8
◆ ◆
まばゆい光の中で、虎鉄の身体が変化する。
胸板は、戦車の砲弾が直撃した程度では傷一つつかないほど分厚く硬く。
肩幅や背中は、漢がそれまで歩んできた歴史の雄大さを語るが如く広く。
手足は、あらゆる物を打ち砕く一撃を放つであろうと確信が持てるほど太く逞しく。
全身の筋肉が一つ残らず極限まで隆起したその雄姿は、まさに力の象徴。虎の顔を模した兜と面は、虎鉄の魂のカタチそのものであった。そして全身の細胞と同化したネオ・オリハルコンによって強化された筋肉や神経は、有機生命体の限界を遥かに凌駕する。さらに核ユニットに組み込まれた内燃氣環から供給されるエネルギーは無限。
つまりアペイロンに変身した今の虎鉄は、
完全に無敵。
「アペイロン、けんっっざんっっっ!!」
決めポーズと同時に光が収まる。
閃光に奪われた視力がようやく戻った浩一たちが見たものは、筋肉質な白銀の鎧に身を包んだ、雲を突くような身の丈の騎士だった。
「あ……ああ…………」
浩一が呻く。表情の見えないヘルメットさんは置いといて、茶トラとキジトラは驚きのあまり、すぐには言葉が出ないようだ。当然であろう。ついさっきまでそこに居たのは、名も無き小さな少年である。それが一瞬でこの場に居る誰よりも巨漢となるだけでなく、白銀の鎧を纏った虎面兜の騎士に変わったのだ。これが手品でなければ、何かの間違いである。
「奮っ!」
気合とともに胸の前で十字に交差させた両腕を腰だめに構えると、ネオ・オリハルコンで構築された外装が、陽光を跳ね返しきらりと光る。今回も内燃氣環は絶好調。四肢にみなぎる力は、この惑星のどんな重機や兵器よりも強い。
そして何より、今の虎鉄の魂は、太陽よりも熱く燃えている。
「さあ、約束通り俺がアペイロンだって証拠を見せたぞ。とっとと浩一を解放しやがれ」
虎鉄がびしっと指をさすと、唖然としていたネコミミ二人が弾かれたように正気に戻った。お互い顔を見合わせ、ひそひそと小声で相談し始める。
「ねえ、どうする?」「どうするも何も~、やることは同じじゃないの~? こっちには人質がいるんだし~、何とかなるって~」「そ、そうよね。こっちには人質がいるんだもんね。何とかなるなる」「ちゃちゃっと片付けて~、こんな辺境さっさとおさらばなの~」
などと二人が話し合っている間に、
「さあ、行くが良い」
「あ、どうも……」
ヘルメットさんがあっさりと人質を解放していた。浩一は軽快に砂を蹴って、虎鉄のもとへと走る。
「なにいいいいいいいいいいいいいっ!?」
「ええええ~~~~~~~~~~~~!?」
これにはネコミミ二人も予想外だったのか、虎鉄以上に驚いていた。
「ちょっ……、あんたなに勝手なことしてくれちゃってんのよ! せっかく手に入れた人質を、あっさり手放すなんてどういうつもりよ!」
「何てことするの~。ここまで乗せてきてやった恩を仇で返すなんて~、お前は鬼の子か~? それともとんでもない馬鹿か~?」
ヘルメットさんは血相を変えた茶トラに胸ぐらを掴まれ、首よもげろとばかりにがっくんがっくん揺さぶられ、半ベソかいたキジトラに足元にすがりつかれても、まったく動じない。まあ相変わらず表情が見えないので、本当のところはわからないが、自分がとんでもないことをやらかしたという自覚はなさそうだ。
むしろ顔を真赤にした茶トラを片手を上げて制し、
「アペイロン見つかりしときは、貴公らに手合わせの順番を先に譲る。これは貴公らの船に相乗りさせてもらいし際の条件ゆえに、拙者は何も申さん。しかし人質を取って相手の自由を奪うが如き卑劣極まりなき算段は、見て見ぬ振りなぞできようもなし。よって、義によって動いたまで」
