第8話
思いがけず3部作になった体育祭編が終わったー!
もっと長くなりそうやったけど、流石にカットしました。
シリアスにならないように戦ってます!!
トイレの中に誰もいない事を確認して、隠すようにしていた左腕からジャージを取ると、白いはずの長袖の体操服は真っ赤に染まっていた。
ぐぬぅぅぅぅぅ!!
遠のいていたはずの痛みが甦り、激痛に歯を食い縛りながら体操服の袖を捲くる。
痛みが分かるようになってきたということは、さっきまでみたいに感覚さえないという状態よりマシになっているということ。
進行形で着実に治癒しているとは言っても、開いた傷口からは止めどなく血が溢れている。
完治するまで少し時間がかかるかもしれない…
患部を確認するために血まみれになっている左腕を水道から出る水で、直接濯ぐ。
ふぅぅぅぅぅ!!!!!
神経を逆なでする激痛を息を吐き出すことで我慢する。
傷の周りの血を洗い流すと……グロかった…
今も血を流し続けるぱっくり割れた傷口と歪な形に変形した腕。腫れ上がった腕は赤紫色に変色し、正視に堪えない状態だ。
今のわたしなら完治に30分くらいかかってしまうかもしれない。
痛みに耐えながら左の肩口に強くジャージを縛る。
傷口が塞がるまでの出血をなるべく少なくする為だ。
呼吸をするだけで激痛が走る左腕をなるべく動かさないように、浅い呼吸を繰り返し時間が過ぎるのを待つ。
パタパタパタパタ…
目を瞑って痛みに耐えていたわたしの耳に、誰かが廊下を走っている音が聞こえた。
足音はそのままトイレを過ぎ遠ざかっていく。
教室に忘れ物をした子でもいたのだろうか。
また血まみれになっていた左腕を洗う。
歪に変形していた部分は違和感を感じる程度までになり、腫れと変色も少しマシになってきた。
開いた傷口は小さくなり、流れ出す血も少なくなってきている。
もうちょっとで傷口は塞がりそうだ。
…パタパタパタパタ
さっきの足音が戻ってきた?
嫌な予感がして一番奥の個室に入る。
個室に入って鍵を閉めたと同時に誰かがトイレのドアを開けて入ってきたのが分かった。
「はっ…!!!」
驚きと息を呑む気配で誰なのかがわかった。
やっぱりきちゃったかー
「酷い…」
…あっ!洗面台血まみれのまんまだ!!
わたしが隠れる個室の前に人が立った気配がする。
そりゃ、ばれてますよねー
左腕を確認する。まだダメだ……
「あの、やはらせん…――」
「ユキちゃん!!そこにいるの???」
「せい…――はっ???」
「ユキちゃん!!!出てきなさい!」
………誰っーーーーー!!!!
扉の前にいるのは誰ですか!!!
「いっ!!」
思わず悶えた拍子に左腕を動かしてしまい、激痛に声が漏れる。
「ユキちゃん!?どうしたの!?大丈夫??」
「だ、大丈夫です」
というか、寧ろその呼び方の方がどうしたの?って感じなのですが。
「大丈夫なわけないでしょ!こんなに酷い出血なのに!!」
否定するなら、大丈夫か聞かないでよー!
「あの、ホントに大丈夫なので。もう少ししたら行きます!」
「ユキちゃん、取り合えず出てきなさい」
「いえ、あの…」
左腕を見る。切り傷程度になった傷口からの出血はそろそろ止まりそうだ。
変形していた部分の違和感はなくなり、後は腫れと変色した部分だけなんとかなれば…
「出てきなさい!」
「…わかりました。少し待ってください」
肩口で縛っていたジャージを外し、左腕を庇いながら羽織る。
うぅぅー。
ちょっとした動作なのに、出血が多かったせいか少しクラクラする。
目の前が暗くなりそうな感覚に、思わず目を瞑り壁に背を預けて深い呼吸を繰り返す。
うん?
「矢原先生、怪我してますか?」
「怪我?怪我をしてるのは貴女でしょ!」
「いや、そうなんですけど…」
気のせい?
