非日常なお節介
家に帰ると、霊がいた。
…何を言っているのか解らないと思うが俺にも何が起こったのか解らない…。
「あ、お帰りお兄」
玄関で硬直していると、奥から妹の由紀が出てきた。俺と同じく学校帰りなのか、まだ制服姿だ。
「お、おう。…なあ由紀」
「?」
「この人…じゃなくて霊って、お客さん?」
俺の言葉に、靴箱の上に浮かぶそいつは、控えめに頷いたのだった。
俺と由紀は霊能力者だ。
とは言っても矮小なもので、なんとなく『ここいわく付きだな』とか解ったり、うっすらと何かが浮遊しているのが視えるくらいだ。
「本日は、どの様なご用件で?」
きっかけは、迷子になった子どもの霊を成仏させてやった事。
それ以来、俺たちはこうして“ボランティア”に励んでいる。
『死因もはっきり覚えてなくて。辺りをさまよってるだけは、もう嫌なんです』
霊は水里まゆといった。
死亡時の年齢は十四歳らしい。それじゃあ由紀と同い年か?
『いえ、自慢ではありませんがかれこれ三年ほど浮遊してますから』
「へえ、俺より年上なのか」
俺が感心したように言うと、水里はうっすらとしか視えない姿を、うっすらと照れたように動かした。
もしかしたら、褒められ慣れてない霊さんなのかもしれない。
まずは由紀の提案により、水里の生前の家を訪れる事になった。
娘さんの同級生と名乗ると、水里の母親はすんなりと家に入れてくれた。
「いらっしゃい。同窓会の連絡か何か?」
「ええと、まあ、そんなとこです」
てきとうに会釈して、リビングに入る。水里家は立派な造りで、隅々まで掃除の手が行き
届いていた。羨ましい限りである。俺の自室の惨状を見たら、水里家の人々は皆泡を吹いて倒れるに違いない。
そんなどうでもいい事を考えていると、母親が麦茶を持って台所から戻ってきた。
「ごめんなさいね、まみったらまた彼氏と御出掛するって朝から……あら、彼氏といえば、あなたたちも付き合ってるの?」
「つ、つきっ…!違います!」
「違うの?じゃあお二人はどういう関係?」
「ただの兄妹です!ほらお兄もなんか言って!」
「……そんなことはどうでもいい」
あわてる由紀を手で制し、人のよさそうな笑みを浮かべる水里母に、俺は問うた。
「それよりも気になる事を言っていたな。まみ、だと?まゆじゃなくてか」
「「!」」
由紀が今さらながら気付いたように驚愕の表情を浮かべ、母親の顔の筋肉は忙しそうに運動する。
部屋の隅で縮こまっていた水里も、わずかに身を揺らした。
「……うちにまゆなんて子はいません」
一瞬の後にはりぼての笑顔を作り直した母親が呟く。笑顔といっても、目が全然笑ってないけど。
「で、でも三年前に……」
「その件について話す事はありません」
「いえ、私たちはその……」
「帰って!」
急に追い立てられ、俺と由紀はもたつきながらリビングを出た。
靴をはくのもはばかられ、スニーカーをつかんで外に出る。つい、っと半透明な霊もついてきた。
ああ、そういえば。
自分の家だってのに、ずっとリビングの隅で丸くなってたな、こいつ。
人気のない公園のベンチに座り、俺と由紀は虚空を漂う水里の話を聞く。今日も順調に少子化が進んでいるのかはたまた最近の小学生はインドア派なのか、他の客の姿はない。
『私は…父と、その愛人との間に産まれた子なんです』
予想はしていたが、かなりヘビーな家庭だった。
それにしても愛人との子か。子を持った事はないから解らないが、どう扱っていいかあの母親は相当悩んだろうな。
「由紀。もし愛人と夫の子を持つ事になったら、どうする?」
「夫ヲ許シマセン」
妹からの怖い即答にビビりながら、母親はその子を膿のように扱うという結論を出したのだろうな、と自己完結した。
「愛人の子か……正妻からすると、忘れたい子って事だったのか?」
『そうだったんでしょうね……私が死んだ時にも色々迷惑をかけてしまったみたいで…』
少し考えれば自分が悪くない事が分かるのに、水里は罪悪感を抱えていた。いや、違うな。こいつは自分が悪くない事が解っているのに、罪悪感を感じているんだ。
優しいのか、それとも馬鹿なのか。
ひとつだけ解ったのは、こいつをちゃんと成仏させてやりたいという事だけだ。
「なあ。死んだ時の事、何か覚えていないか?」
俺がそういうと、眼前のうっすらとした影はわずかに考えるようなそぶりを見せた。はっきりとは視えないけどな。
『…すみません。上手く思い出せなくて…』
ダメか、と思ったがまだ水里の口は止まらなかった。物理的には無いけどな、口。
