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「おっそいな~、こういっちゃん」
ガスボンベのバルブに風船を括りつけながら、エリサは苛立ちと焦りの入り混じったような声を出す。
時刻はもう昼の一時をとっくに過ぎている。午前中は客足が少なかったお陰で、バザーの出店者がトイレに行ったり昼食をとる間の店番は舞哉とエリサを含む数人のボランティアで何とか回せたが、例年どおりだと客足は午後から一気に増えるので、このままだと回り切らない可能性が高い。だから浩一が助っ人として駆り出されたのだが、その姿は未だ見えない。
「まさか来おへんつもりやないやろな……」
「だったら最初っから断ってるだろ。あいつはできない約束はしないし、一度した約束を破る奴じゃねえよ」
「せやけど、遅れるんなら連絡の一つくらいしてもバチは当たらんで」
「たしかにそうだな……。あいつにしては珍しいこともあるもんだ」
どうにも胸騒ぎがする。虎鉄ならともかく、浩一がそんな気の回らないことをするとは思えない。下手な社会人よりも配慮ができ、そこらのお婆ちゃんよりも知恵袋がでかい。そんなおおよそ高校生らしからぬ社会スキルを持つ男が梨の礫で人を待たせる理由は、何かトラブルがあった、あるいは巻き込まれたということ以外に考えられない。間違っても虎鉄みたいに、携帯電話を携帯し忘れるようなドジは踏まないはずだ。
不吉な想像が湧き上がってくるのを、虎鉄は手を動かすことで誤魔化す。エリサが「ガスボンベを浮かすつもりか」と突っ込むくらい風船が括りつけられたところで、虎鉄の携帯電話が鳴った。
液晶画面に表示される“浩一”の文字に、虎鉄はこれまでの心配が取り越し苦労だったかと安堵する。
けれど電話をするならば、まずエリサの方ではないかと一瞬引っかかるものを覚える。しかし何はともあれまず電話に出てみた。
「もしもし? 浩一、お前いまどこに――」
「うわ、マジで繋がった。こんな原始的なのにゴイスー」
電波状況が悪いのか、けたけた笑う声が遠い。明らかに浩一のではない声に、虎鉄の表情が即座に険しくなる。
「――誰だお前?」
「あん? あんたこそ誰よ? ってーもしかしてムトーコテツ?」
「だったらどうした?」
「あたしたちね、アペイロンを探してるの」
浩一の携帯電話から出るはずのないアペイロンという単語に、虎鉄の心臓が爆発する。
「アペイロンに……何の用だ?」
「あら、あんたはアペイロンを知ってるのね? ラッキー。だったらハナシは超早い。今ね、えっと……」
ここどこだっけ? 知らないの~。あんたは? も~……。あれ? これどうすんの? え、この端末って通話しながら現在位置を表示できないの? 位置データの送信も? ムリ? ナニソレ、超使えないんですけど。あ~もう、ちょっとあんた、代わりにコイツここに呼び出しなさいよ。
などと少し電話から離れたところで複数の声が入り混じった後、
「もしもし、虎鉄?」
浩一が出た。不思議と感度良好である。
「浩一、無事か!?」
「大丈夫、特に危害は加えられてないよ。それより、アペイロンって何のことだい? さっきからこの三人――」
声が止まる。通話の向こうで、余計なことは言わなくていいの、と遠い声。どうやら何かしらの脅しをかけられたようだ。
「今どこに居るんだ?」
「教会裏の海岸。海の家に近い方」
「わかった。安心しろ、マッハで行く」
「虎鉄」
「ん?」
「……ごめん。よく事情はわからないけれど、どうやら君に迷惑をかけてるみたいだね」
違う、謝るのはこっちだ、と言う前に電話の相手が替わった。
「そういうわけで、すぐ来てねん。あ、一応お約束として言っておくけど、連れて来るのはアペイロンだけね。もし破ったらお友達は……どうしようか?」
どうでもいいの~、と遠い声。
「……まあ、急いでね。こっちもヒマじゃないんだし」
そこで電話が切られた。虎鉄もキレそうだった。
携帯電話を力の限り握り締める。大声で叫びでもしないと怒りで頭が爆発しそうだったが、周りにバザーの客やエリサが居るので、代わりに奥歯がめり込むほど歯を食いしばった。それでもわずかに唸り声が漏れた。
浩一を人質に取った相手の卑劣さに激しい怒りが湧くが、同時にその怒りは自分だけを狙ってくるとばかり思い込み、周囲の人間を巻き込む可能性を軽視していた浅はかな自分にも向けられた。今すぐこの場で自分を殺したくなる。
だいたい今朝、舞哉に言われたばかりではないか。相手は必ずしも正々堂々と勝負を挑んで来るとは限らないと。いや、むしろ賞金稼ぎなんて、罠を張ったり騙し討ちをするのが常道。そもそも宇宙人なので地球の、それも日本なんて極東の小さな島国のモラルなんて通用するはずがない。そんな公明正大とは程遠い奴らを相手にするには、警戒に警戒を重ねてもまだ足りないというのに、自分は馬鹿丸出しでのうのうと日常を過ごしていた。
そのせいで、まだ何の覚悟も準備もできていないのに敵が来てしまった。しかも浩一を巻き込んで。そもそも敵がこちらの都合を考えて待ってくれるなんて考え自体が甘い。虎鉄は何から何まで甘々だった。
こんな甘ちゃんはどうなってもいい。自業自得だし、何より自ら望んで踏み込んだ世界だ。だが浩一は違う。彼はまだ事情さえ知らされていない。どちらかと言えば関係者ですらないのだ。つまり、無関係な一般市民。
