第27話
やっと年末まできた。
ここまで現実と差が開くとは……
「……――ゃん」
「………」
「…――ちゃん」
「…………」
「……ユキちゃん!!」
はっ??
な、何…和志さん……?
「ユキちゃん!…起きたかい?」
起きた?
「あ………はい」
真っ暗な室内。
「……大丈夫?」
またか…
「大丈夫です」
言うことを聞かない身体を起こし、汗で纏わり付く髪の毛を手でかき上げる。
「…みちるを呼んでこようか?」
「だ、大丈夫です。お騒がせしてすみません」
仕事で疲れている修さんを起こしてしまう事がつらい。
こうやって、夜中に起こしてしまう事も引越しをしてから何度かあった。
その度に、修さんがドアの前で根気よく声を掛けてくれる。
申し訳ない…
「ユキちゃん…ここにいるのは………つらいかい?」
「そんなことないです!」
遠野の家にいるより断然今の方がいいです!
「…すまないね」
「本当に皆さんと一緒にいれて嬉しいんです。だから…あの……ちょっと、夢見が悪いだけなんです…」
「そうか。分かった………。部屋にいるから何かあれば声を掛けて」
「はい。…すみません」
遠ざかる足音に、聞こえないくらいの声で謝る。
どこにいても迷惑になるのかな……
はぁーー
枕もとの時計に目をやれば、まだ夜中の2時を回ったところだった。
寝なければいい、なんて分かってるけど……
食事と同じで睡眠もColor coating《補色》の回数を減らす事が出来ると聞いて、なるべく取るようにしたい。
今日は31日。
もう今年も最後の日となり、24時間も切ったわけだ。
みんなで年越しして、近くの小さな神社に初詣に行くと聞いていた。
明日は香山の家に新年の挨拶に行くとは聞いていたから、睡眠を取れるうちに取っておいた方がいいのだけど…
はぁーー
二度目の溜息をつき、覚悟を決めてベッドに寝転ぶ。
今日は、もう夢を見ることはないと自分に言い聞かせて目を瞑った。
見ない。
大丈夫。
見ない。
大丈夫。
見ない…………
大丈夫……………
…………
◆―◆―◆―◆
「ユキちゃん!!」
な、何っ?
耳元で聞こえた大きな声に、急速に覚醒していく。
ぼんやりとした視界は何を映しているのか判然とせず、頭が処理することを拒んでいるみたいだ。
その中で自分の荒い呼吸と髪の毛が不快に張り付く程の汗で、またやってしまったのだと頭の隅で理解した。
「はぁ…はぁはぁ………」
全く……一日に二度も起こしてしまうなんて…
どれだけ修さんに迷惑をかけ――
あれ?修さん?耳元??
「ユキちゃん」
やっぱり耳元で聞こえた優しい声に閉じていた目を再度開く。
「み、みちるさん?」
ハッキリしだした視界。
眉間に皺を寄せたみちるさんの顔が目と鼻の先にあった。
「ユキちゃん……」
「…ど、どうして」
慌てて身体を起こしてみちるさんと距離を――
「ユキちゃん!」
「ふぇ?」
背中と後頭部にまわされた腕に優しく力が込められる。
気付いた時には、みちるさんに抱きしめられていた………
何故?
「あ、あの!汗臭いんで!み、みちるさんの服が汚れちゃ――」
「大丈夫よ」
そう言いながら、汗で絡まった髪の毛を手で梳くように、ゆっくりと撫でられる。
「み、みちるさん…」
「……ユキちゃん」
みちるさんの腕の中で強く抱きしめられたわたしは周りを見ることも出来ず、唯みちるさんの胸に頭を預け、優しく響くみちるさんの鼓動に耳を傾ける。
みちるさんの鼓動に引っ張られるように、自分の荒れた心音と呼吸が落ち着いていくのが分かる。
「…みちる?」
自分が落ち着いたと言える状態になった頃、ドア越しにみちるさんに呼びかける声が聞こえた。
今度こそ修さんだろう。
修さんは、わたしの部屋に無断で入ってくることはない。
だから、わざわざみちるさんを呼んで来てくれたんだ……
「あ、あの…」
みちるさんは修さんの呼びかけに答えず、わたしを無言のまま抱きしめている。
「…みちる。どうする?」
もう一度聞こえた修さんの声。
「……連れて行くわ」
そう言いながら、ゆっくりと抱きしめられていた腕から力が抜かれた。
それまでぴったりとくっついていたのに、みちるさんとわたしの間に隙間が出来た瞬間今まで感じなかった寒さに、思わず震える。
「大丈夫よ」
「えっ?」
そっと羽織らされた毛布ごと抱き締めるように身体を支えたみちるさんの腕が、そのままわたしを立たせると、ドアに向かって歩いていく。
どこかに行くの?
