大杉栄、ラインを組む――転生した無政府主義者は競輪場で風になる
僕を殺した男の名前は覚えている。
けれど、最後に言おうとした言葉は覚えていない。
野枝、と呼ぼうとしたのか。
宗一を帰せ、と言おうとしたのか。
それとも、もっとみっともなく、息をさせろと願ったのか。
大正十二年九月十六日。
震災の煤がまだ東京に残っていた。
憲兵隊司令部の一室で、僕の喉は声を失った。憲兵大尉、甘粕正彦。その名と、近くで動く軍服とを、僕の目は最後までうまく結びつけられなかった。
机の上に紙があった。
くだらないことだが、それが気になった。
まだ書ける場所が、あんなにある。
やがて紙も見えなくなった。
*
次に目を開けると、僕は泣いていた。
肺が痛むほど空気が入った。
天井が白い。光がある。誰かが僕を持ち上げる。
「元気な男の子ですよ」
男の子。
その評価は、三十八歳の男に対するものとしてはいささか不適切だった。
抗議しようとして、また泣いた。
舌が動かない。手を上げると、握り拳は驚くほど小さい。
若い女が、その拳に指を差し出した。
僕はつかんだ。
意思というより反射だったが、離したくなかった。
「よく来たね」
女は言った。
僕の二度目の人生は、そうやって始まった。
*
二〇〇三年、静岡。
新しい僕の名は、杉浦栄といった。
父と母は駅から少し離れた商店街で、自転車店を営んでいた。
なぜ栄なのかと、言葉が使えるようになってから母に尋ねた。
「景気のいい名前がよかったの」
思想的背景はなかった。
父はその横で、銀行に出す書類をしかめ面で書いていた。
記憶は、初めからすべて揃っていたわけではない。
日本語を喋れるようになるより先にフランス語の断片が浮かび、母を困らせた。文章を読めるようになると、知らないはずの言葉が次々と意味を取り戻した。
夜中、首に何も巻かれていないのに、息が詰まることがあった。
母が寝巻きの襟を緩めてくれると、ようやく手を離せた。
八歳のとき、図書館で自分の名前を調べた。
大杉栄。
社会運動家。無政府主義者。
一八八五年生、一九二三年没。
僕の隣に、野枝の名前があった。
宗一の名前もあった。
六歳。
何度読んでも、数字は変わらなかった。
僕は八歳になっていた。
閉館の音楽が鳴っても席を立てず、迎えに来た母に本を取り上げられた。
母は開かれたページを見た。何も尋ねなかった。
帰り道、僕の手を握った。
「おなか、すいてる?」
すいていた。
それが、ひどく申し訳なかった。
*
長いこと、僕には将来の夢がなかった。
すでに一度生き、言葉を覚え、本を書き、愛し、争い、取り返しのつかない迷惑もかけた。立派な伝記の主人公になれるような生き方ではなかった。
それでも、続きを奪われてよかったはずはない。
わかっているのに、進路希望の紙は空欄になった。
政治について書きたいと思った。
翻訳もしたかった。
しかし最初の一行を書くたび、あの部屋の机が浮かんだ。
放課後は店を手伝った。
パンクしたチューブを水に沈めると、穴から小さな泡が出る。そこを塞ぐ。空気を入れる。丸くなる。
目の前のものを、目の前で直せる仕事だった。
十五歳の冬、修理した自転車を届けた帰りに、ひどい向かい風に遭った。
いくら踏んでも進まない。
橋の坂で、とうとう腹が立った。
「君まで僕を止めるのか」
風に思想的立場はなかった。
僕は立ち上がってペダルを踏んだ。
腿が焼ける。冷たい空気が喉を通る。鼻水が出る。目からも水が出た。
橋の頂上に着いたとき、僕は笑っていた。
苦しい。
ただ苦しい。
その苦しさに、理由をつけなくてよかった。
店へ戻ると、常連の佐伯さんが僕の顔を見て言った。
