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時主の食時  作者: 相上
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二章 バンドと転校生(2)

朝鈴あさすず 安馬あんま …… 琥珀の兄。兄妹仲は良好。

 六月二十六日、火曜日。満員電車に揺られながら、朝日を背に受けながら、眠い目をこすりながら、私は本を読む。

 あなたの趣味は何ですか、と問われれば、反射的に、読書、と答えるほど、本が好き。読書中は集中していて、周りの音が一切聞こえなくなるほど、本が好き。ほぼ毎日駅前の本屋に行くほど、本が好き。本屋に行くと心が休まるほど、本が好き。

……少しウソをつきました。確かに本屋にはよく行っていましたし、心も休まりますが、それは中学三年生までのお話。趣味は読書で変わりませんが、火木土日が必ず駅前の本屋に行く日になり、ある人がいるためにドキドキもしています。

そして今、読書中にもかかわらず、私は別のことを考えています。さっきから五分位ページをめくっていません。中学のときには、まずなかったことです。

考え事は、昨日女の子二人とどこかへ行った人のこと。

「すいません。伊藤さんですよね。私、わかります?」

 声をかけられた。本を腰のあたりまで下ろしてみると、正面に私と同じ制服の小さい女の子が立っていた。あ、この人は……

「朝鈴さんですよね。昨日転校してきた。」

「はい。はじめまして。」

「はじめまして。これからよろしくお願いします。」

 お互いにニコッとペコペコを繰り返す。

まだ話したことないのに、私のこと知っていてくれたんだ。うれしいなぁ。

「こちらこそ。色々教えてくださいね。」

「ええ。遠慮なく訊いてください。」

「ありがとう。」

 それから、たわいもない世間話をした。

 朝鈴さんはよく話す人みたいだ。石川さんほどじゃないけど。私の話もよく聴いてくれるし、話しやすい。いい友達になれると思う。

でも友達って言うより、なんだか妹みたい。身長もそうなんだけど、人懐っこいさがあって、かわいいからかな。

結局、学校の最寄駅で降りて学校に着くまで話し込んだ。


 いつも通り五分前登校で教室に入ると、咲美が俺の席に座り、後ろの甲と話していた。

「おはよ~時主~今日も低血圧のニブい頭か~? そんなんじゃこれからの昼夜逆転社会もしくは二十四時間常時稼動社会乗り切れないぞ~いつでも明晰な頭脳で事態打開のひらめきを出せるようにしとかなきゃ~」

「いいからどけ。眠いんだ。」

「咲美、俺の席に来いよ。時主、咲美の相手を交代だ。」

「断る。数学の宿題終わってねえし。」

「え? うわっやば! ゆうこ~りか~助けて親友心の友よ~」

咲美は仲のいい女子の方へ行った。宿題のこと忘れてたな。写させてもらう気か。

そのとき、入れ違いに朝鈴と伊藤が一緒に登校してきた。

「お、朝鈴と静香ちゃん一緒か。約束してたの?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど。たまたま電車が一緒のようで。」