『でも気付いたら学校で浮遊していたので、もしかしたら…』
だとすると、生徒ともトラブルって線が怪しいな。
俺は水里に向かい合い、言った。
「水里。生前の他生徒との交友関係を教えろ」
話を聞いた限り、水里は家では煙たがられ、学校でもいわゆるいじめというものにあっていた。
しかし、唯一彼女を対等に見てくれた者がいた。
クラスメイトの、沢田ゆかりである。
こいつなら何か知ってるかもしれない。詳しくは言えない方法で彼女を進学先を調べ、電車に揺られる事二十分。
たどり着いた先は、地元で超有名なバリバリ進学校だった。
「私に何か用ですか?」
駄目元で聞いてみると、なんと事務の人があっさりと呼び出してくれた。吹奏楽部の名前も知らない楽器の音色をBGMに、俺たちは放課後の中庭にいる。
「あの…?」
「っと、すまん。少し考え事をしてた」
上目遣いで見つめられ、つい赤面する。沢田ゆかりは、俺のような朴念仁の目さえ奪うような美貌の持ち主だった。しかもこれで進学校に通うだと?なんというスペックだ。恐るべし沢田ゆかり。
「お兄…」
隣を見ると、由紀が悲しそうにこちらを見ていた。
深呼吸して平静を取り戻し、俺は再び沢田と向き合う。
「手短にいくぞ。三年前、水里まゆって子が死んだだろ。それについて、何か知ってる事はないか?」
その瞬間。
ほんの一瞬だけ、沢田の顔色が変わるのを、俺は見逃さなかった。
「はい。彼女の事は、とても悲しい事故でした。」ぽつりと、沢田は語り始める。
「事故?」
「当時、あの子がいじめにあっていたという事は知っていますね?」
「……ああ」本人に聞いたからな。
「ある日、いじめの首謀者がふざけて彼女をプールに突き落としたんです。どうやら溺れる様を見て愉しもうとしたらしいですが……彼女は、二度と浮き上がってこなかった」
「水死……」由紀が呟く。そういやこいつ、カナヅチなんだっけ。小さい頃は、よく水中で目を開ける練習に付き合わされたな。あの頃がなつかし閑話休題。
それにしても、このにじみでるような違和感は何なのだろうか。実に不快だ。
「私って、最低ですよね。本当の最後の最期まで、彼女のために何一つしてあげられなかった……」
何かがおかしい。
“その件について話す事はありません”
水里の母親は口に出すのも憚れる、という感じだった。
“…すみません。上手く思い出せなくて…”
水里まゆ自身も、死んだ直後については忘れていた。
おいおい、まさか。
試しに、目の前の女に聞いてみる。
「なあ。一連の『事故』、忘れたいと思うか?」
と、即答が返ってきた。
「いいえ。あの事故はとても衝撃的で…とても忘れられません」
関係者のなかで、こいつだけが悲しみ(母は定かではないが)に記憶をうずめるといった行動に出ていない。
「他に、何か聞きたい事はありませんか?いじめの内容とか、教師がその対応に追われて何度も授業が潰れた事とか」
少しずつ、肉眼では見えないほど少しずつ。
『仮面』は、はがれていく。
「どんな事でもいいですよ。彼女の母親が子に無関心だったのをいいことに、クラス全員で給食の牛乳を投げつけたり。生意気な目で見るから、走るのが遅いから、テストで悪い点をとったからと、ノートやカバンを引き裂いたり」
『うそ…ゆかりちゃん、あの時はあそこにいなかったはずじゃ…』
静観していた水里が、茫然と呟く。
もしかしなくても、ビンゴだ。俺の予想が正しければ……
「…そう、プールに突き落として、浮かんでくるたびに突き落としたり、ね」
沢田ゆかりの口元が、明らかに歪む。
こいつこそが、いじめの首謀者だ。
「水里の事を一度も呼ばなかったのは、呼ぶ価値がなかったからってことかよ。てっきる自粛してるのかと思ったぜ」
「!そういえば確かに……」
今さらながら由紀も気付いたようだ。一方水里は、何も言えないまま中庭の隅に浮かんでいる。
「水里?ああ、」
対する沢田は、まるで『昨日、変な形の石が落ちてたよね』とでも言われたかのように、
「…そういえば、そんな名前でしたね」
「なっ…」
由紀の反応を見て、元(現かもしれないが)クラスの女王は「ふむ」と出来の悪い子を視る教師のような目をして言う。
「突然ですけど、私、その頃からずっと美化委員をやってるんです」
沢田はゆっくりと、踏みしめるようにこちらへと歩き出した。一歩近づかれる度に、水里はびくっ、と半透明な身を震わせる
「どうせなら教室中をキレイにしてやろう。そう思って私は、朝早くから放課後まで、時間を作っては掃除に励んでいました」