「ユキちゃん……大丈夫?」
ドアの外に立っていたのは修さんだけでは無かった。
心配そうな顔をした修さんと和志さん。
「ごめんなさい…」
「いいんだよ。謝るような事はない」
「そうだよ。そんなに全部溜め込む必要なんて無いんだって!」
「迷惑ばかりかけて……」
「そんなこと思ってもないよ。もっと頼ってくれてもいいくらいだ」
「色んな事がいっぺんにあったから疲れてるんじゃない?ゆっくり休んだ方がいいよ」
「そうね。ユキちゃん、身体だけでなく心を休めることも大事なのよ?」
心?……ですか…
「あぁ、引き止めてしまったね」
「ホントだ。身体が冷えて風邪引いちゃうよ」
「みちる。頼んだよ」
「えぇ。ユキちゃん行きましょう」
「え?」
ど、どこに?
「あ、あの……みちるさん?」
わたしの背中にまわされたみちるさんの腕に導かれるまま、隣の家に入る。
「何?」
「あの…どうしてここに?」
「寝るためよ。でもその前に着替えた方が良さそうね」
やっぱり……
「迷惑ですよね…」
「何のこと?」
「修さんの睡眠を邪魔して……」
追い出されたってことかな。
「わたしが連れて来たの」
…知ってますよ。今もまだ背中に腕がまわされてますし。
「でも、そうしたら今度はみちるさんの睡眠を邪魔してしまうかもしれません。なので、寝ないことにします」
はい。そうします。
Color coating《補色》に影響してくるかもしれないけど
日常生活に支障が出るくらい迷惑をかけるなら、寝ない方がまだマシだ。
「却下よ」
「いえ、ほら……わたし寝なくても大丈夫なので」
「寝た方がいいのでしょう?」
「いや、まぁ…どちらかと言えば?くらいなのでいいです」
その代わり……Color coating《補色》は御願いします。
「寝るのよ」
「だ、大丈夫ですから!」
「却下よ」
「だ、だからみちるさんが寝れなくな――」
「決定事項よ」
どうしてー!
「汗で身体が冷えるから着替えなさい。あぁ、ちょっと待って……」
バタバタと寝室から遠ざかる足音を聞きながら、確かに纏わりつくシャツなんかが不愉快だと感じて着替えを…
あぁ、衣装ケース置いたままだったんだ。
みちるさんの部屋に置きっぱなしにしていた衣装ケースから、ジャージの下とトレーナーを取り出す。
「ユキちゃん、はい」
着替えようとした時に戻ってきたみちるさんがビニール袋を差し出した。
受け取った袋の中身を覗き込んで……
「濡れタオル?」
「ホットタオルよ。着替える前に軽く拭いておくといいわ。それともシャワーにする?」
「あ、いえ。タオルをお借りします」
みちるさんからタオルを受け取る。
少し熱めに固く絞られたタオルで顔を拭くと、思いの外スッキリした。
そのまま、首筋の汗を拭っていく。
「…背中……拭きましょうか…?」
「えっ!?…あ、あの……」
掛けられた言葉でみちるさんの存在を思い出してしまった…
思わず、胸元を拭いていた手を止めて固まってしまう。
い、いえ…同姓だし……お医者さんだし……いいんですけど…
そういえば、ほら…前回のシャワールームでも見られましたし………
「あぅ……」
なんて、考えてる間にビニール袋から新しく取り出されたタオルで背中を拭かれてるし!
「強すぎる?」
「い、いえ。気持ちいいです」
「そう?」
実際、恥ずかしさはあるものの暖かくて気持ちいい。
け、けどっ!!
「後は大丈夫です!!!」
「あぁ、そうね」
なんで、そんなに冷静に対応するんですか。なんだか恥ずかしがってる自分の方が変みたいじゃないですか!
い、いや……ちょっと考えてみたけど、二人して恥ずかしがってたらもっと居た堪れない。
うん。みちるさんは落ち着いといて下さい。
「洗濯物は朝一緒にまわすから」
「すみません」
汗を拭き終わり新しい服に袖を通し、タオルと脱いだ服を一纏めにして渡す。
「気にしないでいいわよ。なんなら、明日の洗濯はお願いするわ」
「はい、是非!」
「それじゃあ、朝までもう一眠りするわよ」
「あ、はい」
前回と同じようにみちるさんがベッドの奥に行ってわたしを見る。
うん?
えっと……そういうこと??
「おやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
みちるさんの体温を感じながら静かに目を閉じる。
「……ユキちゃん」
「はい?」
布団が温まってきた頃、もう寝たと思っていたみちるさんが突然口を開いた。
右に顔を向けると暗闇に慣れた視界に、うっすらとみちるさんの横顔が見える。
「やっぱりいいわ……」
「え?」
瞳を閉じて上を向いたままのみちるさんの横顔を見ながら話しの続きを待つ。
「明日。……明日起きたら話しがあるの」
「分かりました」
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
それからしばらくみちるさんの横顔を見ていたわたしは、そのまま目を閉じる。
あぁ…今日は……きっともうあの夢は見ない………
◆―◆―◆―◆
あったかい……
ママ…パパ……
うーーーん…
「……――よ…」
なに?…まだ……ね…むい…よ……
「…お……――の…」
もう…ちょっ……と…
「……ユキ…――よ…」
『……まだ…寝れる……よ』
『……………もう朝よ』
『お布団……ふかふか…』
『……………暖かい?』
うん……ホカホカ…
『ママも…寝る…の……』
一緒に……
「キャ…!……ちょっ!」
ほら…もっと暖かい……
『ね…気持ちいい……』
『……………そうね』
ママと一緒……久しぶり…
…………あれ?…
寝る前…オヤスミのちゅう……して…ない?