「見たことある人だったから、声かけたの。」

 朝鈴は昨日よりずっとフランクにしゃべった。

「へ~。しかし、朝鈴昨日と話し方全然違うな。やっぱ緊張してたのか?」

「えっと、まあ、そんなところです。」

「こけちゃうくらいだもんな。あれは痛かったろう。けど、悪いが笑わせてもらったわ。まあ時主や静香ちゃんまで笑うくらいだから勘弁してくれ!」

朝鈴は縮こまった。思い出しちゃったか。

「あ、ごめんね、朝鈴さん。」

「い、いえいえ。そりゃあ笑われて当然でしょうから……。」

「まあ気にすんなって。あの程度なら週一で咲美か甲がやってるから。」

「いや、俺でもあれほど見事な顔面アタックは無理だな。どこで習ったんだ?」

「な、習ってません! 不可抗力です!」

ガバッと顔を上げてつっこむ。成長したな。でも、

「不可抗力……はちょっと苦しいぞ。せめて笑顔で、私ドジっ子なんです~、にしとけ。」

「あ、そうですか。はい。じゃあそれで。」

「え? それでいいんですか?」

「えっと……私、ドジっ子なんです~。」

棒読みだったが、首をかしげながらでなかなか可愛かった。

「琥珀ちゃん。これは時主がたまに言う冴えないジョークだから、聞き流していいよ。普通におかしいから。」

「不可抗力で合っていますよ。」

甲と伊藤が苦笑いで訂正する。朝鈴が『え?』って顔でこっちを見る。ちょっと待て。

「いや、ドジっ子でも間違いじゃないはずだ。」

「ん? まあ間違いじゃあ……ない……のか?」

「えええと? 合ってるの? 違うの? 静香さん、どっち?」

なぜか必死になっている。

「不可抗力で間違いないです。」

「本当に?」

「ええ。ドジっ子というのは……ごにょごにょごにょ」

伊藤がドジっ子の意味を耳打ちしているらしい。

「ということは……遠藤君! だ、騙したのね!」

勢いよく立ち、俺に指を差し、クラスの中心で批難を叫ぶ。顔真っ赤。

「私が転校生なのをいいことに変な事教えて! いじわる! 人でなし! 愚か者!」

「そんな怒らんでも。つーか騙したってレベルか? 普通知ってると思うんだけど。」

「いーえ、これはちょっと悪質です! 許すまじです! そういえば、昨日のツッコミというのも、別にいらないからって兄が言ってましたよ! どういうことですか!」

「わかったわかった。謝るから座れって。」

「朝鈴さん、落ち着いて。」

「でもでもでもでも!」

 そのまま朝鈴の主張は止まらず、おかげで数学の宿題をする時間がなくなった。


 休み時間。朝鈴は囲まれていた。

「琥珀ちゃんて、頭いいんだね。」

「さっきの、私全然わかんなかったよ。」

「どこか塾か予備校に行ってたの?」

 原因は二時間目の数学。先週内田先生は宿題を数問出していたのだが、その中で最も難しく、先生もできる人だけでいいと言っていた問題を、宿題など知らないはずの朝鈴が二、三分ですらすらっと簡単に解いたのだった。すげえ。

「人気者だな、琥珀ちゃん。」

「見た目、頭のよさ、クール&ドジっ子、おそらく天然。面白い奴だよな。」

「お? 珍しく好印象ですな。女の子には結構厳しい時主君。やっぱ好みなのか?」

「さあ、どーかね。あの秘密も、実はまだ少し気になってっし。」

「な~んか隠し事?」

背後から、からかうために低くネチネチっとさせた咲美の声。

「「何でもねえよ。」」

 口止めされてっからな。いくら咲美でも言っちゃまずいだろ。


 授業を終えると、今日はまっすぐ帰宅した。

 やっと一日が終わったわ。やっぱりまだ慣れないわね。皆いい人が多いけど、ちょっと変な人もいるし。特にあの遠藤時主! なんなのよあの人は! 人を小ばかにして!

 でも、二人とも席が近いのはラッキーよね。これで調べやすくなったわ。

「おかえり、琥珀。学校はどうだった?」

「あ、兄さん。ただいま。いるとは思わなかったわ。てっきり調査に行っていると。」

「そのことなんだがな。今日西野さんから連絡があって、俺は別件の応援に回ることになった。そっちの調査は二人とも琥珀に任せるから。」

「え? 初任務なのに、一人でやってもいいの?」

「ああ。琥珀なら大丈夫だろうとさ。よかったな。すでに信頼されているぞ。」

「学校の成績だけで信頼されても困るんだけどね。」

「それだけじゃあないと思うけどな。とりあえず、俺の調べた資料、机の上に全部置いておいたから、目を通しとくように。調査中は、報告、連絡、相談、忘れるなよ。」

「わかっています。それで、兄さんは何の応援に行くの?」

「琥珀もとばっちりをくらった三ヶ月前の脱時者が、この辺りに潜んでいる可能性ありだってさ。」


 六月二十七日、水曜日。朝、甲と話していると、時主が五分前登校で教室に入ってきた。あいかわらず眠そうにしている。

よし! 今日も起こしてやろうじゃないの!