と、滔々と説き伏せて、あまつさえ「それとも何か? 貴公らは二人がかりで戦おうというだけでは心細き故、さらに人質を取りて心安らかにせしめたいと?」などと言われてしまっては、さすがに二人もプライドがあるのか、渋々ヘルメットさんから手を離した。
「……馬鹿言ってんじゃないわよ。たしかにあたしらはコンビだけど、人質盾にして無抵抗な相手をボコって満足するほど落ちぶれちゃあいないわよ」
「腐ってもあたしら~、この業界トップクラスの賞金稼ぎだし~。そんな汚い真似できないって言うか~、しないの~」
「ならばこれより正々堂々、己の名誉と命をかけて尋常に勝負なされい」
ヘルメットさんが両手をぱんと打ち鳴らすと、それが決戦の合図であったかのようにネコミミ二人の表情が引き締まる。茶トラは頭に上った血がすっかり下がって冷静さを取り戻し、キジトラはさっきまで泣きベソかいていたのが嘘のように自信に満ち溢れていた。
「フン、これで話が終わったわけじゃないからね」
「せっかくここまで一緒に来たのはご苦労だけど~、このメリッタ・プシケ姉妹の手にかかれば、勝負はもうついたも同然なの~」
「つまり、あんたの出番はないってことよ」
茶トラとキジトラ――メリッタ・プシケ姉妹の勝ち誇った声に、今度はメットさんことガヴィ=アオンがフンと鼻を鳴らして腕を組む。
「貴公らに仕留められるのなら、それまでのこと。拙者、弱い相手に一切興味無し」
きっぱり言い切るとその場をさっさと離れ、適当な距離をおいた場所にどっかりと腰を下ろして観戦モードに入ってしまった。
「ハイハイ、あたしらと違ってあんたは賞金目当てじゃなかったわね。や~ね~戦闘オタクって」
「変態はそこで大人しく見てればいいの~」
鬱陶しそうにガヴィ=アオンを手で追い払うふりをするメリッタに、大きく伸びをしたまま上体を左右に振り準備運動をするプシケ。やる気の無い口調に反して、二人が醸し出す気配は殺気を孕んでいる。こちらは完全に戦闘モードに入ったようだ。
そして二人は同時に言う。
「さて、始めますか」
宇宙人たちが内輪でゴタゴタしている間に、人質から解放された浩一は無事に虎鉄との合流を果たしていた。
「虎鉄……、本当に、その、きみなのかい?」
虎鉄の顔を見上げる浩一の声と表情は、未だに不安と疑念を含んでいた。幼馴染のぎこちない反応に、虎鉄は仮面の下で苦笑する。これが常識ある人間の、当たり前の反応というやつだろう。むしろ虎鉄やエリサの受け入れ方の速さの方が異常なのだ。
「なに言ってんだよ。どっからどう見ても俺だろ? って言っても外側が一番変わっちまってるから説得力ないか」
三人組に自分がアペイロンだという証明は、変身することによってできたが、浩一に自分が武藤虎鉄だと証明するには、変身を解かなければならない。しかしまだ変身するには偶然に頼るところが大きいだけに、今ここで解除するのはさすがにできなった。
さてどうしたものか、と虎鉄が浩一の太ももぐらいの太さをした腕を組んで悩んでいると、
「だったら虎鉄、RPGって何の略?」
唐突に質問をしてきた。
「そりゃお前、ルチノーイ・プラチヴァターンカヴィイ・グラナタミョートに決まってんだろ」
虎鉄が即答すると、浩一の強張った表情が見る見るほぐれていき、ついには堪らず吹き出した。これまでの緊張が一気に解けたせいか、虎鉄が引くくらい大笑いする。
「お、おい……大丈夫か?」
「いや……やっぱり虎鉄だ。普通はRPGって言ったらロールプレイングゲームのことだろうに……なんで対戦車ミサイルになるんだよ……」
文字通り腹が捩れ、涙を流してヒーヒー悲鳴を上げながらも浩一は嬉しそうである。
「しかし……」
ひとしきり笑ったあと、指で涙を拭きながら改めて虎鉄を見上げる。
「虎鉄の顔を見上げる日が来るなんて、何だか奇妙な感じがするね」
「言ってろ。生身でも卒業までには追い抜いてやるからな。今から慣れとけ」
