一章 嵐の前の一騒動(2)
六月二十三日、土曜日。今日は第四土曜なので、半日ながら補講がある。科目は英数国+理社選択特講で、選択特講をとっていない俺や甲や咲美は、三時間目で終わり。
放課後、咲美が練習試合を午前のうちにやってしまうと話していた。
「なあ、時主、咲美の練習試合見てこうぜ。」
「いや、試合って今から一時間くらい後だって話だぞ。俺一時半からバイトあるし、さっさと帰って飯食わねぇと。」
「今のうちになんか外で食ってけばいいだろ。柔道見てみたくないか?」
「まあ興味はあるが……バイト間に合うかな。」
「大丈夫だって。俺に任せろ。」
ま、いっか。
ここは剣道場。私は大将。相手は全国個人ベスト4。
今日はただの練習試合じゃない。ほほえみが来る、見る。
絶対負けられない。絶対勝つ。
「咲美~妹の前だからって緊張すんなよ~。」
な! いきなり二階から聞き覚えのある声がすると思ったら……
「甲! に時主も! 何しに来たのあんたら!」
「応援だよ、応援。がんばれよー。」
絶っ対からかいに来たな、あの二人は。でもまあやることは変わらないか。勝っていいとこ見せてやるか。ほほえみのついでに。……ん……ありゃ……?
ほほえみを探してみたけど、どこにもいない。
「時主! 妹どこか知らない?」
「ん? 見てないけど、迎えにいったりしてねぇの?」
「迎えはいいって断られたの。わかるだろうからって。」
「近くにいるはずだろ。メールしてみれば?」
「道場内ケータイ禁止よ。」
「じゃあ探してきてやるよ。行くぞ、甲。」
「頼むわ。」
ど~こ行っちゃったのよ。
世界史特講を終え、昇降口を出ると、噴水に石川さんの妹さんがいた。なんだかおろおろしている。咲美さんの試合はもうすぐ始まるはずなのに、どうしたんだろう。
「すみません。石川咲美さんの妹さんですよね。」
「え? ……あ、はい。そうです。」
とてもびっくりしている。かわいい。
「私は石川さんと同じクラスの伊藤といいます。昨日放課後にいらっしゃっていたので、わかったんです。何かお困りですか。」
「あ、はい。え~っと、お姉ちゃんの試合する場所がわからなくて。あそこだと思ってたんですけど、誰もいなくて。」
微妙に震えている指で差した建物は、第一体育館だった。
「あの建物は第一体育館です。柔道場はあの道場ですね。」
「えっ? そうなんですか? ど、どうも、ありがとうございます、伊藤先輩。では、その、失礼します。」
「あ、そんなに急がなくてもいいですよ。」
ほほえみさんは、とてもあせって走っていった。もうすぐ試合始まっちゃうしね。でも本当にかわいい…………あっ!
「痛たたた。なに? 何すんのよもう!」
「す、すみません。急いでいたもので。」
「あんた中学生よね。どうしてこんなところにいるのよ。」
「それは……」
ぶつかられた背の高い二年の先輩が、立ち上がって小さいほほえみさんを見下ろしている。十中八九、咲美さんの武術部の先輩ね。一緒にいた、おそらく武術部の友達もほほえみさんの周りに集まり始めた。
これは……ヤバイわよね。
俺と甲は正道の西にある、他の道場をあたっていた。ここらの建物は皆似ていて、初めて来た咲美の妹が間違えても無理はないからな。
しかし、見当たらない。あんな小かったら、目立つしすぐわかるはずなんだが。こっちじゃねえのか?
