表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/14

 五月に入ると、世間は一様にゴールンデンウィーク体勢となる。


 人々はわざわざ疲れに行く羽目になるのを知ってか知らずか、申し合わせたように群れを成して行楽地に足を運び、景色を見に来たのか人の頭を見に来たのか判然としないまま、泥のような疲労を土産とともに持って帰る。そして帰宅するとお父さんかお母さんが開口一番、「やっぱり我が家が一番ね」と決まり文句を言い、その言葉をもって旅行は晴れて終了。残った時間を静養に当てるのであった。


 この毎年飽きもせず繰り返される一連の行動は、ここ地方都市の端っこにある柴楽町でもご多分に漏れず多くの人々が右にならっていたが、当然そうでない人もいた。


 特に聖セルヒオ教会関係者に。



 先々週の暴風で倒れたトマトの苗は今や立派に立ち直り、これでもかと空を目指している。その隣の畑にはキュウリの苗が、そしてその隣にはナスの苗が元気に陽の光を浴びて屹立しており、菜園の主の愛情に応えるべく精一杯成長しようと葉を朝の陽光に向けて広げていた。


 ではその主はというと――家庭菜園が大部分を占める教会の裏庭の端っこで、朝っぱらから上半身裸のまま、ボディビルダーも泣いて帰るような筋骨隆々の巨躯を惜しげもなく太陽に晒していた。


「これが宇宙正拳突き! スラスターの調整を間違えるなよ。軸がブレて隙ができる。あと大気中で打つと、プラズマ放電やソニックブームが発生するが、衝撃波を出すようじゃまだまだだぞ! 大事なのは一点集中だ!!」


 獅堂舞哉しどうまいやは気合の入った掛け声とともに、熊でも一撃で倒せそうな、しかし傍目には普通の正拳突きとどう違うのかわからない突きを、真正面に立つ弟子の武藤虎鉄むとうこてつに向けて繰り出した。


 舞哉の巨大な拳が唸りを上げて虎鉄の顔面を襲う。紙一重のところで拳が止まると、虎鉄の髪が突風に吹かれたように後ろになびいた。気の弱い者なら拳圧だけで、いや、下手をすると女性の太ももよりも太い舞哉の二の腕を見ただけで腰を抜かすか倒れるだろう。だが虎鉄は瞬きひとつせず、目をはっきりと開けて舞哉の拳を見届けたのであった。


「どうだ、わかったか?」


「押忍! 何となく!」


「何となくじゃねえよ。お前はただでさえ目方が軽いんだから、拳に全体重を乗せるくらいの意気込みでぶちかませ。腰の回転とか手首の捻りとか細かいことは気にするな。大事なのは足だ足。パンチってのは足で打つってのを忘れるな」


 舞哉はもう一度、今度は身体の向きを横向きに変えて宇宙正拳突きを打ち込む。しかし横から見ても、パンチは腕で打つものにしか見えなかった。そもそも足で打ったらそれはキックではなかろうか。虎鉄はそんなツッコミを考えながらも、顔だけは神妙にして師匠の言葉に耳を傾けていた。


「お前の持ち味はその拳だからな。この世のすべてを打ち砕く、絶対の信頼がおける武器になるまで鍛え抜け!」


「押忍!」


 舞哉の問いに大声で応え、虎鉄は師匠の半分以下の体躯で精一杯の宇宙正拳突きを繰り出す。こちらは体格の差を考えると致し方ないが、せいぜい小型犬なら何とか勝てそうか、といったところだ。


 だが誰が知ろう。


 このTシャツとジャージ姿の小さな少年が、今や師匠を越えつつあることを。


 彼が師である舞哉から、無敵の兵装アペイロンと、宇宙最強の称号を引き継いだことを。



「次! 宇宙回し受け! こいつをマスターすれば、宇宙戦艦のミサイルやビームを捌くだけでなく“返す”こともできるようになる。しっかり身体に叩き込め!」


 そう言って舞哉は胸の前に掲げた右手で円を描く。どう見ても普通の回し受けなのだが、宇宙と名のつく技なのだから、きっと何かしら付随する効果があるのだろう。たぶん。


「押忍!」


 虎鉄は迷いのない動作で宇宙回し受けを左右ともにこなす。が、やはりどう見ても普通の回し受けと大差がないように見えるのだが、それは素人の浅はかさというものなのだろう。たぶん。


 こうして虎鉄は舞哉の指導のもと、宇宙下段蹴りや宇宙頭突きなど『宇宙格闘術アストロアーツ』の技を練習し、大技の宇宙フライングクロスチョップを終えたときには、二人ともまだ五月だというのに全身から滝のように汗を流していた。


