れないほどの小声で、佐久間はそれだけを口にした。
「それは……記憶がない、ということか?」
力なくうなずく佐久間。
「……何よ、それ」
そう呟いたのはカイの傍らに立っていたアイサだった。
業を煮やしたかのような低い声音には、隠れもしない苛立ちが溢れ出ている。
「覚えていないって、どういうことよ!! あんな滅茶苦茶やらかして、こっちは死ぬとこだったんだからね!!」
右手を机に叩きつけて噛みつくように叫ぶ。剣呑に光る紅の瞳。あまりの剣幕に、佐久間は追い詰められたネズミのように怯えてしまっている。
「落ち着け、アイサ」
「冗談じゃないですよ! カイさんこそ、どうしてそんな冷静なんですか!? 記憶にないなんて、あまりに見え透いたシラの切り方でしょ!!」
「――薄々、そんな気はしていたからな」
カイの冷めたような一言。アイサは一瞬眉をひそめたが、すぐに何かに気づいたらしい。
「あっ……」
と、小さく声を漏らした。
「ウチの分析班がお前が暴動を引き起こした直後、マナの異常上昇を検知した。日常じゃまず拝めない、レッドゾーンの数値らしい」
カイが佐久間に言う。
マナの増減は街中に設置された特殊な計測機器で行われ、随時精保にデータとして送られている。数値がある一定の基準を超えた場合、インジェクターに出動要請がくる仕組みになっている。
「……それは……。大勢の精霊使いが能力を使えば……そう……なるんじゃ……」
「そうだな。――しかし、あの時、精霊使い側は一切力を発動させた者はいない。お前だけなんだよ。力を使ったのはな」
「いや……。でも、私は……」
「……そこまでの能力を有していない、と?」
「……はい。私はストレイエレメンタラーですから……」
カイは鼻で笑う。
「関係ないさ。たとえ、どれだけ優秀な精霊使いが本気を出しても、スキャンに引っ掛かるほどじゃない。そういう仕様になっている」
「じゃあ……」
「ここ最近、我々が注目しているモノがあってな。それがあれば精霊使いの能力を飛躍的に向上させられるらしい」
「何ですか、それは……?」
「――ドラッグよ」
カイが続けるよりも早く、アイサが言い放った。
「一般には出回らない不正薬物。アンタはそれに手を出したんじゃないの?」
「はぁ!? 何をバカな! 一体どんな根拠があってそんな……!」
「貴様が暴走した様子がな。被害者の証言と薬物の症状との両方で一致しているんだよ」
「ふざけないでください! そんなの単なる言いがかりだ!」
今度は佐久間が、椅子をはねのけながら立ち上がる。
「私はそんなもの一度も使ったことはありません!」
「じゃあ、どうしてアンタの力はあんなに強くなったわけ? 私はバケモンと化したアンタと直接やりあったから分かるんだ。いいから、どこで手に入れたのか吐きなさい!」
「だから、知りませんよ! 本当に覚えていないんだ!! あの日は普通に仕事をしていた。なのに、途中から記憶が飛んでいる。気が付いたら病院のベッドだったんだよ!!」
ピクリ、とカイの細長い眉が僅かに動いた。
「なんだったら、後で監視カメラの映像を見せてあげようか。絶対的な証拠よ。アンタが仲間を徹底的に殴る、まるで三流映画のようなシーンをね!」
二人が声を荒げる度、拳も一緒に机へ降り下ろされるので、まるで太鼓のよう激しい音が打ち鳴らされる。見かねたカイは、言い争いに割って入った。
「落ち着け、二人とも」
「ですが――」
「アイサ」
カイにたしなめられ、アイサは渋々後ろへ下がった。
本来、取り調べを行うのはカイ一人のはずだったのだ。が、アイサがどうしても立ち会いたいと申し出たから許可したのだが……。
(これでは逆効果だったか……)
取り調べをする側が感情的になっては意味がない。容疑者が真実を隠していても、それを口にする確率が落ちる。
とはいえ、アイサも若い。近頃はインジェクターとしての自覚が出てきたものだが、まだ精神面が未熟な少女であることに変わりはない。きっと、これから場数を踏めば成長していくだろう。
(仕方がない……か。それでもキョウヤよりはマシだしな)
カイは微かに口角を上げ、席を立った。
「佐久間。お前には、あとで薬物検査を受けてもらう。それでお前の言っていることが、嘘か本当か、はっきりするだろう」
「いいんですか、カイさん?」
「構わんさ。佐久間が暴行を働いたのは事実。どのみち更正施設行きは確定だ」
「だから私は……!」
「公務執行妨害。佐久間、職員だけじゃないんだよ。ここにいるアイサにも危害を加えたんだ。この罪は重いぞ」
佐久間はこの世の終わりのように愕然とした顔でチェアに崩れ落ちた。
うなだれた佐久間をしばらくカイは見下ろし、まだ何か言いたそうなアイサを促して部屋を後にした。