「おまえ、競輪やってみるか」
元競輪選手だとは知っていた。
競輪というものについては、金を賭けた大人が、別の大人にもっと速く走れと怒る催しだと思っていた。
だいたい合っていたが、それだけではなかった。
佐伯さんに連れられて競輪場へ行き、初めて走路の近くから選手を見た。
色とりどりの背中が、一本の列になって曲線へ入る。
列の後ろから別の選手が駆け上がる。
鐘が鳴る。
先頭の男の口が、大きく開いていた。
あの男も、息をしている。
当たり前のことが、僕には眩しかった。
「一番前は損じゃないですか」
帰りに尋ねた。
「風を全部受けるでしょう」
「ああ。だから後ろにも仕事がある」
男子の競輪では、選手同士が連携する。
それをラインという。
先頭を走る選手が風を引き受け、後ろにつく選手は力を温存する。一方で、後ろの選手は別の列からの攻めにも備え、前の選手が走りやすい状況をつくる。
ただし、最後は全員が一着を狙う。
「仲間を抜いていいんですか」
「抜かなきゃ商売にならん」
「では、最初から結末に同意した協力関係だ」
「おまえが言うと面倒になるな」
面白かった。
僕は人間が手を組むことを嫌っていたわけではない。
手を組んだあと、片方がもう片方を離さなくなることを嫌っていたのだ。
翌日、僕は進路希望の紙を埋めた。
競輪選手。
母はその五文字を見つめ、それから僕を見た。
「あなた、自治体がやってる公営競技だって知ってる?」
「知っています」
「いつも言ってることと、いろいろ矛盾しない?」
「僕は以前から、矛盾の多い人間です」
「十五歳で使う『以前』じゃないのよ」
父は紙を裏返した。
「学費とか、道具代とか。まず調べよう」
夢にも裏面がある。
今度の僕には、それを一緒に見てくれる人がいた。
*
佐伯さんの指導で練習を始めた。
才能は、あると言われた。
それは何もしなくてよいという意味ではなく、何かをした場合に多少は見込みがある、という意味だった。
朝は練習。学校へ行く。店を手伝う。また練習する。
初めてバンク――傾斜のついた競走路――で競技用の自転車に乗った日、僕はハンドルを見つめた。
「ブレーキがありません」
「そういう自転車だ」
「自由にも限度というものがある」
「そこから説明するぞ」
後輪とペダルの動きがつながっている固定ギア。
惰性で走りながら、脚だけを止めることはできない。
踏み方、緩め方、止まり方。
佐伯さんは一つずつ教えた。
「公道では乗るなよ。道路では、ちゃんとブレーキのあるやつを使え」
「心得ています」
「主義より先に覚えろ」
僕は覚えた。
高校を出て、挑戦した養成所の試験には一度落ちた。
翌年、受かった。
日本競輪選手養成所は全寮制だった。
決められた時刻に起き、食べ、学び、走る。
入所して間もなく、同期に尋ねられた。
「杉浦って、なんで競輪選手になりたいの」
窓の外には、まだ夜の色が残っていた。
「生き足りないから」
「朝から重いな」
その同期は僕に、余ったバナナを一本くれた。
集団生活は楽ではなかった。
納得できないことには理由を聞いた。理由を聞いた結果、納得して黙ることもあった。
黙らずにいられない日もあった。
同室の候補生に言われた。
「頼む。消灯後の社会構造の話はやめてくれ」
これは正当な要求だったので、従った。
脚は太くなった。
掌には硬いところができた。
何かを読む途中で眠り込むようになり、毎朝、腹が減って目が覚めた。
自分の身体が、ようやく自分に追いついてくる気がした。
*
資格検定に合格し、養成所を卒業した。
新人同士のレースを経て、七月、先輩たちと同じ開催を走るようになった。