「……よし、ちょっと休憩するか」


 そう言って舞哉が木の枝にかけておいたタオルで汗を拭き始めると、虎鉄はこれまで張っていた気が一気に抜けてその場にへたり込んだ。


「くぉ~バテた~……。久々の稽古は堪えるぜ~」


 虎鉄は犬みたいに舌を出し、踏み固められて雑草ひとつ生えてない地面に大の字になる。


 しばらく疲れにまかせて寝転がっていたが、季節のわりに強い陽射しにじりじりと焼かれ、日光から逃げるために背中が汚れるのも構わず仰向けのまま自分のカバンが置いてある木陰へと這い逃げた。


「だらしねえぞ虎鉄。まるで石の下から這い出た虫だな」


 舞哉も虎鉄同様に大量の汗をかいているものの、こちらは息一つ乱していない。巨漢の舞哉の方が身体の小さい虎鉄よりも運動量が多いはずなのだが、まったく疲れていないように見える。彼が地球人ではないということを差し引いても、驚くべき体力と言えよう。あるいはこれがキャリアの差、というものだろうか。


「うっせ~……。つい最近までこないだの変身の後遺症で全身筋肉痛だったんだよ……。まともに動けるようになって初めての稽古なんだから、ちっとは手加減しろっつーの」


 寝そべったまま器用にカバンからペットボトルのミネラルウォーターを取り出し、がぶがぶ飲む。飲むとたちまち追加の汗が出た。


「ところで虎鉄――」


「ん? 何だよ?」


 言いながら虎鉄はむくりと起き上がり、持っていたペットボトルを舞哉に向かって投げつける。


 舞哉はもの凄い勢いで飛んできたペットボトルを、難なく食指と中指の二本で挟んで止めた。親指一本でキャップを回し外し、豪快に流し込む。


「お前、次は殺せるか?」


「…………へ?」


「だから、今度もし敵が現れたら、お前はそいつを殺せるのかっ

て訊いてんだよ」


 わずかな沈黙を、かすかな波の音が埋める。


「師匠は……その、どうだったんだよ?」


「ん~? 俺か?」


「あ~、いや、何でもねえよ!」


「あるぜ」


 思わずとんでもないことを訊き返してしまい、強引に会話をなかったことにしようとした虎鉄の声に、舞哉の決然とした太い声が重なる。


「俺はこれまで、数え切れないくらい人を殺した」


 虎鉄は息を呑む。何より驚いたのは、舞哉の口からはっきりと、彼が人を殺した経験があるという事実を証言したことよりも、その言葉がごく自然に腑に落ちたからだ。虎鉄も心のどこかでは理解していたのだろう。舞哉が、宇宙人であるということを差し引いても、自分とはまるで住む世界が違うということを。


「言い訳するつもりは微塵もねえし、後悔や反省もするつもりもねえ。向こうが俺を殺す気でやってきた。だが俺は殺されたくないので殺し返した。向こうには向こうの正義があったが、俺には俺の正義があったんでかち合った。ただそれだけだ」


 因果応報ということだろうか。だがその一言に集約してしまうには、あまりにも殺すという言葉は深く重い。


「顔を見ながら殺した相手もいる。顔も知らずに殺した相手もいる。むしろコッチの方が多いな。なんせ宇宙戦艦なんて大型になると、何百人乗ってるかわかったもんじゃねえからな。それ一隻潰すだけで、一気に大量虐殺者の出来上がりだ」


 言葉もなく、虎鉄はただ息を呑む。


「当然俺が殺した相手には家族や恋人、友人なんかがいただろう。その中にはもしかしたら、俺を恨んで連邦宇宙軍ユニオン宇宙連邦治安維持局ピースメイカーに入って仇を討とうとしている奴もいるかもしれない」


「じゃあ、もし、もしも、そいつがいま目の前に現れたら……どうすんだよ?」


 あれだけ水を飲んだのに、虎鉄の声は枯れていた。いくら唾を飲み込もうとしても口の中はカラカラで、喉だけが虚しく鳴る。


「殺すさ。当然だろ」


「――ッ!?」


「な~に驚いてやがる。まさかお前は黙って殺される気か? だったら最初ハナっから素直に殺されていろよ。めんどくせー奴だな」


 唖然とする虎鉄に舞哉は、まだ少し水の残っているペットボトルを放り投げる。


「殺すってのはそういうことだ。一人を殺せば、そいつに関係する連中すべてを敵に回すと思え。そしてそいつらを全員殺して根絶やしにするか、てめえが殺されるまでは恨みの連鎖は断ち切れない。それが嫌なら、最初っから戦場に立つなって話だ。戦場に立っていいのは、殺される覚悟を持って殺せる奴だけだ」


