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 ペンキの禿げかけた木製の扉を蹴破る勢いで開き、舞哉たち一行は教会裏の海岸へと躍り出た。


 見れば、砂浜には巨大な地上絵でも描いてあるのかと思うくらい、太い直線が何本も引かれていた。かと思えば、地雷でも爆発したかのように砂がえぐれている箇所がいくつもあり、普段なら時期はずれで閑散としている五月の砂浜が、まるでノルマンディ上陸作戦を彷彿とさせる有り様になっている。


「なんやこれ……戦争でもあったんかいな」


 思わずエリサはつぶやく。見慣れたはずの光景が、日常とかけ離れた姿になっている。こうなるとむしろ、被害を免れた海の家やボート小屋の方が不自然に見える。


 と、エリサが休業中の海の家に視線を向けたところ、どこかで見たような人物が柱に身を隠しながら砂浜の方を窺っているのを見つけた。


「――んん?」


 青い目をいっぱいに細めて見る。あのいかにもいいとこのお坊ちゃんみたいな髪型、どこかのファッション誌に載ってそうな、それでいて特に奇抜さのない無難な服装、そして長身なのに貧弱そうに見えない均整のとれた身体。間違いない、あんな絵に書いたようなイイオトコは、この町内に二人といない。


「あちゃ~……」


 思わず頭を抱えたくなる。よりによって犬飼浩一がここにいるとは予想外にもほどがある。そして最悪な事に、


「やっぱり」


 浩一の窺う先に視線を向ける。案の定、全身銀色に輝く虎面甲冑大男――アペイロンの姿があった。


 気が遠くなって白目をむきそうになった。


 バレた。


 いや、特に秘密にしておいたわけではないが、大っぴらにしようとしたわけでもない。浩一の性格を考えて、折を見て相談しようとしていた矢先の、


 なんて全部言い訳だ。あわよくばこのまま秘密にしたまま、アペイロンから浩一を遠ざけようとしていたのは確かだ。虎鉄と秘密を共有する関係に、浩一を加えたくないという意志が少なからずあったはずだ。


 そんな事をいま考えている場合ではない。


 とにかく、面倒な事になった。


「ん? なんだあいつは? 近所の住人か?」


 エリサの背後で舞哉が、片手を額に当てて双眼鏡を見るフリをしながら、まるでその後軽い口調で「始末するか」とでもいいそうな感じでつぶやく。拙い。一番物騒な人物に目撃者が見つかってしまった。


 だがエリサの心配をよそに、次に舞哉の口から出たのは存外まともなものだった。


「お、ありゃ虎鉄じゃねえか。ったくあのボケ、人がいる所で迂闊に変身しやがって」


 舌打ちをする舞哉の背中に乗っていたスフィーが、


「なんじゃ? 独りで何を踊っておるんじゃ、あの小僧は?」


 見てみれば、アペイロンは身体をうねうね動かして、何やら珍妙な動きをしている。まるで身体にまとわりつく何かを忙しく手で払っているような、言われてみれば踊っているように見えなくもない。


「違う。襲われてるんだ」


 だが誰よりも早く真相を見抜いたのは、やはり誰よりも戦闘経験があり、目のいい舞哉だった。


「襲われてるって、他に誰もおらんで?」


「よく見ろ。二人いる。速い」


 よく見ても、エリサやスフィーにはまったく何も見えなかった。


「どういう奴らじゃ? わしらにも分かるように教えい!」


「茶トラとキジトラの猫みたいな女が二人、ものすげえ速さで瞬間移動してやがる」


 それを聞いたスフィーが、すぐさま脳内の膨大なデータから一致するものを検索する。


「それはきっと、サルトゥス星人じゃ。賞金稼ぎの中に、最近姉妹で荒稼ぎしとる奴らがおると小耳に挟んだことがある」


 なるほど、とスフィーは独りごちる。異常なほどの空間把握能力を持つサルトゥス星人なら、その能力を駆使してこれだけ早く地球へ辿り着けるだろう。感心すると同時に、その可能性を考慮しなかったのは自分のミスに気づき、それはそっと胸にしまっておくことにした。


