プロ作家が公募に出てくるのは「ズルい」という話題について言語化してみた。
X(旧・twitter)で出ていた話題について、知人の兼業作家に書くように言われたので書いてみます。
X(旧・twitter)で出ていたプロ作家が公募に出してくるのはずるい!という話。
書籍化作家が公募に応募するのがズルいと思われるのはなぜか、ちょっと言語化してみます。
まず最初に言いますが、商業作家が公募に応募するのはズルではありません。
別に商業作家は応募禁止という規定は無いですからね。
そして、書籍化作家側の主張として、新しい出版社とのアクセスのため、販路開拓のため公募に応募している、というのは妥当です。
特に専業作家なら自分をどう売り込むかは大事です。自分の飯のタネですからね。公募はそれの端緒になるかもしれない。
この過程についてズルいと批判する要素はありません。
そういう意味では、これをズルいと呼ぶのは言いがかりです。
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しかし、僕は一方でそれをズルと批判したくなる人の気持ちもすごく分かります。
web小説の界隈で最大の不均衡って何だと思います?
それは「読まれる機会」です。
ランキングが支配するweb界隈では、新規で意気揚々と投稿した人の作品の99%は恐らくほどんど誰にも読まれないまま埋もれていく。
……ただ、それが悪いわけではありません。そこを否定する気も批判する気もありません。
読者からすればランキング上位の作品の方が面白そうに見えるのは当然です。
そっちの方を読みに行くでしょう。
人生の時間は有限です。
ランキングに流行りの作品があるのに、わざわざ埋もれている小説を掘り出して、宝探しをする必要は殆どありません。
そもそも、その埋もれている小説は全然面白くないかもしれませんしね。
一方で、すでに実績がある作家さんは読まれる。
ファンになっている読者さんが読んでくれる。面白ければ☆を付けてくれる。
となれば、ランキングの上位に上がれる可能性も高い。そうなれば益々読まれる。
実績があれば、書籍の編集の人だって読んでくれて、あわよくば声をかけてくれるかもしれない。
繰り返しになりますけど、web界隈での最大の不均衡はこの「読まれる機会」です。
web小説に限らず、オンラインでの競争は勝者総取りになる傾向はありますが、この格差は想像を絶するくらいに大きい。
自分の作品が読まれて、その上でツマランと思われて埋もれるなら、きっと諦めもつく。
でもどうやっても読まれもしないというのはかなり堪えがたいと思います。
楽しんで書いていたとしても、読まれないのは苦しい。
だからこそ、XではRTした作品を読みに行くというタグがあるし、カクヨムとかでは読み合いの企画があるわけでしょ。
読まれなくても鉄のメンタルで書き続ける人もいるとは思います。
でもそんな人は例外です。だからこそ、それをする人はすごいんですよ。
ついでに言いますと、埋もれている作品の全てがつまらないわけではない。
読まれる機会があれば跳ねる原石のような作品だって確かにある。
僕の知人の作家はその「たまたま読まれた」結果、ポイントが跳ねて、2作が部門ランキング1位までたどり着き一つは書籍化しました。
僕の書いてたやつも、確か2章の終わりくらいに一度何かの拍子にランキングに載ってそれなりにポイントを頂けました。
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こんな感じで「読まれる機会」に圧倒的な差があるのがweb小説界隈です。
恐らく思いを込めて生み出されたほとんどの作品は、殆ど読まれないまま埋もれていく残酷な世界です。
でも公募ならどうか?
公募なら必ず読まれます。参加者がアマチュア同士なら恐らく均等に読まれるはず……そう思うでしょう。
自分が心血を注いで面白いと信じて書いたその作品は、読まれさえすれば評価されるかもしれない。
そうすれば、ワンチャン自分も商業作家の端くれになれるかも、と期待もする。
そこに、すでに「読まれる機会」を十分に確保した書籍化作家が参戦して来たら、どう感じるか。
「読まれる機会」を求め、今から読まれたい、あわよくば書籍化したい、そんな人からすれば、その一縷の希望すら浚われるように感じるんじゃないですかね。
実績がある商業作家と無名のアマチュアだったら、例外的な事例を除けば、前者の方が確実に有利です。
下読みで読まれる深度だってそうですし、選ばれる確率にも絶対に差が出る。よほどその商業作家がSNSとかで色々とやらかして問題児とかなら別かもしれませんけど。
なんせすでに書籍化作業の実績がありますからね。商業化のための意思疎通がやりやすい。
実績がある作家さんなら、売る時だって既存のファン層があると期待できる。
もしここで、この両者には一切のバイアスがかからない、公募ならフェアに評価されるはずだ、と言うなら……あなたは底抜けにピュアな聖人か、若しくは申し訳ないですけど、う(以下自粛)です。
例えば、書籍化作家(30万部突破、書籍化作品8作)のPN、A山B男さんが、全くの別PN、N川M郎として同じ作品を公募に出した時、同じように評価されると思いますか?
第一、この両者を同分野で競り合わせるのはあまりにきついと思われたからこそ、カクヨムコンは、プロ作家部門を切り離したんじゃないですか?
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繰り返しになりますが、書籍化作家が公募に応募することはズルではありません。ズルいというのは言いがかりです。
今自分が読まれているのは、自分の積んできた実績によるものだ、というのも正論です。
でも、この「ズルい」と言いたくなる感覚が全く想像できないのなら……そんなあなたはなろう小説で言うところの貴族です。
強力なスキルと高い地位を持ち、まだ無力な主人公に、持ってないお前が悪いんだろ、これがこの世界の理だ、と正論を言い放つ、持てる側、富める側です。
書籍化したらその実績ある作家と並んで戦うことになるんだぞ、という主張もあるでしょう。
それは御尤もです。
しかし、公募にプロ作家が応募するのはズルい、という人のしんどさはもっと根源的なものです。
読まれる機会が欲しい、フラットな評価をしてほしい……そういうのじゃないかな。
書籍化すれば、読まれてその良さを認められた、ということです。
その時点でもはや大きな目標はクリアできてるんですよ。
プロと同一線上で売り上げを競うのはその先の話です。
そんなもんはそうなった時に考えればいい……というか嫌でも思い知らされるんですよ。
そもそも、「駆け出しの書籍化作家だけど、売り場が大ベテランと同じなのはズルい」、なんて誰もいってないでしょ。
その前の段階でプロと対峙するのは酷過ぎない?ということじゃないですかね。
ということで、ズルいという人の主張をなるべく具体的に言語化するなら、
すでに実績を積み「読まれる機会」を持っている人が、わずかな「読まれる機会」を求めて応募している人のところまで進出してこないでくれよ、あなたはもうそれをもっているじゃないか。
そんな感じじゃないかと思います。
書籍化作家が公募に応募することをズルいというのは的外れな批判です。それは間違いありません。
でも、そういう「読まれる機会」の無さに苦しむ人の、「ズルいと批判したくなる気持ち」くらいは分かってあげてもいいんじゃないですかね。
さてこのエッセイは埋もれるのか、それとも読まれるのか。