「誤魔化してないで、早く開けなさい!」
誤魔化したわけじゃないんだけど…
「あー、…はい」
少しだけ扉を開き、開いた隙間からこそっと覗く。
矢原先生の不機嫌そうな顔。
目元が鋭いだけに、そういう顔をされると普通に怖い。
思わず閉めてしまった。
「…ユキちゃん………」
「…はい」
もう一度気力を振り絞って扉を開く。
「…何をしているの?」
「……」
といわれましても、トイレの扉の隙間から覗き見ているだけですが?
あれ??
……やっぱり…
扉越しじゃなかったらハッキリ分かる…
……分かってしまう
「……えっと、さっきの子は大丈夫でしたか?」
「大丈夫よ。驚くことに掠り傷一つなかったわ」
なんとか気を紛らわせないと…
「…良かったですね」
「そうね、あの状態で怪我をしなかったなんて奇跡的ね」
痛みでもなんでもいい、意識をしっかりもたないと…
「…蘭さんは」
「あの子も怪我はなかったわ」
身体が痺れる…
「…そうですか」
「怪我をしたのはユキちゃんだけよ」
頭が痺れる…
「…わたしは……」
意識が薄れる…
「だからちゃんと出てきなさ…――」
「矢原先生、怪我してますね」
「だから、わたしは怪我なんてしてないわよ」
「してますよ」
「わかったから、落ち着いて出てきなさい」
信じてない。わかってない。わたしが混乱しているんだと思ってる…
…混乱はしている。視界が暗くなり酷い耳鳴りと呼吸困難、身体が爆発してしまいそうなくらいの動悸。冷たくなり感覚の鈍った自分の身体。
何も考えることが出来なくなった頭…
「匂いがしますよ。矢原先生の…」
「えっ!?」
突然、トイレの個室から飛び出して腕をつかんだわたしに驚いたのか、わたしの顔を見て固まる矢原先生。
「……ほら、血が出てる」
矢原先生の右腕を固定し、矢原先生に見えるように手を握る。
傷自体は浅いようで、もう血は止まりかけていた。
「…あ、さっきぶつかった時に…」
「気がつかなかったんですか?こんなに綺麗に切れてるのに」
手の甲から手首に向かって走る綺麗な赤い線。
まだ痛みの残る左手を近づけ、そっと傷口を指でなぞる。
「っ!!!」
直接傷口に触られる痛みに身体を強張らせる矢原先生。
そんな矢原先生の目を見ながら、強張った先生の手をゆっくりわたしの口元に近づけ、傷口にそっと舌を這わせる。
「…ユ、ユキちゃん!」
驚いて逃れようとした矢原先生の手がわたしの左腕にぶつかり、思わぬ痛みに掴んでいた矢原先生の腕を離した。
「ぐっっ!!」
「あっ!」
まずい…なにやってんだろ……
痛みのお陰で少し冷静になったわたしは、矢原先生から離れて壁に寄りかかった。
「ご、ごめんなさい」
「……お願いです。今は近づかないでください」
わたしに駆け寄ろうとしていた矢原先生が動きを止めたのを確認して、目を瞑る。
「……」
「ふぅーーーー」
目を瞑ったまま、気持ちを落ち着けるように何度か深呼吸を繰り返す。
少しずつ身体の感覚が戻り、それと同時に頭の靄が晴れるように思考が戻ってくる。
「ユキちゃん…」
「………すみませんでした。気が動転していたようです」
「…大丈夫?」
大丈夫…
まだ大丈夫だ……
「はい、大丈夫です……。血は…止まりましたか?」
「大した傷じゃないから」
怖くないのだろうか。
逃げてもいいのに…
「…どこかにぶつけたんですか?」
「さっき廊下で人にぶつかったのよ。その時に荷物にでも引っ掛けたのね」
明らかに異常な行動をとったわたしと、なんで普通に会話ができるんだろう。
「…その時に怪我に気付かなかったんですか?」
「慌てていたから…」
怖くないはずないのに。
「廊下は走っちゃダメなんですよ」
「ユキちゃんを探すことが優先だったの」
どこまでも優しい人…
「すみませんでした。…ありがとうございます」
「…ユキちゃん、左腕の状態が見たいの。近づくわよ」
でも…もう終わりかな…
矢原先生が、わたしを見ながらゆっくり近づいて左腕にそっと触れる。
「痛みはある?」
「いいえ、もうほとんどありません」
羽織っていたジャージを捲り、血に染まった体操服を見た瞬間、矢原先生の手が止まった。
「……痛かったら、すぐに言って」
「はい」
慎重に体操服を浮かして捲り上げていく矢原先生。
血に塗れた腕の傷は、かなり小さくなっていた。
その小さな傷も、見てる間に無くなっていく。
…さっきより治癒速度が上がってる。
舐めただけとはいえ、矢原先生の血を得たからだろう。
「………」
「…矢原先生、もう戻ってください。わたしは大丈夫ですから……」
もう近付かないでください。
「………」
「……蘭さんが待ってますよ」
わたしは大丈夫ですから……
「………」
「…御自分の傷の手当をしてください」
逃げてください。
「…保健室に行くことにするわ」
「そうですね。その方がいいと思います」
「………」
「……………??」
はて?