「とにかく、あんな所にいてはいつ巻き込まれるかわからん。何とかここまで連れて来れんか?」


「よし、任せろ」


 言うなり、舞哉はその巨体からは想像もできないくらいの速度と、砂の上を滑るような巧みな足捌きであっという間に浩一の背後に駆け寄ると、有無を言わさぬ手際の良さで少年の口を手でふさぎ、身体を荷物のように小脇に抱え、行った時と同じ要領で戻ってきた。


「回収完了」


「あんたは忍者か仙人か……」


「フ、宇宙格闘術アストロアーツを極めれば、生身でもこれくらいの事は朝飯前さ」


「さよか……」


 砂に足跡も残さず往復してのけた舞哉の妙技に、エリサが人の姿をした化け物を見るような複雑な視線を向ける。


「え、なに!? なに!? 何がどうしたんだ!?」


 浩一は舞哉に抱えられたまま、まだ自分の身に何が起こったのか把握できていない。キャラが変わったんじゃないかと心配するくらい狼狽していたが、「まあ落ち着きや、こういっちゃん」と声をかけたエリサと目が合ってようやく事態の何分の一かを理解し、落ち着きを取り戻した。


「神父さん、とりあえず降ろしたって」


「おう」


 ゆっくりと降ろされ、砂の上にぺたんと正座する形になった浩一を、エリサと舞哉とスフィーの三人が取り囲む形になる。


「あの……」


 エリサはどう切り出せば良いか迷った。今さらどの面を下げて、「大丈夫?」とか「ケガはない?」とか訊けるのか。隠し事がバレた後ろめたさだけでなく、ただでさえ変人を嫌う常識人の浩一を、宇宙人のからんだ非常識な事態に巻き込んだ罪悪感が、エリサの心を埋め尽くした。


「あんな……」


 とりあえず謝ろうとエリサの口から言葉が出たのを、


「違うだろ」


 浩一が遮った。


「へ……?」


「本当にそれが、今話すべきことかい? 卯月はもっと他に、僕に尋ねなきゃいけないことがあるはずだ。ただあいにく僕も少々狼狽していてね、そちらから上手く誘導尋問してくれるとありがたいんだけど」


 まだ血の気の引いた青い顔でにやりと笑う浩一。聡明な彼は、エリサの葛藤を理解した上で、この状況で最も効率の良い選択をしたのだ。それもすべては、アペイロン――虎鉄を助けるためである。


 目的が同じとあらば、エリサも迷う余地はなかった。「わかった!」と一度大きくうなずくと、そこからは遠慮は無用とばかりに矢継ぎ早に、だが的を絞った的確な質問を浩一に投げかけた。



「やはり今戦っておるのはサルトゥス星人で間違いないのう」


 浩一の追加証言でさらに条件が絞り込め、スフィーの予想は確信に変わる。


「それと、あそこにもう一人、」


 浩一が遠く離れた場所を指差すと、そこにはツーリングの途中で休憩しているライダーのようなガヴィ=アオンの姿がそこにあった。


「あやつは?」


「それが、よくわからない人で……」


「いや、あいつは人じゃねえ」


 一同の視線が舞哉に集まる。


「人ではないじゃと? お主、あやつを知っておるのか?」


 スフィーの問いかけに、舞哉はまず舌打ちで答える。


「知ってるも何も、だいぶ見かけは変わっちゃいるが、まあ間違いねえ。あいつの名はガヴィ=アオン。かつて俺が壊した奴だ」


「壊した? 殺した、や倒した、ではなく?」


「あいつも賞金稼ぎなんだが、時代錯誤と言うか錯乱してると言うか、剣の道を究めんとするあまり、脆弱な生身の肉体を捨てて全身機械化しててな。おまけに反射係数やクロック数を上げるために、あっさり脳まで捨てるというクレイジーっぷりだ。頭脳も機械だから記憶なんかも別の媒体に保存してあって、何度も俺がバラバラにしてやったんだが、しばらくしたら何食わぬ顔で肉体ボディを新調して復活しやがる。あいつの隠れアジトにあるバックアップを破壊しない限り、無限に復活する厄介な奴だぜ」


