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 いきなり目の前に包丁を持った暴漢が現れたような気分だった。出会い頭に斬りつけられ、胸の皮一枚を斬られると同時に冷静さと判断力、思考力に身体機能の一部まで持っていかれている。


 つまり、完全にブルってしまっている。


 いくら体躯が大きくなり、筋力が常識では測れないほど強力になっても、中身の虎鉄自身が、いや、刃物を恐れるという人が当たりに持つ本能の前には何の意味もない。


 ではその恐怖に打ち勝つにはどうすればいいのか。


 それは怒りや勇気――などでは決してなく、日々の修練と研鑽、そして経験のみがその恐怖を塗り潰す唯一の方法である。


 怒りなどただの蛮勇、勇気などただの思考停止に過ぎない。恐怖に屈服し、小便を漏らし、歯の根が合わぬほど怯え、立っていられぬほど足が震えた者がそれでも立ち上がり、血が出るほど歯を食いしばり、修練と研鑽と経験を積み重ねた者のみが、真の意味で恐怖に打ち勝ったと言えるのである。


 結局、場数を踏まなければこのテの恐怖は払いきれないということだ。だが生憎いまの虎鉄には、その場数を踏む時間的余裕も、踏んできた経験も無い。あるのはただ、これまで重ねた修練と研鑽のみ。練習ばかりやってきて、実戦経験に乏しい童貞野郎である。


 ただ童貞野郎は、得てして妙な知識だけは豊富に持っていたりする。虎鉄もご多分に漏れず、そのクチだった。特に彼の場合、親戚に元外人部隊所属という昨今のマンガでもそうそう無いような経歴の叔父がいるため、こと徒手格闘《CQC》に関しての知識だけは玄人顔負けである。


 ただ、知識はただの情報であり、経験の裏打ちがあってこそ意味があるというのが世の常だ。だから虎鉄が一応刃物を持った相手に対する初歩的なスタンスとして、両腕の手首を内側にしてあごの下に構え、太ももの大きな血管を守るように内股気味にした立ち方をしたところで、やはり素人が教本マニュアルの真似をしている感はどうしても否めなかった。


「ほう、正中線と急所を隠す構えか。どうやらずぶの素人ではなかりけり」


 虎鉄の構えを見て、ガヴィ=アオンはヘルメットの鏡のようなシールドの奥で嗤った、ような気がした。


「だが――」


 ガヴィ=アオンの身体が動いたように見えた。何かした、と思ったときにはすでに痛みが走っていて、斬られた後だった。ひと呼吸のうちに腕や足など計十箇所以上斬られた。だが内股に構えたオカマみたいな格好のおかげか、今回も傷はどれも浅い。手加減して余裕を見せつけているのか、じわじわといたぶるつもりなのか、それとも。


 どちらにせよ、このままではなぶり殺しだ。今までの浅い傷ならばすぐに治る。が、いつ治らぬほどの深手を負うか分からないこの状況で、いつまでも相手のさじ加減に頼っている余裕はなかった。ならば、傷が浅いうちに何か突破口を開かねば。


 クロック数の跳ね上がった脳ミソで考える。どうしてあいつは一思いにバッサリやらない。あの姉妹を殺さなかった自分を甘いと評するなら、今こうして獲物を嬲るように浅く斬り刻んでいく己は甘くないのだろうか。それともそういう趣味嗜好の持ち主なのか。


 いや、ああいうタイプに限って、獲物に情けをかけるとか、目的より趣味嗜好を優先させるなどという、所謂三流じみた真似はしないだろう。殺れるときにきちんと殺って、冥土への土産はあげないタイプだ。


 だとしたら、どうして。


 ナノマシンで脳に新たに構築された回路が、あらゆる可能性を総当りで潰していく。スパコンなみの演算速度で弾き出した答えは、実に単純なものだった。


 斬らないんじゃなく、斬れないのでは。


 単純過ぎて自分でも馬鹿らしくなる答えだったが、ネオ・オリハルコンの特性と普及率を考えたら、案外的外れな答えではないような気がした。よくよく考えたら、宇宙広しと言えども、こんなアホみたいに燃費の悪い素材を使おうなどと考える奴がシド・マイヤーの他にいるだろうか。他に誰も使わない最強の装甲だから、同素材による耐久試験や摩耗実験とかろくにしてないんじゃなかろうか。