「おはよう、遠藤君。目は死んでいるけどね。もう少しまともな目でしゃきっとして! 朝から景気悪いわよ!」

うえっ、琥珀ちゃん?

「よう、転校生。お前は咲美と同種らしいな。」

「どういうこと? 石川さんと私、似てる?」

「朝から満面の笑顔でテンション高いところがな。」

「そうかな。」

「おはよう、遠藤君。元気なのはいいことですよ。頑張って見習いましょう。」

あっ、静香ちゃんも。

「伊藤も何気に朝強いよな。何時に寝てんだよ。」

「夜十時には布団に入りますね。ですから、朝はすっきりです。」

「でも、この前は眠そうだったな。寝てないように感じることがたまにあるんだっけ。」

「そうなんですか?」

琥珀ちゃんが立ち上がり、身を乗り出して訊いた。

「え、ええ。たまに、ですけど。」

「朝鈴、どったの?」

「あ、いえ、なんでも。わ、私もそうなんですよ! たまに、そうなんです!」

「ま、いいけどさ。それよりさ、……」

                  ……………………なんか、タイミング外した。

 朝の時主は死んだ目でふらふらしているから、いつもなら誰も声かけようとしない。そこで私の出番っていうのが普通だった。

けど、今日は琥珀ちゃんが先に声をかけたから、入りにくくなってしまった。

「どうした、咲美。」

「えっと、なんか調子狂っちゃって。」

「時主と琥珀ちゃんか。朝の時主とあんな風に話すとは、結構フランクな娘だったんだな。初日にあんなに硬かったのは、やっぱ緊張してたんだろうな。」

「そうねぇ~…………ねえ。ちょっと時主連れてきてよ。」

「なんか楽しそうだし、やめとく。」

「あっそう。」

 やっぱな~んか、気に食わないわね。まあいいけど。

 あ、阿部先生来た。自分の席に戻りますか。さ~て、古典古典。


 昼休み。俺は甲、咲美と机を同じくする。

「で、作曲のほうはどうなんだ?」

「まあ、ボチボチだな。ただ、やっぱドラムとキーボードがあると助かる。どうだ?」

「ん~それじゃあ本格的に探すとしますか~入れるんなら早くしないと練習時間なくなっちゃうしね~。」

「咲美、ピアノしてた女子に心当たりあるか? 時主も。」

「俺は……いたかなぁ。」

「いることはいるけど~皆こういうイベントに参加するタイプじゃないしね~うーん」

「じゃあ、俺が知り合いに当たってみるかな。一人くらいいるだろ。」

「却下。甲の連れてくる女は、十中八九目的が違う。」

「賛成だね~あんたに告ってふられて抜けるって可能性大でしょ~私はなるべくそういう恋愛ざたなのはなしで純粋にバンドがしたいのよ~騙されて勝ち目のない戦いに挑んできたかわいそうな女の子のせいでグチャグチャになっちゃうのは勘弁だわ~」

 甲は女子の人気が高い。背が高い、強い、おもしろい、頭も結構いい、優しいところもある、意外と紳士的。さほどモテるって雰囲気でもないんだが、ファンは校内のあちこちにいるそうだ。しかし彼女はおらず、誰とも付き合う気はない、と公言している。