「どうかな? 僕だって少しだけどまだ伸びてるからね。かなり頑張らないと、この差は埋まらないよ」
「げ……、お前まだ伸びてるのかよ。ちょっとは遠慮しろっつーの……」
虎の仮面が耳を伏せて嫌そうな顔をした。だが束の間の平穏もここまでか。伏せていた耳がぴくりと動き、漂う気配に殺気が混じるのを敏感に察知すると、眉をひそめて愛らしいとさえ見えた虎の顔が、すぐさま獰猛に牙を剥いた威嚇の顔に姿を変えた。
「浩一……」
「わかった。僕は離れたところで見届けさせてもらうよ。きみの手に入れた力のすべてをね」
みなまで言うなとばかりに、虎鉄が言い終わる前に状況を察して一歩下がる浩一。
「虎鉄」
「ん?」
浩一が何かを言おうとするが、開いた唇が一瞬だけ止まる。だが次の瞬間、期待を込めた表情ではっきり言った。
「勝てよ」
「応さ」
自信満々に逸らした胸を叩くと、重い金属同士がぶつかる音がした。それを合図の代わりに、浩一は虎鉄に背を向けて一目散に駆け出す。
浩一が無事海の家の陰に隠れるのを見届けると、虎鉄はゆっくりと三人組に向き直った。
ガヴィ=アオンはすでに遠くで流木に腰を落ち着けており、戦闘に参加する意志が感じられない。となると、いま準備運動しているネコミミ二人が相手か。どうやら三対一の戦闘は避けられたようだと安堵するも、メットさんにしてもこの姉妹にしてもすべてが未知数なので油断はできない。だがネコミミ二人は喜び勇んで先陣を切るだけに、腕には相当覚えがあると見たほうがいいだろう。果たしてそれがドラコより上か下かはわからないが、とにかく甘く見ないに越したことはない。
一度首を右に傾げ、こきりと鳴らしたところで虎鉄はそう結論づけた。とは言っても、やってみなけりゃわからないという点では前回と何も変わらない。
「……やれやれ、また一発勝負。しかも二連チャンか。人生ってのは無理ゲーの連続だな」
気持ちを落ち着けるために、あえて軽口を言葉にして出す。その間にも両足は砂を何度も踏みしめ、足場の状態を確認している。重力があり、地に足が着いていることの何とありがたいことか。地球で戦う安心感は、スポーツだけにあらずというわけだ。
メリッタ・プシケ姉妹が同時に言った。
「さて、始めますか」
それに対して虎鉄が受けた。
「さあ、ぶち抜くぜ」
少し時間を戻す。
金縛りにあったように身体が固まったまま、エリサは尻に矢が刺さったイノシシと見間違う勢いで走り去る虎鉄を見送る。
虎鉄の姿が完全に視界から消え去ると、術が解けるように身体の自由を取り戻した。エリサは自分の身体の動作確認を兼ねて、さして痒くもない頭をポリポリとかく。
「……つまりこれは、絶対やってくれっていう前フリやな」
豪快に自分勝手な解釈で納得すると、すぐさま行動に移った。虎鉄の切羽詰まった態度から、事態は容易に知れる。これは時間との勝負だ。
とりあえず虎鉄が消えて開店休業になった風船コーナーを、匠もびっくりの機転を利かせて無人の無料風船頒布コーナーにリフォーム。あまりの出来栄えの良さに自画自賛するも、時間が惜しいのでそこそこにして次の行動に移る。
スフィーと舞哉を探して、敷地内を駆けずり回る。スフィーはともかく、並外れた巨漢の舞哉なら人混みでもすぐに見つかるはずだ。と思ったのが浅はかだった。
普段なら数キロ先からでも見つけられる舞哉が、このときばかりはいくら探しても見当たらない。
「まさか、教会の外に行ったんやないやろな……」
今日の舞哉は、バザーの責任者とは名ばかりの、体の良い雑用兼小間使いである。なので要望があれば出店の留守番から迷子の捜索、果てはご老人の荷物持ちまでやらなければならない。下手をしたら教会の敷地外まで仕事が及ぶこともある。エリサの目論見は脆くも崩れ去った。
「なら次はスフィーや!」