 言葉が出なかった。あの時、自分はそれだけの覚悟を持って、戦場となる宇宙へと向かったのだろうか。殺される覚悟が、そして人造人間とはいえ、相手を殺してしまう覚悟が、果たしてあったのだろうか。


「――で、お前はどうなんだ?」


「え?」


「前回は相手がたまたま人造人間だったから、まあノーカンみたいなもんだったが、これからもそうとは限らねえだろ。俺やお前と同じ人間型ヒューマノイドタイプ――いや、ひょっとしたらスフィーみたいに女子供の姿をした奴かもしれねえ。お前の家族や友達を人質に取るかもしれねえ。そんなルール無用の相手に、お前はどうするんだ? 殺すか? それとも黙って殺されるか?」


 虎鉄は黙って手に持ったペットボトルに目を落す。キャップを開けて残った水を飲み干すと、すっかりぬるくなっていて、飲み込むのに少し努力が必要だった。


「たしかにあの時は地球がヤバかったから、無我夢中っていうか、頭空っぽのまま何がなんだかわからないうちに、いや、念願のヒーローになれて舞い上がったままって言った方がいいのか?


 けどなんか一回負けて死んだっぽいけど、それでも何とか勝てたしみんなのおかげでこうして帰ってこれて……う~ん……」

 舞哉は言葉を挟まない。虎鉄が自分で考え、彼なりに結論に至るまでじっと待つ。


「わっかんねえ」


「ぶっ……!」


 いきなりすべての思考を放棄したように言い放った虎鉄の言葉に、舞哉が噴き出す。


「わかんねえってお前……」


「俺には殺すだの殺されるだのよくわかんねえし、たとえ向こうが俺を殺す気でかかって来ても、俺は別に殺してまで勝ちたいわけじゃないし。かといって素直に殺される気なんてさらさらねーし。ただ、相手が俺以外に危害を加える気なら、その時は覚悟を決めるしかないのかなあって思うけど、やっぱり師匠の言う覚悟ってのが無いうちは殺しちゃいけないっていうか殺したくないし、殺されたくもない」


「つまり、保留ってことか?」


「ま、そういうことで」


「お前なあ、そういう甘っちょろい考えで、これからもやっていけると思うなよ」


「そうかなあ?」


「あったり前だ。お前はこの前ので何を学んだんだ?」


「この前も何とかなったんだから、たぶんこれからも何とかなるって。俺一人ならまだしも、みんながいるんだし」


 そう言って虎鉄がサムズアップしてにかりと笑うと、舞哉は一瞬渋い顔をしたものの、それ以上何も言わなくなった。


「やれやれ。まあこれから闘うのはお前だ。お前の好きなようにやって、好きなだけ悩め。俺たちができる限りサポートしてやるから」


「ありがてえ。頼りにしてるぜ、師匠」


「だがそれにはまず、お前にはもっとアペイロンが何たるかを叩き込んでおかないとな」


 鼻っ面に太い食指を突きつけられ、虎鉄のにやけた顔が瞬時に強張る。


「何たるかって何だよ……?」


「お前はまだ、アペイロンの持つ性能を完全に引き出せていない。もっと魂を解放しろ。無限の可能性を信じろ。自分に不可能はないと思い込め。そうすれば、アペイロンは必ずお前の魂の声に応えてくれる。ブースターどころじゃない、もっとイカした姿に進化することも可能なんだ」


「アペイロンが進化……」


「そう。お前が望む姿に、だ」


 舞哉曰く、そもそもアペイロンのコアは宇宙や深海などあらゆる環境での戦闘を想定して構築されているので、ブースターやスラスターをネオ・オリハルコンで構成するのは、実は初歩の初歩というか、むしろ標準装備された性能なのだそうだ。つまり、あれくらい出せて当然、出せない方がおかしいというわけで、別段虎鉄の実力とか才能というわけではなかったのだ。


「……マジで?」


「マジで。言ってなかったっけ?」


「聞いてねえよ。初耳だよ。今年に入って一番ビッグなニュースだよ」


「そうだっけ? ゴメンね、てへぺろ」


 どこで覚えたのか、舞哉はウィンクをしながら右手を顔の前で一回転させてから、右目のところでピースサインを横にし、舌を軽く出す。


「師匠、それやめた方いいぜ。軽く殺意が湧く」


「……マジで?」


「マジで」


 よほどショックだったのか、舞哉の手からタオルが落ちる。


 涼しげな潮風が二人の間を吹き抜けるが、二人の汗はとっくに引いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