「そうかよ。なら、お前らで誰か探して来いよな。俺に興味のない女子をな。」

「そうさせてもらうわ~誰か一人くらいいるでしょ~時主も探すのよ~」

「そうだな……。」

伊藤って確かピアノやってたんじゃなかったかな。コンクールで賞取ったこともあるって誰か言ってたし。訊いてみるか。

 そう思い教室を見渡してみるが、伊藤はいなかった。そういえば、朝鈴達と一緒に購買に行ったんだったか。後で訊こっと。

 と思ってたんだが、予鈴が鳴って伊藤が戻ってくるまでに、コロッと忘れてしまった。

 思い出したのはバイトのときだった。


 放課後。水曜は本来バイトはないんだが、先輩が夏風邪のため、ヘルプに回った。

 俺が本の平積みをしていると、今日も伊藤が来た。

「よう、常連さん。今日は何をお探しで?」

「あ、どうも。ご苦労様です。今日は、見てるだけ~、ですね。」

「そうか。まあ毎日なにかしら買ってたら小遣いなくなるしな。」

「そうですね。でも、本屋は歩いているだけでも楽しいですよ。」

「そうか。わからんこともないけどな。なんでも楽しい方がいいに決まってるし。」

「そうですね。私も楽しいのが好きです。本に限らず何でも。」

「だよな。今俺軽音祭でバンドやろうと思ってんだけど……そうだ! わっすれてた!」

つい声が大きくなってしまった。

「なんですか? びっくりしましたよ。」

と言っているが、どう見ても驚いているようには見えないにっこり笑顔。

「伊藤って、ピアノとか弾けるよな。中学の学園祭で弾いてたと思うんだけど。」

「はい。今はしていませんが、小学生の時にピアノを習っていました。中学のクラス演奏は、昔とった杵柄です。」

「そうか。なら、バンドでキーボードやってくれないか? 俺達、今度の軽音祭に出るんだけど、キーボードが要るらしいんだ。頼める?」

「キーボードですか? えっと、ピアノとはちょっと違うと思うんですけど……」

「あー、そこらへんは俺はよくわからん。甲に訊いてくれ。でも、そんな難しく考えんでもいいらしいぞ。」

「そうですか……」

「ま、ちょっと考えてみてくれ。返事、急がないから。」

「……わかりました。考えてみますね。」

「ああ。いい返事を期待しているけど、無理なら遠慮なく断ってくれてかまわないから。」

「はい。ありがとうございます。それでは、そろそろ帰りますので。」

「ああ。またな。」

 ……あまり乗り気じゃなかったかな。まあ伊藤は派手に動き回るって性格でもないか。


 六月二十八日、木曜日。五分前登校で教室に入ると、今日も朝鈴に声をかけられた。

「今日も眠そうね、遠藤君。足元おぼつかないわよ。」

「ああ、俺にとってはこれが普通なの。低血圧なんかな。朝から自由に動けるお前がうらやましいよ。」

「なによ。九時に寝て五時に起きれば低血圧なんて関係ないでしょう。早起きなさいよ。」

「ムチャ言うなよ、チビッ子。大人には夜にすることがいろいろあるの。」

「身長で私を判断すると、後で後悔するからね。」

「さいですか。しょりゃ恐ひね~ふぁ~。」

「でっかいあくびね。」

 しかし、なんでまた朝鈴は俺にちょっかいかけてくるんだか。この前は俺の冗談をあんなに怒ってたくせに。って、やっぱあれが原因かな。最初は俺にも遠慮した言葉遣いだったけど、あれから随分と容赦のないセリフが多いし。つーか、くだけた言葉と丁寧語一緒に使うなよな。ま、でも遠慮はないほうがいいか。

「時主、おはよう。」

「よう、咲美。……なした? んな仏頂面で。」

 いつもなら超ハイテンションで突っかかってくるのに、今日はなんかむくれている。

「べっつに~な~んもないわよ~」

「あっそ。ならいいが。」

「そうだ、昨日ピアノできそうな娘にあたってみたんだけど~なかなか見つかんないのよね~時主はどう?」

「ん、俺か? そりゃ……」

 伊藤は……見当たらない。かばんはあるんだけどな。

「後で訊いてみるよ。有望な人材に一人声をかけてみたから。」

「それってやってくれそうな人~?」

 疑っている目で見てくる。信用ないな。まあ、実際やってくれるかどうかわからんが。

「んーどうだろうな。わからん。」

「ごめんなさいね、咲美さん。せっかく誘ってくれたのに。」

 朝鈴が律儀に謝る。そんな気にせんでもいいのに。咲美も同感なはずだ。ほらな。

「え? あ~気にしないでね琥珀ちゃん! そんな勧誘断ったくらいでいちいち気にしてもいられないっしょ~断られることもあるから勧誘なんだし~そりゃ入ってくれたらうれしいんだけど~ほら転校していきなりってわけにもいかないだろうしさ~」