素早く頭を切り替えて、目標を変える。スフィーなら、居場所はすでに知っているので楽勝だ。エリサはずらりと屋台が並ぶ中を、人混みをかきわけて進んだ。
「おった!」
狙いどおり、お面売り場にいるスフィーは簡単に見つかった。身体は幼児のように小さいが、流れるような長い銀髪は目立つことこの上ない。
「おーい、スフィーちゃーん」
何やら困り顔で屋台の店主と話しているようだが、構わずエリサが声をかける。何しろ緊急事態だ。
「おおっ、良いところに来たのう!」
エリサの顔を見ると、スフィーの表情が一転して明るくなった。普段ならべたべたと触ったり構いまくるエリサを苦手にしているはずなのに、これはどういう風の吹き回しだろう。
「どないしたんや? 何かトラブルか?」
「まあ……トラブルと言えばそうかのう……」
これまたいつも快活な彼女らしからぬ、歯切れの悪い物言いだ。態度も妙にしおらしく、まるで本当に子供みたいだ。同い年だけど。
「何や煮え切らんなあ。言いたいことがあるならハッキリ言い」
「うむ……では……」
そう言うとスフィーは覚悟を決め両手を揃えると、エリサに向けて掌を上にして突きつけた。
「なんやその手?」
「お金ちょうだい」
エヘ、とスフィーがカワイコぶる。普段ならそんなロリーな仕草を見せられたら、コンマ一秒の速さで理性が月まで吹っ飛び、思うがままに撫で回したり頬ずりしたり可愛がりまくるエリサの頬が、ひくっと引きつった。
「はあ……?」
「お金」という単語への拒否反応を抑えながら、どうにかエリサは事情を聞き出す。
「なんや、友達にお面奢ってあげたんか」
スフィーは「うん」と小さく頷く。しょんぼりしながら上目遣いでこちらの様子を伺う姿は、どう見ても幼い子供だ。ああもうこんにゃろかわいいなあと、だらしなく破顔するエリサ。だがその背後には、苦虫を噛み潰したような顔で腕組みして立っている屋台のオッサン。
「ケチ臭いことを言うようだけど、こっちも商売だからね」
申し訳なさそうにしながらも、商売人らしくしっかりと代金を請求してくるオッサン。とは言え、悪いのは勝手にお面をタダであげたスフィーなのだから文句も言えない。
「仕方ないが、お嬢ちゃんが払えないんなら保護者の人に払ってもらうしかないな」
「あ、それは……困る」
保護者という言葉に、スフィーが慌てふためく。今の彼女にとって保護者と言えば、世間的に舞哉のことだ。だがただでさえ教会に居候している肩身の狭さの上に、舞哉が信じて任せた仕事を果たせず、あまつさえ金銭的損害を出したとなると、これはもう信頼度が下がるだけではなく、彼女自身のプライドにも傷が付く。こう見えて宇宙最高峰の頭脳を持つ天才の彼女が、屋台の店番一つできないと評価されるのは、身体に鞭打たれるよりも辛いことだろう。
「困るって言われてもねえ……」
あくまでお面代の請求にこだわるオッサンの態度に、スフィーは半泣きになる。だが小銭一枚持っていない身では、これ以上どうしようもない。無いものは無いのだ。
「しゃーないなあ……」
エリサは大きく息を吐くと、肩がけしていたトートバッグの中から、自分の財布を取り出した。
「おっちゃん、その代金、ウチが払うわ」
がま口から千円札を取り出し、「せやからこのこと、神父さんには内緒やで」とオッサンに手渡す。オッサンはばつが悪そうな顔で、「まあ、払ってくれるなら別に問題ないけど」とその千円札を銭入れのザルに突っ込む。その光景を見ていたスフィーの表情が、絶望の底に女神が現れたみたいに変化していく。
「ほなおっちゃん、ウチこの子に用があるんやけど、ちょっと借りてってええ?」
「ん? ああ、そうね。いいよ、うん、お疲れさん」
