夜の訪問者
「お疲れでしたー」
男は、バイト先の飲食店から、
住んでいるマンションへと帰るため自転車に跨った。
男は孤児で両親や肉親は居なく、
高校を卒業後、現在の飲食店でバイトをしながら施設を出てマンションで一人、生活をしていた。
趣味も無く、夢も無く、ただ淡々とした毎日を過ごしていた。
毎日の習慣となっているものと言えば、
バイト先から帰る途中の橋の下に住み着いている野良猫に、飲食店から出た残飯をあげる事くらい。
「あれ?今日はお出掛けでもしてるのか。」
もちろん、野良猫なので、いつも居るとは限らない。
そんな時も、いつものベコベコに凹んだ鍋に残飯を入れて帰路に着く。
空を見上げると、雲も無く、月明かりが綺麗な夜だった。
夕飯は、飲食店のまかないで済ませるので、
家に帰り着いたら、シャワーを浴びて、後は寝るまでゆっくり過ごすだけだった。
その日もシャワーを浴びた後、テレビを観ていた。
「ピンポーン」
誰だろう?こんな夜中に。
男は人付き合いが良いとは、あまり言えなかったから、
男の部屋に尋ねてくる友達などいなかった。
宅急便だってこんな時間帯に来ないだろう。
不思議に思いながら、ドアの覗き穴から外を見ると、
ストレートの黒く長い髪の女性が立っていた。
益々不気味に感じたが、ドアチェーンは外さす、少しドアを開けてみた。
「何か、御用ですか?」
男が恐る恐る尋ねると、少し開いたドアの隙間の方へ女はスッっと体を移動させた。
服はロングスカートの黒いワンピースに、黒い靴を履いていた。
「私は、悪魔です。」
女は開口一番に、そんな事を言い出した。
ダメだ、こういう輩に関わったら、面倒くさいことになる。
男はドアをすぐに閉め、見なかった事にしようと思った。
ドアは少ししか開いてなかったから、すぐに閉まるハズだった。
しかし、勢い良く閉めたはずのドアが閉まらない。
「なっ」
白い指がドアに掛かっていた。
「あら、急に閉めようとするなんて、酷いじゃない。」
女の声が、少し楽しそうに聞こえた。
男は少し焦った。
その女の指の掛かった少し開いたドアは、ピクリとも動かない。
まるで、ドアの隙間につっかえ棒が挟まっているかのように。
とても細腕の女の力には、思えなかった。
スッっとドアを全開に開ける女。
ドアチェーンが切れて弾け飛ぶ。
男はビックリして玄関で尻もちを付いてしまった。
目の前で行われてる光景が信じられなかった。
スタスタと入ってくる女。
尻もちを付きながらも、後ずさりをする男。
女は首を少し下に傾け、男の姿を見下ろすと、少し目を細め、
「私は、悪魔なの。理解出来ないかしら?」
いきなりそんな事を言われても、信じられる訳が無いし、理解出来るはずもない。
ただ、ドアチェーンを無理やり引きちぎられた恐怖と驚きで、
男は、動けない上に、何も言えなくなっていた。
「ふぅ」
女は溜息を付いた。
「これを見れば、少しは信じるかしら」
そういうと、何もない空中に腰掛けるように、フワッと足が浮き上がった。
そして、男の目の前でみるみる姿を変えていく。
背中からは、黒髪の間をぬって蝙蝠の様な翼が現れ、
こめかみの少し上の辺りには、羊のような角が生えてきた。
最後に、女のお尻の辺りから、先に鉤状のものが付いた尻尾が垂れた。
その姿はまるで、何かの本で見た事があるような、「悪魔」と呼べる格好そのままであった。