「誘ってた時と言ってることが逆だな。」


 放課後。私は時主君を探した。昨日の返事をするために。

藤代君と石川さんはまだ教室にいたけど、時主君のカバンはもうない。

「え、時主? あいつは今日バイトだから、もう帰ったよ。な、咲美。」

「そうね~帰り誘ったんだけど断られたわ~まあいつものことだけどね~。でも私が謹慎中の今くらい付き合ってくれても良いんじゃないかな~とか思わない?」

「そこは……遠藤君は真面目なので。」

「まあまあ。咲美もダメ元だったんだから、いいじゃねえか。」

「そりゃあ、まあねえ……」

時主君は今日もバイトだから、急いで帰ってしまったみたいだ。

 私も帰り支度をして教室を出ようとすると、朝鈴さんが来た。

「あの、静香さん。」

 ちょっと慌てている。

「はい。朝鈴さん、どうしました? 何か困ったことでも?」

「いえいえ。静香さんは、これから暇ですか?」

「えーっと、本屋に寄って帰るつもりですけど、それくらいです。」

「じゃあ一緒に駅前のケーキバイキングに行きませんか? めずらしく兄がおごってくれるそうで、友達も連れてこいと言っているので。一緒におごってもらいましょう。」

 本屋は八時までやっていますし、ケーキは、特にチーズケーキは大好物。それに、朝鈴さんのお兄さん……ちょっと興味あるかも。確か二年生で、一緒に転校して来たって言っていたわね。この妹にしてこの兄ありっていう人なのかな。

「何か悪い気がするんですけど、いいんですか?」

「ええ、もちろん。まあ、あんまり多いと兄に悪いので、静香さんだけですけど。」

「それじゃ、お言葉に甘えましょうか。バイキングならどれだけ食べても同じですよね。」

「そうね。遠慮なく食べましょう。」


 朝鈴さんのお兄さんは後から来るとのことなので、私たちは先に入って食べていることにした。時間差はコースを変えることで対応するそうだ。

 朝鈴さんは普段教室で話しているときよりもおしゃべりだった。

 三十分ほど経ったとき、長身の男性がこちら側に来るのが見えた。

「それで、お兄さんってどんな人なんですか?」

「兄ですか? そうですね~、とりあえず、顔はまあまあいい男だとは思いますよ。あと、背は百八十センチ超えてますし、体系もスラッとしてます。」

「つまり、カッコいいんですね。」

「まあそうですね。モテると思います。頭もいいですし、優しいところもあるので。」

「ということは、いいお兄さんなんですね?」

 男性の足が止まる。

「ということは、とは? 特に悪い兄さんではないですけど。」

「妹に好かれるってことは、いい兄の証拠なんですよ? もちろん、妹に好かれてないからって悪いお兄さんだとは限りませんけど。つまり、妹に好かれているお兄さんに悪い人はいないってことですね。」