金さえ払ってくれれば用は無いとばかりに、オッサンの意識は完全に今日の上がりに向かっていた。エリサは現金やなあと思いつつも、むしろ好都合なのでオッサンの気が変わらないうちにまだ口と目をぽかんと開けたまんまのスフィーの手を取って、「ほな行こか」と足早にお面の屋台から離れた。
エリサの早歩きに苦労して追走しながら、スフィーがおずおずと話かける。
「あ、あの……」
「何や?」
「お金、払ってくれて……ありがとう」
「ええんよ」と、エリサは歩く速度を緩め、スフィーに向けてにっこりと笑う。その笑顔に、どんよりとしていたスフィーも表情が明るくなった。だがその後に続く、
「身体で返してもらうから」
のひと言に笑顔が消え、一気に血の気が下がり顔面蒼白になる。
「いやいや、冗談やん」
「お主が言うと冗談に聞こえんわい……」
それはそうだ。本気で言ったのだから。事態が逼迫していなければ、スフィーに貸しを作るこんなチャンスを逃すはずがない。
「それより、わしを引っ張り出して、どういうつもりじゃ?」
「あ、そうや。まだ説明してなかったわ」
そう言うとエリサは、これまでの経緯をかいつまんでスフィーに説明した。
「……なるほど。明らかに不審じゃのう」
「せやろ。せやからあのアホが何をやらかすか見届けたろと思ったんやけど、肝心の神父さんが見当たらへんねん……」
言いながら人混みに視線を向けて舞哉の姿を探すも、あれだけ目立つ巨漢の姿がまったく見当たらない。これは本当に教会の敷地内から出てしまったのだろうか。そうなるともう見つけることはほぼ不可能だ。
「シド・マイヤーなら、たぶんあそこじゃろ」
エリサが掴んでいる方の逆の手でスフィーが示したのは、教会の礼拝堂だった。屋根の頂点に十字架が鎮座する、よくある教会の礼拝堂を見てようやくエリサは思い出した。
「そうや、この時間は礼拝堂で説教があるんやった。しもたー」
完璧にど忘れしていた。聖セルヒオ教会では、日祝日の午前十一時頃から礼拝堂でミサがあり、その最後のシメとして神父からの簡単な説教を聞いて、お昼前には解散となるのだ。ただ不思議なことに、エリサは舞哉が「神」について語った話を聞いたことがない。いつも宇宙がどうの、戦いがどうの、生きる術がどうのという無駄に壮大な話と、人生とは戦いの連続で、自分はそのすべてに完全勝利してきたという抽象的な武勇伝しか聞いたことがない。だが内容はいつも面白いし、他の信者から不満が出たこともないのでさして問題ではないのだろうと思う。
ともあれ、居所が分かったのなら問題は解決だ。時計を見る。十二時五分前。ちょうどシメの説教が終わるタイミングだ。今から行けば、舞哉を捕まえられるだろう。緩やかだった歩調が再び早くなり、油断していたスフィーが腕を引っ張られてがくんと揺れる。
礼拝堂に着き、身長二メートルの舞哉でも楽々くぐれる大きな扉を、少しだけ開く。まだミサが終わってなければ邪魔になると思っての配慮だったが、エリサが扉を手前に引くと同時に、中から誰かが押し開いたので、危うく扉にぶつかるところだった。
慌てて身体を横に滑らし、扉をかわす。観音開きになった大扉から、ぞろぞろと人が出てくる。ナイスタイミング。どうやらミサが終わったばかりのようだ。
人の流れが途切れるのを見計らって、礼拝堂の中に入る。背の高い扉をくぐった途端、さらに頭上の空間が開ける。三階くらいの高さまでぶち抜かれた礼拝堂の中には、ステンドグラスを通して差し込む陽の光でカラフルな光の線が何本も走っている。それが埃をキラキラと反射させ、教会の持つ独特の神聖な空気をさらに強めている。木製の長椅子がずらりと整列し、祭壇の背後には巨大な十字架に磔になったイエスキリスト像。典型的な教会の礼拝堂だ。