でもね、と続けて沢田は一旦歩みを止めた。偶然か、視えないとはいえ水里のほうを向く。
「どんなに掃除をしても、教室は本当の意味でキレイになりませんでした。なぜならごみは、教室の床や黒板ではなく、空気中に存在していたのですから」
「それが、水里だったとでもいうのかよ」
「正解」
いつのまにか再び歩み寄ってきた沢田が、俺の眉間に人差し指を向ける。と同時に、屈託のない笑み。呑まれるな、と言い聞かせ、俺はその手を払う。
沢田は自らの語りに酔っているのか、とくに気にしない様子で続ける。
「それに気付いた数か月後に、いじめでの事故を装ってキレイに水洗いしました。しかしそれでも教室はキレイになりませんでした。なぜなら」
「他にもたくさん、ごみがいたから」
「それも、正解」
再度、沢田は微笑む。不意に、視えない鎖に縛られているかのような錯覚を覚えた。
「本当はもっともっとキレイにしたかったのですが、受験が近づいていたのでやめておきました。あの教室をキレイにしきれなかったのは、とても心残りです」
そして沢田は一泊置いて、
「でも、そろそろ大掃除の頃あいかな、と思っています」
一瞬、何の事だか分らなかった。
だが、すぐに思い立った。
今の教室を、『キレイ』に。
「…そうかよ」
「はい。とても楽しみです」
沢田は本日何度目になるかわからない笑みを見せる。歪んでしまった沢田ゆかりの美意識は、近いうちに血で拭き掃除を引き起こすだろう。
そこまで考えて、俺は。
はっ、と、鼻で笑った。
「…不快です。笑わないでいただけますか」
今までとは一転して、眉をひそめる沢田。
「くだらないから笑ったんだよ。お前の発想は幼稚すぎる」
「それは聞き捨てなりませんね。キレイにする事の何が悪いんです?」切り捨てた俺に、沢田が食いつく。
「だからなあ、と俺はなだめるように、
「汚い人間が掃除をしたって、キレイになりきれる訳がないだろ」
「…私が汚い人間だとでも?」
「その認識は個人差があるが、少なくとも俺はお前を汚いと思う。なぜだかわかるか?」
「わかりたくもないです。あなたの意見などどうでもいいですから」
「掃除ってのは、最後に手を洗うだろ。ばっちいからな」
口をはさんだ沢田を無視して、俺は続ける。
「俺がお前に聞きたいのは、ひとつだ。……沢田ゆかり。お前は何もかもを掃除したあと、自分も掃除する覚悟はあんのか?」
「!それ、は……」
「ないんだろ。できないんだろ。だったら初めから掃除なんてするな」
「ぐっ、う……」
「本日の教訓はこれだけだ。もう行こうぜ、由紀」それと、水里。
「待って!」
「待たん。……が、自分を掃除する覚悟ができたらここを訪ねて来い。その時は……」その時は、どうするんだろうな。家の住所のメモを渡しつつ沢田の様子を見る限り、再びこの女と会う時は来ないだろうが。
まあ、一応のアフターケアも仕事のうちだしな。
『ゆかりちゃんは……これからどう生きていくのでしょうか……』
「水里さんは気にしなくていいんだよ。そこらへんは、まだ生きてるヤツに任せといて」
そう言い、由紀がはにかむ。
帰路に着いた瞬間から、水里の体はさらに透明度があがっていた。今では、目をこらさないと視えないし、耳をすまさないと聞こえない。いわゆる、成仏ってやつだ。
「まあ、心の準備はできたみたいだな。俺は特に何もしてないけど」
『そんな。とてもお世話になりました。……もしかしたら私は、誰かに背を押してもらいたかっただけなのかもしれませんね…』そうこいつが感じているのは……生前に、誰も彼女の背中を押してくれなかったからだろうか、と下世話な想像をする。
「そうかい」
俺は投げやりに答えた…つもりだったが、自然と優しく包み込むような口調になっていた。
『では…さようなら、二人とも。今日はありがとうございました』
一礼した…ように視えた水里に、俺たちはそろって言った。
「「願わくは、また来世で。ごきげんよう」」
一瞬の後、魂の残滓が、完全に消滅する。
またひとつ、ちょっとしたボランティアが出来た。
願わくは、また来世で。ごきげんよう……。
すべての生きとし生ける者に、生かざる者も。
その魂に、救いが訪れますように。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
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