「十分条件ということですね。なんとなくわかりますよ。でも私の場合は、特に嫌うところもないからってだけですから。」

「でも、いいお兄さんなんでしょう?」

 朝鈴さんは、ちょっと困ったような、テレた顔になった。

「えー~っと、まあ、そう、で、すね。いい兄なのかもしれません。」

「じゃあ、悪い兄かもしれないんですね?」

「いいえ、そんなこともない、です。ええ、いい兄ですよ。」

「お兄さんのこと、好きなんですよね?」

「そりゃあ、まあ、なんというか、はい。」

「はい、とは? はっきりと!」

「好きですよ。ええ、好きです。ブラコンってわけじゃないですけど、兄さんがいてくれてよかったと思ってます!」

「どうもありがと。兄さんはうれしいぞ。」

 朝鈴さんがバッと振り返る。

「に、兄さん! いるならいるって言ってよ!」

「いやいや、妹の本音を聞くチャンスだったもんでね。や、どうもありがとう。こいつの兄の朝鈴安(あん)()です。妹もいるので、安馬と呼んでください。」

「な? 静香さん、知ってたの?」

 朝鈴さんの戸惑っている顔、可愛いわね。

「いえいえ。おごっていただけるということで、ちょっとしたお返しです。私は伊藤静香といいます。」

「どうも。よろしくな。」

「こちらこそ。」

「一体どうなって? きょ、共謀? 二人は初対面のはずじゃあ……」

「そうですけど、朝鈴さんのお兄さんらしき人がきたものですから。」

「彼女が何をしてくれてるのか察してさ。聴かせてもらったんだ。」

「な! そ、それは、その、え、え~もぉ~なんでそんなこと~」

「そう言うなよ。たまには可愛い妹の愛情を確認しときたいしな。」

「なにが愛情よ! ただのいい兄だってだけでしょう!」

「朝鈴さん、別にいいじゃないですか。妹が兄を慕うのも兄が妹を慕うのもおかしなことじゃないですよ。私も、自分の兄さんのことは好きですし。」

「そうそう、照れるなよ。」

「照れてません!」

お兄さんの安馬さんは、聞いていたとおりのいい人みたいだ。

 安馬さんが自分のケーキを取ってきてからは、安馬さんや琥珀さんが質問して、私が答えるという形になった。さっきの照れからか、琥珀さんの顔は前より少しむくれて固くなったけど、楽しい時間になった。

「ほら、このぷにぷにほっぺを揉んでごらんよ。一日の疲れが吹っ飛ぶほど癒されるよ。」

 安馬さんは琥珀さんのほっぺたを揉み始めた。

「ひ、ひいさん、ひたい、ひたい。」

「琥珀のほっぺは俺に癒しの時を与えてくれるんだ。いいでしょう。」

「はあ。そ、そうですか。確かにやわらかそうですね。」

「ちょっ……もうやめひぇって、もう。」

 琥珀さんが安馬さんの手を振りほどいた。

「おお、悪かったな。おわびにこのタルトをやろう。」

「そんなの取ってきただけじゃない! バイキングなんだから。」

「まあそう言うなって。」

                          ……本当に仲がいいんだなぁ。


 時間が来たので、安馬さんにおごってもらい、私たちはお店を出た。

「どうもご馳走様でした。」

「いやいや。美味しかったね。」

「はい。」

「じゃあ、帰りましょうか。静香さんは、家どっちでしたっけ。」

「あ、私は本屋に寄って帰るので。いつもの習慣なんですよ。」

「そうか。今日はありがとね。楽しかったよ。」

「それじゃあ、また明日ね。」

「はい、また明日。」

 琥珀さんと安馬さんは並んで駅の方へ歩いていった。それにしても、身長差すごいなぁ。朝鈴さんは百四十センチもなくて、安馬さんは百八十センチを超えているから、差は四十センチ以上。歳は一つしか違わない……のよね。