「甲。ここらにはいなさそうだな。正道の東行ってみようぜ。」
「そうだな。あっちも入り組んでるし、間違えやすいしな。」
あいつらちゃんと見つけてくれたかな。まあやることはやる二人だし、大丈夫だろうけど。……にしても遅いわね。そろそろ防具つけなきゃいけないっていうのに。
「石川さん!」
「あれ? 静香ちゃんどうしたの~そんな息切らしてめずらしい。」
こんなあわてている静香ちゃんを見るのはレアだなぁ。
「今噴水のところに妹さんがいたんですけど……」
「なんだそんなとこにいたんだ~やっぱり迷ってた……んならやっぱり迎えに」
「武術部の先輩らしき人にぶつかってしまって……」
頭のスイッチが切り替わった。私はほとんど無意識に走っていた。
西の端から東の方へ移動していると、伊藤があわてて走って、柔道場に入っていった。
「あれ? 静香ちゃんどうしたんだろ。あんなにあわてて。」
「行ってみるぞ。」
俺達も柔道場へと歩く。入口に差し掛かったとき、急に咲美が飛び出していき、甲を吹っ飛ばした。甲はしりもちをつき、衝撃で数秒フリーズする。
「おい咲美! どした?」
咲美はシカトして、ものすごい勢いで走っていく。
「あ、遠藤君! 藤代君も!」
「おお、伊藤。何があったんだ?」
「実は……」
私が噴水で見た光景はこんな感じだった。ほほえみが噴水の前にいて、先輩方に囲まれている。先輩方に威圧されてどんどん後ろにさがっていき、ついに転んで噴水の中に落ちてしまった。ほほえみはビショヌレで、半泣きだった。腐れ女達は、嘲笑っていた。
「きさまらーーーー!」
あいつら、こともあろうにほほえみに手を出した。ほほえみに。かわいい妹に。
私は何のために武術やってるのか。このためだ。妹のためだ。妹を守るためだ。
あいつらは下衆だ。害だ。許せない。許してたまるか。
もう考えることはない。我慢は不可、不必要。
振り返ってこっちを見たが、もう遅い。
まずは一番近い不良女に、走ってきた勢いのまま脇腹に右のミドルキック。
こいつらのギョッとした顔、面白くもなんともない。
そのまま勢いを殺さずに一回転して、右にいた背高女の腹に左の回し蹴り。
こいつらの怒り顔、怖くもなんともない。
軸足だった右足に力を込めて、背高の後ろにいたデブ女へ跳び右ボディ。
こいつらのやられ顔、面白い。
左斜め後ろから来た厚化粧女の腹に、笑いながら右の回し蹴り。
こいつらをやってる自分の顔、怖い。
あと二人。いやみ女と高飛車女。
俺が噴水に来たときには、数人の女子がすでに倒れ、もだえていた。一様に腹をおさえている。骨折れてなきゃいいが。
「おい咲美! その辺にしとけ!」
咲美は依然として、残った二人の先輩を睨んでいる。先輩のほうは、こちらも武術部なので、間合いを取って防御の体勢ができている。顔は引きつっているけど。
「時主。こりゃあ、言葉じゃ止まりそうにないぞ。」
「そうだな。」
「俺は咲美妹を助けるわ。咲美の方は頼んだぞ。」
阿部サンはまだ来そうにない。武術部の男子は他校に練習試合に行ってるらしいから、そっちについて行ったのかな。で、武術部の他の女子は咲美に勝てないって顔。
「なるほど。俺がやるしかなさそうだな。」
俺がそう言って間に入ろうとするのと、咲美が先輩との間合いを詰めたのはほぼ同時だった。咲美の繰り出した右正拳突きを、先輩Aは両腕でガードした。が、威力を吸収しきれずに体勢を大きく崩す。先輩Bは完全に畏縮していて動けず、続けて咲美の放った右の回し蹴りを、こちらもとっさに両腕でガードするも大きく吹っ飛ばされ、噴水の壇に背中を打ち、倒れた。先輩AはBを見て凍りつく。ムリ、絶対ムリって顔だ。咲美は無言、無表情で近づいてくる。
もはや勝敗は決していた。先輩Aのガードはもう力が入りそうにない。咲美は無表情から不適な笑みになり、再び間合いを詰めた。ここが限界だな。
咲美は左足で大きく踏み込み、左ボディを打った。俺は二人の隣に移動し、咲美の左腕を右手ではらう。それでも咲美の動作は流れるように続けられ、右正拳突き、右ローキックを放つ。俺は背中で先輩Aを軽く吹っ飛ばして二人の間に入り、拳を左の掌で受けて掴み、ローキックを左足でガードする。
動きが止まった。拳は掴んだまま。
数秒の沈黙。
再びの無表情で咲美が話す。
「なんか用。」
低く濁った声だ。
「ここで引け。こっからは純粋な暴力だぞ。」
「どいて。」
「断る。」
また沈黙。今度は少し長い。咲美の表情は変わらない。しかし、少しずつ、咲美の拳に力が入っていくのがわかる。エネルギーのはけ口を探しているのか。
「ケガするわよ。そこにいると。」
しょうがないやつだ。やらせてやるか。
「そんなに暴れたいなら、俺が相手してやる。」