僕が入ったA級チャレンジには、若い選手も、長くこの仕事を続けてきた選手もいた。
そこで、岩瀬徹という男に会った。
四十六歳。同じ静岡の選手。
僕より二回り近く上で、笑うと左の目尻に深い皺が寄った。
「杉浦の後ろ、いいか」
初めて一緒に走る日の朝、そう聞かれた。
「もちろんです」
「おまえの走りをするんだぞ」
「はい」
僕は先行した。
先頭で風を受ける。
自分の脚で速度を上げる。
後ろに一人、そのまた後ろに一人いる。
奇妙な高揚があった。
今度は置いていかない。
僕が前で、すべて引き受ける。
残り一周で、もう限界に近かった。
それでも踏んだ。
最後の直線で、岩瀬さんが僕を抜いた。
もう一人が抜いた。
隣のラインからも二人来た。
僕は五着だった。
戻ってから、岩瀬さんに頭を下げた。
「一着、おめでとうございます」
「ありがとう」
岩瀬さんは僕の顔を見た。
「おまえは?」
「僕ですか」
「悔しくないの」
僕はタオルで顔を拭いた。
「後ろの人が勝てたんですから」
岩瀬さんはしばらく黙った。
「次、もう少し話そう」
そう言っただけだった。
僕はその後も、似たような負け方をした。
仕掛けるのが早い。
必要のないところで力む。
誰かに並びかけられると、先のことを忘れて踏み込む。
脚はある、と言われた。
頭を使え、とも言われた。
新聞には〈積極果敢〉と書かれた。
佐伯さんはそれを指で叩いた。
「便利な言葉に隠れるな」
僕は黙った。
「おまえ、勝ちに行く練習をしてるのか。それとも、よく頑張ったと言われる練習か」
言い返せなかった。
*
八月の終わり、練習帰りの岩瀬さんが店へ来た。
店の前のベンチで、僕たちは紙パックの牛乳を飲んだ。
「昔さ、後輩に言ったことがあるんだよ」
岩瀬さんが言った。
「先輩がついてるんだから、早く行けって」
商店街を、小さな子供を後ろに乗せた自転車が通った。
「それで?」
「そいつは早く行って、俺は勝った」
岩瀬さんはストローを噛んだ。
「勝ったら、俺の判断が正しかったような気がした。そいつが何着だったか、しばらく覚えてもいなかった」
牛乳の紙パックが、指の中でへこんだ。
「その後輩はどうなりました」
「今も選手やってる。こないだ会ったら、昔は嫌な先輩でしたねって、笑って言われた」
「現在形でなくて、よかったですね」
「過去形にしてくれたんだろ」
僕もストローを噛んだ。
「僕は、先輩に言われて走っているわけじゃありません」
岩瀬さんは首を振った。
「俺が言う前に、自分で自分に言ってるだろ。おまえは前で潰れろって」
夕方の空気が少し冷えた。
返事をしようとした。
喉が動かなかった。
岩瀬さんは待った。
「一度」
僕は言った。
「一度、家族を置いてきたことがあるんです」
岩瀬さんは僕を見なかった。
向かいの店が下ろすシャッターを見ていた。
「僕がどうしていたら、ということばかり考えます。今度は何でも引き受ければ、少しはましになるかもしれないと」
伝わるはずのない話だった。
僕は二十二歳で、両親は店の奥にいる。
死んだ家族の名前を口にすれば、百年以上前の人間の名前になる。
「詳しいことは知らんけどな」
岩瀬さんが言った。
「俺は、おまえに食わせてもらうために後ろにつくんじゃないぞ」
店の奥で、父が工具を落とした。
「まだ人のために働ける脚がある。自分が勝つ脚もある。だから、走ってる」
岩瀬さんは立ち上がり、空になった紙パックを潰した。
「おまえが勝とうとしてくれないと、俺はおまえに勝てないんだよ」
その言葉に、僕は顔を上げた。
「……抜く気はあるんですね」
「当然だろ。子供の塾代がある」