 なんだかどんどんそんな気がしてきた。頭が痛くなってくるのを堪え、思考をガヴィ=アオンに戻す。つまり、相手はネオ・オリハルコンを斬るのが初めてだという可能性が高い。だってそうだろう。自分が持っている刀の他には、稼働しているネオ・オリハルコンはアペイロンしかないのだから。試し斬りも何もしていないと考えるのが妥当だ。


 だったらまだ勝機があるかもしれない。あいつがネオ・オリハルコンを斬るのに慣れる前に、


 前に、どうすればいい。


 勝てるビジョンが見えない。


 相手は剣を究めんがために、生身の肉体を捨てるようなキチガイだ。そりゃあ秒間一万回も剣を振るには、生身の身体じゃ到底不可能だ。かと言って脳ミソまで機械にするとは筋金入りのキチガイだ。こんなのに勝とうと思ったら、こちも人間をやめるくらいの事をしないと、釣り合わないのではないか。


「どうした? 棒立ちでは、拙者の剣はかわせんぞ」


 挙動すら見えないのに、身体には数十の傷が刻まれる。しかもだんだん傷が深くなっていく。このままでは、一振りですっぱり切断されるのもそう先の事ではないだろう。


 せめて、あいつの動きさえ見えれば。


 アペイロンがプシケ・メリッタ姉妹との戦闘で得た動体視力とそれに対応する脳の反応速度は、およそ百分の一秒。対するガヴィ=アオンの剣の初速は、一万分の一秒。どう考えても足りない。


 どうする。


 かわせないのならば、せめて防ぐ方法を考えよう。


 虎鉄はバックステップで数歩後ろに下がり、ガヴィ=アオンと距離を取った。刀の間合いを完全につかんだわけではないし、相手の踏み込みの速さも未知数なので、多めに離れておく。200キロの巨体が飛び跳ね、砂を飛ばしながら足跡を刻んでいく。


 武器には武器、刀には刀だ。


 虎鉄の思考を電気信号としてキャッチしたナノマシンが、ネオ・オリハルコンを統制してアペイロンの装甲を変化させる。右肘の関節部分の装甲が伸び、刃渡り60センチほどの鋭利な刃物へと変わった。


 特に深く考えた上での行動ではない。ただ、直感でそう思って、できるかなと思ってやってみたらできた。本当に、それくらいの感覚だった。


「おおっ! 肘ブレード!?」


 本人もまさか出るとは思ってなかった予想外の展開に、状況を忘れてテンションが上がる。拳が肩につきそうなくらい腕しっかりとを曲げ、肘打ちの要領でブレードを振ると、初めてのわりには風を斬る鋭い音がした。


「ほう……それがアペイロンの性能か。げに面白き」


 目の前で進化したアペイロンのブレードを見て、これまで一方的に斬り刻むことに倦んでいたガヴィ=アオンも、気持ちテンションが上がったように見えた。


「同じネオ・オリハルコン同士で剣を交えられるとは……本当に貴様は楽しませてくれるな!」


 本当に嬉しかったのか、これまで無造作とも見える状態から神速の斬撃を繰り出してきたガヴィ=アオンが、ここで初めて構えらしきものを見せる。手に持った棒は相変わらずエネルギー節約のためか棒のままだったが、腕を伸ばし限界まで後ろに引いたまま腰を落とし、左手はアペイロンとの距離を測るように指を揃えて掌を前に突き出している。


「どちらの刃が最強か、いざ尋常に参る」


 先に動いたのは、やはりガヴィ=アオンだった。



「あのバカ、剣士相手に剣で対抗し始めやがった」


 豪快な舌打ちともに舞哉が吐き捨てるので見てみれば、アペイロンの右肘に銀色に光るサーベルみたいなものが生えていた。エリサの知る限り、アペイロンにあんなオプションはついていなかったはずだ。少なくともさっきまでは。


「せやけどこれで条件は同じになったんとちゃうの? 剣対剣で」


 舞哉に「これだから素人は」みたいな目で見られた。宇宙人とは言え不良中年に馬鹿を見るような目で見られると、けっこう傷つくものがある。


「練度が違い過ぎるだろ。片や剣のためにてめぇの身体捨てて機械にしちまうような奴だぞ? そんなのと同じ土俵に上がって、万が一にでも勝てると思うか? 無理だ、今の虎鉄じゃ百万回勝負したって一度も勝てねーよ」