そう言った刹那、咲美の拳は俺の手を離れ、代わりに左ミドルキックが来た。右手で受け流し、同時に咲美の体勢を崩す。これに対し、咲美は右足で跳び、体をひねって強引に後ろ回し蹴りを繰り出す。俺はダッキングでかわす。
着地した咲美は即座に拳を俺の顔に突き出し、蹴りを急所へと運ぶ。俺はそれらを避け、受け流し、距離を保つ。直接ガードも、俺から攻めることもしない。
数分して、咲美の息が上がってきた。これだけ激しく攻め続けていれば当然だ。空振りは特に体力を奪う。俺の体制崩しも効いてるみたいだな。
咲美が一旦距離をとった。
「時主~」
獣のうなり声のようだ。
「そろそろ頭冷えたか。」
「あんたは~」
「そのへんにしとけ。後で後悔すんのはお前なんだから。もう戦うのは無意味だ。さっきまでは、いいことではないにしろ、多少の意味はあった。妹を守るって意味がな。まあ力でってのはまずいが、それでも許容範囲内としとこう。
だが、これ以上には意味などないぞ。これからつけられる傷はお前の責任だ。だって、これは意味も理由もない戦いなんだからな。お前のわがままだよ。
さあ、引け。構えを解け。力を抜け。もういいんだから。」
周りの人を含めて、出している音は俺と咲美の荒い息だけになっていた。甲も、伊藤も、武術部の女子も、咲美にやられた先輩方も皆、固まってこっちを見ている。
俺の声は届いてるかな。結構力込めて言ったんだけどな。これで止まってくれればいいんだが……まだ咲美の目は憤怒状態だ。即時停戦は難しいな。息が整ったらまた来るだろう。阿部サンも来そうにないから、俺が力づくででも止めるのがベストかな。
……仕方がない。やるか。
咲美の荒かった息が静まってきた。整ってきている。呼吸にリズムが出来てきて、重心が少し前に移動する。目は戦意に満ちていて、手に、足に力が入っていくのがわかる。
来る、と思った瞬間、俺は左手、左足を前に出した状態で右足に力を込め、咲美の突進に真っ向から挑んだ。
戦闘において予測は必須だ。レベルが上がるにつれて、相手の動きを読み、対処することの重要度もあがる。その行為は、近接戦闘においては、ほとんど一瞬で行われる。相手のわずかな動きを察知し、次の動作を知ることができれば、先手が取れる。相手より一瞬でも早く動くことは、イニシアチブをとることにつながる。よって、戦闘を自分のペースに持っていくことができるのだ。そして、予測力は一瞬の能力であり、頭で考えている暇はない。事前に相手のくせを知っておくことで予測をより確実にすることもできるが、経験を基にした脊髄反射が基本である。
咲美は予測能力に特に優れていた。だが、咲美の反射は経験から来るものではない。相手の攻撃のくせを読む能力は、常人とあまり変わらない。咲美のそれは、野生の勘、とも言うべき本能ようだ。
さっきも、俺は隙があれば攻めようと思い、何度か隙を見つけたのだが、攻めようとしたら咲美はすぐにその隙を塞いだ。結果、一度も攻められなかった。まあ、攻めなくてもよかったんだが、攻めていたほうが咲美の疲労も早かったはずだ。
本人からも聞いてはいたが、やっかいな本能だ。先読みされて防がれるから、クリーンヒットはあまり期待できない。ペース取り返すのも難しいから、連続攻撃もしづらい。
ならば……防げない一撃で決める。
ペースは以前咲美のもの。咲美が攻め、俺が避け、受け流す。だが、さすがにこのままだといつか捕まる。正直スタミナには自信がないし、相手は本職だからな。咲美も俺の動きに慣れてきたみたいで、攻撃を受け流しての体制崩しも効かなくなってきている。
しょうがない。多少強引だが、攻めるか。
俺は数歩後ろに下がった。咲美は追撃してくる……のを途中でやめ、防御の体勢をとる。俺の本気蹴り先読みしたか。だが、それじゃあ防ぎきれないぜ。
本気で右のミドルキックを放った。咲美は腕を交差させ、クロスアームブロックで防いだ、のだが、体は一瞬宙に浮いた。咲美の体重では、まともに受ければガードしても俺の蹴りは吸収しきれない。咲美の顔が驚愕を映す。俺が本気で蹴ったの初めてだからな。これほどとは思わなかったろ。
俺は距離を詰めた。咲美は構え直そうとするが、ぎこちない。腕、しびれてるな。こんなときこいつはどうするか。普段なら、数歩引いて大勢を整える。でも、今のこいつなら……。
咲美は右のローキックでの攻めを選択した。が、今度は俺の予測が勝る。こいつは攻めてくる。攻めなら足、きき足しかない。
左足の裏で受け、流す。咲美の体勢がさらに崩れる。俺は左に動く。咲美はついてこれない。俺は右腕を構え、放つ。咲美は右腕でガードする。その瞬間、俺は拳の力だけを緩めた。ガードによる反発は拳が吸収し、腕はその推進力を維持する。柔軟な拳はガードをすり抜ける。掌手が咲美のアゴを打ち、脳を揺らした。
倒れこんだ咲美を、なんとか支えてやる。
…………手間かけさせやがって。




