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気を取り直して稽古再開。
今度の課題は、二人にとって死活問題だった。だがこれに関しては舞哉も虎鉄に教えられることはなく、むしろ舞哉こそ誰かに教えてもらえるのならそうして欲しかった。
それは――
「変身!」
虎鉄の細かい指導のもと、舞哉がどこか懐かしい変身ポーズを完璧に決めるが、彼の姿は何一つ変わらなかった。失敗である。
「だめか……おかしいな。宇宙モノの特撮だから相性はいいと思ったんだが……なら次のシリーズの変身ポーズで――」
「いや、そういう問題じゃねえだろ」
腕組みをしながら真剣に変身ポーズを検討している虎鉄に、舞哉が冷静にツッコミを入れる。そもそも変身するのに必要なのは魂の燃焼であって、動作は関係ないのだ。もっとも、その動作をすることによって魂が燃焼するのなら、話は別だが。
「だいたい俺は、昔っからかけ声かけたりポーズとったりなんかしなくても変身できてたんだよ」
「じゃあどうやって変身してたんだよ?」
「それは……なんつーか、気合い?」
「ちっとも具体的じゃねえ……」
「うるっせえな。いちいち頭で考えてられっか。こういうのはな、身体で覚えて心で動くもんなんだよ」
なんだか天才型のプロスポーツ選手の指導みたいだが、虎鉄も舞哉の言いたいことを理解できなくもない。身体が熱くなるような魂の燃焼は、頭では到底理解できるものではない。そして当然、言葉で説明できるものでもないのだ。むしろ頭で考えているようでは、いつまで経ってもできないだろう。
「とりあえず俺のことは置いといて、まずはお前の方から解決していこう」
「へ、俺?」
「そうだ。お前はついこの間変身したばかりだから、感触みたいなものがまだ残ってるだろう。それを思い出せれば、もう一度変身できるかもしれない」
「なるほど」
「よく思い出せ。変身できたあの時の状況を。何がきっかけで、お前の魂が燃え上がったのか」
「俺が初めて変身した状況……」
「感じたはずだ。心臓が破裂するような胸の鼓動を。全身の血が沸騰するような戦慄を」
虎鉄は目を閉じて懸命に思い出そうとする。あの時――この聖セルヒオ教会の裏庭で、強風に煽られて落ちてきた鐘楼の鐘から、エリサを助けるために駆け出して――
いや、ちょっと待て。たしかにそれで変身できたのは間違いないが、もっと前に魂が、内燃氣環が初期起動するきっかけがあったような気がする。
さらに記憶を掘り起こす。映像を撒き戻すように、あの時の出来事を逆回しに辿っていくと、
『友達も助けられへん奴が、世界なんか救えるかどアホーッ!』
エリサに張り倒された光景が思い出された。
「……これか?」
小首をかしげて再度黙考するが、やはり一番最初のきっかけはこれに間違いないだろう。
「う~ん……やっぱこれか……」
「お? 思い出したか?」
「まあ、思い出したっちゃあ思い出したかな」
「何だよオイ、歯切れが悪いなあ。で、何がきっかけでお前は変身できるようになったんだ?」
「……エリサに殴られたのがきっかけだった」
期待に満ちた舞哉の表情が、見る見る味わい深い何とも言えないものに変わっていく。まるで自分が同性愛主義者だとをカミングアウトされたみたいに、これからコイツとどう距離をとっていこうかなどと考えているような、実に複雑な表情だ。目がすげえ泳いでる。
「あ~……うん、あるよね。そういう嗜好。女に殴られる恥辱や痛みに性的興奮を覚えたりするの。この星でいうドMってやつ? まあ俺はまったく全然これっぽっちも理解できないけど、人によっちゃあそれで魂が萌える、いや、燃えることもあるのかな?」
「うわーやっぱりすげー勘違いされてるー。っつーかその生温かい目をやめろ」
流れるような動作で半歩下がる舞哉に、虎鉄はほぼ本気のローキックを放つ。
当然の如くブロックされた。しかもどういうスネをしているのか、蹴った虎鉄の足の方が痛かった。
「とにかくお前、あの金髪っ娘呼んで、もう一回しばいてもらえ。当時の状況を再現するのが一番手っ取り早い」
「呼ぶって今からか?」
「早い方がいいだろう。いいからさっさと電話しろ。それとも番号知らないのか?」
「いや、それくらい知ってるけど……」
虎鉄は渋々と、自分のカバンの中から携帯電話を取り出す。アドレス帳の登録はフルネームの『卯月エリサ』ではなく『エリサ』のみで、ア行にあったのですぐ表示された。ちなみに浩一も『犬飼浩一』ではなく
『浩一』のみだ。
発信ボタンを押し、携帯電話を耳に当てるとコール音が鳴り始めた。
エリサのことだから、連休を良いことに連日徹夜でアメリカの友人とチャットで情報交換をして今頃は寝こけているだろうと予想したのだが、意外にもコール三回で出た。
「もしもしエリサ? 俺俺」