 確かに、そこまで行くともう人ではなく完全にロボットかサイボーグだなと皆納得する。


「とにかく、剣の腕と剣に対する執念みたいなものだけは間違いなく宇宙一だ。――が、あいつなら虎鉄相手でもたぶん大丈夫だろ」


 舞哉の険しい表情が一転し、「むふー」と大きく鼻から息を吐き出す。


「どういう意味じゃ? 剣の腕だけなら宇宙一なのじゃろ?」


「ま、剣の腕だけなら、今の虎鉄じゃ逆立ちしたって勝てねえだろうな」


「それならどうして――」


 と言ったところで、スフィーも何かに気づいてはっという顔をする。


「なるほど、ネオ・オリハルコンか」


「ああ。どれだけ剣の腕が達者だろうが、斬鉄程度じゃネオ・オリハルコン製の装甲には傷ひとつつかねえよ」


「無敵の装甲か。だがいつまでその余裕が続くかのう?」


「ンだと?」


「考えてもみい。お主の時代からどれだけ経っておる。いい加減アペイロンの性能も研究し尽くされ、打開策の一つくらいはボチボチ出ても良い頃合いじゃぞ」


 現に見てみい、とスフィーはアペイロンを指差す。戦っている相手は見えないが、見るからに苦戦をし、目に見えてダメージを受けているのが素人のスフィーでもわかる。ダメージを受けているということは、無敵の装甲がもはや無敵ではないことを意味しているのではないか。


 だが舞哉は口元をぐにゃりと曲げ、「ヘン」と鼻で笑う。弟子のピンチを目の当たりにしながら、この余裕はどういうことだろう。


「今までだってアペイロンを研究し、対抗策を練って自信満々で挑んできた奴はそれこそ星の数ほどいる。だがそいつら全員をぶっ倒して無敵伝説ができたのは、アペイロンが無限に進化する最強の兵装だからだ」


「無限とか無敵とか、ほんま男ってそういうの好きやなあ……」


 世界どころか銀河を越えた中二病的発想に、エリサは思わず口を挟む。


「無敵で無限なのは結構だが、果たしてあの小僧にお主と同じことができるかのう?」


「できるさ。何せあいつは俺の弟子だからな。あの程度の相手に勝てないようじゃ、どの道この先には進めん」


 だが、目下心配しなければならないのは、今相手をしているサルトゥス星人の方である。見れば、アペイロンは防戦一方なのだが、ただ二人がかりの攻撃に手も足も出ないというわけではなく、何かを気にして手を出しかねているといった感じだった。


 これも浩一の話から推測、するまでもない。現場の壮絶な状況を見れば、あの馬鹿が力任せに拳を振るって衝撃波を発生させまくったのが容易に想像できる。自分もかつて通った道とはいえ、こうも考えなしに行動されるとこれまで教えたことが無駄だったのだろうかと少し虚しくなる。


 今度は気合を入れてアペイロンを見る。もう変身できない舞哉だが、同化したナノマシンの恩恵がまだいくらか残っているので、動体視力は常人のものよりは遥かに優れている。その目で見ると、虎鉄はサルトゥス星人による二人同時攻撃を辛うじて凌いでいる。が、舞哉の見たところ、まだ全方位視界を完全に自分のものにしたとは言い切れない。そう思っている間に捌ききれずに数発食らって血を吐いた。どうやら敵はアペイロンの装甲を抜ける武器を装着しているようだ。となると、このまま周囲の損害を気にして防御に徹していても、虎鉄が全方位視界を完全に会得して相手の攻撃をすべて防御できるようになるのが先か、それともこうしてじわじわと体力を削りきられて殺られるのが先か、と言ったところか。さすがにそれ以上は見立てきれない。


「あの、神父さん……」


「ん?」


 恐る恐る声をかける浩一に目も向けず、舞哉はじっとアペイロンを見つめる。


「神父さんは、虎鉄の師匠なんですよね?」


「まあ、そうだな」


「虎鉄は、自分の攻撃が周囲まで破壊してしまうことを恐れて手が出せないんです。虎鉄の師匠なら、こういう時何かアドバイスの一つくらいしてやったらどうなんですか」


 そこで初めて舞哉は視線をアペイロンから浩一に向けた。そこには真剣を通り越した、もし意に沿わぬ事を言い出したらどれだけ体格や腕力に差があろうが死にもの狂いで喉元に喰らいついてやるという殺意寄りの意志が溢れる目をした浩一が、ずいと顔を突きつけていた。


