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第15話 秒差の整列

 朝の光は白く、騒ぎだけが先行して色を帯びていた。


 神園建設本社ビル前。警備員がロープを張り、テレビ局のクルーが三脚を伸ばす。女性アナウンサーが小走りで位置を取り、ディレクターの指が3つ数え、停止する。


〈速報:神園建設、民事再生法の適用申請へ〉


 赤い帯がスマートフォンの画面を横切った。


 高瀬は、経済担当記者の木田と共に、すでに本社ビル前に滑り込んでいた。


 受付ロビーの自動ドアが開くたびに漏れる空調の冷気を胸に入れた。スポンサー名が、ニュースの文字列に変わる瞬間。紙面の「重心」が、音を立てて移動するのが感じられた。


 エントランス横の通用口から、総務の腕章を付けた男性が段ボール箱を押して出てきた。箱の側面には「契約書類・回収」と手書きされている。


「すみません、総務の方に一言だけ……」


「広報を通してください」


 返答は素早く、声は乾いていた。


 広報窓口の掲示板には、昨夜の日付で「お問合せ多数のためメールでお願いします」と記された紙が貼られている。印字は新しいのに裏移りが薄い――急ぎで出力されたものだ。


 受付前のソファで、経営企画部の若手社員らしき男性が電話を握りしめていた。


「……はい、今朝の5時台から問い合わせが集中しまして――ええ、テレビ局さんが最初で――」


 5時台。通常の始業時刻前である。

 高瀬はロビーの壁に掛かったデジタル時計と、手元のスマートフォンの秒針を合わせた。6時47分。


 「すみません」

 声をかける。


「昨夜からの動きについて、社内共有はどのタイミングで?」


 若手社員は視線だけを向け、すぐに逸らした。


「……広報にお願いします」


 エレベーター前から離れ、外へ回る。ビル脇の搬入口に、金融機関名入りの封筒を抱えた男性が二人、出入りしているのが見えた。名刺交換の仕草が雑だった。


 同時に、チャットが震える。


〈デスク:神園建設の関連記事は経済面主導/政治面は「慎重」〉。


 スポンサーの名が、今度は社内の空気を押し返す。高瀬は以前味わったあの「重さ」を思い出す。「紙はスポンサーでできている」――村田の言葉だ。神園グループは政治筋との関わりも深く、それを切り離すのは困難である。


 ビルの北側に回る。社員証を首から下げた総務部の女性が喫煙所の灰皿を拭いていた。


「朝からお疲れさまです」


 女性は驚いた顔で振り向く。


「今日は灰皿を撤去しろって言われて」


「撤去ですか?」


「インタビューで映り込むから、だそうです」


 危機対応における「画角」が、既に意識されている。


 その時、記者受付のテーブルに列ができ、取材パスが配布された。高瀬たちは名刺を差し出し、時潮のロゴを隠すことなく提示する。


「会見は何時からですか?」


「10時を予定しております」


 広報の男性は眼鏡の奥の焦点を外したまま答える。


「代表は出席されますか?」


「代表取締役社長が冒頭のみ出席し、その後は当社広報が対応いたします」


 冒頭だけの社長。主語を提示し、すぐに引っ込める段取りだ。


 ビル向かいのカフェで、席を取り、ノートを開く。

 〈――5時台:テレビ局からの問い合わせ、複数〉。

 〈――6時台:受付掲示、急ぎ出力〉。

 〈――7時台:銀行員の出入り〉。

 〈――10時00分:社長「冒頭のみ」〉。

 時刻を杭にして、線を引く。線は、誰のものであるかで色が変わる。


 メールの着信。金融庁担当の同僚から〈同時引き上げの兆候〉。

 複数のメガバンクが当座貸越枠を一斉に絞るには、情報の同期が必要だ。誰が、どの順番で、どの太さで合図を出したのか?


 店内のテレビが音なしで朝ワイドショーに切り替わる。神園建設の沿革グラフィックがきれいに用意され、倒産の影響解説が既に「完成形」になっている。


 カウンター越しに店員が言う。


「さっきから業界の人がいっぱい来るね」


「そうですね」


 「誰かが得をする」順番は、やはり整理されている。SNS、Web、TVの順での情報公開は、橘の辞任劇と同じ骨格で進行していた。


 高瀬は受付の来館バッジに目をやる。色でゾーンが分けられるタイプだ。赤=金融、青=報道、緑=協力会社。


 9時12分、赤いバッジの男性三名が同時に入館。9時15分、青いバッジの報道関係者が塊となって押し寄せる。

 メモに数字を記録する。「秒差の整列」。橘の件と同じだ。調整する役がいる。


「お待たせしました」


 9時58分、広報が会見室への入場を案内した。社章のピンが左右でぴたりと水平に保たれている。紙の角も揃っていた。仕草の癖は、場の端々に現れる。


 会見室は、机の段差が低い。前列中央にマイクが三本、左右にボードが設置されている。社長が入室すると、一礼し、すぐに定型文を読み上げた。


「このたびは――」


 声のトーンは落ち着いている。「平素は」→「申請」→「事業継続」。順序はロビーの掲示物と一致する。主語は最初だけ「当社は」だが、二段目以降は「お客様」「お取引先」の側へ移る。責任の座標が、言葉の中でずらされていく。


 質疑応答の前に、社長はマイクから半歩下がった。案の定、冒頭だけの出席だった。


 会見後、質疑応答の混乱に紛れて、総務のワゴンが契約書類を別室へ運ぶ。段ボールの封緘テープの貼り目が全て同じ角度だった。


 エレベーターの前で、緑バッジの男性が小声で言う。


「朝イチで連絡が来てたら、昨日のうちにできたのに」


「何がですか?」


「回収ですよ。現場に残さないのが、大人のやり方ってやつ」


 高瀬が視線だけ動かすと、男性は肩をすくめて口を閉ざした。

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