うー…ん……今する?………する!
『ママ……』
『ちょ……ぅんん!!』
よし…あとは……ママは抱き枕………ぎゅーーーーー
…あれ?……そういえば……オヤスミのちゅう…ほっぺたじゃ…なかった?
久しぶり過ぎて……どうだったかな…
………………………
久しぶり……?
…何が?
オヤスミの……ちゅう…が?
『……ママ…?』
「あの……ユ…ユキちゃ……」
はい?
……………はい??
「す、少し…苦しいわ……」
違う!!ママじゃない!?
「Noーーーーー!」
「ふぅ」
ママだと思って思いっきり抱きしめていた腕を解けば、わたしの胸から開放されたみちるさんが、小さく息を吐き出した。
「み、みちるさん????」
「な、何かしら?」
うん、間違いなくみちるさんです!
夢?これは夢なの?
あぁ、ホントに久しぶりにいつもと違う夢を見た気が――
「ユキちゃん??」
みちるさんの右手が、私の左頬を撫でる……
「あ、あの……」
「どうしたの?」
「そのまま、頬を抓ってみて貰えますか?」
「は?」
いや、だって……凄く感覚がリアルなんです。
いやいやいや………そんなわけない…これは夢だ!
「夢だ…夢だ…夢だ………」
「ユキちゃん。おはよう」
認めない!これは夢だ…
「夢だ…夢だ…夢だ………ゆ――」
「ユキちゃん!!!」
「ふぇ!!!」
自分に言い聞かせるように目を瞑って呪文を唱えていたのに、みちるさんの呼び掛けに遮られてしまったわたしが目を開けると、みちるさんの顔が真上にあった。
ど、どういう状況だ??
わたしの頭の横に両手をついて……
あぁ、覆いかぶさるように乗っかかってるわけですね!
夢決定!!!!!
「夢だ…夢だ…夢だ………ゆ――」
「夢じゃないわよ?そろそろ起きなさい」
だ、だって!!!!
これ認めちゃったら……
「わ、わたし……キ、キス…」
「あぁ…………お、おはようの…挨拶ね」
した??????
オヤスミのちゅうのつもりだったけど……しちゃった?
やっぱり、あれも夢じゃないの!!?
しちゃったのーーーー?????
…………ほ、ほっぺたでしたよね?
「頬へのキスが普通だと思ってたけど…海外だもの……色々あるのね…」
「のぁーーーーーー!!」
何やってるよわたしーーーー!!
寝惚けて襲うとか、どんな欲求不満ですかーーーーーーーーー!
「そ、そんなに嫌がらなくても――」
「ごめんなさい!あぁーーー!!!申し訳ありません!」
「謝る必要はないわ」
「すみません!取り返しのつかないことを!!!!」
「おはようの挨拶なのでしょう?……い…嫌ではないから……」
いやいやマウストゥーマウスでしっかり、ばっちり……
そんなの挨拶じゃないしーーーー!
「申し訳な――」
「ユキちゃんは、そんなに嫌だったの?」
「…はぁ?」
えっ?嫌っていうか………
あれ?別に嫌じゃないな………
うん??
挨拶……?
あれ?
「わたしとは……嫌だった?」
「…嫌じゃない……みたいです…」
けど……?
「そう」
みちるさんの綺麗な顔がゆっくりと近付いてくる……
えっ…?
「……ぅん!!」
みちるさんの匂いが鼻先を掠める距離にあると認識した時には、自分の唇をみちるさんの唇が塞いでいた。
……あれ?
チュッ
「……おはよう」
「おはよう……ございます…?」
「………分かった?現実よ」
……………
「………」
………………
「ユキちゃん……?」
………キス?
……挨拶…?
「まだ寝惚けてるの?」
「あ、起きてます!」
起きてますよ?
でも……つまり…これは現実で………
「今のは…キ――」
「挨拶よ」
あぁ、挨拶ですね。
「あ、はい。起きました。おはようございます。はい」
「そ、そう?じゃあ起きましょうか」
「はい。起きます。はい」
ピンポーン
「先に行くから急がないでいいわよ」
「あ、はい」
急ぎ足で出て行くみちるさんの後姿を見送る。
無意識に指を唇に沿わす。
挨拶…?
…キス……
キス……?
嫌じゃない……
挨拶………
…挨拶…か……
ユキちゃん……
いい感じに混乱中やね。
みちるさん……
いい感じに暴走中やね。