一般市民を巻き込む――ヒーローものなら、必ずと言って良いほど登場するシチュエーションではないか。かつて浩一との会話でも俎上に載せたことまであるのに、よもや自分が現実で同じ状況に置かれるとは思ってもみないとは馬鹿か。事実は小説よりも奇なり、とかいう問題ではない。
彼らはこの場合、どうしていただろう。虎鉄はこれまで脳内に溜め込んだ、膨大な特撮ヒーロー番組の記憶を思い出す……、
までもない。自分の命大事さに、人質を放り出して逃げるなんてヒーロー以前に人として失格だ。だから答えは当然行くの一択。
答えは決まった。後は即行動あるのみ。時間は待ってはくれないし、下手に時間をかけて相手を刺激すると、人質になっている浩一の身が危ない。虎鉄は即座に駆け出そうとする。
だがしかし、少し冷静になって考えてみよう。果たして、変身できない自分が行ってどうなるというのか。変身していない虎鉄の戦闘力など、荒事を生業とする賞金稼ぎに比べたら微々たるものだろう。はっきり言って話にもならない。
「く……っ!」
ここでまたしても、準備不足が悔やまれる。アペイロンの唯一と言っても過言ではない、変身にムラッ気があるという弱点を、今日まで解決できなかったことが今こうして最大の仇になるとは。
「だが、しかし……っ!」
それでも、男は行かねばならない。何故なら、友の危機には例え己の命を賭してでも助けに行く、それが虎鉄の俺ルールだからだ。
「あんたはさっきからなに一人で百面相やってんねん」
アホみたいやで、と言う声で振り向けば、エリサが呆れた顔でこっちを見ていた。どうやら電話を受けてから虎鉄が苦悩する一部始終を、じっくりと観察されていたようだ。こういう時、ポーカーフェイスができない単純な性格が恨まれた。きっと一人で小芝居じみた奇妙な動きをしていたに決まっている。そりゃ怪しまれるし呆れられる。
「あ……いや、これは、ちがっ!」
「それより、さっきの電話、こういっちゃんやろ? 今どこにおるん? それとも、急に予定が変わったん?」
「いや、それは……え~と……」
どうする? 電話の相手についてはエリサにはほぼバレているようなものだし、ここで素直に事情を話し、彼女を通じて舞哉やスフィーに協力を仰ぐのも一つの手段だ。だがその案はすぐに却下された。連れて来るのはアペイロンだけだと念押しされたのもあるが、あのわずかな会話の中で浩一のくれた貴重な情報では、相手は三人。しかも場所は見晴らしのいい海岸だ。一人を浩一の拘束に回しても、残った二人が周囲を警戒できる。二人もいれば、いくら海の家などの遮蔽物があっても視界は十分にカバーできる。小細工を弄しても見つかるのがオチだ。浩一の安全を第一に考えると、リスクのある手段は取れない。そもそも、舞哉とスフィーに隠密行動がとれるとも思えないし。
となると、やはりここは虎鉄一人で行くしかない。長々とあれこれ考えてはみたものの、やはりここは相手の言いなりになる以外に選択肢はなかった。これもフィクションだとよくある展開だ。虎鉄は思わず苦笑する。
だったら、もうこれ以上時間を無駄にはできない。虎鉄は即座に行動に移る。
「ちょっと出てくる。店番頼んだぜ」
「あ、ちょっと待ちや! なんかあったんやろ!? あんた一人で行ってどないすんねん!」
やはり気づかれていたか。引きとめようとするエリサに向けて、虎鉄は「あばよ」とカウボーイの去り際のようなキザなポーズを決めて駆け出す。だが颯爽と走り出した足が、数歩で止まった。あのエリサのことだ。下手に尾行されたりすると、人質が増えるなんてことになりかねない。ここは念には念を入れて、釘を数本刺しておこう。華麗にターン。風を切る勢いで指をさすと、今にも追いかけてきそうなエリサの動きが金縛りにあったようにぴたりと止まった。
「いいか、師匠とスフィーには何も言うなよ。あと絶対に後をつけたりすんな。絶対だぞ、絶対だからな!」
ガツンと言ってやった。これでいい。これだけハッキリ言えば、エリサだってわかってくれるはずだ。まだぽかんとしているエリサに再び背を向け、虎鉄は走り出す。向かうはもちろん、教会裏の海岸だ。行ってどうするかは、まだ何も考えていなかった。
もの凄い勢いで走り去る虎鉄の背中を呆然と見送っていたエリサだったが、やがてゆっくりと頭をボリボリかきながら呟いた。
「……つまりこれは、絶対やってくれっていう前フリやな」
虎鉄は知らない。お笑いの世界にはいくつかの暗黙のルールがあり、その一つに、絶対するなと二度以上念を押すのは、むしろやってくれと要求していることになるというのがあることを。そして元関西人であるエリサは、その独自ルールの中で日常生活を営んでいることを。
「そしたらまあ……」
ニヤリと笑う。さっきまで尻に敷いていた段ボールを拾い上げ、手で丁寧に砂を払うと、トートバッグから取り出した極太マジックで何やら殴り書いた。
「フられたらノったらなアカンわなあ」
段ボールを、これまたバッグから取り出したガムテープでガスボンベに貼り付ける。風で簡単に飛んだり落ちたりしないことを確認し、満足そうに何度も頷いた後、エリサも急ぎ駆け出す。行き先は、とりあえず居場所が判明しているスフィーの元へ。
段ボールには『ご自由にどうぞ』と書いてあった。
次回更新日は7月20日(予定)です。