 舞哉は思わず笑みをこぼす。あのアホをここまで思ってくれるダチがいる事が、嬉しかった。エリサといい、この少年といい、我が弟子ながら、良い友人と出会えたものだ。


「そうさなあ……」


 舞哉はわざと、面倒臭そうに頭や無精髭をボリボリ掻く。勿体つけるように鼻をほじり、小指についたでかい鼻くそを見て顔をしかめ、弾丸のように弾き飛ばすと同時に、


「必要な事は全部あいつに教えてある。よってアドバイスはねえ」


 弟子を助ける気も鼻くそみたいに飛ばした。


「なんやて!?」


 これには浩一のみならず、すぐ横で二人の話に耳をそばだてていたエリサも黙ってはいられない。ずかずかと歩みより、自分の頭よりも高い位置にある舞哉の司祭平服キャソックの胸ぐらを掴みかかる勢いで詰め寄る。


 が、エリサの勢いもそこまでだった。いくら気が強いとはいえ、所詮はそこらの小娘だ。数々の戦場を渡り歩き、命のやり取りを数えきれないほどこなしてきた男のひと睨みで、これまでにないくらい燃え上がった怒りの炎は、いとも簡単に吹き消された。


「そうギャーギャーさえずるなよ。誰も見捨てるとは言ってねえだろ。教えるべき事はとっくに教えてある。あとはあいつがそれをどう活かすかだ」


「せやかて、虎鉄がアペイロンになったんはつい最近やで? ベテランの神父さんと違って、教えられたのがすぐ身になるとは限らんのとちゃう?」


 わずかに残った炎を懸命に煽り、エリサは反駁する。浩一もその隣で、何度も首を上下させて応戦する。虎鉄のために必死で自分を動かそうと立ち向かって来る若人二人の姿に、またぞろ舞哉の口元が緩む。


「まあ見てろ。俺の教えた宇宙格闘術アストロアーツは宇宙最強の格闘術だ。たとえ弟子が多少ボンクラでも、そこらの雑魚にむざむざ殺られるようなヤワなもんじゃねえよ」


 その自信はどこから湧いてくるのか、舞哉はにやにやしながら愛弟子に視線を戻す。


「さあ、どうする虎鉄? そんな雑魚に手こずってていいのか? 必要なことは全部教えたぞ? あとはもうお前次第だ。早く気づかねえと、痛い目だけじゃ済まなくなるぜ」


 師匠の期待をよそに、弟子の虎鉄は血反吐を吐いていた。



 胃液すら尽き、とうとう水銀みたいな銀色の吐瀉物になった。恐らく血なのだろうが、ナノマシン化したネオ・オリハルコンが多く含まれているために銀色に見える。砂浜に吐き出されたナノマシンの塊は、アペイロン本体から離れたためにエネルギー供給が絶たれ、実体を維持できずに蒸発するように消えていった。


 はじめ見た時は見間違いかと思ったが、こう何度も見るとさすがに馬鹿でもわかる。血は赤いものだという固定観念があるだけに、自分の腹の中から銀色の液体が吐き出されるのを目の当たりにすると、精神的にクるものがある。とは言え、全身銀色の虎面甲冑に変身するのだから、中身が銀色に染まっていても何らおかしくない。とりあえず今は深く考えずにそう結論づけておく。


 何しろ今はそんな事にかかずらわっている場合ではない。目の前の戦いに勝利しない限り、明日の健康も蜂の頭もないのだから。


 虎鉄は右手で腹を、左手で背中をさする。殴られたわりに表面の痛みはさほど深刻ではない。問題なのはその奥、内臓や骨が軋むように痛む。しかも装甲の破損と違い、内部の回復は慣れていないのか時間がかかるようで、いつもなら数秒で引くダメージがもう長い間続いている。それが一箇所や二箇所ではないからこれまた拙い。


 このままではやられる。


 冗談抜きでそう思った。最初は相手の攻撃が見えるのだから、防御するくらいは何とかなると甘く見ていた。が、実際はなまじ見えているだけに余計なフェイントに目を奪われ、相手のなすがままにやられている。単純に腕の数のせいで負けていると思ったが、どうやら実戦経験でも相手の方が一枚も二枚も上のようだ。