僕は笑った。
笑ったあと、少しだけ泣いた。
岩瀬さんは見ないふりをして、店の中へ向かって叫んだ。
「すみません。もう一本、牛乳あります?」
*
九月、静岡競輪場。
僕はA級チャレンジの決勝に進んだ。
予選は、仕掛けを一呼吸待てた。
準決勝では、脚を残して最後まで踏めた。
二着、二着。
派手さはなかった。
しかし、どちらの二着も悔しかった。
こんな感情が、自分にまだ残っていた。
決勝は七人。
僕の後ろには岩瀬さん。三番手には神奈川の選手がつく。
別の三人のラインを率いるのは、同期の黒田蓮だった。
養成所では、消灯後に僕の演説を止めた男である。
短い距離で一気に速度を上げるのがうまかった。
先頭を走る集団を後ろから追い抜く、捲りが得意だった。
残る一人は、単独で走る。
前日のレース映像を見ながら、岩瀬さんと話した。
「黒田は、僕が出切ったところですぐ来るかもしれない」
「来るだろうな」
「来られたら、前みたいに踏みすぎると思います」
「じゃあ、そこをどうする」
映像を戻す。
もう一度見る。
黒田が立ち上がる前に、何が変わるか。
僕が力むと、どこで速度が落ちるか。
岩瀬さんは、僕に考えさせた。
自分の意見も言った。
最後に僕は尋ねた。
「後ろを、任せていいですか」
これまでにも何度か口にした言葉だった。
その日、ようやく本当に質問した気がした。
「ああ」
岩瀬さんがうなずく。
「俺も、前を任せていいか」
僕もうなずいた。
*
発走を待ちながら、ヘルメットの顎紐を確かめた。
指が止まった。
こういうときに、昔が来る。
こちらの都合などおかまいなしに。
軍服。
紙。
動かない喉。
目の前の走路から、色が遠のいた。
僕は小さく息を吐いた。
もう一度、吐いた。
佐伯さんと決めていた順番をたどる。
右手。ハンドル。
左手。ハンドル。
脚。ペダル。
身体はここにある。
背後で、岩瀬さんが鼻をすすった。
あまりに日常的な音だった。
「杉浦」
「はい」
「今日こそ演説は短く頼むぞ。優勝インタビュー」
僕は笑った。
空気が喉を通った。
発走の合図が鳴った。
*
最初は、先頭誘導員が集団を導く。
車輪の音が重なる。
前を行く背中。バンクの傾き。観客席の白い手すり。
僕たち三人は、黒田のラインの後ろにいた。
その後ろに単独の選手が続く。
ゆっくりに感じる。
早く前へ出てしまいたい。
まだだ。
息を吐く。
肩を下げる。
周回が減る。
先頭誘導員が退避する。
僕は外へ上がった。
岩瀬さんたちが続いてくる。
黒田の横を通るとき、一瞬だけ顔が見えた。
もう眠そうではなかった。
前に出る。
黒田は激しく争わず、僕たち三人を行かせた。
四番手。
そこから来るつもりだ。
わかっている。
わかっていても、前を走る。
鐘が鳴った。
残り一周半。
音が背中に当たった。
脚に力が入りすぎそうになる。
まだ全部はいらない。
僕はペダルを押し、次のペダルを迎えた。
速くする。
しかし、慌てない。
前には誰もいない。
風が胸を押す。
唇の端が乾く。
以前なら、この重さを全部引き受けたことに満足していた。
今日は違った。
この先に、僕自身の着順がある。
最終ホーム。
残り一周。
観客席の声が、ひとつの塊になって届いた。
言葉は聞き取れなかった。
第一コーナーへ入る。
後ろの車輪の音が変わった。
来る。
黒田だ。
僕は反射で踏み込もうとした。
腿が緊張する。
違う。
まだここで使い切るな。
背後で、誰かが短く声を出した。
岩瀬さんだった。
何と言ったかはわからない。
いることだけがわかった。
僕は前を見た。
第二コーナーを抜ける。
右の視界に、黒田の前輪が入った。