すっかり人気のなくなった礼拝堂内に、巨大な黒い塊を発見した。獅堂舞哉の後ろ姿だ。司祭平服が限界まで内側から膨らみ、筋肉の隆起がはっきりと現れている。いつ見ても、何度見ても神父とは思えない。どう見ても仮装したプロレスラーだ。エリサは舞哉の筋肉を見るたびに、地上げヤクザたちを一撃で、文字通り“殴り飛ばした”あの光景を思い出す。
舞哉は慣れない事をして肩が凝ったのか、絞首刑になっても死なないんじゃないかって思うくらい太い首をボキボキ鳴らしていた。「あ~」とか「う~」とか唸りながら首を傾けるたびに、映画などで骨が折れた時に出る効果音みたいな音が礼拝堂に響く。
本当に骨が折れてそうな派手な音にビビりながらも、エリサは舞哉に近づく。見れば見るほど常人離れした肉体だ。まあそれもそのはず、彼の正体は宇宙人で、かつては宇宙最強を謳っていたのだから。
「あの、神父さん、」
エリサは声をかけるタイミングを図りかねていたが、うだうだ迷って時間を浪費するわけにもいかないので、意を決して舞哉に声をかけた。
「んあ? ふわあ、何だ、お嬢ちゃんか」
舞哉は、油断しただらしない姿を見られて、少しばつが悪そうな顔で振り返った。大きなあくびをした直後なのか、声がどこか上ずっている。
「お嬢ちゃんか、やあらへん。大変や!」
大変、という言葉を聞いて、もう一発出そうだった舞哉のあくびが止まる。細まりかけていた目がぎょろりと見開かれ、膨らんだ鼻の穴から盛大に息が漏れる。
「どういうことだ?」
むふーっと鼻息を吐き散らし、エリサに詰め寄る舞哉。普通なら、こんなむくつけき大男に鼻息荒くつめ寄られたら、エリサのような少女でなくても恐怖のあまり声も出せないまま、財布を丸ごと差し出してしまうだろう。何せ相手はあの有名な「鉄拳神父」だ。だがエリサは違う。神父の舞哉に馴染みがあるだけでなく、ついこの間地球の危機をともに救った仲である。まったく物怖じせず、まっすぐに舞哉の目を見つめ、
「虎鉄のアホがな――」
滔々とこれまでの経緯を語り始めた。
最初は何事かと剣呑な顔をしていた舞哉だったが、話が進むにつれて表情が砕けていく。最後の方になるとにやにやと楽しそうに口の端を持ち上げ、エリサが「――というわけなんや」と締めくくると、「おもしれえ」といかにも悪巧みをしてますという顔で笑った。
「それで、虎鉄は今どこにいる?」
「それが、アホみたいな勢いで走って行ったから見失ってもうて、今どこにいるかは分からへんねん」
「そうか……」
舞哉は舌打ちをする。エリサと揃ってこれからどうしたものかと思案していると、おもむろにスフィーが、学校の授業みたいに挙手をしながら言った。
「小僧の居場所なら、たぶん判ると思うぞ」
「マジか!?」
「マジで!?」
同時に銀髪の幼女を振り向くエリサと舞哉。その迫力に上げた手が少し引っ込みそうになるスフィー。
「お、おう……。ちょっと待たれよ」
ビビリながらもスフィーは両手を宙に泳がすと、彼女の手元の何もない空間に立体映像のキーボードが現れた。小さな手がキーボードに添えられると、それに呼応してスフィーの目の前に14インチほどの空中投影型のウィンドウが現れる。流れるような手つきでキーが叩かれると、眼前のウインドウに恐ろしい速さで文字の羅列が流れていったかと思うと、唐突に航空写真のような画像が映った。
「お、なんか映った」
「何だこりゃ? どこの映像だ?」
「これは、今この辺りを飛んでる人工衛生のカメラから見た映像じゃ。そしてちょちょっと操作してやると……」
スフィーは舌で唇を舐めながら、キーボードをリズムよく叩く。
「あ、これここの教会の屋根ちゃう?」
エリサが指さした建物は、たしかに言われて見れば聖セルヒオ教会の礼拝堂――つまり、彼女らが今いる建物を真上から見たものによく似ていた。
「そして、小僧の生体データから位置情報を割り出し、この地図に当てはめると……」