 兎にも角にも反撃しなければ話にならないのだが、いかんせん未だに解決の目処が立たない。肝心の師匠の言葉は意味不明だし、腹は中身を直に焼かれているように痛むしで頭が上手く回らない。まあ平時でも上手く回っているわけではないが、とにかく何とかしないと拙いのは間違いない。


「なにボーっとしてんの!?」


 虎鉄に対し、三時の方向に突如茶トラ――メリッタが出現した。と同時に右手を伸ばし、アペイロンの右脇腹を狙って突きを繰り出してくる。


 その拳を虎鉄は左腕で絡め取り、メリッタの肘関節を極める。このまま上体を捻れば、アペイロンの力ならいとも感嘆に相手の腕を完全破壊するはずだった。


 が、


「おっと危ない」


 次の瞬間にはメリッタの姿はなくなり、虎鉄は腕を極めた感触を失ったかと思えば、相手は少し離れた所にあっという間に移動していた。またか、と思った時には背中に痛みが走る。メリッタに気を取られている隙に、背後に現れたプシケが突きを見舞ったのだ。


「がっ……!」


 脊髄に直接電気を流されたような痛みが走り、今日何度目かの銀の汁を吐く。

 視界が一瞬暗転する。だがまだ倒れない。途切れかける意識を気力でつなぎ止め、崩れそうになる身体を気合で支える。


「ちょっとぉ、まだ倒れないの~?」


 さすがに疲れたのか、プシケが連続跳躍を中断して完全に姿を現した。激しく動いているようには見えなかったが、肩で息をしているところから、空間跳躍は見た目以上の気力と体力を消耗するのだろう。彼女の背後に現れたメリッタもまた、同様に息を乱し汗をかいている。


「これは……」


 白濁した思考の中に、光明が射し込む。考えてみれば、宇宙人とはいえ同じ生き物なのだ。多少の差はあれど、条件は同じのはず。


 だとしたら、試す価値はある。


 わずかだが突破口が見えた。その高揚感がアペイロンのテンションを上げる。上がったテンションはそのまま内燃氣環ソウル・ジェネレイターの出力につながり、無限エンジンからエネルギーが溢れ出してくる。


「行くぜ!」


 虎鉄は一度深くしゃがみ込むと、一拍の溜めを置いて一気に真上にジャンプした。常識破りの脚力は、砂地の不安定さをものともせず二百キロを超える巨体を一瞬で雲に手が届くところまで運ぶ。


「上へ逃げたわ! 追うわよ!!」


「了解なの~」


 すかさず獲物を追いかけるメリッタ・プシケ姉妹。連続跳躍で見る見る上空へと駆け上がっていく。


 一方地上では、砂浜に打ち捨てられた流木に座って観戦していたガヴィ=アオンが「終わったな」と小さくつぶやいたが、誰にも聞かれることはなかった。



 高度4000メートル付近で、ようやくアペイロンに追いついた。


 何の推進力も用いずに単純に脚力だけでここまで上昇するとは、噂に違わぬ化け物ぶりだ。


 だが所詮はただの垂直ジャンプ。運動エネルギーを使い切ってしまえば、あとは重力に引っぱられて落ちるだけ。そう言っている間にアペイロンの上昇が止まる。こちらは疲れているとはいえ、まだいくらでも昇れる。追いついてしまえば、地上だろうが上空だろうがこっちは関係ない。


 だが次の瞬間、メリッタは信じられないものを見た。何とアペイロンの背中が不自然に膨らんだかと思うとブースターに変形し、二基のノズルの先から膨大なエネルギーを噴出し始めた。


「……マジ?」


 なんて言っている間にアペイロンは爆発みたいなジェット噴射でさらに上昇。一秒と経たずに見えなくなった。


 あまりに予想外な展開にプシケと一緒に呆然としていたが、すぐに我に返ると「お、追いかけるわよ!」とまだあんぐりと口を開けて上を見上げているプシケに喝を入れ、自分もありったけの距離を跳びまくる。


 高度6000メートル。白い息を吐きながら懸命に追いかけるが、まだアペイロンの姿は見えない。周囲の被害を考えないで済む環境なら、アペイロンの方が速く飛べるのか。すでに音速など三回ほど超えている。