消えた。
また入る。
岩瀬さんが外を警戒していた。
黒田はそのさらに外を踏んでくる。
僕の斜め後ろで、二人が互いの進路と速度を測っていた。
そこを振り返ることはできない。
僕には前でやることがある。
向こう正面。
脚が重い。
肺が狭い。
ハンドルを握る小指が痺れる。
しかし、終わりではなかった。
練習で何度も探した、もう一度踏めるところがある。
腰を落ち着けた。
力んでいた肘を緩める。
もう一段、速度を上げた。
風の音が高くなる。
第三コーナー。
黒田が並びかけた。
目が合う余裕などない。
赤い袖が視界にあった。
口が開いていた。
同じだ。
こいつも苦しい。
僕はなぜだか、少し笑いたくなった。
誰も、誰かを救う顔をしていなかった。
誰も、歴史的使命を背負っていなかった。
二人の若い男が、どうしても先に着きたくて、歯を食いしばっていた。
第四コーナー。
黒田は外にいる。
僕は内から直線へ出る。
そして、もう一つの車輪の音がした。
岩瀬さん。
来た。
あの人は本当に、僕を抜きに来た。
嬉しかった。
腹も立った。
働いてくれた。支えてくれた。僕を一人にしなかった。
だからといって、一着を渡してたまるか。
僕は踏んだ。
野枝の声は聞こえなかった。
宗一の姿も見えなかった。
都合よく蘇って、僕を励ましてはくれなかった。
あの二人が生きられなかったことは、僕がどれだけ速く走っても、変わらない。
それでも。
僕は今、ここで勝ちたかった。
残り、わずか。
車輪。
白線。
風。
僕は自転車を、前へ送り出した。
*
誰が勝ったのか、わからなかった。
惰性で走りながらも、脚は回り続ける。
速度を落としていく。
黒田が僕の横へ来た。
「今の、どっち」
「僕に聞くな」
「すごい顔してた」
「君もだ」
岩瀬さんは少し前で、天を仰いでいた。
写真判定。
いつもより長く息をしている気がした。
やがて、着順が確定した。
一着、一番。
杉浦栄。
二着、岩瀬徹。
三着、黒田蓮。
僕はその三行を見た。
何度見ても、順番は変わらなかった。
岩瀬さんが戻ってきた。
「差したと思ったんだけどなあ」
本当に悔しそうだった。
僕は笑った。
「残念でしたね」
「次は抜く」
「次も勝ちます」
岩瀬さんが拳を出した。
僕も出した。
軽く触れた。
それから二人とも、別々に自転車を降りた。
*
優勝インタビューのマイクは、小さく、黒かった。
僕はそれを見つめた。
大勢の前で話す。
声を張り上げなくても、遠くまで届く。
昔の僕が知れば、きっと欲しがった。
「初優勝、おめでとうございます。今のお気持ちは?」
言いたいことは多かった。
政治のことも、労働のことも、人が人を支配することについても。
けれど、最初に出たのは別の言葉だった。
「悔しがってくれる人がいて、嬉しいです」
聞き手の女性が、一度瞬きをした。
「後ろを回ってくれた岩瀬選手ですか」
「はい。あと、三着の男も」
笑いが起こった。
「ラインの力も、大きかったですか」
「とても。今日は、後ろを任せられました」
声が少し掠れた。
「これまでは、任せると言いながら、自分一人で全部決めていたので」
向こうに、父と母がいた。
母は両手で口元を覆っていた。
父はよく見えなかった。佐伯さんの振るタオルが、何度も顔にかかっていた。
「今後の目標をお願いします」
僕はマイクを握り直した。
「もっと上で走ります」
言えた。
「もっと勝ちたいです。あと、今日は腹いっぱい食べます」
*
その夜、家の食卓に寿司が並んだ。
父が奮発したらしい。
母は僕の優勝映像を、三回目まで見ていた。
「もうよくないですか」