 それはさておき、本屋へ行きましょうか。

 私は夕方で混み始めた道をごきげんで歩き、時主君のいる本屋へ向かった。

 けど、いなかった。店内を探してみたけれど、どこにもいない。別の仕事をしているのかなと思い、雑誌を読んでちょっと待ってみたけど、来ない。……どうしたのかな。

「お、いたいた。伊藤ー。」

 この声。振り向くと、私服の時主君がこちらに歩いて来ていた。

「こんにちは。バイトはどうしたの?」

「今日は休みだ。で、伊藤に訊きたい事があったことを忘れててな。腹、減ってないか?」

 ええと、さっきケーキをたくさん食べたので、全く減っていません。でも、

「ええと、はい。そうですね。」

「じゃあ、なんか食ってかない? 軽いものならおごってあげるから。」

「そんな、結構ですよ。ワリカンにしましょう。」

「そう? そりゃ助かるな。そいじゃ、そこらのファミレスで。」

「はい。」

 お母さんにメールしとかないと。もう夕飯作っちゃってるかな。


 よかった。なんとか追いつけた。今日のうちに聞いとかないと、明日、咲美や甲がうるさいからな。とりあえず、脈ありかどうかだけでも訊いとかないとな。

「ミネストローネとコンソメスープをお願いします。」

「えっと俺は……デミグラスハンバーグの……味噌汁セットで。」

「はい。ご注文のご確認をします……」

 ウエイトレスさんが帰って行くと、しばしの沈黙になった。

しかしなんというか、よく考えてみたら、これって一応女性との食事か。微妙に緊張するな。まあ相手が伊藤だから、『メシ』じゃなくて『食事』になり、緊張しているんだろう。この前は咲美と食ったけど、食事って感じじゃなかったもんな。

「遠藤君は、こういうレストランってよく来るんですか?」

 沈黙に耐えかねたのか、伊藤が当たり障りのない話題を振ってくれた。

「いや、ほとんどないな。メシ作らなくていいから楽なんだけど、あんまり来すぎると金がなくなるからな。めったに来ないよ。伊藤は?」

「私の家は、お母さんも私も料理が好きなので、お祝いとかの時も全部作っちゃいますね。お母さんの料理は、大抵のレストランよりもおいしいですし。この腕でお父さんを落としたんだよ~って言ってましたね。」

 伊藤はごきげんに話し始めた。何かいいことあったのか? 一度話し始めると止まることなく、咲美ばりにしゃべった。

 本当はもっと聴いてあげるべきなんだろうが、その前に本題だけ訊いとくか。

「そうだそうだ。伊藤さ、この前言ってたバンドの件、考えてくれたかな。実はそれを訊こうと思ってたんだよ。」

「あ、やっぱりそうだったんですか。そうじゃないかと思っていたんですが、なかなか切り出しにくくて。」

「で、どうだ。考えてくれた?」

 伊藤は、にっこりと笑って答えてくれた。

「はい。私でよければ、お手伝いしますよ。」

「おお、ホントか! いや~よかったよかった。これで甲や咲美にどやされずに済むわ。俺にはたいして期待してないって顔してたけど、ダメだったらダメだったで『使えないわね~』とか言われそうだからな。伊藤はステージに立って目立とうってタイプじゃないから、断られることも覚悟してたんだけど、よく勇気出してくれたよ。」

 伊藤はちょっとテレたようで少しうつむいた。

「音楽は好きですし得意ですから。それに、やっぱり高校生になったので、いろんなことにチャレンジしてみようと思って。あと、遠藤君がせっかく誘ってくれたので、期待に応えたかったんです。」

「そうだよな。俺も最初は甲と咲美に、半端強制的に引き込まれた形なんだけど、さあやるぞと思ったら面白くなってきてさ。ステージに立って何かやるってタイプじゃないけど、段々そんな柄にもないことがやりたくなってきたんだ。やっぱ高校生なんだから、本当にやりたいことがあったら、恥ずかしいとか柄じゃないとか、そんなもんはとりあえずどっかに置いといて、何を押しのけてでも何を犠牲にしてでも、とりあえずやってみる、でいいよな!」

「え~っと……そこまでの覚悟はないんですけど、できるかぎりがんばってみますね。」

「ああ。頼むな。咲美や甲のテンションについていけなくなったら、俺にアイコンタクトでもしてくれ。なるべくフォローするからさ。」

「はい。それでは、お願いしますね。」

「任されよう。」

交渉成立したところで、頼んだメニューが来た。

「どうも。そいじゃ、いただきますか。」

「はい。」


 プルルルルル、プルルルルル。

「もしもーし。なんだ時主?」

「おう、甲か。今伊藤と話してたんだけど、伊藤がキーボードやってくれるってさ。」

「おお、静香ちゃんか! 確かにピアノやってそうだな。けど、あんまりバンドとかって性格じゃないと思うんだが、ホントにやるのか? 大丈夫なのか?」

「俺も少し心配なんだけど、伊藤はああ見えて度胸はある方だし、実力も申し分ないぞ。それと、何かにチャレンジしたいって思っていたらしくて、意外とヤル気ある感じだったな。ちゃんとできると思うから、心配しなくてもいいって。」