この手はなんでしょう?
「あの?矢原先生?」
「なに?」
「何してるんですか?」
「何って、流石に目立つから隠さないといけないでしょ」
「はぁ…」
わたしの血に染まった体操服を隠すように、羽織ったジャージの袖口を整える矢原先生。
「それで…?」
「保健室に行くのよ」
えぇ、それは聞きましたが…
「なんで、わたしの手を握ってるんでしょうか?」
矢原先生がわたしの右手を握ったまま振り返った。
「なんでって、貴女が動かないからよ?」
「えっ?あの、いや…矢原先生?」
どうしてそうなる??
「体操服…」
「へっ?」
「そのままじゃ不味いでしょ」
言われて、改めて自分の姿を鏡に映す。
ジャージを羽織った姿は一見なんの違和感もないけど、傷口を覆ったり肩口を縛ったりしていたジャージは、よくよく見るとあちこちに血の染みを確認することが出来た。
そして、もちろんジャージの下の体操服は血塗れなわけだ。
…確かに不味い。
「保健室に予備の体操服があるから、それを使いなさい」
「…わかりました」
洗面台の血を洗い流してからトイレを出て、矢原先生に右手を引っ張られながら廊下を歩く。
さっき借り物競争から救護テントまで戻ったときとは反対だなー。
そんな、取り留めのないことを考えながら、歩く度に動きを変える矢原先生の真っ直ぐで黒く長い髪を、ぼんやりと目で追いかける。
「……」
「………」
何か言わなければならないのに、何を言えばいいのか分からない。
誰も通らない廊下を無言のまま二人で歩く
き、気まずい…
カチャカチャ…ガチャ
居心地の悪い雰囲気のまま、矢原先生が鍵を開けた保健室に入った。
「用意してくるから椅子に座って待ってなさい」
「………」
矢原先生が予備室に入っていったのを見て、言われた通り椅子に近づく。
さっきから貧血による眩暈のせいで立っているだけでも辛かったから、椅子に倒れこむように座り、クラクラする体を背もたれに預けて目を瞑る。
「大丈夫?」
「にゃっ!!!!!?」
耳元で聞こえた声に驚いて横を見る。
いつの間にか戻ってきていた矢原先生が、畳まれている体操服とジャージを持ったまま覗き込んでいた。
「ごめんなさい。驚かせてしまったみたいね」
にゃってなんですか!なんなんですか!!!うぅぅーーー/////
くすくす笑う矢原先生に、恥ずかしさが増す。
「だ、大丈夫です。出血が多かったので少し貧血気味なんだと思います」
そう言った途端、笑いは止まる。
「………」
「……」
「…出血は止まったの?」
「止まりました」
矢原先生の血のお陰で…
「そう…。これを使いなさい」
「ありがとうございます」
用意された清潔な体操服を受け取り、椅子に座ったまま羽織っていたジャージを脱いで机に置く。
ここで着替えても構わないかな?
チラッと矢原先生を見ると、右手の傷の手当をしようとしていた。
立つのも億劫だしいいよね。
「……――ウソ…」
「???」
体操服を脱いだ時に、小さな呟きが聞こえてそちらを向くと、矢原先生が右手の傷を見て驚いた顔をしている。
うん??
「どうかしたんですか?」
「いえ。大したことじゃないんだけど…」
だけど?