ちょいちょいのちょいっと、歌いながらキーを叩くと、あっという間に虎鉄の現在位置が割り出された。ウィンドウに表示された地図が次々に拡大されていき、ついには砂浜に佇む五名の頭部が、豆粒くらいの大きさに見えるほどになった。
「なんや、裏の海岸やん。ちかっ」
「おい、虎鉄の他に誰かいるみたいだぞ。これもっと拡大できねえのか?」
「無茶を言うな。これでいっぱいいっぱいじゃ。映ってるだけでもありがたいと思え」
たしかに。ちょくちょく魔法みたいなことをやってのけるので麻痺してしまうが、スフィーにだってできることとできないことがある。わずかな時間で人工衛星をハッキングできても、その人工衛星の性能以上の結果は出せないのだ。
「せやで神父さん。こんなに早よう見つけてくれただけでもありがたいんやから、あんまり贅沢言うたらあかんで」
舞哉はむう、と唸ると、ばつが悪そうに蓬髪をばりばり掻きむしった。以前どやしつけられて以来、どうやら舞哉はエリサに頭が上がらなくなっているようだ。
「――って言うかコレ……変身しとるんとちゃう?」
真上からの映像なのでわかりにくいが、虎鉄独特のボサボサ頭が見当たらない。その代わりと言ってはなんだが、どこかで見たような銀ピカに光る怪しい物体が映っていた。まあ間違えようがない。アペイロンだ。
「あの馬鹿、何やってやがる」
制止映像なので、実際に虎鉄が何をしているのかは彼らにはわからなかった。だがひとつだけ理解できるのは、何か良からぬ事が起きているという予感。
「この銀ピカのがアペイロンやとしたら、この周囲にいる他四名にめっちゃ見られてるんちゃうん?」
「まさかあの小僧、変身した姿を誰かに見せびらかしておるのではあるまいな」
「いや、それはねえ。あいつがいくら馬鹿でも、誰かに見せびらかす真似だけはしないはずだ」
舞哉の言葉に、エリサも「せやなあ」と同意する。
「あいつアホやけど、『ヒーローとは無闇に正体を明かさないものだ』とか何とかこだわっとったから、それはないと思うわ」
「となると、小僧が人前で変身せざるを得ない状況か、あるいは変身せねばならぬ相手が目の前にいるということか」
「それってつまり――」
「敵じゃねえか!」
予想外の展開に、一同に動揺が走る。彼らも虎鉄と同じく、ここまで早い敵の出現をまったく想定していなかった。何しろ居場所がバレてからまだたったの二週間である。特にスフィーにおいては、自分が来た時よりも短い期間でこの辺境惑星に辿り着ける者がいようとは、想像もしていなかった。完全に油断していた。
「馬鹿な。こんなに早く現れるなんて、あり得ん……」
「あり得んもクソも、現にこうして今現れてるじゃねえか!」
認めがたい現実を突きつけられ、スフィーが唸る。とはいえ、研究所を兼ねた宇宙船が無い今の状態で、スフィーに何か特別な準備できたかと問われればそれは否だ。空手の状態で彼女ができる事など、せいぜい電子系ネットワークを掌握する程度で、仮にこの星の防空体制を使って網を張っていたとしても、恐らく引っかかりはしなかっただろう。スフィーみたいに迷彩装置を入れ忘れるという、どうしようもないミスでもしない限り。
「やめえや、ここで言い争っててもしゃあない! 早よう虎鉄んところへ行かな!」
エリサの言葉に、舞哉とスフィーの二人ははっと我に返る。
「よし、海岸なら裏庭からの方が近道だ!」
舞哉はそう言って、礼拝堂から教会の奥に向かって駈け出した。
「よっしゃ、ウチらも行くで!」
スフィーの返事を待たず、エリサは彼女の手を取って舞哉の後を追いかけた。自分に何ができるかなど、まるで思いつかなかったが、とにかく行かなければならないと思った。
「虎鉄、無茶せんといてや……」
心配そうに呟くエリサの顔を、スフィーは見上げながら足を懸命に動かした。
次回更新は8月3日(予定)です。