「そうか。まあ信用してないってわけじゃないから。ただ、静香ちゃんも女の子だからな。目的はあっちってこともなくはないと思って。」

「あっちってどっちだよ。」

「あっちはそっちだよ。」

「具体的に!」

「具体的に言っちゃったら、静香ちゃんから怒られるようなことだよ。まあ気にするな。」

「……よくわからんが、伊藤で問題ないんだな?」

「ああ、もちろんだ。大歓迎だよ。」

「そうか。そいじゃ、咲美にも俺から連絡しとくから。」

「ああ、じゃあな。」

ピッ。

「…………そうかぁ~静香ちゃんか~。ま、大丈夫だろ。」


 プルルルルル、プルルルルル。

「なんか用?」

「おう、咲美か。って、なんか機嫌悪そうだな。どうかしたか?」

「気のせいよ。何もないわ。それで何?」

「口数がいつもの一割しかないんだが。まあいいか。バンドのことなんだがな、伊藤がキーボードやってくれるそうだ。」

「そうみたいだね。それで一緒に食事してたんだよね。よかったね。」

「なんだ知ってたのか。って、何でメシ食ってたことまで知ってんだ? 甲に話したのもついさっきだし、甲から聞いたとしてもメシの事は言ってないぞ?」

「いや~あんまり仲良さそうに話してたもんだからさ~話しかけづらくってね~とっても楽しそうだったし~お邪魔しちゃ悪いな~と思ってね~。」

 なんだ、近くにいたのか。気付かんかったな。

「遠慮せんでもいいのに。バンドのこと話してるってわかったんなら、入って来いよ。」

「いや~私は時主が今も本屋で一生懸命バイトしているもんだと思ったからさ~まっさかこんなところにいるわけがないよね~あれはよく似た別人だよね~って思ってさ~。」

「ああ。今日バイト休みだったんだよ。だから」

「まあ別にいいんだけどね~あんたが何してようが~」

 なんでこいつ怒ってんだ? わけわからん。

「それで、結局伊藤が入ってもいいんだよな。」

「…………」

「どした?」

「…………時主ってさ~静香ちゃんと仲いいの?」

「まあ、中学一緒だったし、転向してきて最初のときに席が隣同士になってさ。いろいろ助けてもらって、よく話すようになったかな。」

「で、高校も一緒、と。」

「ああ。それと、俺が今バイトしてる本屋、あれが伊藤の行きつけでな。来たらよく話してるよ。あいつ、小学校のときから、ほぼ毎日来てるんだってさ。」

「ほぼ毎日?」

「ああ。相当本読んでるみたいだな。あの本屋のことなら、俺よりよく知ってるぞ。」

「ふ~ん。…………ま、いっか。」

「で、どうなんだよ。」

「へ? 何が?」

「伊藤がキーボードやってくれるって話だよ!」

 なんか声のトーンがまた一つ下がった。なぜ機嫌を損ねる?

「ああ~そんなの大歓迎に決まってるでしょ~な~に考えてんのよあんたは~私が静香ちゃんを歓迎しないとでも思ったわけ~?」

「なんだ、その今更って言い方は。それならそうと早く言え。妙に伊藤の事聞くから、なんかあるんかと思ったぞ。」

「なんかって何よ。」

「ほら、女子には男子にはわからない部分があるらしいからな。」

「あはははは。まあ全くないとも言わないけどね~私と静香ちゃんの間にはないわよ~」

 別に伊藤に怒っているわけではないらしい。てことは……俺だよな。

「そうか。ならいいや。じゃ、また明日な。」

 明日訊こうっと。


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