「…傷がもう治りかけてるから驚いただけよ」
「……っ!」
思い当たる節があります。
えぇえぇ、傷口舐めちゃいましたしね…
………どう考えてもわたしのせいじゃないですか。
「……そ、そうですか。良かったですね」
「そうね…。あっ、ちょっと待って」
汚れた体操服を机に置き、新しい体操服を手に持ったわたしにストップがかかる。
ブラジャー一枚の上半身で固まるわたし。
そりゃ女性同士だし、相手は医者なんだし、矢原先生もなんとも思ってないわけだし…
それでも、やっぱりなるべくなら早く着たいんですよ。
「なんですか?」
「そのまま着たら、新しい体操服も汚れるわよ」
言われて目を落とす。血は止まっているけど、流れ出た血に塗れた左腕。
…確かに。
「痛かったら教えて」
「じ、自分でやりますよ」
「保健医としての、わたしの仕事よ」
「はぁ…」
左腕を固定して、血で汚れた部分を拭いていく。
やがて全ての汚れを拭い去ると、そこには傷ひとつない左腕が現れた。
「………」
「……」
黙ったまま、新しい体操服を着る。
「…何も聞かないんですか?」
沈黙に耐え切れなくなったのはわたしだった。
「……聞かれたいの?」
「……」
「聞かれたくないものを、無理に聞こうとは思わないから」
気味が悪いと思わないんだろうか…
「…怖くないんですか?」
「怖い?別に怖いとは感じないし、怪我の治りが早い体質だとでも思っておくわ」
いや、それは流石に無理があるでしょう…
「左腕を出して」
「えっ?」
「流石になにも治療していないと変でしょう。幹部が見えないようにしておくから」
「あぁ、そうですね…」
そう言いながら、包帯を巻いていく。
「ユキちゃんは怖いの?」
「な、何がですか?」
「誰かと一緒にいることが」
「………」
あまりに核心をついた言葉に、何も答えられない。
綺麗に包帯が巻かれていくなか、静か過ぎる時間が流れる。
「染みになってしまうから、洗っておくわね」
包帯を巻き終えた矢原先生が、汚れた体操服を持って予備室に消えた。
…怖い?
そうですね、怖いです。
矢原先生だけじゃなく蘭さんや修さん。最近わたしの近くに人が増えたと思う。
そんな人たちを傷つけてしまう、自分自身が怖いんだ。
「その体操服は学校の備品扱いだから気にしないで。また洗濯して持ってきてくれればいいから」
「ありがとうございます。助かります」
「午後の競技は止めておきなさい。貧血でまともに動けないのでしょう?」
「そうですね。先生に相談して他の方にお願いします」
「お昼は…―――」
コンコン
ガチャ
「失礼します」
ノックの音がしてドアを見ると、開いたドアから入室の断りと共に蘭さんが入ってきた。
「ユキさん、大丈夫ですか?」
「いいタイミングできたわね。病院に行くほどの怪我ではないけれど左腕を打撲しているから、午後の競技は禁止ね」
「みなさんに迷惑をかけてしまいますが…」
「そんなことは気にしないでください。痛みますか?」
「多少は。でもすぐに治ると思います」
「無理をなさらないでくださいね」
痛そうな顔をして心配してくれる蘭さん。
…ごめんなさい。全く痛みはありません。
「お弁当を持ってきたの?」
「はい。どこでお昼にするかお聞きしていなかったので、念の為に持ってきました」
「じゃあ、いつもと一緒になるけどここで食べましょうか」
「そうですね。では、用意をしてしまいますね」
わたしは、この人たちから離れるべきなんだろう。
「あの、わたしは…――」
「凄い量のお弁当でしょ?」
「えっ?あ、はい」
遮られた言葉に、机の上に広げられていく御重を見てしまう。
「あの、ちょっと今日から…――」
「3人で食べられるかしら?」
「……どうでしょうか」
3人で食べても苦しいでしょうね。
「もうしわけな…――」
「頑張って食べないとね」
「……」
ことごとく遮られるわたしの言葉。
「……矢原先生」
「一緒に食べましょう」
「でも、わたしは…」
「逃げないで、もう少し付き合いなさい」
「……」
なんで、そんな風にわたしに接することが出来るの?
逃げなきゃいけない時もあるんですよ??
「お二人とも、用意が出来ましたよ」
目の前の机に広げられた御重と、取り皿、お茶、お箸。もちろんわたしの分もある。
「食べるわよ」
矢原先生がわたしを見てる。
お箸を持った。
「いただきます」
「「いただきます」」
わかりました…。
逃げませんよ。
自分の傷から出る血を自分で舐めたら還元出来ないの?
あっ、流石にそんなエコサイクルはありませんか…