 いかにも面倒くさそうに舞哉が解説している間に、


「あ、折れた」


「折れたのう」


 浩一とスフィーが同時につぶやく。こちらも舞哉と同時に砂浜へと視線を移せば、あまりにもあっさりとアペイロンの肘ブレードはガヴィ=アオンの剣に中ほどから叩き折られていた。


 折れたブレードがきりきりと宙を舞い、海にぽちゃりと落ちた。どうせすぐにナノマシンが分解され、跡形もなく消えるだろう。ネオ・オリハルコンは地球環境に優しいのである。


 アペイロンは呆然と回転しながら空中に弧を描くブレードを見送り、海に消えたあとも数秒ほど動かなかった。自分の右肘を二度見してようやく現実を受け入れると、慌ててガヴィ=アオンと距離を取り、今度は左腕に機動隊が持つような銀色をした長方形の盾をナノマシンで構築した。


「今度は盾か……。ビビったおかげでナノマシンを自在に操れるようになったのはいいが、どうにも根本から間違ってるのに気づいてやがらねえな」


「いや、師匠やったら教えてあげたらええやん。このままやったら、いくらアペイロンでも危ないのと違う?」


 いまいち緊迫感がない舞哉にダメ元で助言をしろと進言してみる。だがやはりどうにも気乗りしないのか、はたまた虎鉄の成長のためを思ってあえてしないのか、舞哉は「う~ん」と唸っただけで、後は面倒臭そうに頭をボリボリ掻いて再び観戦モードに入った。エリサの見立てでは、どう見ても前者だった。


「こらあかん……」


 あてにならない神父を頼るのはやめて、何か自分にできることはないかと考えてみるが、近づく事すらできないバケモノ同士の戦いに、ただの一介の女子高生がどうにかできるとも思えなかった。強いてできる事と言えば、戦いの邪魔にならないように、遠く離れたここで大人しく観戦している事くらいか。つまり、現状維持。ガッカリだ。


 エリサがヒトの限界と自分の不甲斐なさに軽く失望している頃も、アペイロンの盾は順調にガヴィ=アオンの剣を防いでいるように見えた。


 だがそれは素人目にはそう見えるだけで、玄人の舞哉が見ると、


「時間の問題だな」


 と辛口な意見が飛び出す。


「どういうこと?」


「今はまだ一回の斬撃の切り口は浅い。だがそれもじょじょに深くなってきている。このままだとあの盾が一刀両断されるのもそう遠くないぜ」


 切り口の深さまで見えるのか。本当にどういう視力をしているんだろう。エリサの目には、ガヴィ=アオンはただ虎鉄と相対しているようにしか見えない。棒立ちと言ってもよい。それに今度の盾は厚さが十センチくらいある、遠目に見ても頼もしい盾だ。厚みに物を言わせ、それなりにガヴィ=アオンの剣を防いでいる。だが舞哉が言うには所詮時間稼ぎに過ぎず、すぐに意味がなくなるそうだ。


 にわかに信じられないエリサだったが、舞哉の言葉はすぐに現実のものとなった。甲高い金属音を立てて、アペイロンの盾の上半分が斬り落とされたのだ。落ちた部分が砂の上にどさりと落ち、やがて塵となって消えた。さすがにあれだけの厚みのある盾が目の前で切断され、虎鉄も驚きを隠せないようだ。


 だがいくら時間の問題だと言っても、あの分厚い盾がどうしてこんなに短時間で切断されたのか。まさか、それだけガヴィ=アオンがネオ・オリハルコンを斬る事に慣れてきたということか。


「どうした虎鉄? いつまでビビってやがる。あまり俺をガッカリさせるなよ?」


 映画館で映画の内容に入り込み過ぎた客が漏らす独り言みたいに、舞哉は嬉しそうにぶつぶつ言う。弟子のピンチなどお構いなしに、ただ自分が楽しければいいと言わんばかりの姿に、エリサはこんな師を持った虎鉄に同情を禁じ得ない。と同時に、ここまで何も心配していないのは、それだけ信頼しているという事の裏返しなのかもしれない。そう考えると、彼がこうしてニヤニヤぶつぶつ言っている間は、アペイロンはまだ大丈夫だ――と思うことにした。


 そして事態は動き出す。


次回更新は8月31日(予定)です。

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