プロローグ
焼け付いた雲が空を占める。世界は紅く、鉄臭い。まるで血で満ちているように。広がる荒涼とした大地は余地なく屍に覆われ、幾万もの亡者たちが生者を呪う。時おりリンが燃える青みがかった炎が彼らの身体を焼いては、その叫びはいっそう憎悪にあふれるものとなった。
少年はその光景をどこかから見ていた。それはさながら神の視点のようで、どこを見てもピントがぼやけたりすることはない。少年の視界いっぱいに生々しく鮮明な惨劇の風景が繰り広げられた。
「なんだよこれ……。何なんだよ!」
本能的な恐怖と不安に掻き乱される少年の頭脳。彼はわけもわからずに叫び、もがく。理性はふわふわと飛んでいってしまったようで、その姿はさながら獣だ。
唐突に、少年の意識が遠のいた。快い眠気が彼を襲う。彼はたちまちのうちに睡魔に降伏して、身体の動きを止めた。すると一瞬で、彼の意識は白い眠りの世界へと旅立ったのだった。
「はぁ……。あれは一体何だったんだろ?」
少年が目覚めてみると、そこは見慣れた部屋だった。くすんだ木目調の天井に、飴色になった板敷きの床。すべて見覚えがある。ここは確かに、少年がアルカディアで所有する『部屋』だった。
VRMMORPGアルカディア。この国産オンラインゲームは現在日本だけでなく、世界中で人気のゲームだ。そのプレイヤー人口たるや数億人。特に日本の若者社会では、やってない方が少数派だという話まである。
少年もまたその多数派の一人だった。むしろ、少年のプレイヤーネームであるカイルはアルカディアの中でも有名なほどだ。数少ない魔法職のカンストキャラとして。
アルカディアはキャラの成長にレベル制とスキル制を採用していた。レベルアップをすると能力値が上がり、ポイントがもらえる。そのポイントを所持しているスキルに割り振ることで技能を手に入れるというシステムだ。
加えて、職業という概念がアルカディアにはあった。基本職が八種類、上級職が十六種類、最上級職が三十二種類の合計五十六種類だ。これらはいずれもキャラの能力値や所持できるスキルに関わっていて、職によって成長速度も異なっている。
その中でも基本職魔法使いから派生していく魔法職は成長が極端に遅かった。しかも、その能力値はソロプレイなどほぼ無理というもの。攻略サイトに『廃人仕様』とか載せられるほどだった。
カイルは極端な廃人という訳ではない。その彼がレベルを上限の五百に到達させることができたのはいくつかの事柄に恵まれていたからであった。
まず一つはもっとも死亡しやすい序盤に偶然、レア防具を手に入れることができたこと。そして二つ目はいつでもパーティーを組めるヘビープレイヤーの友人ができたこと。これらの理由で彼はつい先日、カンストを成し遂げたのだ。
「仕方ない、GMに連絡だけして出掛けるかな」
カイルはさきほどの光景にショックを受けたのか少し疲れたような顔をすると、ウインドウを開こうとした。指を突き出してオープン、とキーワードを告げる。
だが現れるはずのウインドウは出なかった。反応が悪いのかと思いカイルはもう一度、さきほどよりも一回り大きな声でキーワードを言う。しかしこれでもウインドウが出ることはなかった。
「ウインドウまで壊れてるのか……。これじゃフレンドも呼べないし……。面倒だけど役所に行くしかないなぁ」
カイルは眉を寄せると、役所の場所を思ってため息をついた。GMの常駐している役所は、彼の部屋と市街地を挟んでちょうど街の反対側に存在する。その距離を移動する手間を考えると、なかなかに彼は気が重かった。
しかし、いかないわけにもいかなかった。あまりにも薄気味悪いことであったし、嫌な予感がしたのだ。彼はどことなく重い足取りで部屋の端に向かうと、荷物を出すためアイテムボックスに手をかけた。
「はあ……ぬいぐるみ!?」
カイルは思わず素っ頓狂な叫びを上げて、後ろに尻餅をついてしまった。アイテムボックスには何故か、ぬいぐるみがぎっしりと収納されていた。きちんと並べられて、それぞれにリボンまで付けられている。赤、青、黄色と色鮮やかでなんとも少女趣味だ。
慌ててカイルはアイテムボックスを閉じると、その外観をチェックした。良く見てみると角張っていたはずの箱が角がとれて丸っこくなっている。さらに鍵の部分の形状もより古めかしいものへと変化していた。
「おかしいな? どうなってるんだ?」
「おい、お前! 人の部屋で何をやっている!」
鋭く響きわたる鋼のような高い声。驚いたカイルが後ろに振り向くと、仁王立ちをした若い女がいた。燃え立つような赤髪をそばだたせて、顔を真っ赤に染め上げながら……。