 追いつけないにしても、何だか徐々に一度に跳べる距離が減ってきたような気がする。疲労のせいか呼吸が乱れ、白い吐息も絶え絶えになる。早く決着をつけなければと焦る気持ちが、余計に集中力を見だして距離を削る。


 不調の原因が疲労だと思っていたメリッタだったが、それが勘違いだという事を妹のひと言で気づかされた。


「寒いの~……」


 プシケは少しでも体温を逃がさないようにと両腕で身体を抱き、盛大に鼻をすすってから跳ぶ。寒い? そう言えば、さっきから吐く息が白い。アペイロンを追うのに夢中になるあまり、周囲の気温が爆発的に下がっている事に気がつかなかった。


 高度8000メートル。いや、待て。下がったのは気温だけじゃない。


「酸素が……薄い」


 しまった。単純なミスだ。だがもう遅い。ここまで上昇してしまっては、酸素などもうほとんどありはしない。メリッタは必死に酸素を求めて呼吸をするが、喉が笛みたいに鳴るばかりでちっとも血中酸素濃度が上がらない。このままでは酸欠になる。


 寒い。心臓は爆発しそうなほど鼓動し、引きつけを起こすほど呼吸をしているのに。汗を吸った衣服が凍りついていて、それがさらに体温を奪っていく。


 酸素の足りない脳に、二択の決断が迫られる。このまま追うか、それとも一度引くか。直感は即座に撤退を進言。プシケもどう見ても限界で、仮に今すぐ追いついたとしても使い物にならないだろう。当然思考も同じ意見を弾き出す。


「プシケ、いったん引くわよ!」


 肺に残った酸素をすべて絞り出して叫ぶ。


 が、妹の返事どころか姿すら見えない。まさか酸欠で気を失って落下していったのでは。ただでさえ下がった体温が血の気が引いてさらに下がる。歯ががちがち鳴るのは寒さだけではないだろう。


「プシケ!? プシケ!?」


 妹の名を呼びながら周囲を見回す。雲ははるか下にあり、その中に落ちたのだとしたら今から追いかけても間に合わない。そう考えるだけで、足がすくみそうになる。頭の中が真っ白になるのが、酸欠だからなのか恐怖からなのかわからなくなる。もうアペイロンなんてどうでもよかった。今すぐ妹を追いかけようとしたその時、


「よう」


 目の前にアペイロンが現れた。


 一瞬、何も理解できなかった。遥か上空をマッハ五くらいで飛んでいるはずのアペイロンが、どうして今ここにいるのか。


 どうして左手にプシケを上着の首根っこを掴んでぶら下げているのか。


 どうしてプシケはぐったりとして何の抵抗もせず掴まれているのか。


「……上に逃げたんじゃなかったの?」


 ぐるぐる回る頭の中からこぼれた言葉が、そのまま口をついて出る。


「逃げたんじゃねえよ。お前らを誘い出したんだよ」


 アペイロンの虎の口がにやりと笑う。それを見て、寒さと疲労で血の巡りの悪くなった頭でもようやく理解できた。自分たちはまんまと引っかかったのだ。酸素が薄く気温の低い上空に誘い出され、体温と正常な思考を奪われ、得意の瞬間移動を封じられた。外気にほとんど触れる事なく連続で瞬間移動してきたのが仇になってしまった。


「お前はまだ元気そうだな。もうちょっと上に行くか」


 そう言うとアペイロンは、メリッタの頭を大きな手で鷲掴みにした。


「いや、ちょ、やめ…………」


 心身共にボロボロのメリッタには、もうその手を払いのけることも、瞬間移動して逃げる気力もなかった。


「死んだら寝覚めが悪いから、頼むから死ぬなよ」


 優しいのかむごいのか分からない一言を残すと、アペイロン再びバーニアを吹かす。情けも容赦もない全開噴射。そこから一気に高度10000メートルに昇るまで、五秒もかからない。


 もう声なんて出なかった。マイナス五十度を超える冷気で全身に霜が生える。唯一幸運だったと言えるのは、酸欠で失神するよりも早く、急加速によるブラックアウトで上昇直後に気絶できたことだろうか。

次回更新は8月17日(予定)です。

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