「まだお父さんが一回しか見てない」
「店で二回見た」
父が余計な申告をした。
四回目が始まった。
僕は箸を置き、自分の部屋へ行った。
本棚から、一冊取る。
大杉栄の文章が入った本だった。
余白に、若い頃の僕への文句を書き込みながら読んでいる。
そこは言いすぎだ。
その話は長い。
他人に厳しいわりに、自分には甘くないか。
ときどき反論したくなるが、相手も僕なので始末が悪い。
栞のあるページを開いた。
生の拡充。
その四文字の脇に、今日の日付を書いた。
続けて書く。
初優勝。
岩瀬さんに、ほんの少し勝った。
ものすごく腹が減った。
ペンを止めた。
野枝。
宗一。
名前だけを、少し離して書いた。
その先に何を書くべきか、長く考えた。
何も書かず、本を閉じた。
「栄、茶碗蒸し冷めるよ」
母の声がした。
「今行く」
僕は立ち上がった。
*
僕は、その後も競輪選手を続けた。
勝ったり、負けたりした。
ひどいレースをして佐伯さんに叱られ、いいレースをしても黒田に負ければ腹が立った。
やがてS級へ上がった。
全国の強豪と走るようになり、勝てるレースも少しずつ増えた。
それでも、まったく歯が立たない相手がいくらでもいた。
それがいい。
まだやることがある。
取材で座右の銘を尋ねられたときは、「生の拡充」と答えた。
記者が意味を聞くので説明していたら、隣の黒田に「長い」と止められた。
文章も、また書くようになった。
頼まれた小さなコラムで、賞金の話から労働の話に脱線し、編集者に文字数を戻された。
言葉を減らされることが、いつも弾圧だとは限らない。
今度の人生で学んだことの一つだ。
息が詰まる夜は、なくなってはいない。
忘れたわけでも、赦したわけでもない。
そういう夜は窓を開ける。
遠くで走る車の音を聞く。
明日の練習の準備をする。
ある朝、店の前で、父が子供の自転車から補助輪を外していた。
六つぐらいの男の子だった。
「一人で乗れるかな」
男の子が言った。
僕はしゃがんで、ヘルメットの顎紐を確かめた。
「練習すればね」
「転ぶ?」
「転ぶこともある」
「痛い?」
「少し」
男の子は考えた。
「じゃあ、見てて」
「見てるよ」
僕は答えた。
その子には、その子の名前があった。
父に呼ばれると、元気よく振り返った。
僕は店先に立って、小さな背中を見送った。
やがて佐伯さんが、自転車で迎えに来た。
「行くぞ、栄」
僕も自転車を出した。
ブレーキを確かめる。
ヘルメットをかぶる。
足をペダルに置く。
行き先なら、決めてある。
僕は、競輪場へ向かった。
本作は実在の人物と事件を着想源としたフィクションです。転生後の人物・会話・レースとその結果、事件当時の内面描写は創作です。大杉栄の思想についても、本人の評論と区別される小説上の解釈を含みます。
史実の基礎として、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一が関東大震災後に憲兵によって殺害された事件について、あま市「郷土の史跡/甘粕事件 橘宗一少年の墓碑」を参照しました。甘粕正彦の経歴は、国立国会図書館「甘粕正彦関係文書」を参照しました。
思想面の着想源は、大杉栄「生の拡充」(青空文庫)です。本文の会話や競輪についての言葉は、本作独自の創作であり、大杉栄の実際の発言として引用したものではありません。
競輪の連携とレース進行は、JKA・けいりんマルシェ「ラインとは?」、KEIRIN.JP「レースの流れ」、同「自転車」を参照しました。養成所から選手登録までの流れは、日本競輪選手養成所「競輪選手への道」を参照しました。