『アホ、何がオレオレやねん。あんたは詐欺師か』
感度良好。エリサの機嫌以外は何一つ問題はない。むしろ声が近くから聞こえる気さえする。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いま大丈夫か?」
「大丈夫もナニも――」
もうここにおるんやけどな、とエリサが携帯電話で話しながら、虎鉄たちのいる裏庭へと姿を現した。
「お前なんでこんなところにいるんだよ?」
「こんなところで悪かったな」
犬歯を剥きだした舞哉が拳をバキバキ鳴らす。
「なんでもナニも、今日五月五日の子供の日は、毎年この教会でバザーやる日やろ。ウチはいつも手伝ってるから、今年も来たに決まっとるやないか」
「しまった、もうこんな時間か!」
バザーと聞いて、舞哉は平手で額をぴしゃりと叩いた。どうやら稽古に夢中になって、完全に時間を忘れていたようだ。
「神父さん、しっかりしいや。朝っぱらから虎鉄とアホなことしとるからやで」
エリサは呆れ果てた顔で、大慌てで司祭平服の上着を着ている舞哉を見る。さっきまで練習中のプロレスラーみたいだった舞哉が、キャソックを着るだけで何となく神父っぽく見えるようになるから不思議だ。制服効果というやつだろうか。
片やエリサはやや大きめのボーダーのシャツに、七分丈のチノパン。足元はスニーカーと活動に適した格好で、どうやら毎年手伝っているというのは嘘ではなさそうだ。小脇に抱えたトートバッグには、恐らく必要な小物があれこれと入っているのだろう。
「もうバザーに出店する人や屋台の業者さんなんかが門の前に集まっとるで。さっさと行って場所の割り振りしたってや」
「こりゃいかん。虎鉄、お前も手伝えよ!」
そう言うと舞哉は上着のボタンを留めるのももどかしそうに、どたどたと教会の中へと駆けていった。
存在感抜群の巨体が消え去ると、裏庭は一気に閑散とする。
「手伝えってまたかよ……んな急に言われてもなあ、俺にも予定ってモンが――」
「なに言うてんねん。どうせヒマなんやろ? 家帰ってもアホみたいにボ~っとしてるんやったら、ボランティアしてちょっとでも功徳を積んどき。そうせんとアンタ、来世はきっとアリンコやで」
「勝手に人の来世を決めるな。それならせめて哺乳類にしてくれよ」
「贅沢言うなアホ。ミジンコとかミドリムシよりはるかにマシやろ」
「昆虫からさらに下がるのかよ……」
「アホみたいなこと言うとらんと、さっさと行くで。今日は猫の手も借りたいんやからな」
そうしてエリサは虎鉄の襟首を掴み、強引に引きずっていく。猫の手というよりは猫の子扱いだ。同い年の女子に持ち上げられ、身体同様小さなプライドが傷つくが、悲しいかな昔からエリサの方が大きかったので、こういう扱いは慣れたものだった。というか虎鉄がほとんど成長していないのに比べ、彼女がばんばん成長しているので、ここ数年は本当に猫の子のように運ばれている。
「待て待て! 手伝う。手伝うからちょっとだけ俺の要件にも付き合ってくれ!」
「要件? しょーもないことやったら協力せんで」
「アペイロンのことだよ。変身の感覚を取り戻すのに、どうしてもお前の協力がいるんだ」
どうしてもという言葉にエリサの手から力が抜け、虎鉄は尻もちをつく。
「あいたっ!」
「どうしても……? スフィーやのうて、ウチでないとあかんの?」
「ああ。お前じゃないと駄目なんだ。だから頼む。ちょっとだけ手伝ってくれ」
「……しゃ、しゃあないなあ。ちょっとだけやで?」
てっきり怒るかと思ったが、どうやらエリサはまんざらでもない様子だ。だったらまた機嫌が悪くならないうちにと、虎鉄は彼女の背を押すように今もまだ縁が欠けたままの鐘楼の下まで連れて行く。
「それで……ウチやないとあかんことって……なに?」
「俺を殴ってくれ」
「…………………………は?」
虎鉄のひと言に、エリサの顔から赤みと笑みが消える。
「あの時、俺はエリサに殴られたおかげで何かに目覚めたんだ。それがきっとアペイロンに変身するきっかけだったんじゃないかと思うんだ。だからもう一度――」
「やかましいわどアホ!」
「へぶっ!?」
言い終わる前に、エリサの強烈な右フックが虎鉄の顎を捉えた。腰の入った、打ち下ろしのいいフックだ。もしかすると宇宙右フックかもしれない。
本当はあの時エリサが放ったのは右の平手だったのだが、どちらにしろ変身のきっかけはおろか何のヒントも掴めず、虎鉄は千鳥足でくるくると回ると、完全に白目を剥いて仰向けに倒れた。見事なKOである。
「ホラ、用が済んだんならバザー手伝いに行くで。いつまでアホみたいに寝てんねん!」
またすっかり不機嫌になったエリサは、虎鉄が失神しているのも構わず首根っこを掴んで引きずっていった。
次回更新は6月22日(予定)です。